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60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

震災と花嫁

2011年03月25日 09時53分43秒 | Weblog
3月11日の大地震で浮足立っていた会社に、先日親会社を寿退社した女性が駈け込んで来た。
すでに社員の大半は車や徒歩で帰途についた後なので、このフロアーは彼女と私だけになった。
彼女は私の隣の席に座ると、「電話を貸してください」と言って、あちらこちらに電話をかけ始める。
彼女の表情は険しく、苛立ちと興奮と疲れとが入り混じっている。彼女は明日は結婚式なのである。
プッシュホンを押し続けるが思うようにはつながらない。彼女の焦りがその指先から伝わってくる。
しばらくして彼女から詳しい経緯を聴いてみた。

結婚式のために銀座にエステに行っていた。エステを終え、サロンを出たところで地震に遭遇した。
銀座のド真ん中で身動きが取れず、家族やフィアンセに連絡を取ろうとしたが電話はつながらない。
そのうち携帯の電池がなくなってきた。途方に暮れ、とりあえず帰宅する為に上野まで歩いてきた。
しかし彼女が住む布佐駅がある成田線はおろか、全ての線は不通で、何時電車が動く目途もない。
そこで思いついたのがこの事務所、すがる気持ちで、ここまで歩いてきたそうである。

携帯からより固定電話からの方がつながる確率は若干高いようで、やっとフィアンセにつながった。
彼と話すうちに、今まで抑えていた感情が堰を切ったように吹き出してくる。「どうしたらいいの??」
「私は絶対やりたいのよ」、「1年かけて準備したのに、キャンセルも延期もイヤ」、「なぜこうなるの」
電話の声は涙声になり、やがて大粒の涙がこぼれてくる。私はしばらくこの場をはずすことにした。

しばらくして席に戻ると、茨城の両親とも連絡がとれたそうで、少し落ち着いたようである。フィアンセ
の方はホテルに電話を入れ挙式ができるか否かを確認した。その返事は「お二人がやられると言う
ことであれば、ホテル側は万難を排して準備する。しかしキャンセルや延期の場合は準備した生もの
や生け花等の代金(30~40万)は負担していただく。延期の場合は、何時頃できるとは言えない」
そんな内容だそうである。「お前はどうしたい?両親と相談して返事をくれ」と彼は言っているようだ。
そして親の方は「たとえ来賓者が少くなろうと、お前がやりたいのであればやればいい。万一、家に
戻ってこれない場合、明日ホテルまで荷物を持って車で行くから、お前は直接ホテルに行けば良い」
と言うことのようである。地震による交通の諸問題、それに伴う来賓者の不便と出席困難な可能性、
明日やらないと生じる経費増等々、「やる、やらない」の判断は花嫁にゆだねられた形になった。

経費増や今までの準備の苦労を考えれば「できるなら明日やりたい」それが彼女の偽らざる気持ち
のようである。しかし、やるにしても最大の不安は明日の交通がどうなるのかである。刻々深刻さを
増す被害状況、明日電車が動いてくれる保証はない。彼女は「やる、やらない」の結論を明日朝まで
延ばすことにして、その旨をフィアンセと両親に連絡し手分けして来賓者に電話連絡するようにした。
彼女は出席者リストを取り出し、自分の友人関係のキーマンの何人かに電話し始めた。

しばらくして、彼女は「どうしたらいいと思いますか?」と私に聞いてくる。私も明日は招待されていて
スピーチをしなければいけない立場である。今の状況では帰宅困難と判断し、会社泊を決めた私は、
「できれば延期してほしい」それが正直な気持である。明日動いているかどうか分らない電車に頼り
家まで帰ってから礼服に着かえ結婚式場まで行く。そんなあわただしい気持ちのまま式に臨むこと、
一方で災害に見舞われた大勢の人がいること、そのことを考えれば延期することが望ましいと思う。
しかし、彼女がこの日の為に注いできたエネルギーを考えると、それをあまり強くは言えないと思う。

