60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

剣岳

2009年06月26日 09時01分10秒 | 映画
剣岳(点の記)、これは新田次郎の小説である。この小説を映画化したものを今回見に行った。
明治40年、陸軍の陸地測量部の測量手・柴崎(浅野忠信)は、日本地図最後の空白地点を
埋めるため、その険しさから「針の山」と呼ばれた剣岳の初登頂と測量を命ぜられる。
一度は登頂の手がかりすら掴めずに下山する柴崎。だが彼は案内人の宇治(香川照之)と測夫ら
総勢7人の測量隊を結成し初登頂に挑む。絶壁、雪崩、暴風雨など、困難が行く手を阻むが、
ついに頂上に立ち三角点(点の記)を建てた。しかし頂上には奈良時代の行者が残したと思われる
錫杖(しゃくじょう)が置かれていた。人跡未踏と思われたこの山はすでに1000年前に踏破されて
いたのである。主人公柴崎の登頂実績は陸軍からは評価されない。だが、・・・・・・・
そんな映画である。

もう30年も前に、この小説を読んだことがある。そしてこの小説を読んだ後に、剣岳に登った。
映し出される剣岳の威容、室堂や剣沢などの風景、見憶えのある景色がそこここに出てきて、
山登りの時の空気感が懐かしく、30年前を昨日のことのように思い出させてくれた映画であった。

当時友人と3人で車で長野県の大町まで行き、大町温泉に泊まる。翌朝、黒部の入口の扇沢の
駐車場に車を置きそこからトロリーバスに乗って黒部ダムまであがった。黒部ダムを見てさらに奥へ。
黒部からはケーブルとロープウエーを乗り継いで大観峰へ、ここからやっと歩きである。
テントを入れたリュックは24kgあった。振り返っても30代のこの時代の体力、持久力は生涯で一番
充実していたであろう。室堂、雷鳥沢を経て別山乗越を越え、その日のテント場である剣沢に着く。
早速テントを張り、飯ごうでご飯を炊き、カンズメを開けて食事をする。夜の気温は急速に落ちてきて、
冬を思わせるほど寒くなる。夜空には気持ちが悪く感じるほどの満点の星があった。

翌朝、テントをその場に置いて、昼食と水と少しのおやつと雨具だけの軽装で剣岳の往復を目指す。
道は登り一本になり、何処までもガレ場が続き、そこを喘ぎながらただひたすら登り続ける。
そしてやっと頂きに立つ、そこが一服剣(いっぷくつるぎ)眼前の遠くに剣岳の威容が立ちはだかり、
目の前の谷は底が見えないほどに落ち込んでいる。またこれを降りて行き、登りなおすのか、
そう思うと疲れがどっと出てきて気持ちがなえる。気持ちを立て直し、再び下り、再び登る。
とうとう頂きに着いたと思ったら、そこは前剣(まえつるぎ)という手前の山、精根尽きはててはいるが、
引き返すわけにもいかず、又谷を下り、また頂上を目指して登る。
切り立った山肌、今度の登りは両手で岩をつかみ、足場を確認しながら這うようにしての歩行になる。
岩にペンキで書かれた矢印、それを伝って一人がやっと登れる岩場を、前の人のお尻を見ながら
一歩また一歩と高度を上げていく。そして遂に頂上に立った。
わずかなスペースの頂上、さわやかな風が汗で濡れた衣服を乾かし、額の汗を飛ばしてくれる。
カラカラの喉を生ぬるい水がうるおしてくれる。大きく手をあげて深呼吸をする。「やったぞ~!」
記念撮影をして、また同じ道を剣沢まで引き返した。

私が本格的な登山を始めたのはこの剣岳に登った時からである。
それ以来20年間近く、毎年夏になると八ヶ岳、北アルプス、南アルプスの山々を登っていった。
山の魅力とは何か、当時なぜ登り続けたのだろうか、映画を見終わってそんなことを思い返してみる。

