60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

母という病

2014年02月28日 08時47分52秒 | 読書
 本屋をのぞいていたら新書の棚に「母という病」という本が目に入った。人は幼児期の親とのかかわり、その後の環境、そして人生でのさまざまな体験や経験が折り重なって、その人の性格を形作っていくのだろうと思っている。本のタイトルから見て、幼児期の母親とのかかわり方で、その子の人生を「病」のよに不安定にしてしまうことがある。そんなことが書いてあるのだろうと推測される。
 私も人生の中で多くの人との関わりから、性格の多様さを知り、またその性癖の頑固さを見てきた。人の性格は持って生まれたものなのか、それとも、その後の環境により形作られるものか、どちらにしてもその基点は幼児期にあることは察しがつく。さて「母という病」とはいかなるものなのか、本を読んでみることにした。以下、本文からの抜粋である。

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 母という病は愛着と言う絆の病でもある。母という病を抱えた人は不安定な愛着に苦しんでいる。それは大抵、母親が子育てに手を抜いてしまったか、手をかけたつもりでも、子どもへの温もりのある愛情よりも、親としての支配や満足が優先してしまった結果だろう。一言で言えば、本当の意味での愛情が不足したものだ。愛着は、手をかけ、時間をかけ、かかわる中でしか築けない。要領よくなどという方法はありえないのだ。ごまかしがきかず、かかわった分がそのまま表れるのである。

 母という病を抱えた人は、親という存在にこだわりを持っている。幼い頃の不足ゆえに親の愛を求めるにしろ、重すぎる愛に押しつぶされそうになっているにしろ、親という十字架を引きずって生きている。その引きずり方もさまざまで、親に愛されたい、認められたいという思いが、過剰なまでの行動に表れる場合もあれば、それが裏返って、親を苦しめようと反発する場合もある。親に人形のように可愛がられ支配されて育ったために、自分一人では何もできず、親に頼っている一方で、心の中に怒りや不満をくすぶらせている人もいる。

 人によってさまざまな人生の軌跡を描いていくが、母という病を抱えた人に、いくつかの共通する兆候がある。・・・・その一つは、自己否定を抱えることである。人生の姿はある意味、この自己否定からどうやって逃れ、それを克服しようとしたかという軌跡である。・・・・その自己否定との戦いの中で、もっとも広く認められるのが「良い子」を演じるということである。相手の顔色を見て、気に入られようと振舞ってしまう。自分の利益や生活を損なってまで、相手の都合に合わせ、尽くそうとすることもある。・・・・・その思いは親から否定され続けた「悪い子」でも同じである。・・・・親を否定し、親の支配から離れることも痛みを伴うが、それができれば、まだ傷は小さいかもしれない。多くのケースは、親の呪縛から自由になりたいと思いつつも、親から離れることが不安であり、心理的に支配されたままの関係をずるずる続けていく。親を重荷に感じながらも、面と向かい合うと、親の機嫌をうかがい、その態度や反応に気分まで左右されている。

 もう一つの特徴は、完璧にこだわる傾向がある。自分が完璧な存在でなければ、すべてがダメになってしまうと思ってしまう。自分の義務や理想を完璧に実現しなければ、自分が無価値になってしまうと思ってしまう。完璧にこだわるのは、非の打ちどころがなく「良い子」であった時だけ、母親が認めてくれるくれるからである。・・・・・・・・ではどうすればいいのだろう。答えは百点ではなく五十点で満足するということである。百点を求めていたら、九十九点でも不幸になってしまう。百点が一番良いのではない。五十点くらいが、人間らしくて一番いいと、発想を切り替えることだ。五十点で満足できれば人生はずっと楽になる。

 安心感とは単に不安を感じるか感じないかと言うことではない。もっとも自分の存在の根底にかかわるものだ。その人の心の根底に備わった安心感は「基本的安心感」と呼ばれる。愛され、肯定されて育った人は、この安心感にしっかりと支えらている。だからどんな時も「自分は大丈夫だ」「どうにかなる」と思うことができる。

 安心感の乏しいひとは、ちょっと拒絶されたり、否定されたと思うだけで、もう自分が無価値な人間になってしまったように感じてしまう。・・・・自己評価が低くなると、人並み以上に容姿や能力に恵まれていても、自分は何のとりえもないと思い込んでしまう。本当は優れたところをたくさん持っているのに、欠点だらけだと思ってしまう。・・・・・安全や安心を得られず、自分が守られていないと感じていることは、もう一つの特徴にもつながるのだが、それは傷つきやすくネガティブな過剰反応を起こしやすいということである。・・・・・・

