60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

おくりびと

2009年02月27日 09時20分33秒 | 映画
今週は映画「おくりびと」がアカデミー賞外国語賞受賞のニュースが大きな話題になっていた。
話題になる映画は大体に見ている私である、この映画も昨年(9月)に観ている。

映画は
所属するオーケストラが解散し、職を失ったチェロ奏者の大悟が演奏家を続けることを諦め、
妻を連れて故郷の山形に戻ってくる。早速、求人広告で見つけた会社に面接に行きその場で
採用されるが、それは遺体を棺に納める納棺師という仕事であった。
戸惑いながらも社長に指導を受け、新人納棺師として働き始める。
初めて目にする遺体に、最初は戸惑うばかり、しかし新人の納棺師としてさまざまな人々の
別れに立ち会ううちに、しだいに納棺師の意義や自らの生き方にも目覚めていく。
納棺師の仕事は単に死体の処理ではなく、亡き人を送り出す、日本の伝統に乗っ取った儀式。
納棺師の所作に職人芸を感じ、「死」というテーマを扱いながら品格の高さを感じた。
山形の自然を遠景に遭遇していくさまざまな人の死、その死者の尊厳をどう守るかというテーマを
ユーモアも交え妥協なく描いている作品であろうか。

配役は主人公の大悟に本木雅弘、妻の美香に広末涼子、仕事先の社長に山崎努らである。
私は、妻役は広末涼子よりは宮沢りえ、山崎努よりは緒方拳の方が適役な気がする。
広末は自分が目立とう目立とうとし、大悟役の本木雅弘とはバランスが悪い感じがする。
山崎努はあまりにも「あく」が強すぎ、死者を送り出す納棺師にはそぐわないイメージを持つ、
納棺師のなんたるかを教える役割としては孤独で淡々とした演技をする俳優の方が良いように思う。

「死」、誰でもが避けては通れないこと、周りの人の死、家族の死、自分の死。
自分の死はまだ現実的ではないが、家族の死ということになると、死というものが現実のものになる。
祖母の死、弟の死、母の死、父の死、何人もの家族の死を見てきて、死に対しての思いがある。
それは「納得」ということ。死と向き合うとき人の気持ちの前提になっているように思うのである。

弟は交通事故で突然に亡くなった。27歳とという若さで、世の中に出てこれからという時期に。
当時、弟の無念さを自分のことのように感じ、悔しくて悔しくて、葬儀の時は涙が止まらなかった。
弟の死は自分の中で、受け入れがたいことであって、とうてい納得いくものではなかったのである。
母は大腸がんが見つかったときはすでに肝臓に転移しいて、手の施しようがなかった。
9ヶ月の闘病の後に亡くなったが、その間、何度も新潟へ見舞いに行き、母とは沢山の話をした。
危篤の知らせを受けた時、あえて死に目に逢いたいとは思わないほど死を受け入れていたと思う。

父は94歳で肺がんで亡くなった。入院してから3週間、その間2度しか話すことができなかった。
3度目に見舞いに行って、私がベットの傍についていた時、容態は急変し危篤となり死を迎えた。
誰にも頼らずひたすら自己研鑽を続けて生きてきた父、私の生き方の目標であり尊敬に値する。
母が死んで6年、94歳という年でもあり、「良く生きていてくれた」という納得の死でもあった。

結局、人の死とは残された者、送る側の気持ちの問題であろうと思う。
どんな形にせよ近親者が死を迎えた時、その別れを納得いくものにしたい、それが人なのであろう。
体を拭き、装束を整え、髪をすき、化粧を施し口紅を入れ、綺麗にして冥土の道に旅立たせる。
焼き場にいけば全てが灰に消え、三途の川を渡れば脱衣婆に、身ぐるみ剥がされて裸にされる。
そんなことはわかっていても、送りだす者は死者を綺麗に整えてやりたい。これが納得だろうと思う。
国や文化により様々なやり方がある。チベットの鳥葬などは自然に返すことで納得するのであろう。
世界の人々の普遍的なテーマである「死」、日本人がどうとらえているか、わかりやすく伝えた映画。
死者との別れ、日本の納棺師による儀式がある種のすがすがしさを世界に伝えたのかもしれない。

映画の後半で、ある日、大悟の自宅に電報が届く。
それは父の死を知らせるものであった。父は子供の時に女を作って母と自分を捨てて出て行った。
その後父は女とも別れ漁港の片隅で、ひっそりと暮らし誰にもみとられずに死んでいったようである。
数年前に母親を亡くしていた大悟は父に対する思慕と憎悪の相反する気持ちを持ち続けていた。
しかし父の遺体を前にし、体を洗い髭をそり衣服を整え納棺師としての仕事を淡々とこなしていく。
そんな所作を経ることで気持は落ち着き、父への存念が消え、さわやかに死者を送り出していく。
人が人であるということの温かさと、清らかさのようなものを素直に感じることができた映画であった。


鬱からの脱出(1)