山登りは日常の仕事や家庭を離れ、自然に触れ美しい景色と出会う非日常の世界を体験できる。
もう一方、荷物の重さにあえぎ、汗をかき、息があがり、それでも一歩一歩頂上を目指し登り続ける。
苦しければ苦しいほど、その一歩は記憶に残り、周りの情景は脳裏に刻み込まれ焼きついていく。
地図に記入された細く頼りない登山道。それを見失って外れてしまえば困惑と恐怖のパニックになる。
そんな危険と隣り合わの自然の中を、重い荷物を背負って、一歩一歩ただ黙々と頂上を目指す。
自分の足と気力と体力で勝ち得た達成感と満足感、そんなものが登山の醍醐味かもしれない。
山を降りてからも山の情景は何時までも脳裏から消えない。登り始めてから降りるまで、その情景を
ビデオカメラのように思いだすことができる。

今から30年前、そのころは結婚し長男が生まれて、その長男が幼稚園に通い始めた頃だったろう。
当時、女房が近所の友達から勧誘されて「ものみの塔」という宗教団体に出入りするようになった。
最初は静観していたが、輸血はダメ,、偶像は認めない、神仏に手を合わせない、選挙は行かない、
など言い始める。冊子が家の中に積まれ「エホバの証人」「千年王国」など文字が目に付き始めて、
私の宗教感と合わず、夫婦関係もしだいに深刻になってきた。このままでは結婚生活を継続する
ことは難しい。毎日女房との言い争いが続き、修復不可能までになって行った。さあ、どうする?
一時は、息子を自分が引き取り、離婚することも考えていた。
ちょうどその頃から登山を始めたように思う。重い荷物を背負って山道を登る、その中に自分を
没頭させることで、現実逃避していたのかもしれない。

そんな頃に読んだ本の中に目にとまった、ある記述があった。
現状の苦しさから脱出する方法として、もう一人の自分を想定する。そしてそのもう一人の自分が、
苦しんでいる自分をじっと見つめる。そうすることで自分を客観的に見ることができ、ひいてはそれが、
本人の悲しみや苦悩から、抜けだし癒やしてくれるようになる。そんな内容だったように記憶している。
家庭や会社のトラブルや苦悩、それは日々変化しあまり具体性を持っているようには思えなかった。
しかし、山での苦しさはわかりやすく、実感しやすい。その苦しさを和らげ脱却できるようにすることで、
引いては精神的な苦しみを軽減させてくれる手段にはならないだろうか、そう考えたことがあった。

重いリックを背負い首にタオルを巻き、額から汗を垂らし、喘ぎながらも、ひたすら歩いている自分。
そんな自分を斜め上から見つめているもう一人の自分を想像する。そうすると頭の中に薄らと2重に
なった自分が立ち上がってくる。そして、苦しい自分から、それを見ている自分に意識を移して行く。
無意識で歩いている自分を、はっきり意識したもう一人の自分がコントロールしているイメージである。
何度も何度も繰り返し試みてみる。しかし意識は思うように移行せず、苦しいさから脱し切れない。
登っている間中これを繰り返してみる。また次の山登りの時にこれを試してみた。
今考えれば無理なことのように思う。しかし当時は何とか自分をコントロールしたかったのだろう。

30年前、まだ未熟で悩みも多く、日々感情を乱し、苦悩から脱したいともがいた時代でもあった。
今は60歳を過ぎ、体力気力も衰え、いかにも達観した風を装い、日々を淡々として暮らしている。
どちらも同じ自分である。その30年間の積み重ねが良くも悪くもこの自分を作ってきたのであろう。
人生を山登りに例えて、目指した山はこれで良かったのか、歩んだ道は間違っていなかったのか、
そう思って振り返ってみても、目指した山も、歩んできた道も、今以外のものは何も思い浮かばない。
私には別の選択肢はなかったのか、いやそうではないだろう、日々の一歩一歩が選択の連続だった。
自分の前には既成の道はなかった。だから振り返っても、私にはこの道以外になかったと感じてしまう
のではないだろうか。

