60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

散歩(油壷~三崎)

2014年07月30日 17時35分44秒 | 散歩(4)
  梅雨が明けてから、一気に暑い日が続く。連日TVで熱中症のニュースが流れていると、なんとなく夏の散歩は躊躇してしまう。しかしやはり外に出ないと気分が晴れない。「夏は海だろう」そう思って今日は京急の終点三崎口駅から油壺を経由して三崎港まで歩くことにした。しかしやはり外は30度を超える真夏日である。とりあえず安い麦藁帽を買い、イオン飲料を持って行くことにする。
 
 この三浦半島は東京湾と相模湾を分ける半島で、中央は丘陵になっていて畑作が盛んである。海岸線は入り組んでいて、小さな漁港やマリーナが点在する。海岸線を右に見て油壷から三崎港まで歩くと、波の音が聞こえ、磯の匂いがし、キラキラと光る海が見える。そんな情景に浸ると、子供の頃、下関の山陰線側の海水浴場まで歩いて行っていたことを思い出す。兄弟3人でただひたすら海を目指して、炎天下を片道2時間近くをかけて歩いていた。
 
 しかしあの頃は親も熱中症(当時は日射病)のことはあまり気にすることもなかった。だから暑いからといって外に出すことを制限もせず、意識して水を飲ませることもしなかった。当時、家には扇風機はなかった。だから寝るときは窓は開けっ放しで、なるべく風の入る涼しいところに布団を持っていっていた。確か扇風機が家に入ったのは中学生の頃だったろうか、首を振りながら家族に均等に風を送ってくれることに、幸せを感じた時代でもあった。
 
 昔と比べて、特別暑さが厳しくなったという実感はない。しかし猛暑から熱中症で倒れ、救急搬送された人が何百人と、連日ニュースで報道されている。今は家庭も乗り物も、学校や職場や店まで、ありとあらゆる場所に空調機が完備されている。そんな環境が当たり前になってくると、人は定温に馴らされ、暑さ寒さに適応できなくなっていくのだろう。そういうことからすると熱中症も、生活習慣病の一つなのかもしれない。「夏には暑さを感じ、冬には寒さを感じる」、そんなことを意識的に体験し、適応力を鍛えておく。そんなことも必要な時代になってきたのかもしれない。

 
                 三浦半島の丘陵はフラットで、広い畑がひろがっている。
 
               
 
                   不良品なのか、メロンが畑に捨てられている
 
         
 
                                           油壷マリンパーク方面へ
 
         
 
                              小網代(こあじろ)湾         
 
        
 
                             小網代
 
      
 
                    油壷マリーンパーク近くの海水浴場
 
              
 
     
 
   
     
 
                            油壷湾
 
     
 
                         油壷湾 三崎マリン
 
     
 
                       諸磯湾 京急マリーナ
 
     
 
                   スランプ構造の崖 (県天然記念物) 
         黒い砂岩と灰白色のシルト岩が地すべりなどで変形してできた地層 
 
      
 
                           ひなびた漁村 
 
     
 
                    炎天下、私を追い抜いて犬が道を急ぐ
 
     
 
                        夏はヒマワリが似合う
 
      
 
           ハイビスカス さすが南国の花、花も葉もシャキッとして暑さに強い
 
     
 
                       生命力の強いキョウチクトウ
 
       
 
                       野生化したキバナコスモス
 
      
 
                         浜辺に咲くスカシユリ
 
     
 
                 寒天の原料、天草(テングサ)が干してある
 
     
 
                             外海町
 
              
 
                地元の人は休みの漁港で泳ぐ、(一番安全?)
 
