剣岳(点の記)、これは新田次郎の小説である。この小説を映画化したものを今回見に行った。
明治40年、陸軍の陸地測量部の測量手・柴崎(浅野忠信)は、日本地図最後の空白地点を
埋めるため、その険しさから「針の山」と呼ばれた剣岳の初登頂と測量を命ぜられる。
一度は登頂の手がかりすら掴めずに下山する柴崎。だが彼は案内人の宇治(香川照之)と測夫ら
総勢7人の測量隊を結成し初登頂に挑む。絶壁、雪崩、暴風雨など、困難が行く手を阻むが、
ついに頂上に立ち三角点(点の記)を建てた。しかし頂上には奈良時代の行者が残したと思われる
錫杖(しゃくじょう)が置かれていた。人跡未踏と思われたこの山はすでに1000年前に踏破されて
いたのである。主人公柴崎の登頂実績は陸軍からは評価されない。だが、・・・・・・・
そんな映画である。
もう30年も前に、この小説を読んだことがある。そしてこの小説を読んだ後に、剣岳に登った。
映し出される剣岳の威容、室堂や剣沢などの風景、見憶えのある景色がそこここに出てきて、
山登りの時の空気感が懐かしく、30年前を昨日のことのように思い出させてくれた映画であった。
当時友人と3人で車で長野県の大町まで行き、大町温泉に泊まる。翌朝、黒部の入口の扇沢の
駐車場に車を置きそこからトロリーバスに乗って黒部ダムまであがった。黒部ダムを見てさらに奥へ。
黒部からはケーブルとロープウエーを乗り継いで大観峰へ、ここからやっと歩きである。
テントを入れたリュックは24kgあった。振り返っても30代のこの時代の体力、持久力は生涯で一番
充実していたであろう。室堂、雷鳥沢を経て別山乗越を越え、その日のテント場である剣沢に着く。
早速テントを張り、飯ごうでご飯を炊き、カンズメを開けて食事をする。夜の気温は急速に落ちてきて、
冬を思わせるほど寒くなる。夜空には気持ちが悪く感じるほどの満点の星があった。
翌朝、テントをその場に置いて、昼食と水と少しのおやつと雨具だけの軽装で剣岳の往復を目指す。
道は登り一本になり、何処までもガレ場が続き、そこを喘ぎながらただひたすら登り続ける。
そしてやっと頂きに立つ、そこが一服剣(いっぷくつるぎ)眼前の遠くに剣岳の威容が立ちはだかり、
目の前の谷は底が見えないほどに落ち込んでいる。またこれを降りて行き、登りなおすのか、
そう思うと疲れがどっと出てきて気持ちがなえる。気持ちを立て直し、再び下り、再び登る。
とうとう頂きに着いたと思ったら、そこは前剣(まえつるぎ)という手前の山、精根尽きはててはいるが、
引き返すわけにもいかず、又谷を下り、また頂上を目指して登る。
切り立った山肌、今度の登りは両手で岩をつかみ、足場を確認しながら這うようにしての歩行になる。
岩にペンキで書かれた矢印、それを伝って一人がやっと登れる岩場を、前の人のお尻を見ながら
一歩また一歩と高度を上げていく。そして遂に頂上に立った。
わずかなスペースの頂上、さわやかな風が汗で濡れた衣服を乾かし、額の汗を飛ばしてくれる。
カラカラの喉を生ぬるい水がうるおしてくれる。大きく手をあげて深呼吸をする。「やったぞ~!」
記念撮影をして、また同じ道を剣沢まで引き返した。
私が本格的な登山を始めたのはこの剣岳に登った時からである。
それ以来20年間近く、毎年夏になると八ヶ岳、北アルプス、南アルプスの山々を登っていった。
山の魅力とは何か、当時なぜ登り続けたのだろうか、映画を見終わってそんなことを思い返してみる。
山登りは日常の仕事や家庭を離れ、自然に触れ美しい景色と出会う非日常の世界を体験できる。
もう一方、荷物の重さにあえぎ、汗をかき、息があがり、それでも一歩一歩頂上を目指し登り続ける。
苦しければ苦しいほど、その一歩は記憶に残り、周りの情景は脳裏に刻み込まれ焼きついていく。
地図に記入された細く頼りない登山道。それを見失って外れてしまえば困惑と恐怖のパニックになる。
そんな危険と隣り合わの自然の中を、重い荷物を背負って、一歩一歩ただ黙々と頂上を目指す。
自分の足と気力と体力で勝ち得た達成感と満足感、そんなものが登山の醍醐味かもしれない。
山を降りてからも山の情景は何時までも脳裏から消えない。登り始めてから降りるまで、その情景を
ビデオカメラのように思いだすことができる。
今から30年前、そのころは結婚し長男が生まれて、その長男が幼稚園に通い始めた頃だったろう。
当時、女房が近所の友達から勧誘されて「ものみの塔」という宗教団体に出入りするようになった。
最初は静観していたが、輸血はダメ,、偶像は認めない、神仏に手を合わせない、選挙は行かない、
など言い始める。冊子が家の中に積まれ「エホバの証人」「千年王国」など文字が目に付き始めて、
私の宗教感と合わず、夫婦関係もしだいに深刻になってきた。このままでは結婚生活を継続する
ことは難しい。毎日女房との言い争いが続き、修復不可能までになって行った。さあ、どうする?