映画に登場する測量手の柴崎が未踏峰と思いこんで登った剣岳のように、私の登っているこの山も、
私にとっては私だけの道をつけながら登っている未踏峰の山である。しかしいずれ頂きに到達する。
そして、頂上を見渡せば以前に誰かが登った足跡を見い出すかもしれない。その頂上は雲に覆われ、
周りは何も見えずに混沌としているのか、それとも晴れ渡り、涼風が吹き、眺望の利くすがすがしい
頂きなのか、出来れば30年前、最初に登った剣岳のように、頂上に立った時の満足感、達成感を
味わって見たいものである。さあもう少しである。少し山歩きを楽しみながら残りの道を登ってみよう。

無意味なこと

2009年06月19日 09時47分14秒 | Weblog
家から駅に行くまでに幹線道路を横断する。その道路脇にはいつも「幟(のぼり)」がはためいていた。
その幟は3本あって、それぞれに、「飲酒運転撲滅」、 「自転車も歩行者も交通ルールを守ろう」、
「老人とこどもを自動車事故からまもろう」(所沢警察署)、という交通標語が書いてある。
もう一本、手前の小さな道路に「あいさつ運動実施中」という幟、こちらは市役所の管轄であろう。
この幹線道路は西武線をまたぐ陸橋で、両側にはフェンスがあるだけで通行人はほとんど通らない。
こんな所に幟を並べて誰に読ませようとしているのだろう?見れば見るほど疑問が浮かんでくる。
スピードをあげて通り抜ける車、旗が立っているということは認識できても、これを読むことは難しい。
万が一、標語を読んだとして「そうだ、老人と子供を自動車事故から守ろう!」と改めて意識する
人がいるのだろうか?もう1本の幟、「あいさつ運動実施中」とある。たぶん市が音頭をとって学校で
やっている「あいさつ運動」というものを、市民も一緒になってやって欲しいとういことなのだろう。
しかしこんなことを幟にする必要があるのだろうか?作った職員はほんとうは何をしたいのだろうか?

そんな疑問を持って会社のある台東区に着いた。今まで気がつかなかったが、ここにも「幟」がある。
交差点に2本、両方の幟に小さな文字で「下町台東の美しい心づくり」というタイトルが書いてあり、
一本には「早ね早おき朝ごはん」、もう1本には「あいさつでつなごう心とこころ」とあった。読んで、
やはり同じ疑問が起こる。これは誰を対象に言っているのか?子供達に?それとも子供の親に?
「美しい心を作ろう」とはなんと大層な言い方である。「美しい心を作ろう」と簡単に幟で呼びかける
事柄なのだろうか? こんな難しい命題を早寝、早起き、朝ごはんで言い変えていいのだろうか?
企画した人は本当に一生懸命考えたのだろうか?街中に幟を立てる必然性があるのだろうか?
さらに歩いているとまた一本、そしてまた1本、今度は「危ない、やめよう、歩きタバコ」、「非行を
なくして明るい町づくり」と書いてある。今までほとんど目に入らなかったが、意識してみると街の
あちらこちらに幟が乱立していることがわかる。

この幟を市内一円、区内全体に立てるには、何千本単位であろうと思う。そして旗代、ポール代、
設置の費用、撤去の費用等々、やはり1回の製作費は何百万円単位にはなるように思われる。
果たして、企画製作したお役所は費用対効果を考えてやっているのか疑問に思ってしまう。
「毎年やっている事だから」「予算を計上して使わないと次からなくなるから」「市(区)として住民の
ことを思って取り組んでいることをアピールしておかないと、行政は何もしていないと思われるから」
たぶんそんなことではないだろうか。仕事をした職員はこれで仕事をした気になっているのだろう。
こういう仕事を「お役人仕事」というのだろう。こんな内容のものなら、返って無い方がよほど良い。
こんなものを街中に立てておく方が、街の美観を損ねる。だんだん腹立たしくなってきた。