              
 
 
     
 
                         三崎水産物卸市場
 
     
 
                              三崎港
 
                 
 
         三崎港で何度か食事をしたが、市場の上にあるこの店が一番良心的か
 
     
 
           地魚刺身4点盛り(鮪・金目鯛・目鯛・鯵) 1980円
 
     
 
                         三崎公園交差点
 
              
 
 
     
 
                            海南神社
 
             
 
            寄進者の名が記された鈴緒(すずお)が10数本下がっている
             阿弥陀くじのようで、どれを鳴らして良いのか迷ってしまう
 
             
 
                 上にはまちまちの大きさの鈴が吊るしてある
 
     
 
               裏通りに入ると懐かしい昭和の町並みが残っていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

昭和の営業と平成の営業

2014年07月25日 08時21分35秒 | Weblog

  親会社に来る営業で、毎週火曜日AM10:00頃に来社する人がいる。事前にアポイントを取って来るわけでもなく、オーナーが居れば会って話をし、不在の時は出された珈琲を飲んで帰っていく。彼はあるフィルムメーカーを定年退職後、地方のフィルム加工会社の東京の営業責任者として再就職した。親会社のオーナーとは何十年来の付き合いである。今は彼の会社との取引もあるが、毎週来て商談するほどの取引ではない。彼らが話す内容は業界の状況や市況、自社の状況、他社の噂話、あとはもっぱら世間話とオーナーの自慢話を聞いてあげることである。昔はこういう営業スタイルも当たり前にあった。「営業とは会ってなんぼ・・・」そんなことから、特に用事もないのに、「近くまで来たので、寄ってみました」と言い、出向いてくるのがよく使われる営業手法であった。しかし今はアポイントなしでの訪問は、反対に迷惑な行為になってきたようである。虚礼廃止で年末年始の挨拶回りも少なくなるなど、昭和と平成でその営業スタイルも変化してきている。そして商談相手との人間関係のあり方も違っている。

 10年前、ある地方の水産練り製品メーカーの東京の責任者(副社長)と話した時の話である。そのメーカーは某大手量販店に商品を入れていた。しかし量販店側の政策もあってか、商品が徐々にカットされ、ほとんど無くなってしまった。その後は若手の営業マン(30代)が担当して細々と継続していた。彼はそれでも足しげく通って、ある時期に新製品が何品か採用される可能性ができた。その報告を受けた責任者は、「ここ一番、俺の出番だろう!」と思い、若手の営業に同行する。彼は典型的な昭和の営業マンである。商談は業界情報や他社の噂話や悪口、そしてゴルフや麻雀、飲食の接待で相手に取り入るのが得意技である。当然今回の商談の折りにも、「今度一度ゴルフに行きませんか?」、「新宿に私の地元料理を食べさせる店があるんです、一度行って見ませんか?」などと誘ったそうである。その時、相手のバイヤー(30代)は胡散臭いものでも見るような目でこちらを見ていたと言う。後日若い営業マンの報告で、商談は不成立で新規の商品導入はならなかったそうである。「自分が原因かどうかは分からない。しかしあそこは最後まで彼に任すべきだった。心底彼には悪いことをしたと思っている」、という話を私にしてくれた。

  そんな話からその責任者と「昭和と平成の営業スタイルの違い」という話になった。その時2人で話し合った内容は以下のようなものである。

 昭和の時代は右肩上がり、大手量販店も出店ラッシュで、メーカーも量販店にくっ付いていれば連れて売り上げも伸びていく。したがって営業の重要なポイントは買い手側に取り入って、取引を維持していくことにあった。だから営業マンは買い手に対して頭を低くし、おべっかを使い、相手のプライベートまで立ち入り、盆暮れの贈答を欠かさず、飲食やゴルフの接待も頻繁であった。そのため営業マンには多くの接待交際費が認められていて、それをたっぷり使っても、それに勝る売り上げを上げる営業マンが優秀な営業と言われていたのである。

 しかし平成の時代は様相が変わってくる。買い手もコンビニや通販やインターネット販売と多岐に渡り、量販店の売り上げも徐々に落ちていく。従って限られた販売先に依存しているとリスクも高くなり、年々条件交渉もきつく儲からなくなってくる。しかも得意先からは品質管理や商品開発力、システム化や企業の透明性、臨機応変な対応力などが求められてくる。そんな中で営業に求めたれるものも以前とは違ったものになってきた。条件改定、スピード、商品知識やトラブル時の対応力などである。へたな会社や鈍い営業マン相手では、自分自身の社内評価も上がらない。だから必然的に情実の入り込む余地も少なくなってくるのである。


 時代背景が変わっても、そこは商売である。売り手と買い手の人間関係も、質は変わっても重要なファクターであることに変りはない。今の若い人達は昭和の人間関係のように濃密な関係を嫌う。仕事は仕事、プライベートはプライベートとして分けて考えたい。従って仕事ベッタリな会社人間はどちらかといえば鬱陶しい。仕事があり家庭があり、尚且つ自分の世界(趣味)を持っている、そんな人が理想である。

