60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

遊行寺(ゆぎょうじ)の坂

2015年01月30日 08時37分25秒 | 散歩(5)
 一番下の娘が3月に開催される横浜マラソンのフルマラソンに参加の申し込みをしたと言う。参加条件は6時間以内に走れることだそうだが、娘はまだ42.195kmは走ったことがない。果たして走れるものか?たぶん30kmがせいぜいで、途中棄権するだろうと思っている。そんな話を思い出し、マラソン繋がりで正月に行われた箱根駅伝を思い出した。そしてそのテレビ中継の中でアナウンサーが、何度も「遊行寺の坂」と言っていたのを思い出す。確か復路の平塚から戸塚の8区にある長い坂だったと思う。・・・・「そうだ遊行寺の坂を歩いてみよう!」、連想ゲームのようにして今日の散歩コースが決まった。グーグルの地図で検索して小田急線の藤沢本町駅が一番近い駅と分かる。ではと、リュックを担いで家を出る。
 
 自分でも思うのだが「腰は軽い」方である。「検討して」とか「よく考えて」ということを止め、今はなるべく直感で動くことを主眼にしている。「70にして心の欲するところに従って矩をこえず」、これを自分なりの解釈で実践しようと思っている。自分の心に浮かんだことを直ぐに行動に移しても誰に迷惑をかけるわけでもない。当然行動を起こせば、そこに未知の遭遇があり刺激があり勉強にもなる。しかしその反対にトラブルがあるかもしれない。そんな時の判断も躊躇せず直感で決める。今まで培ってきた70年の経験、その上での自分の判断に迷いは無い。
 
 藤沢本町駅に降り立って、グーグルのナビに従って街を歩く。スマホのナビは最短距離を選択するから、小道を何度も折れ曲がった道順を教えてくれる。その道を正しく歩いているのか不安になることもあるが、迷っても「また元にもどれば良い」、そう思えるのである。30分程度歩いたころに「遊行寺坂」という標識があり、左に大きなお寺がある。先ずは遊行寺へ参拝することにして左に折れる。長い参道を登って境内に入ると、一遍上人の像があった。一遍上人は日本史で習った記憶はあるが何宗は分からない。そばに説明文があり時宗と分かった。大きなお寺の境内をゆっくりと散策してみる。梅の花がちたほらと咲き始めている。
 
 私は歩いたことのないコースを歩くのが好きである。初めてのコースであれば、道に迷わないようにと神経を使い緊張感を伴う。当然始めて見る景色だから物珍しさがある。従って散歩しながら周囲に「気」が向くことになる。日常の雑事にとらわれて内に向いていた「気」が、散歩の時は外へ向くのである。たぶんそのことが散歩することで開放感を感じるのだろう。この開放感と歩くという運動とが相まって健康には良いように思うのである。
 
 寺社内を一周して寺務所の前にくると、2人の参拝者がご朱印帳にご朱印を貰っていた。それを見て、ふと先週ブログに書いた友人が、最近ご朱印集めに神社仏閣を回っていることを思い出す。「そうだリタイアした彼を誘って、時々はご朱印集めも良いかもしれない」、そう思ってお寺の娘さんにご朱印帳とご朱印を頼んだ。私は神仏に帰依しようという目的も意識もないが、スタンプラリーのように散歩の意識付けになればと思ったのである。
 
 遊行寺を出て再び遊行寺の坂を昇る。そんなに急坂ではないが、一定の角度でだらだらと登っていく。「この坂を箱根駅伝の各校の選手達は息せき切って登っていくのだろう」、そう思うとこの坂の印象が強くなり、来年の箱根駅伝の時は自分の歩いた情景をなぞりながら、TVを見ているだろうと思うのである。約15分程度歩くと遊行寺坂上というバス停があった。ここが坂の頂点で、先はフラットな国道30号線が続いている。「さて、ここからどうしよう?」、「同じ道を歩いて戻るのも面白くないし、バスで帰ろうか」、「来る道の藤沢方面は車が渋滞していたから、反対方向のバスが良いだろう」、バス停の時刻表を見ると7分後に戸塚駅方面行きのバスがあった。
 