亡くなった精神科医の河合隼雄がその著書「こころの処方箋」のなかで言っていた。
常識的なこと、正しいことを、いくら言い張ったところでそれは「無意味」なことだと。
ヘビースモーカーがいる。その人に「タバコは体に良くないよ。止めた方が良いよ」と言ったとする。
それに対しタバコを吸っている人は「肺癌になったらなった時のこと、ほっといてくれ!」と答える。
忠告した方は「私はあなたの体のことを思って言っているのに、なんだその言い方は」とむきになる。
「タバコは体に良くない」ことは、医学的にも証明されており、正しい意見で、今や常識である。
だからタバコを吸っている人はタバコが健康に良くないことを承知の上で吸っているのである。
そんな人が「タバコは体に良くない」と言われて、「そうか、体に悪いのか、ではタバコを止めよう」と
言うだろうか、反対にむきになってしまうのが落ちである。こんな言葉は「無意味」なことなのである。
幟に書かれていることは、いかにも常識であり何の新鮮味もない。これでは人の目に止まらず
人の意識に入らず、結局「無意味」なことになってしまうのである。

これに類した話はゴマンとある。
母親が子供に「勉強しなさい。勉強して少しでも良い学校に行けば、あなたの可能性は広がる」
それを聞いた子供が「そうだ、頑張ろう」と発奮して勉強をし始めるだろうか。
恋人に振られたて落ち込んでいる人に、「そんな人のこと、あっさり忘れちゃいなよ!」そう言われた。
「じゃあ、忘れよう」と忘れられるものではないだろう。忘れられないから落ち込んでいるのである。
言った方は「あなたのことを思って・・・」と言う。しかし本当に相手のことを思っているか疑問である。
当りさわりのないことを言って、親切なアドバイスをした気になっているだけではないのだろうか。

仕事でも無意味なアドバイスや意見は日常茶飯事。「良く考えて・・・・」「相手のことを思って・・」
「誠意をもって・・」「皆と協調して・・・」「気をつけて・・・」「最善を尽くして・・・・」「頑張るんだぞ!」
部下のことを思いやり、誰でも言えるような当たり前の忠告して、親切で有能な上司の振りをする。
そして、仕事の結果を見て、失敗であれば「それではだめなんだよ!俺が言っただろう・・・」と叱り、
良い結果が出れば「そうだろう~、俺のアドバイスが効いたよな」と手柄を自分のものにしてしまう。
社員も大人である。何が正しく何が間違っているか、自分はどう対処すべきかは分っているはず。
上司から何の新鮮味もない、ただ常識的なアドバイスを受けても、部下は納得するはずもない。
上司が毒にも薬にもならない意見を言いたてるのは、自分の存在を保っておきたいという思いであり、
自分の言い訳や手柄のための保険なのだろう。それは街中にはためく幟と同で無意味なことである。

会社で起こるさまざまな出来事を聞き、飲み屋で隣のサラリーマンの愚痴や自慢話を聞いたりすると、
世の中を巧みに泳ぎ抜くために「言葉」を、さも意味ありげに使いこなしていく連中の多いことに驚く。
本当は言葉などどうでも良い。本来は言葉を発する「人」そのものを問題にすべきだと思うのだが、
誰の言葉か分らないが『何を言われたかではなく、誰から言われたかが重要なことである』と言う。
お役所の幟で「あいさつをしよう」と言われるより、大好きな幼稚園の先生から「あいさつしようね」
とか、「朝ごはん食べてくるんだよ」と言われた方が、園児は聞く耳を持つだろう。
「タバコを止めてよ」と恋人に言えば。「じゃあ止めようか」とタバコをやめる決心をするかも知れない。
嫌な上司に何を言われても聞く耳を持たない部下も、尊敬する先輩や気の置けない仲間であれば
素直に聞くのかもしれない。人とはそんなものではないだろうか。聞く耳を持つか持たないかである。

どんな「深イイ話」を聞いても、発する人に信頼がなければ、その判定は「う~ん」であろう。
今の世の中、表面的なことが重要になっていて人の内面や人の本質、人と人との関わり方や、
信頼の築き方など、もっとも必要と思われることが、おろそかになっているように思うのである。
幟にある「下町台東の美しい心づくり、あいさつでつなごう心とこころ」こんなことでは人は動かない。
人を動かすには長い時間とたゆまぬ努力、そして何よりも深い愛情が不可欠なのではないだろうか。
以前ブログに書いた「接客」にしても、この「のぼり」にしても、本当はどうでもいいことなのだろう、
しかし一旦気になり始めると無性に気になってしまう。自分も少し愚痴っぽくなってきたのであろうか。

