60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

ナッツ健康法

2013年06月28日 08時42分12秒 | Weblog
 私は昔からアーモンドチョコが好きであった。子供の頃はグリコのアーモンドチョコを買うと、チョコレートが溶けるまで口の中で転がし、中のアーモンドが出てから噛み砕いていた。香ばしい香りが口に広がり2度楽しめたのである。大人買いできるようになった今でも、甘いものが欲しいときは明治やロッテのアーモンドチョコを買っている。しかし「チョコレートとアーモンドでカロリーは高いだろうな?」、そう思って頻繁には食べられない。先日本屋で「アーモンドがあなたの人生を変える!!」というタイトルの本が目に止また。アーモンド好きで、できれば沢山食べて見たい方だから、早速読んでみることにした。

 著者は慶応大学の医学部教授である。著者は8年前、アメリカの内陸部のアーモンド農家にファームステイする機会があった。そこで出合った農家の家族、そこの奥さんの姉さんだと思った人が、実はお母さんだと知ってびっくりする。70代なのに50代に見えるほど若々しいのである。奥さんも50代なのに全然シワもなく実に若々しい。この家族だけかと思い近所のアーモンド農家を訪れても、出会う人全てが瑞々しい美肌の持ち主だった。それが切っ掛けでアーモンドやナッツについて研究し始めたそうである。調べるにしたがって、アーモンドに薬理効果があることが分かってきた。ナッツには①ダイエット、②アンチエイジング、③整腸作用、④大腸がんの予防、と4つの効能があると言う。以下本のあらましを抜き出してみた。

 ナッツとは種子の仁(例:梅干の種)で樹上にできるものだけを言う。だから土の中にできるピーナッツはナッツではない。現在世界中で食されているナッツは、人が長い時間をかけて食用に改良を重ねてきたもので、実際に口にできるのは7種類、アーモンド、ウォールナッツ(くるみ)、カシューナッツ、ピスタチオ、マカダミアンナッツ、へーゼルナッツ、ピーカンナッツである。ナッツの多くは、中央アジアから西の山岳地帯、あるいは乾燥地帯を起源にしている。水も栄養も少ない土地に生まれたために植物は子孫を残す種子に、できるだけ多くの栄養を集めている。その塊がナッツである。そしてナッツは人類最古の食品で、旧約聖書にも登場している。紀元前からナッツの栄養バランスのすばらしさは熟知されていたようである。

①ダイエット
 アメリカの女優、アンジェリーナ・ジョリーがダイエット法として、「ナッツを食べている」と言ったことから、アメリカでもアーモンドだけではなくナッツが見直されるようになった。その効用の主成分は体に良いとされる脂肪分である。ナッツは全体の50%が脂肪分であるがその半分以上は良質な脂肪分が含まれているからヘルシー食品なのである。脂肪酸には大別すると、「飽和脂肪酸」と「不飽和脂肪酸」のグループに分かれる。飽和脂肪酸を多く含む油脂は20℃で固体となる粘度の高い油で、そのため体内では血液の粘度を高め血液を流れにくくする。不飽和脂肪酸を多く含む油脂は液体となる粘度の低い油で、そのため体内で血液の粘度を上げない。ナッツの多くは不飽和脂肪酸、特にオレイン酸とリノール酸を含んでいるものが多い。オレイン酸は悪玉コレステロールを減少させ、善玉コレステロールを減少させない働きがあり、酸化されにくく、有害な過酸化脂質を作りにくい。そしてアーモンドにはブドウ糖の吸収を邪魔する作用があることがわかった。そのため血中に糖が吸収されないから、血糖値が上がらない。しかもナッツ類は充分な租借がが必要なためダイエット効果をより高めていく。著者が行った治験では、被験者にアーモンドを毎日25粒食べる意外は、食事や運動は普段通りの生活をしてもらった。結果5ヶ月で平均2.9kgのダイエット効果があった。

②アンチエイジング効果、
 人間の老化には「酸化」と「糖化」の2つの原因があると考えられている。肉体的に見れば「酸化」が進行すると体が錆びつき、「糖化」が進行すると体の動きが鈍くなる。これが俗に言う老化現象でる。「酸化」については「ビタミンEが効く」と言うことはすでに証明されているが、そのビタミンEがアーモンには豊富に含まれている(カボチャの5倍)。又抗糖化についてもアーモンドの中に糖化を抑える成分があることが発見され、今その成分の特定が行われている段階にある。またアーモンドには認知症を予防する効果があると言われている。アーモンドに含まれるオレイン酸が脳の細胞を保護活性化し、アーモンドの薄皮部分に含まれているポリフェノールは認知症の進行プロセスを遅くする作用がある。また良く租借することで認知機能がほとんど低下しないことも分かっている。

