毎年お正月は年賀状と箱根駅伝を楽しみにしている。年賀状は学生時代の友人や近年親しくなった人まで、なかなか会えない人達との年一回のコミュニケーションツールでもある。そんなことから年賀状は私の「人間関係の履歴書」だと思っている。今年その中の一通にうれしい知らせがあった。それは以前(親)会社に勤めていてた女性のものである。葉書に「昨年12月から月刊の漫画雑誌に4コマ漫画を連載するようになりました」と書いてあったのである。
彼女は10年前に(親)会社に入社した。しかし事務職には適正がなかったようで、その仕事ぶりから先輩女子社員の非難の対象になっていたようである。元々絵が好きだったこともあり、営業からの要請で得意先へ簡単なデザインも手伝ってはいた。しかし専門的に勉強したわけでもなく、職務として成立することにはならなかった。彼女自身もそのことは自覚していて、いずれOLは辞め自分の性に合った別な道を考えているようであった。
勤め始めて1年以上経過した頃、自分の目指す方向は「絵を描くこと」と決め会社を辞めてしまった。それから新宿にある美術専門学校に入学し、アニメの背景画を勉強し始めたのである。学校に通っているころ作品を見せてもらったことがあるが、ジブリの映画に使われるような繊細な背景画を何枚も描いていた。美術学校の2年を終えてから、練馬にあるアニメのプロダクションに勤めるようになる。そこでの仕事は「ワンピース」というTVアニメの背景画を描く仕事であった。会社で机に向かって、来る日も来る日も指示された背景画を製作するわけである。しかしこの手の仕事の手間賃は安く、手取りで10万円程度だと聞いたことがある。時間に追われ残業の日々が続く、やがてこれも自分の目指す方向ではないと思うようになる。「自分は漫画が描きたい」、「自分はファンタジーな世界が好き」、「できれば自分で創作したい」、そんな思いが募って結局その会社も辞めてしまった。
その後は自宅近くの書店でアルバイトしながら、自室で漫画を描くようになった。できた作品を投稿してみたり、出版社に持ち込んで見たものの、なかなか手ごたえも得られなかったようである。それでも諦めず描き続け投稿し続けていく。ある時期から自分の作品をブログにも掲載するようにした。そんな状態が4、5年続いただろうか、昨年の夏、ブログを見た出版社の編集者から誘いがあった。「雑誌のジャンルに合わせて、仕事漫画か家族漫画を描いてみませんか?」、ということで今回の掲載に繋がったようである。
先週の発売日(22日)、掲載されているという『まんがタイム・スペシャル』を買いにコンビニに立ち寄った。しかしその雑誌の表紙を見た時、一瞬ひるんでしまった。オタクっぽい今風の少女漫画、さすがにいい親父が買う代物ではないと思ったのである。「まあ、店員は孫にでも買っていくのだろうと思うだろう、え~い、ままよ!」と勇気を出してレジまで持っていった。会社に帰ってからページを繰って彼女のペンネームから作品を探す。20編近い作品はほとんど似たようなトーンで、私には作家の区別すらつかない。それはAKB48の出演者が、私にはまるで一緒に見えるのと同じようなものである。
彼女の作品は水族館に入社した新人が主人公である。そこでのスタッフ仲間とのエピソードが4コマ毎に区切られ続いていく。普通の4コマ漫画は4コマ毎に落ちがあるわけだが、この漫画は職場の日常のたわいもない話が4コマ毎に連なっていくスタイルである。「さて、この漫画どう解釈すればいいのだろう?」と考えてしまう。ほのぼのと言うのか、可愛いというのか、このヌルイ展開は、昭和人間の私は付いていけない。後日メールで、どういう層の人が読むのかと彼女に聞いて見る。この手の漫画は当初若い女性をターゲットにして作られた。しかし最近は20~30代の男性のファンが多くなっていると言う。ますます「???・・」である。以前ある女性に、「絵画を頭で解釈せずに感覚で見るようにすれば良い、要は好きか嫌いかですよ!」と言われたことがある。やはりこの手の漫画も頭で解釈するのではなく、感覚で見るものであろうか?と思ってしまう。
どちらにしても、彼女は自分のやりたいことに10年かけて近づいてきたわけである。アルバイトで生活し、一時は体調を崩していたとも聞いている。そんな彼女がやっと10年目に陽の当たる場に出てきたわけである。できればこのシリーズで人気を得て、単行本にでもなればと願うのであるが、これも難関なのであろう。しかし困難があっても諦めず「前に向かって進む」、やはり人は自分の可能性に向かって進んでいる時が一番生き生きしているのかもしれない。