死生観

2009年06月12日 08時58分34秒 | Weblog
役所広司の第一回監督作品「がまの油」という映画を見てきた。
主人公である父親(役所広司)は奔放な性格ではあるが、辣腕のデイトレーダーである。
気立てのいい妻(小林聡美)、そして素直な息子(瑛太)がいて、3人は平穏に暮らしている。
そんなある日、少年院から出所する親友(澤屋敷純一)を迎えに行った息子が、交通事故
で意識不明の重態になる。責任を感じる親友、交通事故のことを知らされず苛立つ息子の
恋人(二階堂ふみ)。物語りはやがて息子の死を迎える。最愛の息子の死、親友の死、
愛する恋人の死、それぞれが、受け止めなければならない「死」をどういうふうに考えるのか、
そんなストーリー展開である。最愛な人の突然の死、どうあがいても納得のいく答えなぞない。
昔、出会ったガマの油売りが言った「人は2度の死がある。一度は現世から体がなくなる時、
2度目は人々の中の記憶から消えた去った時」そんな言葉を思い出し救われる。最愛の人を
本当の意味で失うことは悲し、だから彼に2度目の死が来ないように、覚え続けて生きていこう。
そんなメッセージであったように思う。

役所広司が出演した映画で、1年半前に公開された「象の背中」というのを思い出す。
人生の円熟期を迎えていた主人公(役所広司)がある日突然、末期の肺がんで余命半年と
宣告される。苦悩の日々の主人公、彼は残された時間に、今まで出会った大切な人たちと
直接会って、自分なりの別れを告げようと決意する。それから海辺のホスピスに移り、そこで
穏やかな死を迎えるたいと願う。しかし死が迫るに従って乱れる心、自分の死をどう受け入れ、
どんな気持ちで死を迎えるか、そんな映画であったように思う。

「死」、この世に生まれたからにはいずれ訪れてくる。人が生きていく上で付いて回る「死生観」。
死生観とは、辞書を引くと、死を通した生の見方をいう。と書いてある。
人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか? 生きることとは何か?死ぬこととは何か?

子供の時代、死ということを考えると、必ず不安感と恐怖感にさいなまれていたように思う。
両親はいずれ死んでしまう。死んでしまえば自分は一人取り残されてしまう。その時の不安と恐怖。
次に襲ってきたのは自分が死んだらどうなるのだろうということ。死んだら、どう考えても自分が再び
この世に現われる可能性はない。では自分の魂(自分のこの感情)はどこへいくのか、何処にも
行き場がない。何千年何万年の時が経過しても、私の魂は闇の中をさまよい続けその先がない。
わずかな星が瞬く暗黒の宇宙が頭の中に広がり、その冷たい闇の中を必死でさまよい続ける。
振り払っても振り払ってもその情景は頭の中から消えてくれない。蒲団の中で恐怖に打ち震える。
一睡もできず、白々とした朝を迎えたことが何度もあった。

大きくなるに従って、子供の頃の恐怖は薄れていった。薄れたというより現実の世界の出来事で
考えることが多く。「死」についてあまり深く考えなくなったということで、先送りして行ったのであろう。
したがって、死後のことについて自分の中で納得いく答えを見つけたわけではない。
しかし両親が亡くなり、自分も次第に歳をとってくれば、またぞろ「死」ということが現実になってくる。
「次は自分の番だ」そう思うのである。

宗教は死後の世界を語ってくれる、「冥土の旅」「生れ変り」「あの世」「天国と地獄」「輪廻」、
基本的には肉体は滅びても魂は残る、ということで人々を恐怖から救ってくれるのかもしれない。
しかし宗教で言う死後の世界も誰が体験したわけではなく、信じるに足らない作り話であろう。
死んだら何も残らない。魂ということすら存在し得ない。なぜなら焼き場で幾ばくかの骨と空に舞い
上がっていく煙となって四散しまうのだから、魂の存在する場所すら残らないのではないだろうか。
だから本当は死後の世界では何にも考えられず、何も残らない「無」の世界が正解なのであろう。
しかし、それでは私は死を前にした時に、気持のよりどころとしての納まりが悪いのである。
映画「ガマの油」ではないが人は2度死ぬ。人の記憶から消えた時が本当の死、という先送りの
考え方もある程度は気持ちのよりどころとしては救いになるのかもしれない。