③アーモンドの整腸作用と大腸がん予防
 腸管というのはある程度便が大きくならないと、「先に進んで良いよ」という信号のペピチド(ホルモン)を出さない。逆に言えばカサの少ない便は、いつまでも腸の中に残って排泄されない。小食の人やダイエット中の人、女性の便が出にくいのはそういう理由である。食物繊維は、腸内で老廃物や水分を吸って10倍ほど膨らむ。アーモンドには食物繊維が豊富に含まれている(ゴボウの2倍)。日本人に大きく不足しているのは食物繊維とカルシューム、その食物繊維の1日の目標は20~25グラムと言われているが、日本人平均は15~16グラムしか取られていない。アーモンドは25粒で食物繊維3gを摂取できるため、間食にナッツを食べることで補完することができる。・・・・・・・・・

 本を読んで見た限り、それなりの薬理効果はあるのであろう。著書にはアーモンドを毎日25粒程度食べることを推奨している。日本ではくるみ(ウォールナッツ)意外はあまり馴染みはなかったようだが、世界では紀元前から食べられている食品。だからある程度多めに食べても体にマイナスになることはない。そう思って早速コンビニにナッツを買いに行った。コンビニは意外とナッツ類は品揃えしてあり、アーモンド単体もあればミックスナッツとして何種か混合したものもある。価格は50g程度で150円である。これであれば毎日食べることは容易である。家と会社にストックを置いて、早速スタートすることにした。(この経過や結果は5ヶ月後に報告することにする)

 この歳になると、最大のテーマは「健康」である。健康といっても健康維持ではなく、健康の向上である。もう60年以上付き合っている体、自分の体の大体の状況は把握できている。次第に下降線をたどっていく体を薬やサプリメントでだらだらと維持するのでは面白くない。何か打てる手があれば自分の体を試験台にしてチャレンジしてみたいと思うのである。そしてその結果何が起こり、体にどんな作用があるのか、その変化を知ることが面白いのである。生活習慣病は薬では治らない(対処療法だけ)、生活習慣病を予防し治すには生活習慣を変えることである。生活のリズム、運動、考え方、そして食べるもの、そんなものをこれからも意識して変えてみたいと思うのである。







自己保身

2013年06月21日 08時41分41秒 | Weblog
 先週からプロ野球で使用するボールを「飛ぶボール」に変更したことが問題になっている。発端は日本野球機構が2年前から採用した統一球を、今季からひそかに「飛ぶボール」に変更していたことを認めたことに始まる。その後、加藤良三コミッショナーが記者会見で、「私は事務局からボールに変更が加えられるという説明は受けなかった。私が(変更を)知ったのは昨日。もし私がその事実を知っていれば、公表していただろうし、私は不祥事を起こしたとは思っていない」と発言した。テレビに映る加藤コミッショナーはふんぞり返り、終始ふて腐れた表情で会見していたように見えた。「あの不遜な態度では反感をまねくだろう」、そう感じていたら、案の定コミッショナーの責任問題で喧々諤々の騒動になってきた。

 何が問題なのか?、最も重大なのは選手や世間に対して、なんら公表せづにボールを変えたことである。次にそのことを最高責任者であるコミッショナーが知らなかった、と発言したことであろう。飛ぶボールの方が良いのか否かは、考え方によって違って来る。だからボールを変更することを議論し公表していれば良かった。しかしそれを黙ってやったことに問題があるのである。その後、これでは「まずい!」と思ったのか、コミッショナーが再び記者会見し、「私は不祥事だとは思っていないが、ガバナンス(管理、支配、統治)が強くあるのは当然。プロ野球・NPB(日本野球機構)の信頼性を落とさないよう、今後組織を強化したい」、そして第三者委員会を発足させてこの問題を調査する。という内容で当座を収めようとしている。