私は言葉を選びながら、「結婚式はお祝いごと、皆の気持ちが落ち着かない状態で無理に挙行する
より、できれば延期した方が良いと思う。一流のホテルで、こんな天災でのリスクを一方的に顧客に
負わせるのはおかしい。だから、日を延ばして同じ内容でやることを前提で責任者と話せば、相手も
多額な負担を請求しないと思う」と言った。彼女はじっとこちらの話は聞いていたが、理屈としては
判っても感情としては治まらない様子であった。

彼女は今度はホテルのウエディングの担当者に電話を掛ける。「もしやる場合、本当に打合せ通りに
できるのでしょうか?」「神父さんはこれるのでしょうか?」「スタッフは予定通り揃うのでしょうか?」
「当日、舞浜からホテルまで交通は本当に大丈夫なのでしょうか?」その言い方には凄味があった。
そんなやり取りの結果、延期の場合は生け花の負担だけということになったようである。

9時を過ぎても全く電車は動かない。後は彼女をどう帰すかの問題が残る。彼女は「電車が動かなけ
れば、このまま会社に居させて欲しい」と言う。しかし花嫁が帰宅出来ずに会社に泊まり、寝不足で
腫れぼったい顔で式に出るわけにもいかないであろう。今さらホテルなど確保できるわけもない。
結局、同僚の女性社員の旦那が車で迎えにくることになり、それに同乗させてもらってフィアンセの
実家(草加市)まで送ってもらうことになった。私はフィアンセに引き継ぐことで、肩の荷を下ろした。

果して明日朝から電車は動くだろうか?結婚式の時間から逆算して、家には11時までに帰りたい。
どちらにしてもあわただしいだろうと思い、会社の近くの銭湯に行っておくことにする。そして1時には
椅子で作った簡易ベットに横になる。寝る前に飲んだビールが効いたか、いつの間にか眠っていた。

突然机の上に置いていた携帯が鳴って目を覚ます。寝ぼけまなこで時計を見たらAM2:30である。
「寝てましたか?」という女性の声。「明日の式は延期にしました」、その言葉で初めて電話の相手が
明日の花嫁であることを理解できた。その声は先ほどと違って、少し明るさを取り戻した感じである。
「ああ、私もその方が良いと思う」と答える。1時過ぎに彼の実家に着き、2人で相談したそうである。
地震と津波で悲惨な状況が広がっていること、明日の交通の見通しが立たないこと、彼女の親戚は
群馬県が多く、一緒にマイクロバスで来ることになっていた。しかしこの地震で家をはなれることを
不安に思っている人が多いこと、そんなことを考慮して延期を決めたらしい。寝入り端を起こされ、
その後は寝付けなくなったが、それでも私の気持ちは晴れやかになった気がした。

先週彼女から連絡をもらった。式の1週間後に予定していた新婚旅行もキャンセルし、延期の式は
5月に決めたという。それから当日予定されていた結婚式は7組あったが、結局は2組が強行し、
5組が延期したそうである。1年前から式場を予約し、打合せを重ねて準備を進めていった。そして
結婚式を明日に控えてまさにその時に、地震が全てを打ち壊していった。誰に向けようもない怒り、
結局は自分の中に納め、処理するしかないのである。今回結婚式を強行しようとすれば出来たかも
しれない。しかし、それでは本人達も家族も来賓者も心から喜べず、後味の悪さが残ったように思う。
2人はまだ地震や津波の全容が判らない段階で延期を決めた。そして、新婚旅行もキャンセルして
また新たに計画を立て直すそうである。これは2人一緒での最初の英断だったように思う。
仕切り直しの結婚式、私はその時にこそ、2人に対して、心からお祝いの言葉が言えるように思う。



帰宅困難

2011年03月18日 09時28分33秒 | Weblog
昨年、防災の日のNHK報道特集で、首都直下地震があった場合の「帰宅難民をどうするのか?」
そんなシミュレーションをやっていた。会社から我が家まで、携帯ナビ機能でしらべてみると49km
ある。時速4kmで歩いたとして12時間を要する。「生半可で歩ける距離でない」そう思っていた。

