3月11日の大地震で浮足立っていた会社に、先日親会社を寿退社した女性が駈け込んで来た。
すでに社員の大半は車や徒歩で帰途についた後なので、このフロアーは彼女と私だけになった。
彼女は私の隣の席に座ると、「電話を貸してください」と言って、あちらこちらに電話をかけ始める。
彼女の表情は険しく、苛立ちと興奮と疲れとが入り混じっている。彼女は明日は結婚式なのである。
プッシュホンを押し続けるが思うようにはつながらない。彼女の焦りがその指先から伝わってくる。
しばらくして彼女から詳しい経緯を聴いてみた。
結婚式のために銀座にエステに行っていた。エステを終え、サロンを出たところで地震に遭遇した。
銀座のド真ん中で身動きが取れず、家族やフィアンセに連絡を取ろうとしたが電話はつながらない。
そのうち携帯の電池がなくなってきた。途方に暮れ、とりあえず帰宅する為に上野まで歩いてきた。
しかし彼女が住む布佐駅がある成田線はおろか、全ての線は不通で、何時電車が動く目途もない。
そこで思いついたのがこの事務所、すがる気持ちで、ここまで歩いてきたそうである。
携帯からより固定電話からの方がつながる確率は若干高いようで、やっとフィアンセにつながった。
彼と話すうちに、今まで抑えていた感情が堰を切ったように吹き出してくる。「どうしたらいいの??」
「私は絶対やりたいのよ」、「1年かけて準備したのに、キャンセルも延期もイヤ」、「なぜこうなるの」
電話の声は涙声になり、やがて大粒の涙がこぼれてくる。私はしばらくこの場をはずすことにした。
しばらくして席に戻ると、茨城の両親とも連絡がとれたそうで、少し落ち着いたようである。フィアンセ
の方はホテルに電話を入れ挙式ができるか否かを確認した。その返事は「お二人がやられると言う
ことであれば、ホテル側は万難を排して準備する。しかしキャンセルや延期の場合は準備した生もの
や生け花等の代金(30~40万)は負担していただく。延期の場合は、何時頃できるとは言えない」
そんな内容だそうである。「お前はどうしたい?両親と相談して返事をくれ」と彼は言っているようだ。
そして親の方は「たとえ来賓者が少くなろうと、お前がやりたいのであればやればいい。万一、家に
戻ってこれない場合、明日ホテルまで荷物を持って車で行くから、お前は直接ホテルに行けば良い」
と言うことのようである。地震による交通の諸問題、それに伴う来賓者の不便と出席困難な可能性、
明日やらないと生じる経費増等々、「やる、やらない」の判断は花嫁にゆだねられた形になった。
経費増や今までの準備の苦労を考えれば「できるなら明日やりたい」それが彼女の偽らざる気持ち
のようである。しかし、やるにしても最大の不安は明日の交通がどうなるのかである。刻々深刻さを
増す被害状況、明日電車が動いてくれる保証はない。彼女は「やる、やらない」の結論を明日朝まで
延ばすことにして、その旨をフィアンセと両親に連絡し手分けして来賓者に電話連絡するようにした。
彼女は出席者リストを取り出し、自分の友人関係のキーマンの何人かに電話し始めた。
しばらくして、彼女は「どうしたらいいと思いますか?」と私に聞いてくる。私も明日は招待されていて
スピーチをしなければいけない立場である。今の状況では帰宅困難と判断し、会社泊を決めた私は、
「できれば延期してほしい」それが正直な気持である。明日動いているかどうか分らない電車に頼り
家まで帰ってから礼服に着かえ結婚式場まで行く。そんなあわただしい気持ちのまま式に臨むこと、
一方で災害に見舞われた大勢の人がいること、そのことを考えれば延期することが望ましいと思う。
しかし、彼女がこの日の為に注いできたエネルギーを考えると、それをあまり強くは言えないと思う。
私は言葉を選びながら、「結婚式はお祝いごと、皆の気持ちが落ち着かない状態で無理に挙行する
より、できれば延期した方が良いと思う。一流のホテルで、こんな天災でのリスクを一方的に顧客に
負わせるのはおかしい。だから、日を延ばして同じ内容でやることを前提で責任者と話せば、相手も
多額な負担を請求しないと思う」と言った。彼女はじっとこちらの話は聞いていたが、理屈としては
判っても感情としては治まらない様子であった。
彼女は今度はホテルのウエディングの担当者に電話を掛ける。「もしやる場合、本当に打合せ通りに
できるのでしょうか?」「神父さんはこれるのでしょうか?」「スタッフは予定通り揃うのでしょうか?」
「当日、舞浜からホテルまで交通は本当に大丈夫なのでしょうか?」その言い方には凄味があった。
そんなやり取りの結果、延期の場合は生け花の負担だけということになったようである。
9時を過ぎても全く電車は動かない。後は彼女をどう帰すかの問題が残る。彼女は「電車が動かなけ
れば、このまま会社に居させて欲しい」と言う。しかし花嫁が帰宅出来ずに会社に泊まり、寝不足で
