60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

自分の目指す道

2014年01月31日 08時26分31秒 | Weblog
 毎年お正月は年賀状と箱根駅伝を楽しみにしている。年賀状は学生時代の友人や近年親しくなった人まで、なかなか会えない人達との年一回のコミュニケーションツールでもある。そんなことから年賀状は私の「人間関係の履歴書」だと思っている。今年その中の一通にうれしい知らせがあった。それは以前(親)会社に勤めていてた女性のものである。葉書に「昨年12月から月刊の漫画雑誌に4コマ漫画を連載するようになりました」と書いてあったのである。

 彼女は10年前に(親)会社に入社した。しかし事務職には適正がなかったようで、その仕事ぶりから先輩女子社員の非難の対象になっていたようである。元々絵が好きだったこともあり、営業からの要請で得意先へ簡単なデザインも手伝ってはいた。しかし専門的に勉強したわけでもなく、職務として成立することにはならなかった。彼女自身もそのことは自覚していて、いずれOLは辞め自分の性に合った別な道を考えているようであった。

 勤め始めて1年以上経過した頃、自分の目指す方向は「絵を描くこと」と決め会社を辞めてしまった。それから新宿にある美術専門学校に入学し、アニメの背景画を勉強し始めたのである。学校に通っているころ作品を見せてもらったことがあるが、ジブリの映画に使われるような繊細な背景画を何枚も描いていた。美術学校の2年を終えてから、練馬にあるアニメのプロダクションに勤めるようになる。そこでの仕事は「ワンピース」というTVアニメの背景画を描く仕事であった。会社で机に向かって、来る日も来る日も指示された背景画を製作するわけである。しかしこの手の仕事の手間賃は安く、手取りで10万円程度だと聞いたことがある。時間に追われ残業の日々が続く、やがてこれも自分の目指す方向ではないと思うようになる。「自分は漫画が描きたい」、「自分はファンタジーな世界が好き」、「できれば自分で創作したい」、そんな思いが募って結局その会社も辞めてしまった。

 その後は自宅近くの書店でアルバイトしながら、自室で漫画を描くようになった。できた作品を投稿してみたり、出版社に持ち込んで見たものの、なかなか手ごたえも得られなかったようである。それでも諦めず描き続け投稿し続けていく。ある時期から自分の作品をブログにも掲載するようにした。そんな状態が4、5年続いただろうか、昨年の夏、ブログを見た出版社の編集者から誘いがあった。「雑誌のジャンルに合わせて、仕事漫画か家族漫画を描いてみませんか?」、ということで今回の掲載に繋がったようである。

 先週の発売日(22日)、掲載されているという『まんがタイム・スペシャル』を買いにコンビニに立ち寄った。しかしその雑誌の表紙を見た時、一瞬ひるんでしまった。オタクっぽい今風の少女漫画、さすがにいい親父が買う代物ではないと思ったのである。「まあ、店員は孫にでも買っていくのだろうと思うだろう、え~い、ままよ!」と勇気を出してレジまで持っていった。会社に帰ってからページを繰って彼女のペンネームから作品を探す。20編近い作品はほとんど似たようなトーンで、私には作家の区別すらつかない。それはAKB48の出演者が、私にはまるで一緒に見えるのと同じようなものである。

 彼女の作品は水族館に入社した新人が主人公である。そこでのスタッフ仲間とのエピソードが4コマ毎に区切られ続いていく。普通の4コマ漫画は4コマ毎に落ちがあるわけだが、この漫画は職場の日常のたわいもない話が4コマ毎に連なっていくスタイルである。「さて、この漫画どう解釈すればいいのだろう?」と考えてしまう。ほのぼのと言うのか、可愛いというのか、このヌルイ展開は、昭和人間の私は付いていけない。後日メールで、どういう層の人が読むのかと彼女に聞いて見る。この手の漫画は当初若い女性をターゲットにして作られた。しかし最近は20~30代の男性のファンが多くなっていると言う。ますます「???・・」である。以前ある女性に、「絵画を頭で解釈せずに感覚で見るようにすれば良い、要は好きか嫌いかですよ!」と言われたことがある。やはりこの手の漫画も頭で解釈するのではなく、感覚で見るものであろうか?と思ってしまう。