3月11日午後2時46分、三陸沖を震源に観測史上最大のマグニチュード9.0を記録する地震が
発生した。私はその時会社の机に座ってパソコンを見ていた。座っている椅子ごと持っていかれる
ような揺れである。10秒、20秒と鎮まるのを待つが、しかし揺れは治まらない。後ろの机に座って
いる女性が「ああ、揺れる揺れる」、「これはすごい」、「ああ、どうしよう」そんな風に叫んでいる。
しばらくして一旦治まるかに見えたが、再び揺れ始めた。その揺れは益々激しく、ビルがミシミシと
音を立て始める。「これは尋常ではない」そうは思うが、どう行動をとるべきか思い浮かばない。
収納棚の上に置いてあった古いパソコンが床に落下し、鈍い音を立てて部品が飛び散ってしまう。
しかし、なす術もなく揺れるにまかせ鎮まるのを待つだけである。結局その揺れは、2分だったか
3分だったろうか、揺れ続けてやっと治まった。

揺れが治まってから、各フロアーに出向いて被害状況を確認し合う。上の階ほど揺れは激しかった
ようだが、特に大きな被害はなかったようである。皆はワンセグやラジオを持ちだして地震の情報を
伝え合う。やがて震源地が三陸沖でマグ二チュード7.9(その後8.8になり9.0に訂正)である
こと、三陸海岸を中心に大津波が発生したこと、交通機関のほとんど全てがストップしてしまった
ことなどが判ってきた。そして時間が経つほどに、その被害は深刻で未曾有の大惨事であることが
判ってくる。

「さあ、どうする?」、どういうふうにして帰るかが各々の最大の心配事になってきた。社長は仕事を
切り上げ、早めの帰宅を促している。しかし交通機関全てが止まっているからどうしようもない。
帰るとすれば、車か歩きである。会社には使用可能な車が2台あり、その1台に東武伊勢崎線の
5人の社員が乗り、4時にスタートして行った。谷塚、八潮、大袋、春日部と廻って行き、運転者が
草加に着いたのは、夜中の2時になったそうである。もう一台は社長が女性社員を乗せ江東区の
清澄まで送って行った(普通往復30分のところ3時間を要す)。男性社員の1人は松戸(3時間)
まで歩いて帰ると言い、もう一人は戸田(4時間)まで歩るくと、それぞれ会社を出て行った。
女性社員を送って帰ってきた社長は、それから同じ世田谷区の経堂に住む社員と一緒に、自宅の
ある荻窪まで帰って行った。(帰りついたのが夜中の3時だそうである)

結局残ったのは、埼玉県の熊谷から来ている社員と所沢から通う私の2人だけになってしまった。
2人は会社に泊まるしか選択肢はなかったのである。会社泊と腹を決めると、その準備にかかる。
近所の中華店で夜食を食べ会社の近所の銭湯に行く。それからインターネットのTV画面を見ながらコンビニで買ってきたビールを飲んで時間を過ごす。そして1時頃になってから、椅子を並べた
簡易のベットを作り横になった。周りのマンションから差し込む薄明かりの中、寝付かれずに目を
閉じていると、時々ぐらぐらと揺れを感じる。何回余震があったのだろうか?、やがて、ボーッとした
頭で朝を迎えた。

朝の8時から山手線が動くと言う情報で上野駅まで歩いて行く。しかし駅はまだ封鎖されていた。
前日から帰れず都内にいた人たちであろう、続々と駅に集まり初めてきた。やがて上野駅周辺は
何千人、何万人と言う人に取り囲まれ、膨れ上がって行った。これでは山手線にいつ乗れるか
分らない。ルートを変え上野御徒町まで歩き、そこから大江戸線で都庁経由で練馬まで行って、
それから西武線に乗り継いで帰ることにする。自宅に帰り着いたのはお昼の1時であった。

帰ってからTVで津波の惨状を見る。圧倒的な力で民家をさらって押し寄せる波、波間を浮き沈み
しながら流れていく民家や自動車、危機一髪で逃げ切った人、迫りくる津波を驚愕の表情で見つ
める人、流れが引いてガレキの街をただただ呆然と眺める人、そんな数々の映像の中で、迫りくる
津波の波頭の上を数十羽の海鳥が乱舞する光景が印象に残った。自然の圧倒的な力の前では、
人はなすすべもなく、その衝撃が治まるのをただ待つしかないのである。