腫れぼったい顔で式に出るわけにもいかないであろう。今さらホテルなど確保できるわけもない。
結局、同僚の女性社員の旦那が車で迎えにくることになり、それに同乗させてもらってフィアンセの
実家(草加市)まで送ってもらうことになった。私はフィアンセに引き継ぐことで、肩の荷を下ろした。
果して明日朝から電車は動くだろうか?結婚式の時間から逆算して、家には11時までに帰りたい。
どちらにしてもあわただしいだろうと思い、会社の近くの銭湯に行っておくことにする。そして1時には
椅子で作った簡易ベットに横になる。寝る前に飲んだビールが効いたか、いつの間にか眠っていた。
突然机の上に置いていた携帯が鳴って目を覚ます。寝ぼけまなこで時計を見たらAM2:30である。
「寝てましたか?」という女性の声。「明日の式は延期にしました」、その言葉で初めて電話の相手が
明日の花嫁であることを理解できた。その声は先ほどと違って、少し明るさを取り戻した感じである。
「ああ、私もその方が良いと思う」と答える。1時過ぎに彼の実家に着き、2人で相談したそうである。
地震と津波で悲惨な状況が広がっていること、明日の交通の見通しが立たないこと、彼女の親戚は
群馬県が多く、一緒にマイクロバスで来ることになっていた。しかしこの地震で家をはなれることを
不安に思っている人が多いこと、そんなことを考慮して延期を決めたらしい。寝入り端を起こされ、
その後は寝付けなくなったが、それでも私の気持ちは晴れやかになった気がした。
先週彼女から連絡をもらった。式の1週間後に予定していた新婚旅行もキャンセルし、延期の式は
5月に決めたという。それから当日予定されていた結婚式は7組あったが、結局は2組が強行し、
5組が延期したそうである。1年前から式場を予約し、打合せを重ねて準備を進めていった。そして
結婚式を明日に控えてまさにその時に、地震が全てを打ち壊していった。誰に向けようもない怒り、
結局は自分の中に納め、処理するしかないのである。今回結婚式を強行しようとすれば出来たかも
しれない。しかし、それでは本人達も家族も来賓者も心から喜べず、後味の悪さが残ったように思う。
2人はまだ地震や津波の全容が判らない段階で延期を決めた。そして、新婚旅行もキャンセルして
また新たに計画を立て直すそうである。これは2人一緒での最初の英断だったように思う。
仕切り直しの結婚式、私はその時にこそ、2人に対して、心からお祝いの言葉が言えるように思う。
すでに社員の大半は車や徒歩で帰途についた後なので、このフロアーは彼女と私だけになった。
彼女は私の隣の席に座ると、「電話を貸してください」と言って、あちらこちらに電話をかけ始める。
彼女の表情は険しく、苛立ちと興奮と疲れとが入り混じっている。彼女は明日は結婚式なのである。
プッシュホンを押し続けるが思うようにはつながらない。彼女の焦りがその指先から伝わってくる。
しばらくして彼女から詳しい経緯を聴いてみた。
結婚式のために銀座にエステに行っていた。エステを終え、サロンを出たところで地震に遭遇した。
銀座のド真ん中で身動きが取れず、家族やフィアンセに連絡を取ろうとしたが電話はつながらない。
そのうち携帯の電池がなくなってきた。途方に暮れ、とりあえず帰宅する為に上野まで歩いてきた。
しかし彼女が住む布佐駅がある成田線はおろか、全ての線は不通で、何時電車が動く目途もない。
そこで思いついたのがこの事務所、すがる気持ちで、ここまで歩いてきたそうである。
携帯からより固定電話からの方がつながる確率は若干高いようで、やっとフィアンセにつながった。
彼と話すうちに、今まで抑えていた感情が堰を切ったように吹き出してくる。「どうしたらいいの??」
「私は絶対やりたいのよ」、「1年かけて準備したのに、キャンセルも延期もイヤ」、「なぜこうなるの」
電話の声は涙声になり、やがて大粒の涙がこぼれてくる。私はしばらくこの場をはずすことにした。
しばらくして席に戻ると、茨城の両親とも連絡がとれたそうで、少し落ち着いたようである。フィアンセ
の方はホテルに電話を入れ挙式ができるか否かを確認した。その返事は「お二人がやられると言う
ことであれば、ホテル側は万難を排して準備する。しかしキャンセルや延期の場合は準備した生もの
や生け花等の代金(30~40万)は負担していただく。延期の場合は、何時頃できるとは言えない」
そんな内容だそうである。「お前はどうしたい?両親と相談して返事をくれ」と彼は言っているようだ。
そして親の方は「たとえ来賓者が少くなろうと、お前がやりたいのであればやればいい。万一、家に
戻ってこれない場合、明日ホテルまで荷物を持って車で行くから、お前は直接ホテルに行けば良い」
と言うことのようである。地震による交通の諸問題、それに伴う来賓者の不便と出席困難な可能性、