 基本的安心感はゼロ歳から一、二歳までの間の、まったく記憶にも残らない体験によって形づくられる。この二歳までの時期に、母親から全面的な関心と愛情を受けて育った人は幸運だと言える。しかし不幸にもそうでなかった場合、子どもは基本的安心感を育むことが出来ず、いつも居心地の悪さを感じ、自分に対しても違和感を覚えることになる。自分が自分であって自分ではないような不全感をもって育つことになりやすい。
 母親との絆は、いつでも育まれるものではない。生まれてから、一歳半までの限られた時間しかない。その限られた時間は、母子双方にとってかけがえのない時間なのだ。その時を過ぎてしまってから、いくら可愛がったところで、もう間に合わない。不可能ではないが、その時間を取り戻すことは容易ではない。

 抱っこやスキンシップは子どもの安心感を支えるということだ。母親の体にかじりつくことで、子どもは守られていると感じ、安心感を得ることができるという仕組みが備わっている。なぜなら、そうすることが外敵から身を守ることにつながるからである。・・・・母親との安定した関係が、後ろ盾になって、子どもは外の世界を探索することが出来る。つまり、母親との愛着には「安全地帯」としての働きがある。
 三つ子の魂百までというが、その人の対人関係のパターンや基本的安心感、基本的信頼感といったものは、愛着形成が行われる一歳から一歳半くらいまでの乳児期の間にほぼ形成される。


 母という病は、最初、自覚症状がない段階からはじまる。どんな母親であれ、子どもにとっては大切な存在であり、一人しかいない唯一絶対の存在である。・・・・・・母親の言葉や態度、考え方、行動の仕方が、まだ真っ白だった子どもの心に刻み込まれていく。それはすべて物心つく前から生じる無自覚なプロセスなのである。誰も知らないうちに、偏りやひずみが植えつけられている。その偏りを偏りと自覚することなく、その偏りがその子にとっては世界を見る軸となる。自分の暮らしてきた世界が特有の偏りやひずみを持っていることに気づくのは、ずっと後のことである。そしてその偏りやひずみが現実と齟齬(そご)をお越し始めるのが、多くの場合は思春期や青年期からである。

 もっとも母親にすべての責任があるわけではない。母親自身、自分の愛着スタイルの偏りを自覚していないし、その愛着スタイルも、またその親から授け継いだものなのだ。またその子の持っている生まれた特性も関係している。多動や情緒不安定を引き起こしやすい遺伝子を、たまたまその子が持っていて、その上に、好ましくない関わり方が重なったとき、問題もひどくなりやすい。

 思春期、青年期を迎える頃、表面的には良い子や優等生として振る舞うことができているのだが、心の中にはしっくりしないものが積もり始める。人と一緒にいても、心から安心して気楽に振る舞えなかったり、プライドと現実のギャップに自己嫌悪を感じたり、自分と言う存在の意味を確かなものとして感じられなくなる。生きることや自分がここにいること自体に、何か違和感を覚え、自信がもてず、その癖、傲慢に振る舞い、かと思うと、自分を賤しめるような道化を演じたりする。自分をもてあまし、生きることをもてあまし、何かを求めているのだが、何もかもがしっくりとこない。これが「母という病」の第二楽章である。

 では「母という病」を持つ人はどう克服していけば良いのか

 母という病を自覚したとき、すでにその人は、次の第三楽章に入ったともいえるだろう。母という病の自覚は、ある意味、新たな苦しみの始まりでもあるが、それは回復への第一歩なのだ。自分の抱えている偏りが、母の偏りや母親との関係に由来するということを悟ることが、母という病からの回復するためには、欠くべからざる段階なのである。

 子どもが大人になる段階で反抗期や親を批判する時期が必要なように、母という病を抱えた人が回復するためには、母親を批判し反抗する時期が必要である。子どもは自分を縛ったものを断ち切ろうと、決死の叫びを上げている。母親はそれを正面から受け止めて、子供の気持ちを汲み、それに応えてやることができれば、子どもは親の一言で、気持ちにケリがつけられるかも知れないのだ。たった一言でも親らしい言葉が返ってきたら、子どもはもう許していいとさえ思っているものだ。