2009年02月24日 08時05分15秒 | Weblog
苦しくなったら「ただ息をしていればいい」「無駄な時間を過ごしててもいい」「寝られなくてもいい」
「人の好意に甘えてもいい」要するに「生きていさえすればいい」と自分に言い聞かせていくのである。
今日1日燃え尽きないで過ごせたということに満足していい。
燃え尽きることを考えたら、ダラダタしてるほうがよぽどiいい。燃え尽きたらそこでおしまいである。
今、心は休ませてくれと言っている。堂々と休んでいればいい。ボーッとしていればいい。
今、あなたは次に進む準備をしているのだから。

中学生で「ウツ状態を自覚している」子供が50%以上もいるという。由々しき問題である。
少子化の中で、親の干渉が一人の子供に集中してしまうことが大きな原因のように思われる。
「これはダメ」「こうしなさい」常に親の監視下にあり、親のコントロールで動かされていく。
そして親の意思が反映され、自分の意志がなくなって行く。「遊びたい」という欲求が失せてくる。
欲求が無くなって行くということは生きるエネルギーが無くなってくることでもある。

親も社会的な成功を願っていが挫折してしまった。しかしその挫折を受け入れることができない。
そんな親は子供に期待をかける。子供が成功することで、自分の無念を晴らそうとする。
子どもと一体化し子供の成功を自分の成功とし、体験してきた社会的な屈辱を晴らそうとする。
子供を巻き込んで自分の挫折を処理しようとする。

いたいけな子供は母の愛情にすがる。そして親を喜ばそうとし、頑張って親に認めてもらおうとする。
親は決して子どもをあるがままに認めているわけではない。自分にとって都合のいいものを認める。
そして子供は成功をおさめない限り、受け入れてもらえないことに気づき、成果をだすために頑張る。
親に認めてもらうために成果をあげようともがく。自分のために頑張るのではなく人のために頑張る。
やがて、子供は飼いならされ、人格を無くし親の都合のいい生活をはじめる。
人格が抹殺されれば都合よく扱われても異議を申し立てても認めてもらえなくなってしまう。
そしていつしか勉強すること、仕事をすることは遊ぶことより大切なことと認識させられてしまう。
小さい頃から何か業績を上げなければ受け入れてもらえない体験が大人になっても尾を引いている。
親だけでなく、自分自身もまた業績を上げなければ自分を受け入れられなくなくなってしまっている。

長い間、親の期待にこたえようと生きてくると、いつの間にか自分の意志を無くしてしまった。
どうしたら期待に背かないかだけを必死に考えているうちに、自分自身を見失ってしまった。
親の期待にこたえるために勉強し、学校を卒業し、就職して、ついには仕事依存症になってしまう。
遊びを楽しめない。疲れても休養がとれない、どんなに疲れていても仕事をしていた方が楽に感じる。
強迫的に仕事をしてしまう人は小さい頃からどんなメッセージを植えつけられて強迫概念があるのか、
どんなことにに毒され洗脳されてきたかを深く振り返ってみることも必要なことである。

自分の中に目的が無くなってしまったら、その場その場をやり過ごすだけの生き方になってしまう。
自分を見失ったことで、その場その場で自信が持てない。ただ何かをしている、という生き方になる。
その心理状態を表現するとすればそれは「散らばっている」とでもいうべき状態なのであろう。

小さい頃から選択肢のない1本道を歩いて、気がついたら、今を生きられなくなってしまっていた。
今を生きる、それは「今」が目的になっているということ。決して「今」が「明日」の手段ではない。
そのためには今が快適である必要がある。今を生きることが快適になっている必要がある。
ウツ症状の人が心が休まないのは今を生きていることが快適ではないからである。
生きることが快適でなければ、せめて生きることが何かに役立っていると思えれば辛くなくなる。
しかしそれも難しい。目的がなかなか定まらないからである。
生きることそのことが快適でないと、今の心の問題を一気に解決してくれるものを求めるようになる。
仕事は心の問題を解決する手段になってしまう。そのためには仕事を頑張らなければいけない。
仕事に没頭すれば今の辛さを忘れさせてくれる。だからがんばる。休んでなぞいられないと思う。

あなたに無いものはなにか?それは意志。
意志と目的が自我を形成する。「自分はこうしよう」という意志ほど人生に大切なものはないだろう。
自分で「これをしよう」と思うことがないと、どうしても不満になる。
どれもこれも流されてしまうと自分の意志ではないから不満になって行く。他人に操られて何かを
しても自分の経験にならない。失敗しても成功してもそれが経験として積み上がっていかない。
自分の意志でやったことであれば元気でいられる。不満にならない。経験として積み上がって行く。
意志を失った人は自分の人生を振り返っても何も残っていない。人生の軌跡がない。

自分の意志を取り戻すこと、それはリスクの高い、当人にとってはきわめて困難なことである。
周りとの軋轢が生じる。周りから嫌われ孤立していく可能性を持つ。エネルギーが足らない。
相手とどう調和させ折り合っていけばいいかが分からない。
しかしやらねばならない。自分を取り戻すために、一歩一歩、暗闇から抜け出るために、

