60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

小説「火花」

2015年03月27日 08時14分39秒 | 読書
 お笑いコンビの「ピース」で目立たない存在だった又吉直樹が、文芸雑誌「文学界」に純文学の「火花」という小説を掲載した。その作品が話題を集め、文芸雑誌としては異例の重版となった。そんなニュースをNHKの9時からのニュースセンターで取り上げていた。その放送の中で又吉直樹がインタビューに答えてこんなことを言っていた。
 
 中学生の頃、昼休みの時間はみんな校庭に出てサッカーをやって遊んでいた。そんな中、自分はいつも校庭の周りを全速力で走ってすごしていた。自分ではその行為が一番カッコ良いことだと思えたからである。しかし自分のそのような感覚が回りの仲間とはズレていることに気づき、次第に違和感が生まれてくるようになる。そしてそのことに悩むようになったとき、たまたま太宰治の「人間失格」と言う本を読んで救われたように思った。それはこの本が多くの人に読まれた名著だということは、多くの人達もまた自分と同じような悩みを共有しているのだろうと思ったからである。
 
 私はその話を聞いて又吉直樹に興味を持ち、この「火花」という小説を読んでみようと思った。さっそく本屋に行って「文芸界」という月刊誌を探したが、掲載されたのは2月号ですでに売り切れとなっていた。そんなことがあってしばらくして本屋をのぞくと、この「火花」が単行本で売られていた。後で知ったのだが、この本は初版15万部の予定だったが、発売前に2刷(3万部)、3刷(7万部)が決まり、計25万部と言うことでスタートしたようである。これにより著者又吉氏には少なくても3000万円の印税が入り、お笑い芸人から小説家として生きていく道も開けたのである。
 
 さてこの小説、主人公の僕(徳永)は相方の山下と漫才をやっているお笑い芸人である。ある時知り合った同業の先輩芸人(神谷)の芸に対する考え方に共感し、それぞれに漫才をやりながらも師弟関係を結ぶことになる。お互いがお笑いという芸を追求していく中で、この2人の交友関係の変遷が描かれた作品である。主人公の僕と先輩芸人の神谷、それぞれに認め合う部分もあるが、濃密な付き合いの中でも次第に相容れない部分も見えてくる。そんなズレが次第に顕著になリ初め、やがて主人公の僕の方は生活が安定する一方、先輩の神谷は自分の考える芸にこだわり続け次第に出る場を失っていく。そして生活が乱れ借金が加算んで、取立てから逃げるためか行方をくらましてしまった。
 
 又吉氏がNHKのインタビューで語っていたように、この小説は「ズレ」をテーマに書いているように思う。「人」が生きていく上での世間とのズレ、個々の人間関係でのズレ、そんなズレをどう調整していくのか?どう妥協していくのか?ということは常に付きまとう問題である。妥協しすぎてしまうと自分を見失ってしまう。自分を貫いていけば世間からも相手からも受け入れてもらえなくなる可能性がある。本の中にこんな文章があった、「僕は徹底的な異端にはなれない。その反対に器用にも立ち回れない。その不器用さを誇ることもできない。嘘を吐くことは男児としてみっともないからだ。・・・」と、
 
 人はそれぞれに個性があり、考え方も違っている。その個性や考え方が尊重されて生きていければ良いのだが、世間に出れば当然そこに大きなズレを感じることになる。会社に勤めれば組織で動くから、組織人としての自覚を求められる。偏差値のベルカーブではないが、頂点にくる部分が標準になり、それから外れるほど異端になってくる。芸人や職人、農業などを生業としていれば、ズレはズレとして許容してもらえることもあるのだろうが、企業に勤めていればそのズレを自らが矯正していく必要がる。それがストレスになり、それができなければ脱落することにもなりかねない。
 
 我々の子供時代は兄弟も多く自分の部屋さえ与えられなかった。学校も1クラス60人で1学年10数クラスもあり、個人の尊重など程遠い環境であった。会社に入れば頻繁に転勤があり、大勢の中で自分の地位を保つのに汲々としていた時代でもあった。そんな中で組織とのズレが大きければ、歯車としては適正を欠くからスピンアウトしてしまう。だから知らず知らずのうちに矯正させられていったのだろう。我々の世代はそんな時代だったのかもしれない。
 