「死」を一人称、二人称、三人称に分けて考えると、その重さがわかるという。
三人称の死、それは遠くの他人、一般的な「死」として当たり前の現象として受け入れやすい。
二人称の死、ごく親しい人(家族や友人)の死、これを受け止めるにはある程度の時間を要す。
そして一人称としての私の死、いざこれが直近の問題になったとき、これを受け入れるためには
内面の葛藤なくして納まりはつかないでのであろう。信仰心のない私は今さら宗教には頼れない。
やはり自分なりの死生観をもつ必要はあるのだろうと思っている。
私はどちらかといえば理系の人間、世の中を論理だって考えなければ気がすまないタイプである。
「人が死んだらどうなるか?どこへ行くのか?生きることとは?死ぬこととは何か?」 その解答も
科学的な根拠に基づいた納得を得ようとしがちである。今まで読んできた科学的な読み物の中
から自分としては比較的収まりの良い死生観を書いてみる。

「汝とは汝の食べた物そのものである」。私達の体はたとえどんな細部であっても、それを構成する
ものは元をたどると食物に由来する元素なのである。ここにマウスを使った実験がある。
アイソトープ(同位体)を使ってアミノ酸に標識をつける。そしてこれをマウスに3日間食べさせた。
このアイソトープ標識は分子の行方をトレース(追跡)するのに好都合な目印となる。
餌として口から入ったアミノ酸はマウスの体内で燃やされてエネルギーとなり、燃えカスは呼吸や
尿となって速やかに排泄されるだろうと予想された。しかし結果は予想を鮮やかに裏切っていた。
標識アミノ酸は瞬く間にマウスの全身に散らばり、その半分以上が脳、筋肉、消化管、肝臓、
膵臓、脾臓、血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部となったのである。
そして三日間、マウスの体重は増えていなかった。これはいったい何を意味しているか?
マウスの身体を構成していたタンパク質は三日間のうちに、食事由来のアミノ酸に置き換えられて、
その分、身体を構成していたタンパク質が捨てられたということである。

標識のアミノ酸はちょうどインクを川に垂らしたように、「流れ」の存在とその速さを目に見えるように
してくれたのである。まったく比喩ではなく生命は行く川の流れの中にあり、私たちが食べ続けなけ
ればならない理由は、この流れを止めないためであったのだ。さらに重要なことはこの分子の
流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互関係を保っているということだった。
個体は、感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかしミクロレベルでは、
たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み(よどみ)」でしかないのである。
生体を構成している分子はすべて分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。
身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである。
だから私たちの身体は分子的な実体としては、数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。
分子は環境からやってきて、一時淀みとしての私達を作りだし、次の瞬間にはまた環境へと解き
放されていく。つまり、そこにあるのは流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は
代わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということである。

私という人間は65年前、大きな流れの中に産み落とされ、流れの中に小さな「淀み」を作った。
その淀みは次第に大きくなっていく。その淀みにはあらゆるものが流れ込みまた流れ出ていった。
その淀みが作用して、新たに3つの小さな淀みが生まれていく。年月を経てやがて最初にあった
淀みは力を失い、大きな流れの中に消えていくだろう。しかしそれは淀みとしては消えるだけで、
そこを流れていた構成物質は大きな流れに戻り、また流れ続ける。そしてやがてまた別の淀みに
捕えられるのかもしれない。当然、私の魂も淀みが消えたときに霧散してしまう。そして別の淀みに
捕えられた時にそこで別の魂を作る構成要素になることがあるのかもしれない。