あなたは確かな手ごたえで生きていない。したがって自分にふさわししくないものまで持ってしまう。
あなたは何が好きで何が嫌いかがはっきりしない。何が心地よく何が不快かがはっきりしない。
あなたは何が必要で、何が不必要なのか定かでない。何が正しく何が間違っているか自信がない。
あなたは拾ってはいけないものを拾ってしまう。その上拾ったものを捨てられない。
あなたはつきあってはいけない人とつきあい、その人と別れることさえできない。
まず、捨てる練習をする。嫌いなものは捨てる。気になるものは捨てる。
大きなものはなかなか捨てられない。だから小さいものを捨てることからはじめる。
まず、紙切れでも良いから嫌なものは捨てる。そして次第に大きなものを捨てる勇気を養っていく。
その時「これは嫌いだから捨てる」と意識して捨てる。そしてだんだんと好きと嫌いとの感覚を養う。
そうしたら、自分のまわりに嫌いなものがいっぱいあることに気がつくだろう。
そして嫌いなものは遠ざけ、好きなものを自分の周りにたくさん置くようにする。

鬱の人は疲れても休めないと、本には書いてある。それは彼らの外見的な行動の解説である。
心を解説すれば休めないというよりも「安らげない」と説明した方がいい。
家族と遊びに行っても安らげない。映画を観ても安らげない。実は心の住む家がないのである。
安らぎの条件、それは人と競わないこと、見返そうとしないこと、しかし心は曲げないこと、
今までは全て自分を譲って生きてきた。そうすれば自分の中が空っぽになったように感じる。
しかし真の自分を手に入れれば自分を失うことはない、相手と調整がつき、折り合いがつく。
今からそれを手に入れていく。それは困難なこと、苦しいこと、しかし休みながら一歩一歩。


       PHP新書 「うつ」になりやすい人 加藤諦三 著 よりの抜粋 一部加筆
                    

パン&珈琲

2009年02月20日 08時40分17秒 | Weblog
駅から我が家に向かって5分ほどの道沿いに、パンと珈琲の店がオープンした。
周囲はところどころに畑が残っている住宅地、その道は朝夕の通勤客の抜け道になっている。
もとは200坪程度の竹藪があった所を整地して、2階建てで10戸が住めるマンションが建った。
そのマンションの1階部分を地主が自分の権利として残し、そこにこのお店を出店したようである。
入口には「天然酵母パン&cafe VRAI de VRAI 」と木製の看板が掛かっている。
「VRAI de VRAI 」 はて、何という意味があるのだろう。いかにも気取った店名である。

入口にはお祝いの花が飾られ、人は立ち止まって窓越しに店内を覗きこむように見て通る。
こんな閑散とした場所に良くも作ったものだ。開店した日の夕方興味津津で立ち寄ってみた。
ドアを開けて店内に入ると、正面に6尺ほどのショーケースにパンを入れる籠が並べてある。
オープン日ということもあってか、すでに大半は売り切れて、3~4品が残っているだけである。
入って右手にあるテーブル席は4つで10席、窓際にカウンター席があり椅子が3つ並んでいる。
焦げ茶色に統一された床とテーブル、レジや窓際に花が飾られ全体に瀟洒なイメージである。
2人席のテーブルに腰を掛けて、メニューを開いてみた。
ドリンクは珈琲やジュースが並び、ランチタイムとしてパスタやサンドイッチなどが取り揃えてある。
私はシナモントーストと珈琲のセット(600円)を注文した。

入口では店員2人がお客さまに品切れの言い訳や残っているパンの商品説明をしている。
ちらりと見える厨房には男性2名と女性2名が立ち働いている。今日は6名体制なのだろう。
15分してやっと白い皿にのったシナモントーストとやはり白いカップに入った珈琲が運ばれてきた。
薄いトーストにシナモンを混ぜたバターを塗って焼いたような感じで、生クリームが添えてある。
トーストのサクッとした食感はなく、シナモンの香りも少なく、イメージと違って少しがっかりする。
女子高生2人が入ってきて席に着いた。こちらとは90度の角度になって目の前になってしまう。
彼女達の横顔を見据えることになるこの位置、目のやり場に困って居心地が悪い。

この場所に店を作って果たして成り立つのだろうか? どうしてもそんな疑問が起ってしまう。
店の第一印象は「どことなく素人っとぽく、垢抜けない、中途半端な店」という感じである。
パンは「天然酵母」とうたってこだわっているが、せいぜい15品ぐらいが置けるスペースしかない。
パンがウリの店なら30以上は品揃えが欲しい、その中でチョイスして珈琲と一緒に食べてみたい。
パンも珈琲もこれと言って特徴があるとは思えない。接客もアルバイト任せの感じである。
喫茶のテーブルや椅子の配置も統一感がなく、無理やりに詰め込んだ感じで、しっくりしない。
私の中では「お気に入りの店」リストには載せがたい店である。