死者不明者は1万5千人と言われ、避難者は38万人、倒壊の建物は10万棟を超えると言われ、
復興の緒に就ける状況にもなっていない。それに加えて福島原発のトラブルの終息も見えない。
電車の間引き運転による毎日の通勤の困難さ、計画停電による日常生活の不自由さ、不便さ、
ガソリンや食料品の買いだめによる品切れ、遠く離れた我々にも間接的な影響は免れえない。
しかし今の状態がさらに厳しくなり長引いたとしても、被災者に比べたら物の数ではないだろう。

今まで「もし、大地震に遭遇したら」の「もし」は、現実感のない「もし」であった。しかし今回の地震
を体験すると、「もし」が本当に起こりうる「もし」に近づいてきたように思う。そして、実際に首都圏
直下地震が起こったときの惨状を想像すると、身のすくむ思いがする。今いるビルが倒れず残った
としても、木造の民家の多いこの地区は神戸・淡路大震災のように、建物の倒壊と火災が一面に
広がるかも知れない。交通網はズタズタになり、帰宅困難は何日も続くであろう。今回の地震での
交通渋滞を見聞きすると、車はほとんど役に立たず、歩いた方が早いようである。万一首都直下の
大地震が起き幸いにも助かった場合には、私の選択肢は49kmを歩いて帰るしかないと決めた。
すこし状況が落ち着いたら、家から以前登山で使っていた寝袋を持ってきて、懐中電灯と500ml
の水を2本とビスケットの保存食とを机の下に入れておく予定である。


世論

2011年03月11日 08時40分01秒 | Weblog
先日、仙台の予備校生が大学入試の際、試験中にインターネットの質問掲示板「ヤフー知恵袋」に
投稿して解答を得、不正(カンニング)を働いたということで、大きなニュースになっていた。
インターネットを利用した初の入試不正・・、厳正であるべき入試の信用を揺るがす由々しき事態・・、
大学側の監視体制に落ち度はなかったのか・・・、今後の入学試験の監視対策はどうる・・・・・・、
カンニングは神代の昔からあること、たった19歳の予備校生をここまで追い詰めていいのか・・・・・、
マスコミがこんなに騒ぎ立てれば、彼の人生に禍根を残すことになる・・と、当のマスコミ自身が言う。
昨今の事件は一旦マスコミの餌食になると、その追撃は止まることを知らない。野火が風に煽られて
燃え広がり、手がつけられなくなって焼きつくすまで消えないのに似ている。大相撲の八百長事件も
しかり、どこまでも過激な論調で「悪だ、悪だ」と決めつけ完膚なきまでたたく、今のマスコミに空恐ろ
しささえ感じてしまう。

昔と違って、現代は権利意識が強くなっている。従って、誰もが権利侵害での自分への反発を恐れ、
世の中と積極的に関わろうとはしなくなったように思う。そのため自分の小さな世界で慎ましやかに
暮らすことに、幸せを求めているように思える。そして世論のことはマスコミの論調に合わせ評論家の
スタンスをとっている。そんな中で力を増したのがマスコミであろう。自分を社会正義の代表のように
自認し、ことの善悪や価値判断をマスコミが握っているように錯覚しているのではないだろうか?
無自覚にタレント評論家を使い、「これはダメだ」「あれはダメだ」と批判していれば視聴者受けすると
思っている。そしてそのあやふやな仕組みの中で、世論というものが形成されて行くのだろう。

しかし、我々自身も新聞にこう書いてあった、テレビの解説者がこう言っていた、そんなことに安易に
説得されていることにも問題があるのだろう。昔のようにストライキを打つわけでも無く、デモをやる
わけでも無く、無口になってしまった国民の意見をいかにもマスコミが代弁しているように装っている。
誰がどんな主張をしている。誰かがこんな提案をしている。そんな少数派の意見や建設的な提案も
ほとんど取り上がられることもなく、マスコミ中心の世論形成の仕組みの中で飲み込まれてしまう。
野火が全てを焼き払ってしまい、跡に何も残らない不毛の地が広がって行くイメージである。