 例えばシュノーケリングで各地の海を潜って楽しんでいる。例えば山登りが趣味で、休みになればあちらこちらの山に登っている。例えば神社仏閣に興味を持ち、時間が許せば訪ねてその歴史について勉強する。例えば天文学にやたら詳しく、自分でも望遠鏡をもって天体観察をしているなど、今流行の○○ガールではないが、その世界を語らせれば2時間でも3時間でも楽しく語れるほどの趣味を持ってる人である。人はそんな人に魅力を感じ、そんな相手には一目置くのである。商談相手がそんな世界を持っている人であれば、その世界が違っていても互いに尊重しあい認め合うようになる。その時は得意先と仕入先の関係ではなく、一対一の対等な人間関係が成立することになる。

 昭和の営業と平成の営業、その境界線はバブルの崩壊を境に変わっていったように思う。得意先の仕入れ担当者が30代の若い人であれば、昭和の営業手法では通用しないことを実感するはずである。それはどんなに媚びへつらっても、相手にとっては胡散臭く、反対に距離をおきたくなる存在になるからである。だからといってスタイルを変えようとしても、長年培ってきた自分を変えるのも難しい。それは仕事一途で、自分の世界(趣味)を持ってこなかったからである。








ワールドカップ、なぜ日本は勝てなかったのか?

2014年07月18日 09時07分35秒 | 散歩(4)
 今週月曜日(14日)、ドイツの優勝でサッカーのワールドカップが終わった。私は個人競技の方が好きで、サッカーのような団体競技にはあまり興味が持てない。それと、いつ得点が入るか分からない状況で45分間も凝視し続けてることに、歳と共に億劫さを感じるようになった。しかも男子サッカーは審判に見えないところで、相手の選手に噛みついたり、蹴飛ばしたり、またオーバーなゼスチャーで審判の目を欺き、ペナルティーを取ろうとするなど、フェアプレーに欠けていているのも嫌である。

 そんなことで、ワールドカップの実況中継は見ず、結果をTVのニュースと新聞のスポーツ記事で知る程度であった。そんな私がサッカーについて語る資格は無いのだが、あえて言えば日本チームは技術やスピードもさることながら、サッカーに対する執着や執念が他の国に比べて弱いようにも思えた。試合前はあれほど盛り上がっていたのに、日本が1勝もできず敗退すると、とたんにその熱も冷め、今度は「なぜ日本は勝てなかったのか」、という批評がマスコミをにぎあわせることになる。そして早々と次期監督選びが始まったようである。
 
 「なぜ日本は勝てなかったのか?」、これに対するスポーツ解説者の意見はさまざまである。技術面でまだ未熟だ、メンタル面での弱さが出た、戦術の失敗、個人技が見劣りする、対外試合など強化スケジュールに問題があった等々。しかし日本チームの敗因をそのような枝葉末節な総括で、次に進んで良いのだろうか?という疑問も残る。そんな中で、先日の朝のラジオ番組で、コメンテーター(東洋経済の山縣祐一郎)が語っていた解説が、私には一番納得のいくものであった。それは、
 
 ワールドカップは世界中が注目するスポーツイベントである。そんな試合に臨む各国のチームのエネルギーの根源は、国を代表して戦っているのだと言う、強烈な民族意識である。そんな代表チームの監督に日本は外国人監督で臨んでいる。果たしてこれで良いのだろうか、という疑問である。今までのワールドカップ(今回で18回)で優勝したチームは全て自国の監督であった。ザッケローニ監督がどうのと言うことではなく、イタリア語の通訳を介して監督から指導を受け、練習し、メンバーが選出されて試合に臨む。しかしあのような異様な雰囲気の中で勝っていくには、技術や能力だけではなくチーム全体の結束力が必須である。そのチームが、通訳を介しての監督と選手のコミニケーションで組み立てられている。今後日本のサッカーがより力を付けていくためには、日本人監督を育てていくことも重要な課題であろう。という指摘である。
 