 朝10時に家を出て帰ったのは夕刻4時である。「遊行寺の坂を歩く」とだけを決めて、あとは全て行き当たりばったりである。ある友人は私のことを「徘徊老人」とあだ名している。そんな私も時と共に認知力を失えば、やがて真の徘徊老人になるかもしれない。それまでは周りに迷惑がかからない範囲で散歩は続けていきたいものである。

    
                 国道30号線、この当たりから遊行寺の坂が始まる
                            左手に遊行寺がある
 
    
                                  遊行寺山門

    
                                      長い参道

          
                         境内にある大きなイチョウの木

    
            遊行寺は一遍上人の時宗(浄土教の一宗派)の本山である

    
                                       本堂

                  

    
                             梅の花もちらほら咲き始めた

                   
                           鐘を突く棒(撞木)には青い苔が生えている

    
                                    寺務所

    
                                       寺務所

    

                 
                            ご朱印帳とご朱印をお願いする

   
                           私のご朱印集めのスタート

   
                               再び遊行寺の坂

   
                           だらだらと緩やかな坂が続く

   
                       先にある歩道橋が頂点のようである

   
                                遊行寺坂上
                            ここからバスで戸塚駅へ












退職後

2015年01月23日 09時18分00秒 | Weblog
 彼とは昔の麻雀友達でもう40年の付き合いである。彼は1月21日が65歳の誕生日、1月末で42年勤めた会社を退社する。昨年の11月は仕事の整理と引き継ぎ、12月は得意先と仕入先へのあいさつ回り、そして1月は身の回りの整理と退職に当たっての年金や健康保険等の諸手続き、そんな風に自分でスケジュールを決めて淡々と実行していった。「老兵は消え去るのみ」そんな言葉を発しながらも、やはり寂しさと先への不安は覆い隠せない雰囲気である。
 
 彼は常々「豊かな老後は月額30万円」、そんなことを言っていた。しかし年金は20万弱、あと10万円が不足する。今は奥さんがコンビニでパートタイマーをやっていて年100万円を稼いでいる。しかし彼としては女房の稼ぎを当てにするのも口惜しい。かといって65歳の再就職やアルバイトはなかなか難しいのも現実である。「とりあえず知り合いの伝手を頼って仕事を当たってみたり、近場でマンションや駐車場などの管理の仕事を探してみたい」、どちらにしても一息ついてから考えたいと言っている。「しかし仕事が見つからなくても自分の小遣い程度はなんとかしたい」ということから、「手元資金で株を買うことにした。できればこれで月5万程度は稼ぎたい」、そんなことを言っていた。
 
 もう一つの悩みは仕事が見つからなければ日常をどう過ごすかということである。今までは年365日の7割は仕事で3割がプライベートな時間であった。それが今後は10割がプライベートの時間となる。「さて何をするか?」それが彼の最大の憂鬱である。一般的なサラリーマンは仕事にかまけてあまり趣味を持っていない。彼も典型的で、プランターで少しの野菜を育てているぐらいで他になにも趣味は持っていない。しかし今さら取って付けたように何かを始めたとしても、それはなかなか身に付きづらいものである。学生時代にサキソフォンやトランペットを吹いていたという仲間は、地元の市民オケや私的なクラブに入って演奏活動をしているという話を聞く。若い頃、山に登っていた仲間は近くの低山を歩いて楽しんでいる。そんなふうに焼けぼっくりには火はつきやすいが、生木に火を点けるのは難しく、趣味の炎は燃えずらいものがあると、彼自身も自覚している。
 