 どちらにしても、彼女は自分のやりたいことに10年かけて近づいてきたわけである。アルバイトで生活し、一時は体調を崩していたとも聞いている。そんな彼女がやっと10年目に陽の当たる場に出てきたわけである。できればこのシリーズで人気を得て、単行本にでもなればと願うのであるが、これも難関なのであろう。しかし困難があっても諦めず「前に向かって進む」、やはり人は自分の可能性に向かって進んでいる時が一番生き生きしているのかもしれない。

      





水彩画教室(8)

2014年01月24日 08時10分17秒 | 美術
 上の絵は水彩画教室で最初に水彩色鉛筆を使って描いた絵である。中学以来描いたことがなのだから50数年ぶりである。私の中学生の時の絵が、実家の物置から出てきたようなものである。教室に通い始めて2年を超えた。教室は先生も生徒も全て女性(私を除いて)である。そんな中にオヤジ1人が混じるのはなかなか馴染めないものである。だから最初は何とか続けることだけを意識していたように思う。通うほどに、描いていくほどに、教室の雰囲気や絵を描くということに戸惑いがなくなってくる。やがて絵で表現することに興味が湧いてくる。そしてどう描けば絵になるか、どうすれば上達するだろうか、と考えるようになってきた。

  多分それには数多く描くことで感覚で覚えるしかないのであろう。そこで教室の限られた時間で効率よく描くために、デッサンは家で描いて行き、教室では色を付けるだけにした。今まで2時間で1枚のペースを、2時間で2枚のペースで仕上げられるようになった。しかしこれはかなりなハイペースである。自分に課せたこのペースを守るため、教室でひたすら色を塗り、迷うことはどんどん先生に教えてもらうようにしている。だから2時間という時間があっという間である。

 今絵にしている題材は以前から散歩で撮り溜めた写真である。写真は何千枚もあるから、描くテーマには困らない。しかし何時も考えてしまうことは、どこまで精密に描くのか?、輪郭線をどこまでペンで書くのか?、限られた色鉛筆の中でどの色を使うのか?、色の濃淡をどう着けるのか?、毎回毎回悩み毎回毎回先生にアドバイスを貰う。そんなこんなの2年間であった。どこがどう進歩したのか自分では定かではないが、時間をかけてやり続けていれば、それなりには上達しているのかもしれない。「継続は力」、そう信じて今年も続けていこうと思っている。

      
                      栃木 塚田歴史伝統館

      
                       横浜 外交官の家

      
                          浦賀港
          初めて外に出てのスケッチ、目線が定まらず戸惑いが多かった

      
                          荒川 上流
        川面は色んな色が映りこんでいるから良く見て描くように注意を受ける

      
                       油壺 ヨットハーバー

      
                        海老名駅周辺
        藁の束は手前の中心部はしっかり描いて、あとは略して描いて良いと教わる

      
                           秩父
              煙の表現が難しい。先生に消しゴムの使い方を教わる

      
                         横浜 三景園

      
                           江ノ島
      上野の都美術館で「ターナー展」を見てきたので、少しターナーぽく描いて見た

      
                          犬吠埼
   波の白さは画用紙の白、ぼかしを使うために薄く水色を塗った後で消しゴムで消してゆく

      
                         新潟 太夫浜
        空からの光線も消しゴムで表現、先生曰く「神が降りて来そうですね」

      
                        川崎 日本民家園
       家の壁面の古びた感じを出すために、何色も色を混ぜるように教えられる

      
                           秩父
       稲の切り株一つ一つに影を付けた方がリアルになるとアドバイスを受ける

      
                         佐渡 宿根木
                    家の塀の濃淡は消しゴムを使う

           
                       芦ノ湖からの富士山







スマートフォン

2014年01月17日 09時48分31秒 | Weblog
 年末にスマートフォンを買い換えた。今まで使っていたのはドコモの「OPTIMUS-LTE」(韓国のLG電子製)である。2年前FOMA(フォーマ)からXi(クロッシー)(LTE)に切り替わリはじめたころの最初の機種である。新しいもの好きの私は通信速度が早く、今からはこの第四世代に切り替わる、ということで真っ先に買ってしまった。しかし初期の商品だからかトラブルが多く、頻繁にドコモショップに通うことになる。一番多かったトラブルは突然画面が消えて、しばらくして勝手に立ち上がる現象。次に多かったのは本体が異常に熱くなり、瞬く間に電池が消耗してしまう現象。そして致命的だったのが画面がフリーズしたままでスイッチを長が押ししても電池を抜いても、シャットダウンできなくなったことがある。結局はドコモショップでも原因は分からず、本体を新品と交換したこともあった。トラブルの都度ドコモショップに行ったが、「インストールしたアプリケーションと相性が悪いからでしょう」とか、「第3世代(3G)と4G(LTE)の電波の切り替えが上手くいかないからでしょう」とか、「パソコンと同じ電子機器ですから仕方のないところもあるんです」、とあやふやな言い訳をされて、何時も不満を抱えながら使っていた。