素人から一番簡単に参入できる業種は小売りと飲食であろう。
日頃から自分が利用していている店に対して、自分なりの好感も不満も改善点も持っている。
自分だったらこうしよう。自分がやるならこんな店が良い。自分の中にアイディアが芽生えてくる。
いよいよ意を決して出店を計画する。仮説を実証するために、自分の夢を実現するために、
そして、いざ計画を実行していく段になると、今度は迷いが出てくるという。
果たして、この店でお客さんは来てくれるのだろうか?本当に採算に合うのだろうか?と。
そんな不安が持ちあがってくると、コンセプトの見直しや手直しや追加が始まるようである。
「こうした方が良いかもしれない」「これもやってておこう」理想との折衷案のようになってしまう。
そして、結局自信のない、個性のない、中途半端な店になってしまうのではないだろうか。

この店のオーナーの気持ちを考えてみた。
お店の名前は今風に洒落たものが良い、<VRAI de VRAI> どうだ、なかなか良い名だろう。
パンは他店との差別化のためにこだわりがいる。石窯は金も手間もかかるから天然酵母にしよう。
この立地でパン専業で勝負していくのはリスクも多い、万一お客が来なければまずいことになる。
パンのアイテムは絞って喫茶を併設しよう。パンが売れなくてもある程度は喫茶で稼げるだろう。
そうだコンセプトは「美味しいパンと美味しい珈琲の店」が良いだろう。
昼はランチメニューも置いた方がいい。だからパスタは必要だろう。カレーはどうしようかな?
珈琲は290円と価格を抑え、近所の老人や主婦などに利用してもらえれば相乗効果になる。
そんなオーナーの心の内が透けて見えるような気がする。

今まで、私の知っている何人もが出店し挫折していった。なぜなのだろう。
立地条件が悪いのか?コンセプトが未熟なのか?努力不足だったのか?競合が激しいのか?
それらは失敗の大きな要因になるのかも知れない。しかしそれがすべてでもないような気がする。
ではどういう店が成り立っていくのか。タイプとして大きくは2つに分けられるように思う。
一つは自分の主義主張をはっきりと打ち出している店。
どちらかと言えば独善的な店で、自分はこれがいいから薦めるのだ。嫌なら来ないでくれ。
もう一つは消費者のニーズを徹底的に研究した店。
今消費者は何を求めているのか?味、価格、安心安全、雰囲気、買いやすさ、居心地・・・
消費者の求める価値を徹底的に追及し磨きをかけていっている店ではないだろうか。

今回オープンしたこの店、
個人の経営であるからマーケットのニーズを徹底研究して店を出すには力不足であろう。
結局、自分の主張を鮮明にし、その思いをぶつけていくような店を作るしかないように思う。
「辺鄙な場所だけれど、遠くからでもお客さんに来ていただける店」
それは徹底的に原料の小麦粉や焼き方や味や鮮度こだわった美味しいパンを焼く店とか、
それとも、落ち着いた雰囲気、心和む音楽、おいしい珈琲とパン、そのひと時を楽しめる店とか
周り近所にはない、より個性的な店を作り上げていくしかないのではないだろうと思う。

果たしてこの店はどうなるのだろうか。人ごとなので客観的に見えるものがある。
オーナーはどうしてもこんなお店をやってみたい、そんな強い気持ちがあったわけではないと思う。
この空いた場所で何か商売ができないかと考えた時に、パンと珈琲の店を思いついただけである。
言ってみれば、商売をやる時の動機が不純と言うか、受け身と言うか、弱いように思ってしまう。
どうしてもこの店がやりたい。生活がかかっているからやり抜くんだ。そんな強さが見えてこない。
この立地で、この品揃えで、この雰囲気では、いずれは立ち行かなくなるだろうと思う。

開店初日、ひねくれた客が、こんなことを思いながら珈琲を飲んでいる。「縁起でもない!」


背中

2009年02月17日 08時13分02秒 | Weblog
池袋で会社の帰りに時々食事をして帰る中華店がある。
その店は中国人の経営なのだろう、従業員もすべて中国人で、接客の日本語もたどたどしい。
中国の観光客もよくこの店を利用する。時に中国語の会話が飛び交う異国情緒ある店である。
この店は中華の専門店でなく、餃子中心のセットメニューが多い定食屋の雰囲気の店である。

夜7時、店の2階に上がる。今は比較的すいている時間帯で客の入りもまばらである。
食事を注文してから、前を見ると、前のテーブルに女性が一人背中を向けて座っていた。
後ろ姿からは、はっきりは分からないが、40代後半であろうか、白いカーディガンを着ている。
座っている左隣の丸椅子の上に大きなバックとコートが置いてある。たぶん仕事帰りであろう。
今は注文した料理が出てくるまでの間、ぼんやりと目の前の壁を見つめている。
目は焦点が合うことなく壁を見つめているのかもしれない。仕事を終えホッとしたひと時であろう。
店員が「ハイ、味噌セットです」と言って、餃子5個の皿と味噌ラーメンを運んできた。
「さあ、食べるか」そんな声が聞こえるように、気を取り直して酢と醤油を小皿に注ぎ始めた。