 それに比べ今の子供達は自分の部屋を持ち、自分の時間やプライバシーを持つことは当然の権利のようになっている。嫌なことがあれば自分の部屋に逃げ込むこともできる。学校でもゆとり教育と言われ、個々の個性を育てて行こうという教育になっている。そんな子供達が世間に出たとき、当然そのズレは我々の時代以上に顕著であり大きなものなのであろう。ではそのズレをどう調整すれば良いのだろう?・・・・・・・
 たぶんそれには著者が感じたように、自分と社会、自分と相手がどれほどズレているのか、自分自身で客観的に見つめることから始まるのかもしれないと思う。




横浜マラソン

2015年03月20日 08時29分32秒 | Weblog

 3月15日(日)、フルマラソンに衣替えして初の横浜マラソンが行われた。このフルマラソンに長女の連れ合い(娘婿)と次女の2人がエントリーしていた。娘婿は何度か市民マラソンに参加していて、青梅マラソンの30kmで3時間を切ったのが最高だそうである。今回は初のフルマラソンで4時間を切ることが目標だと言っていた。次女の方は過去に20kmの実績しかなく、今回は42.195kmを制限時間の6時間以内で完走することが目標だと言っている。

 8時30分、横浜みなとみらいをスタートするマラソンコースは、赤レンガ倉庫や山下公園、中華街を通り横浜卸売り市場を折り返す。折り返してから一部首都高速をも走ってパシフィコ横浜がゴール、横浜の見どころを一周するようなコース設定である。最近は東京マラソンなど大型の市民参加マラソンが人気で、応募してもなかなか走れないようである。今回も2万3000人もの人が走り、市民以外は抽選で外れた人も多かったと聞いている。なぜこんなに市民マラソンが盛んになったのか?、主催者側はどんな管理をしていくのか?、個人の記録はどのように計測されるのか?、私はそんなことに興味があった。
 
 娘に聞いて見ると、当日配布されるナンバーカードの裏にICチップが埋め込まれたタグがついて、これで管理するようである。選手それぞれが付けたタグから発信される電波により、今何処を走っていて、それぞれの記録がどうなっているかが分かるようになるという。そしてそのデーターは外部からでもインターネットで見ることができる。応援者はパソコンやスマホから、お目当ての選手が今何処を走っているかが検索できる。だから沿道に出て大勢が走ってくる中で見つけるのも以外にたやすいのかもしれない。競技者は走ることを楽しみ、応援者は選手が来るまでは横浜の観光を楽しむ。さすがにインターネット社会でのマラソン大会だと感心する。
 
 私は自宅からスマホで2人を検索することにした。スマホで横浜マラソンのホームページを開け、ここに2人の名前を打ち込んで検索すると、彼らが今どんな状態なのかが分かる。それぞれが何時にスタートしたかが分かり、5kmごとのラップが表示され、1km当たりのタイムや20km地点や30km地点の到着予測時間も計算されている。又コース地図を開けるとグーグルの地図上で何処を走っているかがプロットされている。その地図を少し拡大してみると、マークが徐々に動いて行くのがわかり、リアルタイムで2人の動きを知ることができるのである。そして地図を航空写真に切り替えると、どんな景色を見ながら走っているかも分かる。自宅に居ながらして応援する。これもインターネット時代の新しい楽しみ方なのかもしれない。

           

         娘は8時52分6秒、娘婿は8時44分44秒にスタートしたことが分かる。

        大勢だから一斉スタートとはいかず、娘は号砲から20分遅れでスタート。

 

             

       グーグルマップのコースの上に今何処を走っているかが一目瞭然で分かる

 

              

         マップを航空写真に切り替えると、今どんな景色を見ているかが分かる

 

                    

            途中ラップと、5kmごとの到着予想時刻が表示されている

 

          