 しかし、そのときありがちな母親の対応は守りに入ってしまい、子どもの言い分に耳を貸すよりも、自己弁護に汲々とし、それどころか逆切れしてしまうということだ。・・・・子どもにも意地があるが、親の意地の方がもっと強いということが多い。子どもは本当は変わりたい。だが親は変わる気がない。親が少し動いてくれるだけで、子どもはその何倍も動こうとしているのだ。・・・・・
 子どもの方がずっと親の事を思い、子どもの方が親よりも、大人になろうとしている。親が子を思うよりも、子の方が親の事を思っている。母という病を抱えた人では、親と子の関係がたいてい逆転している。

 母親が精神的に不安定で、本音が言えないという場合もあれば、体が弱く、母親の健康に障るようなことは、つい我慢するという場合もある。また何でも自分の考え通りでないと気がすまない母親の支配が続き、とても逆らえないという場合もある。・・・・しかし事情はどうあれ、母という病を克服するためには、母親に対して反抗の狼煙(のろし)を上げ、自分が抑えてきた思いを吐き出し、母親とぶつかるという段階が必要なのだ。

 親はそれを自分への裏切りと受け止めがちだが、中にはその子の成長として受け止めることもある。その場合はそれまでのわだかまりが、一挙に修復へと向かいやすい。 ・・・・・
 自分を振り返らない自己愛的で、未熟な親が相手の場合は、相変わらず子どものことを自分の一部のように支配し続けようとしたり、不安定な自分を支えるために、子どもを巻き込み続けたり、思い通りにならない子どもに、そっぽを向き、否定し続けるということが起こる。

 不安定な母親の場合も、支配が強すぎる母親の場合も、ネガティブなことしか言わない母親の場合も、近くにいすぎることは害悪をこうむり続けることになる。子どもの自立や可能性よりも、親の不安を紛らわすことの方が優先され、子どもの未来は邪魔され続ける。・・・・そして遅かれ早かれ、その生活は行き詰る。そうなる前に、早めに親から離れた方がいい。それは親子どちらにとっても必要なことなのだ。・・・・
 そもそも自立という関門は、ある意味、親に見切りをつけるプロセスだといえる。それはなかなかつらいことだ。後ろ髪をひかれる思いに駆られる。母親に愛されなかった人ほど未練が残るのである。

 傷ついた愛着を修復するという作業は、肝心の母親との間で行うのが一番いいのだが、それが一番難しいということになりがちだ。その場合は、むしろ最初はもっとも共感的で安定した、支えとなってくれる第三者との間で愛着を育み、愛着の傷を修復し、最終的なゴールとして母親との関係も安定したものにしていくということが、現実的なのだろう。・・・・
 まずは親から適度に距離をとって、中立的だが思いやりをもった第三者との関係において、自分の不安定な愛着を克服していく。信頼でき、関心や価値観をある程度共有し、何でも話すことができる存在に安全基地を見出し、受け止められることで、その作業を進めていくのだ。その相手は仲間であってもいいし、パートナーであってもいいし、師であってもいいのだが、思いやりとともに、いつも変わらない安定性をある程度備えていることが必要になる。医師やカウンセラーのような専門家についても同じことが言える。・・・・

・・・・・・・

 私は男4人兄弟の次男として生まれた。私が生まれた時は終戦の前年である。米軍の爆撃も激しく、母は乳飲み子の私を抱きかかえ、防空壕を逃げ惑っていたそうである。終戦後2人の弟が生まれる。そのため母の愛情は4人に分散し、子ども達にとっては適度なバランスの愛情に恵まれたのかもしれない。そして4人とも親元の下関を離れていった。我々兄弟にとっては、親離れも子離れもスムーズで、「母という病」に罹患することはなかったようである。従ってこの本の内容に関しては実体験がなく、コメントは控えたいと思う。

 詳しくは、ポプラ新書「母という病」岡田敬司著をお読みください。






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1 コメント

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はじめまして (ミー)
2020-05-04 23:08:31
母という病は私も過去に読んだことがあります。
こちらに書かれていることは、身震いがするぐらい私と母の関係、私と娘の関係そのものを表しています。
奔放に生きた母を憎みながらも見捨てることをできないまま、今でも母と言い合いばかりしています。
娘は既婚ですが支配的な私から離れていき、ここ1年ぐらいは音信不通です。
この状況を寂しい思いで今日まで過ごしてきたけれど、私にしても娘にしても「母という病」を克服する第一歩を踏み始めていると肯定的に思うことができました。私自身も自由奔放だった母からあまり愛されずに育ち、それを娘にも同じようなことをしてしまったのだと今頃になって気づきました。
今までどんなに悩んでも答えが出なかったことの答えがすべてこちらに書かれていたように感じられ、心が少し軽くなりました。ありがとうございました。
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