女性の後ろ姿からいろんな想像が広がって行く。
彼女は一人身で、池袋から少し電車に乗った駅の近くにあるアパートに住んでいるのだろう。
何時もは帰って食事を作るのだが、今日は仕事が遅くなったので、食べて帰ることにした。
仕事は中小企業の経理などの事務作業、もう20年以上も務めているベテランである。
給料は安く、しかも仕事は地味で単調で何の面白みもない。ただ生活のために働いている。
以前転職も考えたことはあるが、自分には能力も気力も足りないように思ってあきらめた。
今の会社のオーナーには信用されており、このまま仕事を続けているのが一番無難であろう。
しかし、このまま歳をとってしまって行くのだろうか、考えるたびに不安になり、憂鬱になる。

人の背中はいろんなことを語ってくれるように思う。それが男性でも女性でも、
特に40を超えてくるとその人の人生の歴史や心の奥深くまでも語ってくれるように思えてくる。
背中は生活の重みや疲れや苦渋、さみしさや切なさや憂いなどをも表現してくれている。
そしてそんな背中を見るには場末の飲み屋や食堂が良いように思う。
人はそんなうらぶれた場所に溶け込んで安心し、気を許して背中で語ってくれるからである。
都心のレストランやこじゃれた飲み屋では人は仮面を被って本音は見せてはくれない。

私は人それぞれの人生の物語を垣間見るのが好きである。
何時も幸せでハッピーな物語など有り得ないと思うし、そんな物語は見たくもない。
物語の中には紆余曲折があり波瀾万丈がちりばめられているから興味が持てるのである。
決して平たんではない人生、その時々にどんな悩み、苦悩、挫折があったのだろう。
時にその背中を見て感情移入し、その寂しさに、そのわびしさに、思わず涙が出そうになる。
人の背中に紡ぎだす物語は私の人生そのものなのかも知れない。
ラーメンを食べているこの女性に、「お疲れ様」と思わず声をかけたい衝動が湧きあがってくる。


危機

2009年02月13日 09時41分19秒 | Weblog
腰痛で時差出勤(11時出社、4時退社)していたMさんに社長が注文をつけた。
「定時に出社するか、辞めるか、それとも休職するか、そろそろ貴方が判断して決めろ」と。
昨年10月に腰痛を患って、2ヶ月以上休み、今年になってから会社には出てきているものの、
実質の働きは半分程度である。中小企業ではこれ以上の負担は難しいとの判断なのだろう。
彼は医者と家族に相談してから返事をするということにして、数日の猶予をもらった。

Mさんは46歳、子供はいない。郊外に一軒家を購入して夫婦で住んでいる。
奥さんもパートで働いているとはいえ、この時期職を失うことは将来設計が大きく狂ってくる。
2~3日して、医者の診断書をもらって、社長と面談をした。
医者は腰の軟骨がすり減り、骨と骨がぶつかることで痛みになる。現状では手の施しようがない。
この状態を抱えて一生この生活を続けるしかない。と言う診断だと彼は説明する。
オーナーは「腰痛持ちなんぞ、五万といる。俺だって腰痛持ち何だ。手当ができないというなら、
セカンドオピニオンということもある。別の医者へ行ってみたらどうだ」と言う。

オーナーにすれば彼に腰を酷使する作業をさせていたわけでなく、机に座っての事務職である。
しかも、何年も会社に貢献してきたベテランではなく、1年半前の途中入社の社員である。
腰痛でまともな仕事ができないなら戦力外通告もやむなし、と思っても仕方がないことだろう。
話しの詳細は分からないが、Mさんは辞めるにやめられないという事情を話し嘆願したのだろう。
オーナーからは通常勤務ができるまでは時間給にしよう、という提案も出たようである。
そして話合いの結果「今月いっぱいはこのままの態勢で勤務し、来月から定時の勤務にもどる」
そんなことで了解をもらったようである。オーナーもギリギリの譲歩に違いない。

話を聞いて、スッキリしないものが残る。それは社長にではなく、Mさんの言動に対してである。
昨年10月、腰痛で休み始めた。最初に病状を連絡し休む旨は報告したものの、その後、
医者の診断結果や経過報告もなくずるずると休んでいた。そして2ヶ月以上経過し年末になる。
さすがにオーナーも我慢できず「出てきて報告しろ!」と言われ、やっと報告に顔をだしたのである。
そして、話し合いで、年明けから時差出勤ということになり、それも、もう1ヶ月以上経過しまった。
傍から見れば「彼は何を考えているんだ」「本気で治す気があるのか」「甘えるのもいい加減にしろ」
そんな声が出てきても仕方がないと思うと思うし、オーナーの苛立ちもわかる気がする。

普通であれば給料をもらっているて手前、会社に対しての責任と義務は感じるべきである。
病気で仕事や自分の生活がままならなくなれば、何とか治療して復帰しようとするものである。
医者が手の施しようがない、と言うなら他の医者に診てもらうなど自助努力はするのが自然である。
しかし彼は「そういうことだから仕方がないんだ」という、一種あきらめにもにた態度なのである。
本当に今後もこれで良いと思っているのか、それとも時間が経過すれば改善すると思っているのか、
この彼の態度の不自然さ不可解さが、オーナーも含め周りの批判が強くなる原因のように思う。