         フィニッシュ時間と40kmまでの順位。スタート時間から計算すると

           娘は5時間42分57秒 娘婿は3時間50分36秒である。

 次女は20520位/23000名とビリの方に近い。しかし良く頑張ったと誉めてやりたい。走り始めて2年弱、休みの日などに時々練習していたのであろう。自分で目標を決め、フルマラソンにチャレンジしようとする心意気、私が知らない娘を見たように思う。娘婿も4時間切って自己目標を達成した。長女に聞くと娘婿も地道に練習を繰り返していたようである。目標を決め、それにチャレンジしていく。そしてその結果は今の自分の実力である。マラソンは自分の努力が素直に表れていく個人競技である。そのことが不公平で閉塞感の強い現代社会において、多くの人を引き付ける要因なのかと思ってしまう。

 
※追伸
 先週書いた財布の紛失、早速秋葉原のヨドバシカメラに行き、離れるとアラームが鳴るグッツを買ってきた。送信機の方を財布に、受信機をキーホルダーにつけスイッチを入れると、2つが3~5m(長距離に切り替えると7~12m)離れると受信機がピッピッと鳴り始める。これで財布を落としたり、置き忘れたりしても、5mも離れればアラームで知らせてくれる。反対にキーホルダーを置き忘れたらキーホルダー自身が鳴るから、これも直ぐに分かる。何時もペアで持ち歩くこと、ポケットががさばる煩わしさはあるが、紛失するリスクを考えれば有用のように思える。

         

 

 

  

 

 

 


紛失

2015年03月13日 09時41分17秒 | 日記
                           貴重品は3つに分けて所持
 
 「またやってしまった!」、自宅のある駅前のコンビニに立ち寄り、レジでお金を払う段になって財布が見当たらない。ジャケット、ズボン、コートと全てのポケットを探しても財布はない。仕方なくカバンの中の長財布から1万円札を出して、その場の支払いを済ませた。コンビニを出てから、もう一度全てのポケットを再点検し、無駄だと思いつつカバンの中も調べてみる。しかし何処にも財布は見つからなかった。
 
 持ち物を全てを点検して無いのだから紛失したことになる。立ち止まって自分の記憶をたどっていった。
 PM5:30 会社を退社、鶯谷から山手線で池袋へ
 PM6:15 池袋西口のラーメン屋へ この時ラーメン代680円を払う
 PM6:50 池袋のカルチャーセンターへ 5Fのトイレに立ち寄ってから6Fの水彩画教室へ
 PM9:00 カルチャーーセンターを出る
 PM9:20 池袋発の急行に乗る
 PM9:55 駅前のコンビニで買い物、財布が無いことに気づく
 
 記憶を整理してみると、ラーメン屋からコンビニまでに紛失したことになる。さらにどこで無くしたか?可能性を考える。
 ①ラーメン屋でお釣りを貰って財布に仕舞った時に置き忘れたか、ポケットから落としたか。
 ②カルチャーセンターのトイレでハンカチを出した時、無意識に財布を出して置き忘れた。
 ③カルチャーセンターの教室で椅子座っていた時にポケットから落とした。
 ④西武線の電車の座席でポケットから落とした。
 
 以前に財布をなくして大きな損害だった。その経験から、貴重品は3つに分けて持っている。
 1つ 千円札と小銭、よく使うカード、免許証 (2つ折の財布)⇒ズボンの左ポケット
 2つ 定期券(定期入れ) ⇒ジャケットの胸ポケット
 3つ 1万円札と頻繁に使わないカード (長財布)⇒カバンの中
 
 貴重品は分散し、それぞれに身に着ける場所も固定し、管理はできていたはずである。しかし、いざ無くなってしまうと自分の不甲斐なさに苛立ってくる。しかしその苛立ちを誰にぶつけるわけにもいかない。100%自分の落ち度である。自宅までの20分をひたすら自分を落ち着けながら歩いて帰る。「いつまでもくよくよしていても仕方がない。後処理を粛々とするしかないだろう」、無理矢理そう思うようにして、帰宅してから早速インターネットでラーメン屋の電話番号を探し、電話することから始めた。
 