明日やらないと生じる経費増等々、「やる、やらない」の判断は花嫁にゆだねられた形になった。
経費増や今までの準備の苦労を考えれば「できるなら明日やりたい」それが彼女の偽らざる気持ち
のようである。しかし、やるにしても最大の不安は明日の交通がどうなるのかである。刻々深刻さを
増す被害状況、明日電車が動いてくれる保証はない。彼女は「やる、やらない」の結論を明日朝まで
延ばすことにして、その旨をフィアンセと両親に連絡し手分けして来賓者に電話連絡するようにした。
彼女は出席者リストを取り出し、自分の友人関係のキーマンの何人かに電話し始めた。
しばらくして、彼女は「どうしたらいいと思いますか?」と私に聞いてくる。私も明日は招待されていて
スピーチをしなければいけない立場である。今の状況では帰宅困難と判断し、会社泊を決めた私は、
「できれば延期してほしい」それが正直な気持である。明日動いているかどうか分らない電車に頼り
家まで帰ってから礼服に着かえ結婚式場まで行く。そんなあわただしい気持ちのまま式に臨むこと、
一方で災害に見舞われた大勢の人がいること、そのことを考えれば延期することが望ましいと思う。
しかし、彼女がこの日の為に注いできたエネルギーを考えると、それをあまり強くは言えないと思う。
私は言葉を選びながら、「結婚式はお祝いごと、皆の気持ちが落ち着かない状態で無理に挙行する
より、できれば延期した方が良いと思う。一流のホテルで、こんな天災でのリスクを一方的に顧客に
負わせるのはおかしい。だから、日を延ばして同じ内容でやることを前提で責任者と話せば、相手も
多額な負担を請求しないと思う」と言った。彼女はじっとこちらの話は聞いていたが、理屈としては
判っても感情としては治まらない様子であった。
彼女は今度はホテルのウエディングの担当者に電話を掛ける。「もしやる場合、本当に打合せ通りに
できるのでしょうか?」「神父さんはこれるのでしょうか?」「スタッフは予定通り揃うのでしょうか?」
「当日、舞浜からホテルまで交通は本当に大丈夫なのでしょうか?」その言い方には凄味があった。
そんなやり取りの結果、延期の場合は生け花の負担だけということになったようである。
9時を過ぎても全く電車は動かない。後は彼女をどう帰すかの問題が残る。彼女は「電車が動かなけ
れば、このまま会社に居させて欲しい」と言う。しかし花嫁が帰宅出来ずに会社に泊まり、寝不足で
腫れぼったい顔で式に出るわけにもいかないであろう。今さらホテルなど確保できるわけもない。
結局、同僚の女性社員の旦那が車で迎えにくることになり、それに同乗させてもらってフィアンセの
実家(草加市)まで送ってもらうことになった。私はフィアンセに引き継ぐことで、肩の荷を下ろした。
果して明日朝から電車は動くだろうか?結婚式の時間から逆算して、家には11時までに帰りたい。
どちらにしてもあわただしいだろうと思い、会社の近くの銭湯に行っておくことにする。そして1時には
椅子で作った簡易ベットに横になる。寝る前に飲んだビールが効いたか、いつの間にか眠っていた。
突然机の上に置いていた携帯が鳴って目を覚ます。寝ぼけまなこで時計を見たらAM2:30である。
「寝てましたか?」という女性の声。「明日の式は延期にしました」、その言葉で初めて電話の相手が
明日の花嫁であることを理解できた。その声は先ほどと違って、少し明るさを取り戻した感じである。
「ああ、私もその方が良いと思う」と答える。1時過ぎに彼の実家に着き、2人で相談したそうである。
地震と津波で悲惨な状況が広がっていること、明日の交通の見通しが立たないこと、彼女の親戚は
群馬県が多く、一緒にマイクロバスで来ることになっていた。しかしこの地震で家をはなれることを
不安に思っている人が多いこと、そんなことを考慮して延期を決めたらしい。寝入り端を起こされ、
その後は寝付けなくなったが、それでも私の気持ちは晴れやかになった気がした。
先週彼女から連絡をもらった。式の1週間後に予定していた新婚旅行もキャンセルし、延期の式は
5月に決めたという。それから当日予定されていた結婚式は7組あったが、結局は2組が強行し、
5組が延期したそうである。1年前から式場を予約し、打合せを重ねて準備を進めていった。そして
結婚式を明日に控えてまさにその時に、地震が全てを打ち壊していった。誰に向けようもない怒り、
結局は自分の中に納め、処理するしかないのである。今回結婚式を強行しようとすれば出来たかも
しれない。しかし、それでは本人達も家族も来賓者も心から喜べず、後味の悪さが残ったように思う。
2人はまだ地震や津波の全容が判らない段階で延期を決めた。そして、新婚旅行もキャンセルして
また新たに計画を立て直すそうである。これは2人一緒での最初の英断だったように思う。
仕切り直しの結婚式、私はその時にこそ、2人に対して、心からお祝いの言葉が言えるように思う。