彼女は10年前に(親)会社に入社した。しかし事務職には適正がなかったようで、その仕事ぶりから先輩女子社員の非難の対象になっていたようである。元々絵が好きだったこともあり、営業からの要請で得意先へ簡単なデザインも手伝ってはいた。しかし専門的に勉強したわけでもなく、職務として成立することにはならなかった。彼女自身もそのことは自覚していて、いずれOLは辞め自分の性に合った別な道を考えているようであった。
勤め始めて1年以上経過した頃、自分の目指す方向は「絵を描くこと」と決め会社を辞めてしまった。それから新宿にある美術専門学校に入学し、アニメの背景画を勉強し始めたのである。学校に通っているころ作品を見せてもらったことがあるが、ジブリの映画に使われるような繊細な背景画を何枚も描いていた。美術学校の2年を終えてから、練馬にあるアニメのプロダクションに勤めるようになる。そこでの仕事は「ワンピース」というTVアニメの背景画を描く仕事であった。会社で机に向かって、来る日も来る日も指示された背景画を製作するわけである。しかしこの手の仕事の手間賃は安く、手取りで10万円程度だと聞いたことがある。時間に追われ残業の日々が続く、やがてこれも自分の目指す方向ではないと思うようになる。「自分は漫画が描きたい」、「自分はファンタジーな世界が好き」、「できれば自分で創作したい」、そんな思いが募って結局その会社も辞めてしまった。
その後は自宅近くの書店でアルバイトしながら、自室で漫画を描くようになった。できた作品を投稿してみたり、出版社に持ち込んで見たものの、なかなか手ごたえも得られなかったようである。それでも諦めず描き続け投稿し続けていく。ある時期から自分の作品をブログにも掲載するようにした。そんな状態が4、5年続いただろうか、昨年の夏、ブログを見た出版社の編集者から誘いがあった。「雑誌のジャンルに合わせて、仕事漫画か家族漫画を描いてみませんか?」、ということで今回の掲載に繋がったようである。
先週の発売日(22日)、掲載されているという『まんがタイム・スペシャル』を買いにコンビニに立ち寄った。しかしその雑誌の表紙を見た時、一瞬ひるんでしまった。オタクっぽい今風の少女漫画、さすがにいい親父が買う代物ではないと思ったのである。「まあ、店員は孫にでも買っていくのだろうと思うだろう、え~い、ままよ!」と勇気を出してレジまで持っていった。会社に帰ってからページを繰って彼女のペンネームから作品を探す。20編近い作品はほとんど似たようなトーンで、私には作家の区別すらつかない。それはAKB48の出演者が、私にはまるで一緒に見えるのと同じようなものである。
彼女の作品は水族館に入社した新人が主人公である。そこでのスタッフ仲間とのエピソードが4コマ毎に区切られ続いていく。普通の4コマ漫画は4コマ毎に落ちがあるわけだが、この漫画は職場の日常のたわいもない話が4コマ毎に連なっていくスタイルである。「さて、この漫画どう解釈すればいいのだろう?」と考えてしまう。ほのぼのと言うのか、可愛いというのか、このヌルイ展開は、昭和人間の私は付いていけない。後日メールで、どういう層の人が読むのかと彼女に聞いて見る。この手の漫画は当初若い女性をターゲットにして作られた。しかし最近は20~30代の男性のファンが多くなっていると言う。ますます「???・・」である。以前ある女性に、「絵画を頭で解釈せずに感覚で見るようにすれば良い、要は好きか嫌いかですよ!」と言われたことがある。やはりこの手の漫画も頭で解釈するのではなく、感覚で見るものであろうか?と思ってしまう。
どちらにしても、彼女は自分のやりたいことに10年かけて近づいてきたわけである。アルバイトで生活し、一時は体調を崩していたとも聞いている。そんな彼女がやっと10年目に陽の当たる場に出てきたわけである。できればこのシリーズで人気を得て、単行本にでもなればと願うのであるが、これも難関なのであろう。しかし困難があっても諦めず「前に向かって進む」、やはり人は自分の可能性に向かって進んでいる時が一番生き生きしているのかもしれない。