処理
 ①6日(金曜日)PM10:30 ラーメン屋に電話、
       ⇒ 店内を確認したが見当たらないとの返事
 ②7日(土曜日)AM 9:30 カルチャーセンターへ連絡、
      ⇒ 2時間後に、清掃の人にも確認したが見当たらないとの返事
 ③7日(土曜日)AM 11:00  西武線の駅に行き遺失物の確認 
      ⇒  駅でインターネット検索したが該当の届出はないとのこと。
 ④7日(土曜日)AM 11:20 駅前の交番に紛失届けを出す。
      ⇒ 埼玉管轄はインターネットで直ぐに分かるが、東京都はアナログのため電話での問い合わせになる。そのため埼玉県警と付け合せにも時間がかかるから、都内の交番にも届けを出しておいた方が良いとのアドバイスをもらう。

 ⑤7日(土曜日)PM 12:30 池袋警察署に遺失物の確認と紛失届けを出す。
 
 ⑥8日(日曜日) 銀行カードとクレジットカードの停止と再発行の依頼

 ⑦9日(月曜日) 免許証の再発行に大宮ソニックシティーへ行く
 
 自分の不注意がその後の処理作業に大きな負担になってくる。その処理が一段落した矢先の10日(火曜日)、自宅に「拾得物通知書」という一通の葉書が来た。《拾得物に名前が記入されたものがありました。心当たりがあれば東京メトロの上野のお忘れ物総合取扱所に来て下さい》というものである。「ひょっとして善意の人が拾ってくれて、お金も戻ってくるかも」、そう思って翌日の11日上野の忘れ物取扱所へ行った。

 しかし戻ったのは財布とカード類だけである。落ちていた場所は地下鉄有楽町線の池袋のトイレだそうである。係員が言うには、盗ったか拾ったかした財布をトイレの個室で中身を確認し、現金などを抜き取った後はその場に捨てていくそうである。人の善意に期待したが、これも裏切られた。カードや免許証は停止し再発行したから、生き残ったのはTポイントカードなど企業のポイントカードだけである。
 
               
                      戻ってきた財布とカード類
 
 先日、コンビニで買い物をしてお金を払って帰ろうとすると、「お客さ~ん、お買い物をお忘れですよ」と声をかけられた。お金だけ払って自分で買ったものを忘れているのである。その前は628円の買い物をして1000円札を出した。釣銭皿からつり銭を取って帰ろうとすると、「お客さん、お釣りをお忘れですよ」と声をかけられる。つり銭皿を見ると100円玉1枚が残っている。取り残したのである。

 最近は自分の行動に意識がしっかりと着いていっていないような気がする。そのため自分の行動に自信がもてず、出歩くことに不安を感じるのである。これが年齢の所為なのか?それとも何らか障害が出てきているのか?、どちらにしてもこれを何とかしなければ、仕事を続けるのも難しくなるように思うのである。今回のことを踏まえ当面の対策として、財布や定期をポケットに戻した時には、上からポンポンと叩いて確認する習慣をつける。そしてもう一つ、持ち物に入れて置くと一定の距離以上に離れるとアラームがなるグッズがあると聞く。これを検討してみることにした。歳を重ねていくとどんどん不自由になっていくことを実感してしまう出来事であった。








箱根駅伝を歩く(2)

2015年03月06日 09時58分01秒 | 散歩(5)
 友人に「箱根駅伝のコースを歩く」ことを話すと、「俺も歩く」と言い出し今回から2人になった。朝10時に京急大森海岸駅に待ち合わせて、国道15号線を歩き始める。友人は168cmで86kg、当面の目標は80kgを切ることだという。リュックを担ぎ、腰には万歩計を着けて気合が入っている。1月でリタイアした友人は急に閑になって、目標は自分の健康管理だと言う。今は雨の日以外は毎朝近所を歩き、その記録を手帳につけている。
 