今の政治を見ていると、そんなマスコミに操られた結果、ドツボにハマったような感じがしてしまう。
自民党政治を批判し、その結果、国民は民主党政権を選択することになった。しかし、人材不足の
民社党はあちらこちらに矛盾やほころびが吹き出して、その対応に追われている。今度、マスコミは
野党の尻馬に乗ったかのように、これをただただ批判する。たたいてたたいてその結果どうなれば
良いのか?どうしたいのか?そのあたりをはっきり主張せず、ただ批判しているだけの、評論家の
スタンスになっているだけなのではないだろうか。私は決して今の管政権が良いとは思っていない
(鳩山や小沢よりははるかにましなように思うが)。鳩山がボロボロにしてしまった後を受け継いだ
わけだから、成るように成ってしまったと言う感じが否めない。今のように管政権が八方塞がりで
身動きできない状態が続けば、いずれ解散総選挙になるだろう。しかし解散したとしても何処もが
過半数を取れないままに、ますます混迷が深まって行くように思うのである。

戦後の右肩上がりの時代にも多種多様な問題があったが、それを成長が飲み込んでくれていた。
しかし、その成長が止まってしまったとき、今まで隠れていた問題が噴き出して来る。国債の問題、
社会保障の問題、年金の問題。しかし、マスコミは「これは問題だ、問題だ」と叫ぶのだが、結局
誰もが手を付けられずに先送りされてきた。そしてとうとう行きつくところまで来てしまったようだ。
このまま行けば後世に大きな禍根を残してしまう。誰もがリーダーシップを取ることができないまま、
この混迷をどう脱していいかも分らないままに、じりじりと時間だけが過ぎていってしまっている。

昨年の大河ドラマ「竜馬伝」に人気があったようである。幕末の混迷期に、その調整役としての
坂本竜馬の活躍が今の混迷を脱する一つのモデルのように思われたからかもしれない。それを
感じた鳩山邦夫が自民党を脱藩し平成の竜馬を買って出た。だが風貌、キャリア、人望といずれも
見劣りし、母親からの多額の贈与が明るみに出てその目は消えてしまった。しかし、今の混迷を
救うには、やはりだれかが強いリーダーシップを持って党派を超えての改革するしかないように思う。
民社党の半分と自民党の半分が党利党略から脱して真に日本の将来を考えられる人達が集まる。
そして、そういう下地ができた段階で、解散総選挙して国民に信を問うてみる。これが一番良い道の
ように思える。今、改革のリーダーを目指して、竜馬役が多数名乗りを上げようとしている。しかし
誰もが小粒でその任にふさわしいと思える人は見当たらない。さあ、日本はどうなるのだろうか?
これからの1年、無関心ではいられなくなってきた。

英国王のスピーチ

2011年03月04日 08時38分24秒 | 映画
今年のアカデミー賞は「ソーシャル・ネットワーク」か「英国王のスピーチ」か、との下馬評だったので、
先週その「英国王のスピーチ」を見に行って来た。結局作品賞は「英国王のスピーチ」に決まったの
だが、私としてもソーシャル・ネットワークと比較すると、「まあ順当な受賞だろう」そんな感想である。
「ソーシャル・ネットワーク」は現在のアメリカ社会の変革をインターネットのソーシャルネットワークの
フェイスブックの成功を題材にして人間模様を描いた映画である。一方「英国王のスピーチ」は英国
の実在したジョージ6世の重度の吃音(きつおん)《どもり》の苦悩と克服までを描いた作品である。
アメリカの猥雑(わいざつ)な若者社会と、気品とユーモアに満ちて格調高く描かれている英国王室
の世界と、好対照である。どちらの作品も難解なストーリー展開はなく、見始めて30分もすると先が
読めるようなオーソドックスな映画である。今回のアカデミー賞は他に独創的な作品がなかったため
なのか、どちらかと言えばエンターテイメントとしてバランスが良かった方に軍配が上った感じである。

この「英国王のスピーチ」という映画、主人公のジョージ6世は英国王ジョージ5世の次男という華々
しい生い立ちでありながら、幼い頃から吃音(きつおん)《どもり》というコンプレックスを抱えていた。
そのためか、人前に出ることを嫌う内気な性格となり、いつも自分に自信が持てないでいた。
厳格な父親はそんな息子を許さず、様々な式典のスピーチを容赦なく命じ、その都度ジョージ6世は
大きな失敗を続けることになる。そんな夫のために妻のエリザベスは、何人もの言語聴覚士を薦め、
試して見るのだが、一向に改善することはなかった。