 日本が最終戦に負けたあと、ザッケローニ監督は、「敗軍の将、兵を語らず。敗北の責任は全て私にある」と言って,、さっさとイタリアに帰ってしまった。やはり雇われの身であるから執着は少ない。そして選手の何人もが、「我々の目指すサッカーができなかった」と不完全燃焼の感想を述べていた。ワールドカップは異様な興奮の中で、国を背負っての代理戦争のような様相である。そのような中で、自軍の大将が言葉が通じない外国人では、一体感やは団結力は薄くなるのも仕方ないことである。監督や選手がそのことを直接には感じてはいないのか、それとも口にできないのか、しかし切羽詰ってのここ一番というときに、やはりそれは出てくるように思うのである。
 
 日本の女子サッカー、「なでしこジャパン」は佐々木監督が率いてワールドカップで優勝した。日本選手は諸外国の選手に比べて体力的には見劣りする。しかし監督と選手の信頼関係は強く、チームに一体感を感じられるように見えた。やはりチームでやるスポーツは、全体を束ねる強いリーダーシップが求められる。それには文化や言葉や感じ方が一緒の方がベターであろう。さて日本サッカー協会(JFA)は次期監督に元メキシコ代表監督のアギレ氏に一本化したという。今度日本選手はスペイン語の通訳を介して指導を受けることになるのだろう。日本人選手は言葉の壁を乗り越え、文化の違いを乗り越え、強くなるれるのであろうか?、私はそんな意味で日本サッカーに興味を持っている。
 
 
 
 
 
 
 

他人を攻撃せずにはいられない人

2014年07月11日 08時39分29秒 | 読書
 『他人を攻撃せずにはいられない人』、先日本屋で見つけて読んだ本である。子供を虐待する親、学校でのイジメ、職場でのパワハラ、モンスターペアレンツ、クレーマー、・・そんな極端な例ではなくても我々の身の回りには、陰にこもって、居丈高に、他人を攻撃する人は沢山いるように思う。では彼らはなぜ攻撃するのか? 彼らのターゲットにならないようにするにはどうすれば良いのか?、ターゲットにされている場合のかわし方、逃げ方、自分を守る方法はどうするのか?、そんなことが書いてある。著者の片田珠美氏は精神科医で、これらのことを数多く相談されたことから、その事例を元に書いてある。しかし読んでみると、だらだらと同じような言い回しが出てきてまとまりが悪い。端的に言うと100ページで書けることを200ページに延ばしたような内容である。以下何が書いてあったか、要点だけをまとめてみた。
 
 息子の夢を打ち砕こうとする父、妻の自立を阻もうとする夫、有能な部下をのけ者ににする上司、なぜそうなのか? 攻撃欲の強い人達は、あなたより自分の方が優れていることを思い知らせて優越感に浸り、相手をコントロールしようとする。からかいや嘲り(あざけり)、毒を含んだユーモアや皮肉によってターゲットを笑いものにしたり、陰で誹謗中傷したりする。もっと露骨になると、面と向かって軽蔑や侮辱の言葉を吐いたり、何でもけなしたりもする。あるいは、話を聞かないとか、関心のないふうを装うといったやり方で相手の存在を一切無視することによって、存在価値を決して認めようとしない場合もある。自分の知識や教養をひけらかしてそれを身につけるのが当然とい態度で接したりもする。これらは攻撃欲の強い人たちがしばしば用いる手法である。
 
 こういう人は、他人のものの見方など一切考慮せず、「説得のための説得」の印象を与える。目立ちたい、人から注目されたい、そんな彼らの奥深くにあるのは、自己顕示欲と承認欲求、つまり自分が認められたいと言う欲求であり、まさしく自己愛である。自分より価値のある人間や自分以上にちゃんと考えている人間の存在を認めようとしない。それを相手に思い知らせるためには何でもする。攻撃を繰り返し、やる気をなくさせたり、へこませたりして、価値あるのは自分のほうだということを見せつけようとするわけである。そのようにして相手を下位に押しやれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができ、自分のライフスタイルに疑問を感じなくてすむようになる。結局、価値のあるのは自分自身のライフスタイルだけだというふうに思い込み、そこに安住していられるわけである。彼らは自分の能力に不安を抱き、自信がないからこそ、他人を無価値化して自分の価値を保とうとするのである。
 