 第一京浜と呼ばれる国道15号線は所々は片側5車線になったり、立体交差になっていたりと、東京と横浜を結ぶ大動脈である。そんな幹線も土曜日は車も少なく、排気ガスや騒音も気になららない。しかし沿線は整理され緑も少なく、物見遊山的な散歩には向いていない。京急の雑色駅を過ぎると、駅伝の中継でキーポイントになる六郷橋が近づいてくる。多摩川を挟んで手前が東京都大田区、対岸が神奈川県川崎市である。「大田区」で昔の麻雀仲間を思い出した。たしか彼は「大田区西六郷」だったはずである。一緒に歩いている友人とも、昔はよく麻雀をした仲間である。「○○さんは確かこの近くだから呼び出してみようか?」と友人に提案する。コンビニの前で彼の携帯に電話をかけると、「暇だから本を読んでいたところ、自転車で行くからそこで待っておいて」との返事である。電話を切ってから10分もしないうちに自転車に乗って我々の前に現れた。
 
 彼は68歳、今は大田区のシルバー人材センターに登録し、時々小学校の休日や夜間の警備の仕事をしていると言う。「久しぶりだから、どこかで飯でも食おう」、と川崎まで一緒にくることになった。3人で六郷橋を渡り始めると彼が、「今話題になっている中一殺人事件の現場はたぶんあそこ当たりだよ」と、対岸の下流を指差した。そこは橋を渡って500mほど下った先である。誰とはなしに「行ってみよう」ということになり橋を渡って左に折れる。多摩川の土手をしばらく歩くと水門が見えてきた。その脇に多くの人がたむろしている。土手から一段下がったところに献花の花束が積み上げられ、そこが現場だと分かる。近くで一人の中学生だろう少女が、多くの報道陣やカメラに囲まれてインタビューを受けていた。我々は献花の前にしゃがんで、静かに手を合わせる。亡くなった中学生の上村良太くんの無念さを思い涙がこぼれた。
 
 川崎駅近くで3人で食事をしたあと、大田区の彼と別れ再び友人と2人で歩き始めた。横浜を過ぎるまではこの15号線(第一京浜)を歩くことになるのだろう。「日本橋から21km」の標識が見えた当たりから、傍を歩く友人が急に無口になってきた。たぶん疲れが溜まってきたのだろう。私より体重が15kgも重いということは、牛乳1Lを15本余分に持って歩いていることになる。少しかわいそうになって、「この先に鶴見市場という駅があるから、今日はそこまでにしようか?」と声をかけた。それから彼は少し元気になったようである。

    
                     京急 大森海岸駅

    
                 国道15号線(第一京浜)

    
                      磐井神社

          
         直立不動で参拝しているおじいさん、約5分立っていた。
      お参りが終わり我々を見て、「わずかな賽銭で、沢山の願い事を
                頼むなよ!」と神様に叱られました、と冗談を言って帰っていった。

    

    
                       大森神社

    
                平和島競艇行きのバスを待つ人

    
                      梅屋敷

          

          

          

    
                 京急 蒲田駅は改装中

    
           前方からは大きく見えた建物は横から見れば
           先の尖っ(薄っぺらい建物(大田区産業プラザ)

    

    
                    雑色の商店街

    
                      六郷橋

    
                 橋の下は六郷橋緑地野球場

    
                       多摩川
  高いマンションの先が大きな事件になった中一の上村良太君が殺された現場
 
    
              中央の凹んだ所が現場(望遠で撮る)

           
             多摩川を渡ると大田区から川崎市になる
             寄り道をして現場に行って見ることにした
 
    
           近隣の人だろう、いつまでも立ち去らず遠巻きに見つめている
 
            
     何社もの報道陣やカメラに囲まれて一人の中学生がインタビューを受けていた
 
    
                  現場には多くの花が供えられていた
 
            
       私も手を合わせる。上村良太君の無念さを思うと自然に涙がこぼれる

    
               川崎駅近くで食事をすることにした

    
                    再び15号線へ

    
                   陸橋はJR南武線

    
                 日本橋から21kmの標識

    
              この当たりが鶴見の中継地点だろうか

    
                   京急 鶴見市場駅

                    今日はここまで