 いずれにしても、彼がこの1月で辞めることはもう何年も前から決まっていたことである。しかし辞めた後に何をするかは、ほとんどの人が彼と同じように準備不足のように思うのである。これから先10年も20年もあるだろう人生、何故みんな前もって準備できていないのだろうと考えてみる。サラリーマンとして働くということは、組織の中で職務分担しチームとして動くことに慣れていて、単独での活動が不得意なのである。そのためリタイアして単独の行動をしなければいけなくなると、途端に臆病になり億劫になってしまうのだろう。何かのサークルに属すことができれば上手くいくのだろうが、今度はそこで新参者として扱われるかもしれない、それも気が進まない。だから次の人生が退屈なものになってしまうように思うのである。彼は私に「一緒に畑を借りて家庭菜園をやらないか」とか、「1ヶ月に1度麻雀をしよう」とか、「定期的に散歩に行こうよ」と誘ってくれる。それはやはり複数を前提での活動しか思いつかないからかもしれない。
 
 私はどちらかといえば「群れる」のが苦手だから単独の行動を考える。以前に何度かこのブログにも書いたことがあるが、ある老齢の女流作家(名前は不明)がラジオのトーク番組で高齢者の心得として言っていたことを、今でも念頭に置いている。それは1、.自分のことは自分でできるようにする。2、ネットワークは大切にする。3、自己表現の手段を持つ。というものである。これを言い換えれば、「人に頼らず、孤立せず、自分の楽しみを持つ」ということであろう。このことは60歳頃から意識はしてきた。①、掃除や.洗濯も自分でやり、極力女房には頼らない。②、交友関係を億劫がらず、それを最優先にする。③、このブログもそうだが、散歩写真の編集とメールでの配信、水彩画、クラシックギター(まだほとんど進んでいない)など、自己表現手段の習得を試みている。どこまで準備すれば退職後に軟着陸できるかは分からない。が、そろそろ私の番も近づいているように思っている。






散歩(川越)

2015年01月16日 08時24分48秒 | 散歩(5)

 お正月後の3連休、家でぶらぶらしていても体が鈍るので散歩に出かけることにした。今の時期、4時を過ぎると急に寒くなるので、近場の川越を歩く。川越はもう10回以上来ているから地図なしでも歩ける。電車で30分、西武新宿線の本川越駅から蔵造りが並ぶ町並みに向かって歩き始めた。まだお正月の雰囲気の残っている町並みには大勢の人がきていて、県内一の観光地を実証しているようである。

 川越は江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で、「小江戸」の別名を持つ。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方で鎌倉市、栃木県日光市に次ぐ規模とのこと。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、年間約620万人もの観光客が訪れると言う。最近は海外の旅行ガイドブックに紹介されることも多く、外国人旅行者も多いようである。

    

                                    蓮馨寺

    

 

                  

                               おびんつる様

  親が子どもを抱いて近づけたら、この顔を見て子どもが泣き出してしまった

    

            「さわってなでると すぐなおる」と書いてある 

            この人は自分の薄毛がきになるのだろうか?

    


    


    

                       蔵造りの町並み

    


    


             

                        小江戸巡回バス

             

 

 

                     通りには色々な正月飾りが残っている

    

 

    

                                  時の鐘

    

              裏と通りに入ると古い民家(個人)も開放されている

    

 

    

                                民家の蔵

    

                                 長喜院

                 みんなが見ているのは木に止まっているインコ

             

 

    

 

    

                              菓子や横丁

    

 

    

 

    

          好きな駄菓子を買って食べ歩く、川越全体が大きな縁日のような雰囲気である

             

 

    

                                喜多院

    

              交通安全~家内安全まで、何でも祈願できるだるま?