 こういう人は他人に無力感を味あわせ、沈滞ムードを漂わせれば、自分の力と優越感を誇示できるので、周囲を支配できたような気になるのである。また彼らは、自分の正しさを本気で確信している。当然、自分のやっていることを振り返るような殊勝なことはしない。自分が常に正しく、いつも間違っているのは他人だと思い込んでいる。自分自身の周りに起きている上手くいかないことは、常に他人や周囲の環境のせいにする。それは、「すごい自分」という自己愛的イメージと現実とのギャップを、自分では埋められないために、他人のせいにすることで万能感を維持しようとするからである。そんなかれらの考え方を変えさせるのは至難の業である。彼らを変えようとすることは、骨折り損でただ疲れ果てるだけである。
 
 我々の周りにいる「他人を攻撃しせずにはいられない人」を見分けるのはなかなか難しいが、このような人と接した後は、ぐったりとして衰弱した感じがする。態度や会話なのか、ともかく相手の世界を混乱させて、あなたのエネルギーを空っぽにするようなところがある。ではどういう人がターゲットになりやすいか、彼らは独特の嗅覚でターゲットになりやすい人を見つける。自己主張できない、あるいは自分をうまく守れないような人を選んで操作しようとする。
 彼らは独特の言い回しが得意である。「あなたがもっと気をつけていればこんなことにならなかったのに」、「疑って見るべきだったのに」、「そんなことは、みんな知っているのに」、「私がこのように言うのはあなたのためだと思うから」 「・・・・」と言う風に。そして相手の不注意や無知や気の利かなさをあげつらい、相手を責めて罪悪感を抱かせる。そのことによって、自分自身の過ちが問われることを極力避け、自分の不安や葛藤を感じず、しかも相手を自分のコントロール下におこうとするのである。
 
 自分をどうするのかを決めるのは結局あなた自身であり、他の誰かがその責任をとってくれるわけではない。そう考えれば、他の誰かの要求に条件反射的に従うのは得策ではないことは分かるはずである。もちろん他人に意見や助言をもとめることが必要な場合もあるが、それを取り入れるかどうかを判断するのも、それにもとずいて行動するかを決断するのも、あなた自身である。このことを忘れずに、断ることも選択肢の一つに入れておくべきだろう。ターゲットにされないためには、目と耳を働かせて、人間観察の訓練を積むと同時に、幻想を捨てて現実を受け入れる覚悟が必要である。
 
 重要なのは相手をやり込めることでも、黙らせることでも、自分の方が有能だと誇示することでもない。攻撃欲の強い人に支配されて振り回されている関係から一刻も早く脱出することこそが第一目的なのだと、肝に銘じておくべきである。攻撃欲の強い人が、実は臆病であり他人への恐怖を抱いているのに、それをひた隠しにするのは、自分自身の弱さを周囲に知られていないからである。だからあなたが彼らはしょせん張子の虎に過ぎないことに気づけば、恐怖は向こう側に移るはずである。相手があなたに見抜かれているのではと感じると、今度はあなたを逆上させようと、あの手この手を使ってくるかもしれない。しかしその時は挑発に乗ってはいけない。その挑発を冷ややかなまなざしで見守るべきである。
 
 ある人が攻撃欲の強い人だと気づいたら、最良の解決策は、できるだけ避けることである。その時は『嘘も方便』を使い分け、危険性のある人物から身を守ることが必要である。できるだけ話さない、間違っても、あなたの私生活や心配事など話してはいけない。攻撃欲の強い人は自分の要求をはっきりと言わないことが多い。暴力団が因縁をつけて金銭を要求する際に、「金をくれ」とは言わず「誠意を見せろ」と脅かすのと同じである。こう言う場合は分からないふりをするのが一番である。一度引き受けてしまうと、その後もずっと押し付けられるようになりやすい。それでも迫ってくれば、「どういう理由で・・・・」、「なぜ私がそうしなければ・・・」というふうに物事を明快にする必要がある。
 