以前にも書いたが、原因がわかっている腰痛は全体の20%で、残り80%は原因不明という。
そして腰痛の要因として大きくクローズアップされてきたのがストレス起因説である。
私の見立ては彼はストレスからウツ症状を起こし、それが腰痛という症状になって発現している。
だから、その腰痛だけを取り上げても改善のしようがないように思う。
医者から見ても今の骨の状況から本人が痛みがあると言うなら、痛み止めを処方するしかない。
整形外科ではこれ以上の治療の施しようがないのである。後は精神科での治療であろう。

彼の無気力感は腰痛からくるものではなく、完全に精神的な問題に起因するように思う。
ある社員が言う「3月から定時に来ることが出来るのなら、なぜ努力して明日から来ようとしないのだ。
4ヶ月まともに出てこれないものが、何の治療もなしに3月1日に突然治るわけはないだろう」と。
結局、彼はオーナーに言われ、無理を承知で通常の時間に出てくるのであろう。
それは彼にとっては何ら問題解決になっていない。反対に出てくれば過度のストレスが掛かってくる。
そして、より深刻な状況になって再起できなくなる危険性をはらんでいるように思う。

なぜこんな風に状況は悪い方へ悪い方へと行くのだろうか。
社員というものは給料をもらっている以上その会社にとって必要な存在であり続けなければいけない。
そのためには自分の弱点や欠陥はひたすら隠し、有用な人材の「フリ」りをする。
自分が過度のストレスから変調をきたしていることなぞ、公言することなどタブーになる。
言ってみればハードの故障は良いが、ソフトの故障は致命傷になると考えてしまうのであろう。
だから彼も精神的な不調は言わず、あくまでも腰痛ということを言い張るしかないのかもしれない。

今の世の中では自分を守るために、個人個人が皆殻の中に閉じこもっているように思う。
人とのコミュニケーションも表面的で型通りで、本当の意味での血の流れた交流は少ない。
会社でも個人の精神的な問題は無視をし、そんなことは自己管理の範ちゅうである。とする。
そんな風潮の中では人はますます孤立していき、内向的になり、閉じこもっていってしまように思う。
先日書いた若者の結婚状況のように、すべては自分で解決する以外誰も手助けしてくれない。
家族も会社も社会も今の世の中、個人の中に他人が立ち入ることをタブー視し過ぎるように思う。
もうすこしそれぞれが有機的に繋がり、本音を語れる場があればもっと楽になるのではないだろうか、
それはそれで反対に今の若い人達にはわずらわしいことなのかもしれないが、

先日Mさんに「飲みに行きましょうか?」と声をかけてみた。
「いや、腰が痛くって早く帰っているから、残念ながらいけませんよ」と答えが返ってくる。
「私は自在ですから、4時半からでも良いですよ」と言うと、
「いや、暖かくなってから、また」と言って断られてしまった。彼は私には心は開かないであろう。
私でなくても誰でもいい、本音を話さない限り、彼はますます殻の中に閉じこもってしまうように思う。

ドトール

2009年02月10日 08時41分08秒 | Weblog
出勤前にドトールで珈琲を飲んでいくことにした。
地下鉄の出口を上がったところにあるこのお店は朝7:30からオープンしている。
朝食代わりにドックやサンドイッチを食べる人、新聞を広げる人、ただぼんやりと過ごす人、
仕事の喧噪のなかに飛び込む前のひと時、心を落ち着かせる準備時間なのだろう。
8時を過ぎると来店客が増え、カウンターは時に立て込んで人が並ぶ。
この店はフランチャイズ店で、朝はオーナーの娘さんと従業員の2名体制でこなしている。

オーナの娘さんがレジ前に立ち、従業員の女性が後方にまわる。
前のお客さんが注文する。
「ブレンド」
「店内でお召し上がりですか」
「うん」
「サイズはどうしますか?」
「S」
「200円いただきます」

「つぎのお客さま」
「ブレンドMと ミラノサンド、持ち帰りで」
「砂糖とミルクはどうなさいますか」
「ミルクだけ」
「640円になります」
もう一人の従業員に「ミラノサンドおねがいしま~す」と告げる。
「すみません、少しお持ちいただけますか」

「次のお客さまは?」私の順番になる。
前のお客さんの珈琲を紙カップに注ぎ、蓋を締め、袋の口をあけながら注文を聞いてくる。
「アメリカンとジャーマンドック」
「アメリカンのサイズはどうしましょう」
「Sサイズ」
「400円いただきます」
小さなトレイに珈琲を置き、
「そちらに進んで、少しお待ちいただけますか」

「次のお客さま」と後ろのお客に声をかける。

店内調理のドックなどの注文があると、出来上がりに時間がかかり、レジ前に人がたまる。
それでも次から次へとお客の注文を聞いて行く。
この人は何人さばけるのか、これで間違いは起こらないのだろうか、と不安になる。