    

                                   五百羅漢

                この外人夫婦は石仏をみて何を語っているのだろう。

    

                               坊主頭に親しみを持ったのか、頭を撫でる

              

                  ここには538対あり、自分に似た像があるとか

              

                   このひとは上か下かどちらかに似ている

    

                      パンフレットなどによく使われている像

    

 

                  

                       川越にもご当地アイドルがいた

    

                         「小江戸クリアーズ」の撮影会

    

                        川越一番の繁華街、アカシア通り

    

                   帰りの電車、家族はそれぞれに満足したようである

 

 

 

 

 


男と女

2015年01月09日 08時42分36秒 | Weblog
 年末、お正月に読む本を買いに近所のツタヤに行った。宮本輝の随筆集と新書の2冊を持ってレジに向かう。途中大きなPOPが付いて籠に並べられている本が目に止まった。スーパーの特売品のような売り方、そうとう目だって「上手い売り方だな」と思う。本のタイトルは「察しない男・説明しない女」、そのPOPを読むと、いかにも興味を引きそうな内容の一部が書いてある。しかし買ってまで読もうとは思わない。とりあえず参考までにとスマホのカメラに収めておいた。
 
 今週会社に出てきてパソコンに取り込んで拡大してみると、POPには以下のような男女の思考方法の違いが書いてあった。面白いと思うのでここに列記してみる。
 
《 こんなにちがう男と女 》
 
 男は理屈で動く
 女は感情で動く
 
 男はほめてほしい
 女はわかってほしい
 
 男はナンバーワンになりたい
 女はオンリーワンになりたい
 
 男は会議が好き
 女はおしゃべりが好き
 
 男は結果を重視する
 女は過程を重視する
 
 男は子どもでいたい
 女は女でいたい
 
 男は使えないものを集める
 女は使えそうなものを捨てられない
 
 男は日常が好き
 女は記念日が好き
 
 男は「初めての男」になりたい
 女は「最後の女」になりたい
 
 以前友人に、恋愛遍歴での男と女の違いをパソコンの保存方法になぞらえて、「男は名前を付けて保存」、「女は上書き保存」と聞いたことがある。男性は過去に好きになった女性を個々に大事に覚えているが、女性は新しい恋愛感情が起こると前の男性のことは興味がなくなる、ということであろう。だから女性は男性も自分と同じように考ると思うから、「最後の女」になりたいのかもしれない。
 
 人間も哺乳類に属する動物であるから、当然雌雄によって動物的な役割は違ってくる。だからその思考方法も違ってきて当然のように思うのである。男も女も同じ人間だから同じように考えると思うと、そこに大きな落とし穴がある。お互いが頭の中で理解するだけで、実際のところはなかなか理解しがたいのである。以前読んだ女性心理学者の本にこんなことが書いてあった。女は感情の糸で思考方法が紡がれていて、男は理屈の糸で紡がれている。同じように見えても、そこは微妙に違ってくる。例えば「理性」ということにしても、女性はそこに感情的な要素が加わり、男性は「こうあるべき」という理屈が優先する、というようなことであった。男と女は本当には理解できないまま、一緒にいるのかもしれない。
 
 以前のイギリスのサッチャーのように、今は国のトップも女性が活躍するようになった。お隣の韓国の朴 槿惠(パク・クネ)大統領は女性である。だからなのか女性ならではの外交政策になっているように思う。隣接する大国中国には「長いものに巻かれる」的な部分があり、北朝鮮とは角つき合わすのではなく、平和裏にことを進めたいとの思いが強い。一方日本とは「嫌い」という感情が先に立って、なかなか打ち解けられないように見えるのである。一方ドイツのメルケル首相は「肝っ玉母さん」のように、どっしり構えて混乱するユーロ圏の中で頼れる存在のように見える。あまりでしゃばらず、どちらかといえば控えめであるが自国の利益はしっかり守る、そんなイメージである。
 
 来年11月にはアメリカ大統領選挙が行われる。そこでヒラリー・クリントンが立候補し当選すれば、アメリカ初の女性大統領である。そうなればアメリカの外交も大きく変わってくるように思う。権力志向(ナンバーワン志向)の強いロシヤのプーチンや中国の習 近平(しゅう きんぺい)、そんな相手に女性(オンリーワン志向)の大統領が相まみえたとき、どんな外交が展開されるのか、本当に理解しあえるのか?興味津々である。