20年前、以前の会社で私が面接して採用した女性、今は結婚して二児の母である。結婚式の主賓になって以来、年賀状は欠かさず来ているし、年に1、2度はお昼ご飯を食べている。そんな女性からの突然のメールである。
こんにちは。ご無沙汰してます。
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人生わからないものですね。
母がくも膜下出血で倒れ、翌日手術をして、未だ意識が戻らずにいます。
医者からは、倒れた時の状態が悪すぎ、即死でもおかしくない状況だった。
もう手は尽くしたが、今はまだ脳からの出血が続いている。
あとの手段は、脳の出血部を取ってしまえば延命になるけれど植物状態になる。
そういう説明があり、「さあどうする?」の選択をせまられました。
家族で協議して、結局追加の手術はしないことにしました。
あとは本人の生命力に任せ奇跡を信じるのみの状況が続いています。
私としては急に突き付けられた現実を受け止めたくはないものの
結局は受け入れざるをえないのが現実です。
今は何が出きるわけでもなく、毎日チクチクと時間が過ぎていきます。
酷な時間で、人間は誰もが乗り越えていく時間なのだろうな、、と、
人が居なくなるのは寂しいな、と、思いながら静かに毎日を過ごしています。
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こんばんは。
母は未だ意識不明です。
脈がずっと150程度で、いつも苦しそうにしています。
見ているこちらも苦しくなってきて、私も含め、みんな疲れてきています。
父は糖尿に加え膝も痛め、部屋の中を這っている状態です。
なので、毎日家事をしに行かなければなりません。
こんな生活いつまで、、いや、一生なのだろうと、ため息が出ます。
病院の独特の匂いや、ICUの重たい空気が、
気持ちをいっそう辛いものにさせますね。
意識が戻っても半身不随だそうです。
生きていて、あの母が気持ちを強く保てるのだろうかと思ったり、
ああ、このまま居なくなってしまうだろうかと思ったり、
どこかで誰もが覚悟していながら、口に出さないでいる状態です。
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こんばんは。
母が倒れて1ヶ月ちょっと経ちました。未だ意識不明です。
2週間前に再度脳からの出血があり危険だと言うことで、
夜中に病院に駆けつけ、翌日には親戚にも来てもらいました。
それからまた持ちこたえ、今は血圧や心拍も落ち着いた状態です。
痩せてきたからか瞼の下の眼球だけが グリグリ動いてるのが分ります。
その眼球が孫の話や、カーペンターズの曲をかけたりすると、激しく動きます。
ピアノの先生に情動に語りかけることは意識の回復に効果があると聞き、
試してみているところです。
さて、おかしなもので私は母のそんな姿にも見慣れてきて、
話し掛けるときも赤ちゃんにでも話しかけるように、
自然に赤ちゃん言葉になるのが不思議です。
24時間見舞いを許されているので、朝、見舞いをして家に帰り
ご飯を作って父のお昼ご飯を持って実家に行きます。
この生活がいつまでも続くのは無理だなぁ。とつくづく思います。
兄夫婦達と代わる代わるで面会はしているものの、
ふと、みんな何を待っているのだろうかと思います。
目が開いた時、傍にいてやりたい。
意識が戻った時、名前を呼んでやりたい、色々と奇麗事は言えますが、
本音を言えば、このまま容態が悪化し、
極力こんな苦しみから解放させてやりたいとも思います。
兄は、「絶対回復させるぞ!」と気合いのメールをよこしますが、
こちらとしては、ちょっと温度差を感じます。
家事やパートの仕事で、とにかくハードワークだった母、
今考えれば父にも兄にも、分らないくらいのしんどい状態が
半年くらい前から有ったように思います。
それは母の話し方が、のっぺりのっぺりになっていたからでしょうか、、
同居する兄夫婦は共稼ぎで、家の孫達はおばあちゃんを頼ります。
だから私が実家に行っても、私は母には何も頼みづらく
最近は長居せずにすぐ帰っていました。
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こんばんは。
母の見舞いと父に時間を割くことで半日が終わります。
そんなことから下の娘に割く時間は圧倒的に少なくなりました。
母が入院してわりに早い段階で、これではマズイと思い、
見舞の時間をなるべく少なくしようとしました。すると兄からメールが来て、
「どうにか熱も下がり脳からの出血は止まったようだ」
「瞼が八ミリ空いた時間があった」
「なんとか少しでも見えるのなら、視覚に訴えることも出来るのだが…」
「お前もあまり丁寧に扱わず、荒いくらいの方が反応が見られるかもしれない」
「明日の昼間は足のむくみのマッサージと声かけを頼む。夜は俺が行く」
と言った内容で、私は「おっと、と、・・」と自分の気持ちを引き止められる感覚です。
兄は根が真面目で、家族へはきちんと義理立てする人です。
その家族の一大事とあらば色んなことを調べ、精一杯の労力を割きます。
私は、兄のお嫁さんも大変だろうなと思い、お嫁さんに感謝です。
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こういう状況は子供にとっては誰もが経験することで、
通らなければいけない試練なのでしょう。
しかし私はどこかホッとしているところもあります。
あの気弱な母が突然の出来事で病に付し、病と向き合わずして眠っている。
これは神からのプレゼントなのでは、というふうにも思ってしまいます。
母は、父や我々子供たちや孫達にほんろうされ、
「家族と言う病」と闘病していたのです。
そして恐らく、そのストレスからくも膜下出血なのかな、とも思っています。
だからカルテに病気の原因は「家族」と書いてくれれば分かりやすいのですが、
その元凶の家族が毎日病室を訪れてるのだから、
母もなかなか眼を開けないはずですね。
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ゆったりお茶しながら会いたいですね。
4月になって上の娘の新学期始まったら声かけます。
その時は下の娘も預けるのでゆったり話しましょう。
今はそんな時間がほしいです。
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母親が入院して、既に50日以上が経過している。その間のメールを読むと彼女の心の変化が見て取れる。最初の混乱や動揺から、時間が経つほどに現状を客観的にみられるようになり、次第にその状況を受け入れている様子が伝わってくる。そんな中での私の存在は、たぶん「なんでも喋れる昔の上司」なのであろう。家族でもママ友のような実生活に関わる立場でもなく、彼女の利害から離れた第三者、そんな相手に自分の心の内を吐露することで、少しは自分の気持ちが軽くなるのであろう。これはある種のカウンセリング効果なのかもしれない。
昔読んだカウンセリングの本にこんなことが書いてあった。クライアントが自分のことを語るには、自己の内情を整理しなければならない。そして心情を喋ることで自分自身でもそれを聞くことになる。そのことで本人も自分の立場を客観視することができる。客観視するということは、一歩離れた処から自分を見直すことである。そのことから気付きがおこり、自分がどうすれば良いのかがわかってくる、というようなことが書いてあった。
彼女はメールすることで今の自分の状況を俯瞰することになる。母親の病状の予測、自分の2人の娘のこと、父親のこと、旦那のこと、兄のこと、自分の置かれた立場や、やらなければいけない優先順位がおぼろげながら見えてくるはずである。もしそうであればメールを受け取り返事を返す私も少しは役に立っていることになる。