通勤途中のラジオで「映画祈りの幕が下りる時、絶賛上映中」のCMが耳に残り、「久々に映画でも見に行こうか?」と思い立つ。この阿部寛主演で東野圭吾原作の加賀恭一郎シリーズ、小説も何冊か読んでいる。最終話ということなので、小説を読んでから見に行こうと思い、会社の帰りに書店によって同名の文庫本を買い読み始めた。
昨今のTVサスペンスはマンネリで、粗製濫造の作品が多いように思う。取って付けたようなストーリーをこね回し、最後は後出しジャンケンのような結末。こんな内容で1時間は耐えられても、2時間ドラマに仕立てたものはうんざりする。そんなサスペンス作品の中で東野圭吾の作品は群を抜いて質が高いように思う。ぐいぐい引き込んでいくストーリー展開、緻密さ、意外性、一度読んでしまうと、次々に手を出してしまう中毒性も持っている。東野圭吾作品ではTVの「探偵ガリレオ」(福山雅治主演)が面白く、劇場版の「真夏の方程式」や「容疑者Xの献身」など見たことがある。今回の加賀恭一郎シリーズも、NHKのTVドラマのシリーズで「新参者」、映画で「麒麟の翼」、本としては「赤い指」など何冊かを読んだことがある。
主人公の加賀恭一郎役はずっと阿部寛が演じている。本の中での主人公の描写は、初めから阿部寛を当てはめて書いてたようにピッタリとハマる。だからか本を読んでも加賀=阿部としてイメージされ、読んでいると常に阿部寛の表情が浮かび上がってくるほどである。さてこの作品、別々に存在する4つの殺人事件が、次第に接点を持ち始め、それが絡み合い複雑な事件の様相を呈してくる。4つの事件に係るそれぞれの登場人物、それを追う警察関係者、さらにそれぞれの事件が錯綜し絡み合ってくると、頭の中で整理がつかず、「この人物どこででてきたっけ?」と考え込んでしまうことになる。そんなことで、つっかえつっかえ読むから一気に読めず、今ひとつ面白さが伝わってこなかった。
そして先週、映画を見に行く。複雑な事件の絡み合いを、2時間の中でどう表現していくのか?、そのあたりも「読んでから見る」時の楽しみの一つである。映画は小説で書かれている内容をうまく整理し強弱を付けながらも、作者の意図をキチット表現していたように思う。配役も小説からのイメージとの違和感もなく、大勢の登場人物も視覚で見分けるから、今度は事件の絡み合いにも意識は付いていける。小説を読んでいるから結末は分っている。しかし、そこに役者の演技に映像と音楽が加わることで、小説以上にストーリーに集中し楽しめたように思う。
見終わってから「小説を読んでいなかったら、映画だけでこのストーリー展開に付いていけただろうか?」、「ひょっとしたら、小説+映画で一人前に作品を理解できたのかもしれない」と思ってみる。最近特に自分の中の読解力、理解力、集中力が衰えていることを感じるようになった。それに伴って感受性も薄くなっているのだろう。歳をとると5感(視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚)が徐々に衰えていくと同時に、第6番目の感覚(知的・芸術的な感覚)も衰えてくるようで悲観的になってしまう。老後対策として、すこし小説も読んでみよう。そのれには東野圭吾の作品は良いかもしれないと思う。