一時は、息子を自分が引き取り、離婚することも考えていた。
ちょうどその頃から登山を始めたように思う。重い荷物を背負って山道を登る、その中に自分を
没頭させることで、現実逃避していたのかもしれない。
そんな頃に読んだ本の中に目にとまった、ある記述があった。
現状の苦しさから脱出する方法として、もう一人の自分を想定する。そしてそのもう一人の自分が、
苦しんでいる自分をじっと見つめる。そうすることで自分を客観的に見ることができ、ひいてはそれが、
本人の悲しみや苦悩から、抜けだし癒やしてくれるようになる。そんな内容だったように記憶している。
家庭や会社のトラブルや苦悩、それは日々変化しあまり具体性を持っているようには思えなかった。
しかし、山での苦しさはわかりやすく、実感しやすい。その苦しさを和らげ脱却できるようにすることで、
引いては精神的な苦しみを軽減させてくれる手段にはならないだろうか、そう考えたことがあった。
重いリックを背負い首にタオルを巻き、額から汗を垂らし、喘ぎながらも、ひたすら歩いている自分。
そんな自分を斜め上から見つめているもう一人の自分を想像する。そうすると頭の中に薄らと2重に
なった自分が立ち上がってくる。そして、苦しい自分から、それを見ている自分に意識を移して行く。
無意識で歩いている自分を、はっきり意識したもう一人の自分がコントロールしているイメージである。
何度も何度も繰り返し試みてみる。しかし意識は思うように移行せず、苦しいさから脱し切れない。
登っている間中これを繰り返してみる。また次の山登りの時にこれを試してみた。
今考えれば無理なことのように思う。しかし当時は何とか自分をコントロールしたかったのだろう。
30年前、まだ未熟で悩みも多く、日々感情を乱し、苦悩から脱したいともがいた時代でもあった。
今は60歳を過ぎ、体力気力も衰え、いかにも達観した風を装い、日々を淡々として暮らしている。
どちらも同じ自分である。その30年間の積み重ねが良くも悪くもこの自分を作ってきたのであろう。
人生を山登りに例えて、目指した山はこれで良かったのか、歩んだ道は間違っていなかったのか、
そう思って振り返ってみても、目指した山も、歩んできた道も、今以外のものは何も思い浮かばない。
私には別の選択肢はなかったのか、いやそうではないだろう、日々の一歩一歩が選択の連続だった。
自分の前には既成の道はなかった。だから振り返っても、私にはこの道以外になかったと感じてしまう
のではないだろうか。
映画に登場する測量手の柴崎が未踏峰と思いこんで登った剣岳のように、私の登っているこの山も、
私にとっては私だけの道をつけながら登っている未踏峰の山である。しかしいずれ頂きに到達する。
そして、頂上を見渡せば以前に誰かが登った足跡を見い出すかもしれない。その頂上は雲に覆われ、
周りは何も見えずに混沌としているのか、それとも晴れ渡り、涼風が吹き、眺望の利くすがすがしい
頂きなのか、出来れば30年前、最初に登った剣岳のように、頂上に立った時の満足感、達成感を
味わって見たいものである。さあもう少しである。少し山歩きを楽しみながら残りの道を登ってみよう。
明治40年、陸軍の陸地測量部の測量手・柴崎(浅野忠信)は、日本地図最後の空白地点を
埋めるため、その険しさから「針の山」と呼ばれた剣岳の初登頂と測量を命ぜられる。
一度は登頂の手がかりすら掴めずに下山する柴崎。だが彼は案内人の宇治(香川照之)と測夫ら
総勢7人の測量隊を結成し初登頂に挑む。絶壁、雪崩、暴風雨など、困難が行く手を阻むが、
ついに頂上に立ち三角点(点の記)を建てた。しかし頂上には奈良時代の行者が残したと思われる
錫杖(しゃくじょう)が置かれていた。人跡未踏と思われたこの山はすでに1000年前に踏破されて
いたのである。主人公柴崎の登頂実績は陸軍からは評価されない。だが、・・・・・・・
そんな映画である。
もう30年も前に、この小説を読んだことがある。そしてこの小説を読んだ後に、剣岳に登った。