ある日エリザベスはスピーチ矯正の専門家と言われるライオネルという人物の所に夫を連れていく。
そのライオネルの方針は例え王室の人と言えど診察室ではお互い平等だとし、王子を友達のように
ジョージと愛称で呼び、ヘビースモーカーのジョージに禁煙させる。その後にいろいろな葛藤や行き
違いはあるのだが、彼の指導のもとでユニークな矯正レッスンを進めていくことになる。
彼の吃音(きつおん)治療の考え方は、ただ単なる喋り方の矯正では解決することはできないとし、
王子が抱える内面的な問題の解明にあると考える。そして王子の生い立ちからの内面的な歪みを
聞きだしていき、やがて幼い頃から抱えていた王子のコンプレックスの根源を探り当てる。そして、
頑な王子の心を開かせ本音をぶちまけさせ、誇り高き王子に屈辱的ともいえる荒療治に挑んでいく。

映画の中で主人公のジョージ6世を演じたのはコリン・ファースである。彼は主演男優賞を受賞した。
彼は吃音症という役を見事に演じている。家族やお付きの人と話す時は、たどたどしい喋りながらも
どもることなく喋ることができる。しかし、一転して初対面の人や大勢の人の前に立つと、どもり始め、
やがて言葉が出てこなくなって、立ちすくんでしまうのである。

映画の中のそんなシーンを見ているうちに、私の高校時代からの赤面症を思い出した。何時から
そうなったのかのはっきりした記憶はないのだが、初対面の人や女性と話しはじめると顔が赤らみ、
しだいに体から汗が出てくる。「何とかしなければ」そう思えば思うほど顔は火照ってくるのである。
やがて、汗が額に流れ始め、背中に汗をかいて肌着がグッショリになるほどである。そんな経験を
繰り返すうちに自分がそうなるであろうスチュエーションが予想でき、そしてそんな場は極力回避
しようとする。そして人との接触を嫌い、次第に陰気で内気な性格になっていったように思う。

基本的には自身のコンプレックスからくる対人恐怖症のようなものだと思う。それが幼児期のもの
なのか、それともそれ以降に何か障害にあったのかは定かでないが、自分の中で思い当たること
があるすれば、中学時代の成績の降下と高校受験の失敗による挫折にあるのではないかと思う。
※詳しくは 2009年9月18日のブログに記載
その後大学に入学し、学生寮に入ってからは、なかば強制的にコミュニケーションせざるを得ない
環境の中で暮らすようになる。やがて日々の学生生活に楽しさを憶え、自分が気がつかない間に
その赤面症は消えていった。たぶん仲間と接触しているうち、自分は他の人と比べてもそんなに
そん色はないんだという、自分に対しての自信のようなものができたのだろう、と今は思う。

映画の中で、ジョージ6世にイヤホーンを付けさせて、大きな音で音楽を聞かせながら本を朗読さ
せて、その声をレコードに録音するという場面がある。そうすると、今までどもっていた王子が全く、
つっかえることなく正常に朗読できるのである。自分の意識が音楽に向かい、喋らなければという
自意識が外れたときに、どもりは治るのである。これはよく言わる「緊張するからどもるのではなく、
どもるから緊張する」ということの実証なのだろう。ある言葉でつまずくと、それが引き金になって
益々どもりが強くなる。一つのどもりの切っ掛けになる言葉を乗り越えることで、負のスパイラル
から正のスパイラルに変換させて行く、映画の治療はそんな風であった。

たぶん赤面症も同じようなものであろう。一旦赤面し始めると、その意識は益々「赤面してしまう」
ということに集中していき、赤面のスパイラルから脱することができなくなるのであろう。
それは「明日のために、今は寝なければいけない」と意識すればするほど寝られなくなり、結局は
不眠症になって行くのと同じような仕組みではないだろうかと思うのである。
今回の「英国王のスピーチ」は、そんなことを思い出すきっかけになって面白く見ることができた。