 彼らはこちらが抵抗も反撃もしないのは、弱くて恐怖を抱いているというふうに受け止める。だから場合によってはやり返すぞという断固たる姿勢を示すことも必要である。攻撃欲の強い人が傲慢不遜な態度を取るのは、自身の自己愛の傷つきやすさを覆い隠そうとするからである。彼らはターゲットの領域を尊重しないくせに、逆に自分の領域が侵害されるのには耐えられない。彼らは相手を無価値化したり侮辱したりするのが大好きだが、反対に自分が少しでも嘲笑されることには耐えられないという特質を持っている。だからそれを逆手にとって利用し「何でも他人のせいにするのは簡単ですよね」と、ぼそっとつぶやけば、向こうは口をつぐむであろう。
 
 以上、「他人を攻撃しせずにはいられない人」 片田珠美著 PHP新書から
 
 この本を読んで、昔読んだ本に書いてあったことを思い出した。世の中には「被害者」、「加害者」、「傍観者」と言う立場がある。人間関係やその時々の立場によっても変化していくものだが、往々にして「被害者」の立場になりやすい人がいる。しかも一旦なってしまうとなかなか抜け出せない。その脱出策のヒントとしてこんなことが書いてあった。ある女性が店の店員に感情的になってクレームをつけていた。その時そばにいた子供が、「このオバサン、なぜこんなに怒っているの?」と、膨らんだ風船に針を突き立てられたように、その女性の感情は一気に萎み怒ることができなくなった。被害者と加害者の関係から脱出するには、冷静な第三者の目で見た状況を加害者に指摘するのが最善なのであろう。本に書いてあったように、時に「何でも他人のせいにするのは簡単ですよね」、と言うことも必要なことである。しかし攻撃する相手に物申すには大変な勇気がいる。そしてもう一つ別の本に、「勇気は生まれながらに備わっているものではない。勇気は振り絞って出すしかないのである」と書いてあった。







梅雨どきの散歩

2014年07月04日 08時08分32秒 | 散歩(4)
                            所沢ゆり園

 6月28日(土)、朝からシトシトと雨が降り本格的な梅雨の様相である。確か先週の土日も雨模様で外出は控えたはずである。やはり土日の内1日は外に出ないと一週間のケジメがつかずスッキリしない。しかし雨の中を長く歩くのも鬱陶しいから、今日は西武鉄道でPRしている「花と寺社めぐり」に載っていた、アジサイと菖蒲とゆりを見に行くことにした。花を見る分にはそれほど歩き回ることもなく、カメラの被写体にも事欠かない。まずは電車で豊島園のあじさい園に行き、次に引き返して東村山市の北山公園の花菖蒲を見る。どちらも盛りを過ぎていて壮観さはないが、雨の中の花見はしっとりと心穏やかな感じになる。そして所沢に戻って「所沢ゆり園」へ、こちらは少し時期が早いのか最盛期の華やかさはない。しかしいずれも人が少なく静かである。傘をさして雨に濡れる花の観賞も、風情があって良いものである。

                          〈豊島園〉

     
             豊島園あじさい祭りは6/29までとすでに盛りを過ぎている

     
                この園には150種10,000本のあじさいがある

     
                         ホンアジサイ
            花びらのように見えるのは萼(ガク)で真ん中の小さなのが花弁

     
                            アナベル
                       アメリカ原産の白いアジサイ

     
                          ガク(額)アジサイ
           周りが額縁のようだからガクアジサイという、額と萼(ガク)が違う

     
           外の白い花びらのようなものが萼(ガク)、真ん中の水色が花弁

     
                        ガクも花びらもブルー
    
     
                         ホンアジサイ
                あじさいは土壌のPHによって花の色が変わり
             一般的には酸性なら青、アルカリ性なら赤になると言われる

     
                    あじさいにはカタツムリが似合う

              


                         〈東村山 北山公園〉


         約6300㎡の菖蒲田があり220種8000株の花菖蒲が植えられている

     
              菖蒲祭りは6/22までと、すでに見ごろは過ぎている

     


     


     
                     花びらも雨でぐっしょりと濡れている

     


              


     
                       子供たちが蛙を見つけた

              


              
                            カワセミ

     
                         一人何を思うのか?


                          〈所沢ゆり園〉

     
                30000㎡に50種45万株が植えられている

     


     


     


     


     


     
                        ゆりをバックに自分撮り

     
                            黄一色

     
                       白の中に紫のゆりが一輪