映し出される剣岳の威容、室堂や剣沢などの風景、見憶えのある景色がそこここに出てきて、
山登りの時の空気感が懐かしく、30年前を昨日のことのように思い出させてくれた映画であった。
当時友人と3人で車で長野県の大町まで行き、大町温泉に泊まる。翌朝、黒部の入口の扇沢の
駐車場に車を置きそこからトロリーバスに乗って黒部ダムまであがった。黒部ダムを見てさらに奥へ。
黒部からはケーブルとロープウエーを乗り継いで大観峰へ、ここからやっと歩きである。
テントを入れたリュックは24kgあった。振り返っても30代のこの時代の体力、持久力は生涯で一番
充実していたであろう。室堂、雷鳥沢を経て別山乗越を越え、その日のテント場である剣沢に着く。
早速テントを張り、飯ごうでご飯を炊き、カンズメを開けて食事をする。夜の気温は急速に落ちてきて、
冬を思わせるほど寒くなる。夜空には気持ちが悪く感じるほどの満点の星があった。
翌朝、テントをその場に置いて、昼食と水と少しのおやつと雨具だけの軽装で剣岳の往復を目指す。
道は登り一本になり、何処までもガレ場が続き、そこを喘ぎながらただひたすら登り続ける。
そしてやっと頂きに立つ、そこが一服剣(いっぷくつるぎ)眼前の遠くに剣岳の威容が立ちはだかり、
目の前の谷は底が見えないほどに落ち込んでいる。またこれを降りて行き、登りなおすのか、
そう思うと疲れがどっと出てきて気持ちがなえる。気持ちを立て直し、再び下り、再び登る。
とうとう頂きに着いたと思ったら、そこは前剣(まえつるぎ)という手前の山、精根尽きはててはいるが、
引き返すわけにもいかず、又谷を下り、また頂上を目指して登る。
切り立った山肌、今度の登りは両手で岩をつかみ、足場を確認しながら這うようにしての歩行になる。
岩にペンキで書かれた矢印、それを伝って一人がやっと登れる岩場を、前の人のお尻を見ながら
一歩また一歩と高度を上げていく。そして遂に頂上に立った。
わずかなスペースの頂上、さわやかな風が汗で濡れた衣服を乾かし、額の汗を飛ばしてくれる。
カラカラの喉を生ぬるい水がうるおしてくれる。大きく手をあげて深呼吸をする。「やったぞ~!」
記念撮影をして、また同じ道を剣沢まで引き返した。
私が本格的な登山を始めたのはこの剣岳に登った時からである。
それ以来20年間近く、毎年夏になると八ヶ岳、北アルプス、南アルプスの山々を登っていった。
山の魅力とは何か、当時なぜ登り続けたのだろうか、映画を見終わってそんなことを思い返してみる。
山登りは日常の仕事や家庭を離れ、自然に触れ美しい景色と出会う非日常の世界を体験できる。
もう一方、荷物の重さにあえぎ、汗をかき、息があがり、それでも一歩一歩頂上を目指し登り続ける。
苦しければ苦しいほど、その一歩は記憶に残り、周りの情景は脳裏に刻み込まれ焼きついていく。
地図に記入された細く頼りない登山道。それを見失って外れてしまえば困惑と恐怖のパニックになる。
そんな危険と隣り合わの自然の中を、重い荷物を背負って、一歩一歩ただ黙々と頂上を目指す。
自分の足と気力と体力で勝ち得た達成感と満足感、そんなものが登山の醍醐味かもしれない。
山を降りてからも山の情景は何時までも脳裏から消えない。登り始めてから降りるまで、その情景を
ビデオカメラのように思いだすことができる。
今から30年前、そのころは結婚し長男が生まれて、その長男が幼稚園に通い始めた頃だったろう。
当時、女房が近所の友達から勧誘されて「ものみの塔」という宗教団体に出入りするようになった。
最初は静観していたが、輸血はダメ,、偶像は認めない、神仏に手を合わせない、選挙は行かない、
など言い始める。冊子が家の中に積まれ「エホバの証人」「千年王国」など文字が目に付き始めて、
私の宗教感と合わず、夫婦関係もしだいに深刻になってきた。このままでは結婚生活を継続する
ことは難しい。毎日女房との言い争いが続き、修復不可能までになって行った。さあ、どうする?
