先週、以前の会社の仲間で恒例の集まりがあった。メンバーは68歳~74歳まで12人、そのうち今回は4人が欠席した。欠席理由は急な要件が出来たからが2人、体調不良が2人である。1人は悪性リンパ腫の抗がん剤治療後の免疫低下での外出自粛、1人は脊椎間狭窄症が原因の体調不良だそうである。出席したメンバーでも糖尿病が1人、前立腺がんで手術が1人、胆石で胆嚢摘出した者、緑内障の上に白内障が重なっている者、高血圧で薬を飲んでいる者と、ほとんどが何らかの病気を抱えている。
最近読んだ本に、「自然の摂理から言えば、人は80や90歳まで生きるようには設計されていない」と言っていた医者がいた。人類の平均寿命は延びているものの、大体40歳までに子供をつくり、それから20年かけて育てて60歳、多少の余裕をみて70歳が耐用年数の一つの目安であろう。だから70歳前後になるとあらゆるところが不調になるのは当たり前である、という持論である。
むかし読んだ本に「ゾウの時間ネズミの時間」というのがある。うる覚えであるがこんなことが書いてあったように記憶している。それはネズミからゾウまでさまざまな哺乳類を比べてみる。するとネズミの心臓は早鐘のように打って数年の寿命、ゾウはゆっくりゆっくりと脈を打って100年近く生きる。他の哺乳類も同じように見てみると、大体哺乳類の心臓は20億回脈打ってその役割を終えると書いてあった。
この説で言えば、人は1分間に60回脈を打つとして20億回で63年である。戦前までは日本人の平均寿命は50歳代だということであるから20億回の耐用年数で充分であった。しかし今は日本人の平均寿命は80歳、これは心臓の鼓動で25億回に相当する。それだけ心臓の性能がアップしたのだろうか?、たぶんそうではなく、生活環境やメンテナンスがよくなって長持ちできるようになったのだろう。自動車に例えれば、昔は砂利道を走っていたのが完全舗装の道を走るようになり、ガソリンもオイルも品質がよくなって、エンジンが長持ちするのと同じなのかもしれない。
しかし自動車も約3万点の部品で組み上がっているように、人も色んなパーツが機能して活動できるようになっている。そのパーツの寿命は必ずしも同じではなく、使い方やメンテナンスによって異なってくるのであろう。歯がだめになってくる。視力が落ちてくる。聴力がおかしくなる。腰や膝に痛みがでる。血管が脆くなる。そして内臓、さらに認知症など脳までも機能不全を来たしてきはじめる。
70歳になって自分を振り返り周囲を見渡すと、ほとんどの仲間が何処か此処かに不調な部分を持っている。そしてそれが生活に支障を来たし始めた人も多くなった。年に何回か集まる昔の仲間の会合では、だれがガンで入院した、だれが亡くなったという情報が行き交うことになる。そしてそれを聞いて、「おう、そうなのか」と昔の仲間の話題でひとしきり盛り上がる。しかしそこにはそれほどの驚きも哀れむ気持ちも少ない。それは「いずれ自分も・・・・」という思いがあり、少なからず覚悟のようなものがあるからなのかもしれない。70という歳はそんな年齢である。