 スマホも技術の過渡期だから仕方ないと諦めていても、やはり製造したメーカーや販売したドコモに腹立たしい思いもあった。中でも一番不満に感じたのは、電池の持ちの悪さと処理速度の遅さである。朝、フルに充電して家を出ても、半日もすれば電池がなくなってしまう。そして会社で机にいる時はほとんどPCにつないで充電していた。こんな状況だから休日に外出する時は予備の電池(2ヶ)を持ち歩くのは必須である。もう一つが処理速度、LTEになってスピードが速くなるといわれていたが、本体の処理速度が遅ければいかんともしがたい。散歩していてグーグルマップを開いても、なかなか画面が動かずイライラする。ワンセグ(TV)も画像がスムーズに動かず見る気になれない。インターネットでホームページ等を閲覧しても写真が見えるまでに何秒もかかる。昔のウインドウズ98を扱っているような気分である。結局はインターネットという仕組みにスマホの機能が着いて行けていないのである。最低限の電話とメールが出来たから許容してしまったが、普通の感覚で言えば、この種のスマホは欠陥品である。

 スマホも半年毎に続々と新機種が発売されていく。それを見るにつけ手元のLG製のスマホに不満がつのっていた。だから2年の契約の縛りが切れた昨年12月を待って買い替えることにした。まず機種の選択である。iPhoneに切り変えるか?今まで通りアンドロイド(Google)を選ぶかである。日経のPC雑誌に、iPhoneは同一機種のユーザーが多く、対応するアクセサリーも豊富にある。しかしスペックや機能・サービス、設定の自由さや使用料など、ことごとくアンドロイドに劣り、iPhoneファンでない限りアンドロイドから乗り換えるメリットは少ない、とあった。ということでOSはアンドロイドに決定。次にアンドロイドの中でどの機種を選ぶかである。ドコモにはサムスンやLGの韓国製とソニー、シャープ、富士通などの日本製が揃っている。しかしLG製のスマホで懲りてしまったから、今回は韓国製は避け、国内3社に絞った。家電量販店の販売員の大半が推奨するのはソニーで、大きな特徴としてカメラ機能の充実を言う。しかし、私は何時も小型のデジカメを持ち歩くから、スマホにカメラ機能を要求しない。ということで電池持ちが一番(標準3日間)ということでシャープのアクオスホンに決めた。

 使い始めてすでに20日間になる。夜寝る前に充電して朝100%でスタート。玄関を出る時にスマホの万歩計のスイッチを入れる(これは1日中動いている)。通勤途中はイヤホーンでインターネットのラジオを聴く(約1時間半)。会社に着くとスマホのテザリング機能(Wi-Fi機能)でタブレット端末(ウインドウズSurface)と繋ぐ(1日約4~5時間)。時々電話をかけ、メールやフェイスブックをチェックする。それでも夜までに50%以上電池を消耗することはない。休みの時は万歩計とグーグルマップが中心になる。今まで重たく感じていたグーグルマップはサクサク動き、ナビ(電車、徒歩)の機能は正確で驚異的である。使い始めて今まで、途中で充電することは無くなった。多分これがスマホのあるべき姿なのであろう。

 今回でスマホは3台目である。最初は2009年7月、台湾のHTC製の日本初のAndroid OS搭載モデルが発売されて、それにすぐに飛びついた。当初旧の携帯からスマホに変え、その使い方に慣れるまでは吐き気を感じるぐらいのストレスを感じていた。あれからわずか4年半、当時は第三世(FOMA)で今は第四世代(Xi)である。当時のAndroid OSは1.5、今のOSは4.2である。当時はワンセグ(TV)だが今はフルセグ(通常の地上波)である。言われているようにIT関連の技術革新は日進月歩である。それを直接感じることができるのが携帯電話の変化であろう。この変化にどこまで着いていけるか?これも私のボケ防止のツールの一つである。