一時は、息子を自分が引き取り、離婚することも考えていた。
ちょうどその頃から登山を始めたように思う。重い荷物を背負って山道を登る、その中に自分を
没頭させることで、現実逃避していたのかもしれない。
そんな頃に読んだ本の中に目にとまった、ある記述があった。
現状の苦しさから脱出する方法として、もう一人の自分を想定する。そしてそのもう一人の自分が、
苦しんでいる自分をじっと見つめる。そうすることで自分を客観的に見ることができ、ひいてはそれが、
本人の悲しみや苦悩から、抜けだし癒やしてくれるようになる。そんな内容だったように記憶している。
家庭や会社のトラブルや苦悩、それは日々変化しあまり具体性を持っているようには思えなかった。
しかし、山での苦しさはわかりやすく、実感しやすい。その苦しさを和らげ脱却できるようにすることで、
引いては精神的な苦しみを軽減させてくれる手段にはならないだろうか、そう考えたことがあった。
重いリックを背負い首にタオルを巻き、額から汗を垂らし、喘ぎながらも、ひたすら歩いている自分。
そんな自分を斜め上から見つめているもう一人の自分を想像する。そうすると頭の中に薄らと2重に
なった自分が立ち上がってくる。そして、苦しい自分から、それを見ている自分に意識を移して行く。
無意識で歩いている自分を、はっきり意識したもう一人の自分がコントロールしているイメージである。
何度も何度も繰り返し試みてみる。しかし意識は思うように移行せず、苦しいさから脱し切れない。
登っている間中これを繰り返してみる。また次の山登りの時にこれを試してみた。
今考えれば無理なことのように思う。しかし当時は何とか自分をコントロールしたかったのだろう。
30年前、まだ未熟で悩みも多く、日々感情を乱し、苦悩から脱したいともがいた時代でもあった。
今は60歳を過ぎ、体力気力も衰え、いかにも達観した風を装い、日々を淡々として暮らしている。
どちらも同じ自分である。その30年間の積み重ねが良くも悪くもこの自分を作ってきたのであろう。
人生を山登りに例えて、目指した山はこれで良かったのか、歩んだ道は間違っていなかったのか、
そう思って振り返ってみても、目指した山も、歩んできた道も、今以外のものは何も思い浮かばない。
私には別の選択肢はなかったのか、いやそうではないだろう、日々の一歩一歩が選択の連続だった。
自分の前には既成の道はなかった。だから振り返っても、私にはこの道以外になかったと感じてしまう
のではないだろうか。
映画に登場する測量手の柴崎が未踏峰と思いこんで登った剣岳のように、私の登っているこの山も、
私にとっては私だけの道をつけながら登っている未踏峰の山である。しかしいずれ頂きに到達する。
そして、頂上を見渡せば以前に誰かが登った足跡を見い出すかもしれない。その頂上は雲に覆われ、
周りは何も見えずに混沌としているのか、それとも晴れ渡り、涼風が吹き、眺望の利くすがすがしい
頂きなのか、出来れば30年前、最初に登った剣岳のように、頂上に立った時の満足感、達成感を
味わって見たいものである。さあもう少しである。少し山歩きを楽しみながら残りの道を登ってみよう。