ドックが出来て、トレイを持ってレジの向いの少しテーブルが高くなっている一人席に座った。
大口をあけドックをほおばりながら、レジに立つその娘さんの動きに興味を持った。
後ろを振り返って珈琲をコップに注ぎ、トレイの上に珈琲カップをのせ、スプーンを添え
レジを打ち、釣銭を渡し、持ち帰りのコーヒーに蓋をし、ティッシュを一緒に紙袋に入れ、
次のお客さんの注文を聞き、そのまた次のお客さんの注文を聞く。
ほとんどレジ傍から離れることなく、何通りかの動作をもくもくとこなしていく。
4人、5人と並んでも、あわてる風もなく、よどみなくさばいていく。見ていて見飽きない。

ここまで、無駄がない応対と動きを見ると、優れたマシーンのようにも思うほどである。
毎日毎日、ここにに立って客をさばいていけば、全てのことを体で覚えているのだあろう。
お客さん何人かのオーダーを頭に入れ、それに伴う何十通りの作業手順をどうこなしていくか
たぶんなにも考えることも意識することもなく自然に体が動いて行くのではないかと思う。
パソコンのキーボードを打つとき、どこにどのキーがあるかうる覚えなのにもかかわらず、
指が勝手に動いて文字を打ち出している、そんな感じなのであろう。

「いらっしゃいませ」「おそれいります」「ありがとうございました」「行ってらっしゃいませ」
お客様との会話はマニュアル通りである。無表情なその言葉は人の心には届いていない。
今はこの手の店が飲食業も小売業も大半を占めている。
マックもセブンもチェーン展開するほとんどすべての店がマニュアルで動いているのである。
よほど雑な接客をしない限り、誰がレジに立とうが同じである。相手の顔が見えないのである。
よほど通いつめない限り、その店の人の顔を覚えることはない。

今ニュースになる派遣切り、人が契約で労働力を売る。人は労働力というマシーンになっている。
企業は労働力としか人を見なさない。その労働力を金で買い、マニュアルで制御していく。
だから会社は不況になってくれば、マシーンダウンして行くだけ、そこに一人一人の顔は見えない。
マニュアル化された社会やマニュアル化された人間、そのような社会の末路のように感じてしまう。
それでいいのだろうか? 良くはないだろう。ではどうする?

ドトールに入って15分、空きになったコーヒーカップと皿がのったトレーを返却口に運ぶ。
ガチャリと食器の音がしたと同時に「恐れ入ります」という無機質な声が返ってきた。
自分自身も大きなマシーンの中をコンベアーに乗せられて動いているように感じてしまうのである。
「ありがとうございました」「行ってらっしゃいませ」、締まるドアーの後ろから声が追っかけてくる。

メタボ

2009年02月06日 08時23分43秒 | Weblog
NHKでラジオを聞いていたら「少し太めの人の方が長生きをする」というニュースをやっていた。
内容は厚生労働省研究班が全国8県に住む40~69歳の約9万6000人を対象に、
生活習慣に関するアンケートを実施し、約10年追跡した結果をまとめたものだそうだ。
がんや心筋梗塞などの循環器疾患を起こさないで10年間を生きる可能性が最も高いのは、
「禁煙、月1~3回の飲酒、BMI(体格指数)25~27」の人ということである。
また調査結果では、死亡する可能性が最も高いの人は、
男性が1日40本以上喫煙、週に日本酒2合相当以上の飲酒、BMI30(私なら86kg)以上
女性では喫煙、同1合相当以上の飲酒、BMI30(160㎝の人で76kg)以上だった。
健康な人と不健康な人で癌の発生は2.8倍 循環器疾患は4.8倍にもなるとか、
今回の研究では、従来の肥満の基準を多少超える「小太り」が最も健康な条件に入る。
また、喫煙や飲酒習慣が、生存率に大きく関与していることが判明した、としている。

BMI(体格指数)とは体重(キロ)÷身長(メートル)の2乗である。
私は身長170センチ、体重70キロ、 BMI=70÷(1.7x1.7)=24である。
今まで、日本肥満学会は「18.5未満」をやせ、「22」を標準、「25以上」を肥満とし、
政府もメタボ健診で25以上の人にやせることを推奨している。
だから私は政府が推奨する肥満扱いのギリギリのところで止まっていたことになる。
標準の「22」にするには22=X÷(1.7X1.7)で X=64kgまで落とす必要がある。

昨年どちらかというと運動不足でメタボに近づきつつある体重をコントロールしようと決意した。
74kgあった体重を64㎏と10kg落とすのはきつい、当面は68kgを切ることを目標設定した。
朝は豆乳と野菜ジューズと軽くクッキーなど、昼は御飯は軽くし、定食屋では半ライスにする。
夜は8時を回って食べない。そのようなルールを作って実行することにしたのである。
その結果、半年経過して、68kgは切れなかったが、68kg~69kgは維持できるようになった。
しかし少し気を緩めたり、お酒の回数が増えると、すぐ70kgに近づいてしまう。
何をどのぐらい食べるのか、食事には常に意識しておかなければ体重は維持できないのである。
お正月に少し気を抜いていたら71kgに迫り、今も70kgを切れないでいる。
そんな矢先の今回のニュースである。あえてきついダイエットをする必然性が無くなってしまった。