我々自身や我々の環境を構成している分子や原子はこの地球上から出て行くことはない。
この宇宙に地球が存在する限り、私を構成していた要素はこの地球にあり続けることになる。
子供の時見た「暗黒の宇宙」、その宇宙の漠とした空間が対象ではなく、自分を流れていった
物質は地球上に限って、散らばって行くということをイメージしても間違いではないだろう。
死の床に着いたとき、私の頭は高原のさわやかな景色を想像し、自分の体はハラハラとミクロの
単位でほどけていく、そしてその粒子が高原を吹き抜ける風に乗って四方八方に散って行く。
今はそんなことを思いながら、その時を迎えたいものだと思っている。

ご褒美

2009年06月05日 08時38分22秒 | Weblog
このブログは新しく買った「ポメラ」というキーボード付きのデジタル式のメモ帳に書いたものである。
打ち込んだ文章をUSBでPCにつなぎ、テキストファイルで移動させブログに移し込むのである。
今自分専用のPCは会社にしかなく、土日はブログもネットも扱うことができない状況である。
何か思いついて書こうとしても、手書きするほどの気力はなく結局会社に出てから書くことになる。
最近5万円のノートパソコンが個人専用のPCとして主流になって、持ち歩く人もよく見かける。
このPCを買って会社を離れていても自在に記述作業が出来るようにしたいと思ったこともある。
しかし小さいとはいえやはりPC、カバンの中を占有されるのは負担になるように思った。

先日からTVでこの「ポメラ」のCMを見た。「2秒で起動、打ち込むだけ、後は何の機能もない」
そうだ私はパソコンの機能が必要なのではなく、思いついたときに打ち込んで置きたいだけなのだ。
ブログを書くにも、メールの文章を書くのも、はたまた小説を書くにも、書きためて置くだけでいい。
後はそれを会社に行ったときにPCに移して処理すればいい。そう思ったら急にこれが欲しくなった。
帰りにヤマダ電機に行く。価格は21800円、残っていたポイントを使い15000円で購入した。
早速、喫茶店に入って梱包を解き、本体を出して説明書を読みながらこのブログを打ち始める。
今のキーボードより4㎝狭く、少し窮屈な感じはするが意外と支障なく打つことができる。
これで会社以外でものが書ける。自分の武器が一つ増え、行動半径が広がった感じがする。

昨日NHKラジオでコメンテーターが言っていた。人の意思(意欲)はなかなか継続しないものだと。
何かを続けて行こうとしても、自分の意志だけではそんなに長く続けるこことは難しいようである。
例えば学校の勉強、親から叱られる。試験がある。成績が悪いと恥ずかしい思いをする。等々
外部に色々なハードルやプレッシャーがあるから、続けていける。そうでなければ勉強は進まない。
したがって、今から何かをやろうとするのであれば、続けていける環境を整えた方が良いとのこと。
例えば皆に宣言をする。誰かと一緒にやる。自分のノルマにして、やらないときの罰則を作る。
達成すれば何かイベントをやる。自分に褒美をだす、等々。人の意志は意外と弱いもので、
すぐに挫折してしまう。挫折しないための手だてを考えてみる事も必要なことだと言っていた。

もう一つ別なニュース。このお中元期で最近変わった現象が起きている。それは自分が自分に
ギフトを送るお客さんが増えているらしい。自分が食べてみたいもの、自分が使ってみたいもの
人に贈ると当時に自分にも贈る。「自分への贈り物」それが社会現象にもなっているという。
なぜなのか? 自分の生活の節目節目に少しの贅沢を、一生懸命働いてきたご褒美として、
人生を継続して行く上で、節目での記念、少しの喜びや楽しみ、そんなことの現われなのだろう。

今日買ったこの「ポメラ」私にとっては1年間ブログを書き続けたご褒美であり、今後も続けていく
為に会社以外で書いていく環境作りのための必需品でもある。
長い人生を生きていくためにはストイックなだけでは息が詰まる。あまり気ままでも緊張感がない。
生活して行く上で、時には遊びを、時にはノルマを、節目に記念日を、嬉しい時にはご褒美を、
そんな風に人生に彩りを添え、演出していくのも大切な要素であろう。
私は美味しいものを食べる、着るものにお金をかけるより、小物のお気に入りを手にすることが、
一番の楽しいことかもしれない。