新年に思う

2014年01月10日 08時35分24秒 | Weblog
                       所沢 中氷川神社

              

 2014年(平成26年)の年が明けた。私も今年の7月で70歳になる。「いよいよ」と思う反面、「まだまだ」という気持ちもある。
  論語に「七十にして心の欲する所に従へど、矩(のり)を踰(こ)えず」というのがある。これは孔子が一生を回顧して、その人間形成の過程を述べたもので、これを最初から引用すると、

子曰、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみしたが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へど、矩(のり)を踰(こ)えず。

 これによると70歳からは人間形成の最終段階になるようである。「七十にして・・・・」の解説は、「七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」ということらしい。

 私の子供達はそれぞれ家を離れて独立し、今は女房と2人暮らしである。女房とは反りが合わず、お互いはあまり干渉しない。今やっている個人会社にも未練はなく、いつ畳んでも良いと思っている。「何も背負うものがない」、「何も欲しいものがない」、「それほどの、意地もなければプライドもない」。私の70歳はこんなものであろう。だからこれからを自分の心の向くままに生きたとしても、人様に大きな迷惑をかけることはないはずである。だから論語のこの一説に従って「心の欲する所に従って」生きてみようと思うのである。当然蓄えも少ないし収入も細るわけで、その範囲内という制約はある。

 では今自分の心の欲することとは何であろう?と自問してみる。一つはやはり世間との係わりであろう。今まで70年を振り返ってみて曲がりなりにも生きてこられたのも、両親をはじめ多くの諸先輩方や同僚に助けられ育まれてきたからだと心底思っている。少し遅きに失した面は否めないが、社会との係わりを維持しつつ、ささやかでも自分が貢献できる事を見出して実践してみたいと思う。そしてもう一つ、それは「人生を楽しむ」ことである。背負うものも軽くなってきて自在に動けるわけである。自分の知らない土地を散策しその情景を楽しむ。心に残るものを写真に撮ったりスケッチしてみる。心を許せる友と語り合う。何か目標を作ってチャレンジしてみる。そんな風に今までの殻を脱いで、心を自在に遊ばせて見たいと思うのである。この心境を例えるとすると、次に行く先が決まっていて、中学や高校を卒業した年の春休みの気楽さ自由さであろう。行く先の見えた私の人生、これからは最後の春休みと思って楽しんで見たいと思うのである。


駅からの散歩

旧東海道箱根路     1月4日

 昨年年賀状を作っていて、折角絵を習っているのだから来年は自分の描いた絵を使ってみようと思った。それには年賀に相応しい題材が要る。年が明けて2日3日と箱根駅伝を見ていて、ふと富士山(ベタだが)の絵を描いて見ようと思い芦ノ湖に行ってみることにした。これも心の向くままである。
 小田原から箱根登山鉄道で箱根湯本へ、そこからバスで旧東海道の本陣跡で下車、少し街道を歩いてから石畳の昔ながらの箱根路を歩く。鬱蒼とした林の中を石畳の道がどこまでも続く。石畳は凸凹が激しく、フラットな道に慣れた現代人には意外と歩きづらいものである。日陰には雪が残っていて、高みに登ってきたことを実感するようになる。しばらく歩いて、やがて権現坂の急な下りを降りると芦ノ湖(元箱根)である。
 ここから少し高台にある成川美術館へ、ここは富士山の絶景ポイントでもある。しかし今日の富士山は少し雲が懸かって、雪も少なくインパクトに乏しい。これでは年賀状には使えない。年賀状にはまた別な題材を考えることにした。

      
                小田原で箱根登山鉄道に乗り換え箱根湯本へ

               
                箱根湯本からバスで旧東海道の本陣跡で下車

      
                          旧東海道

      
                    畑宿から石畳の旧東海道に入る

      
                         鬱蒼とした山道

      
                        湘南方面を一望

               


               


               


      


      
                       日陰は雪が残っている

                  
                           権現坂

      
                       芦ノ湖(元箱根に到着)

      
                          成川美術館

      


      


      
                         箱根旧街道杉並木

               


               


               
                      箱根関所から遊覧船で湖尻まで

      
                       湖尻からバスで箱根湯本へ