世の中の判断や常識とされることは往々にして変わっていく。
今まで正しいといわれていたことが間違っていたり、間違いとされていたことが正しかったりと。
BMI(体格指数)が25~27ということは私の身長であれば72kg~78kgということになる。
今までの基準と比べると大幅な違い、なんと10%以上の違いなのである。
今まで頑張って68kg台に保っていた努力は反対に自分の寿命を縮めていたことにもなる。
菓子パンはなるべく食べない。カップラーメンは禁止。ビールより焼酎にする。腹八分目、等々
食べたいものを我慢し、満腹感を犠牲にし、寝る前の空腹を耐えなければならなかったのである。
大げさに言えば何時も飢餓状態、これは意外とストレスがたまってくるのである。

考えてみれば何時も飢餓状態で体重を抑えているのは、健康には良くはないでのであろう。
時には好きな食べ物も食べ、飲みたいものを飲み、満腹感も得られることも必要だと思う。
ストイックにコントロールせず、ストレスのない程度にすれば自然「小太り」になってしまうのだろう。
ノーコントロールでもまずい。無理のない抑制、自制、そんなことが必要なのかもしれない。
煙草は8年前に止めた。お酒は週に2~3度飲む程度で焼酎のお湯割り1杯で充分である。
これからは食事もあまり型どうりの制限は止めて、ほどほどに食べて楽しむことを心がけよう。
あまり太ってもみっともないので体重は75kgまでは良しとすることにしよう。

人は安きに流れるもの、なんだかんだと理由をつけて結局楽なほうに流れてしまうのだろうか。
今回、自分もそうなってしまったのか。 いや違う、健康のためにやることだ!

不況

2009年02月03日 08時24分52秒 | Weblog
先週、北海道最大の百貨店「丸井今井」が民事再生法を申請したとのニュースがあった。
昔、小売業に関わっていたので、北海道へ行く度に丸井今井には立ち寄っていた。
あの百貨店が立ち行かなかったとは、やはり消費の落ち込みが原因の一つなのだろうと思う。
自分を考えても、百貨店ではここのところほとんど商品を買ったことがない。せいぜいギフトぐらいか。
周りの人達も旅行をしなくなったとか、外食が減ったとか、家族全体が節約に心がけている話を聞く。
この不況、まだまだ深刻になり、自分たちにも火の粉は降りかかってくることは確実なように思う。

アメリカに端を発した金融危機、対岸の火事かと思っていたが、火は身近まで迫っている。
しかしそうは思っても、その火が延焼してきた時に、自分にはそれを避ける術が解らない。
「寄らば大樹の影」というが、自分には身を隠しておくべき大樹もない。ほとんど無防備な状態である。
会社の売り上げがガタガタと落ちてきたら、今取引している会社が立ちゆかなくなって倒産したら、
そう考えると、自分の置かれている立場がいかにもろく頼りないものであるかを思い知ることになる。
「さあ、どうする」 考えても考えても対策は思いつかない。
現状の自分は最小単位であり、これ以上リストラの仕様がないのである。
「う~ん、どうしようもない。なるようになれ!」それが今の心境である。
後は自分の給料を減らすしかないが、それは考えるまでもなく、状況によって当然の成り行きである。
それでも立ち行かなければ手元の株を売り、会社を休眠状態か清算して凌ぐしかないだろう。
そして細々と年金暮らし、そんなところが考えつく現実的なシナリオになるのだろう。

昨日の新聞に電気メーカー総崩れという記事があり、そのなかで、ソニーの中鉢社長の年頭の
メッセージが引用されていた。現状の世界の状況は「疾風に勁草(けいそう)を知る」状況と言う。
強い風が吹いて初めて倒れない強い草(勁草)がわかるという「後漢書」の一節だそうだ。
これだけ世界中に風が吹き荒れれば弱い草木は次々になぎ倒されていくであろう。
その烈風の中で耐えていける企業こそ強い企業。そういう企業を目指すのだ!
トップの意気込みと社員への叱咤であろう。

その談で行けば私など「枯れ草」なのだろう。強風が吹けばたちまち空に舞い上がり霧散していく。
しかし葉は枯れても根だけは残るかもしれない。風が治まり暖かくなれば再び葉をだせるだろうか。
しかしまあ今この歳で枯れてしまえば、また葉を茂らせる生命力(意欲)はないかもしれない。
たぶんその時には「もう充分働いた。もういいだろう」そんな風に思うだろう。
止まない風はない。今はその風が収まるまで必死に地面にへばりついているしかないのだろう。
毎日毎日不況のニュースに晒されていると、自分の思考も落ちてきて滅入ってしまうものである。

追伸
私はすでに60を越え、人生の大半を生きてきたのだから、どんな状況になっても諦めがつく。
しかし、これからの若い人たち(新芽)にはこの寒風にはさらされてほしくはないように思う。
今まで、塾だ試験だ習い事だと、社会に出るための下準備を嫌というほどしてきたはず。
やっと希望を持って世の中に出てくるのだ。そんな若い芽を枯らしてはいけない。そんな風に思う。