 私はこの問題は関わった関係者の「自己保身」が、もろに出たきた為にこじれてしまったように思う。最初に事務局長は、「昨年の夏にボールの変更をコミッショナーに相談して決めた」と記者団に漏らし、責任はコミッショナーにもあるとした。しかし今度は記者会見でコミッショナーは「私は聞いていない」、と言い張った。そしてその後真相を何も語らず、うやむやにしようとしているように見えるのである。真実は本人たちは知っている。そして「これはまずい!」という認識も関係者はみな持っている。だからこそ真っ先に「自分には落ち度はなかった」と責任回避し、自己保身を図ったのである。コミッショナーは日本野球機構の最高責任者である。その責任者が責任回避してしまえば納まりようがなくなる。組織としての不祥事を説明するとき、個人的な保身を優先させたことが、問題を複雑にしていくことになった。

 加藤コミッショナーという人は東京大学を卒業後、長らく日本の外交官として活躍した。退任後、三菱商事の特別顧問を勤め、2008年からプロ野球コミッショナーに就任した輝かしい経歴の人のようである。だから我々庶民と違って、生活防衛的な意味合いからの自己保身ではなく、輝ける名誉に傷がつかないようにという、自己保身なのかも知れない。サラリーマン社会(組織社会)では大きい小さいは別にして、この手の問題は日常茶飯事にある。私企業であれば往々にして上位者がごり押しし、下位者が泣き寝入りで終わってしまうことが多い。しかしプロ野球の場合はそうはいかない。パブリックな組織だから、当然世間の納得いく説明が求められるのである。

 私は飛ぶ飛ばないのボールのことより、この一件を「どう終結させるのか?」に興味が向く。組織の誰かを犠牲にし、処分して事を済ましてしまうのか?、それとも真相をあやふやにしたまま、コミッショナーの管理責任という形で辞任するのか?、どちらにしても真実は藪の中で、作られたシナリオで決着が図られるのではないかと思っている。それはなぜか?、以下のように考えるからである。

 コミッショナーの加藤氏は大の野球ファンでアメリカ大使館時代大リーグに親しんでいた。そんなことからコミッショナーに着任したのを期に日本で統一球を提案した人で、ボールに自分のサインを刻印までさせている。その人が「飛ぶボール」を秘密裏に変更するわけが無い。ではコミッショナーに報告せずに下位者が勝手にボールを変更できるだろうか?、それは自分の立場を危なくするだけで、サラリーマンに何のメリットも無い。だからそんなことをやるわけも無い。ではなぜ行われたのか?、そこにコミッショナーより権力を持ち、横暴な振る舞いが多い読売巨人軍の「ナベツネ」の影が見えてくる。元々渡辺会長は、「日本だけの野球だったら、何もあんな統一球にする必要ないんじゃないか。フェンス間際でみんなホームランにならないでアウト。これで観客数が減ってんだよ」、「野球はホームランが出て空中戦のほうが面白いんだよ」、と言って憚らない人であった。
 そんな「ナベツネ」がプロ野球機構に横槍を入れ、ボールの変更をさせるだろうことは想像に難くない。コミッショナーは自分の発案の統一球を元に戻すことには、プライドが許さないだろうから難色を示すだろう。しかしナベツネは自分の考えをごり押しする。結局は板ばさみになった機構の幹部が公表もせず、やむなく変更することにした。これが真相ではないかと思うのである。そしてこれが真実だとすれば、いずれ週刊誌などで暴露されるとになる。しかしその時、ナベツネの言い分は決まっている。「私は私の意見を提案したまでで、私は実行する権限を持ち合わせていない」と。コミッショナーは「私は承認をしたことはない」と言い張るであろう。そして勝手にやったとされる幹部が処分を受けて撒く引きとなる。これが世の中の不条理なルールなのである。

 社会に関わっている以上、好むと好まざるとに関わらず、利権や権力や面子争いの中に巻き込まれていく。そんな時、自己保身に汲々としていればその弱点を突かれて不利な立場に追い込まれていく。ではどうすれば良いか。組織にとって何が正しいのかを見極め、それが周りから疎んじられようが、上位者に逆らうことになろうが、勇気を持って自己主張すべきなのであろう。諺にある、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」でははないが、それが結果的に一番の保身になるように思うのである。そしてその結果どうあろうが、自分を偽らなかったという満足感が残るように思うのである。









散歩(大津港)

2013年06月14日 08時38分54秒 | 散歩(3)
駅からの散歩

No.375  大津港(北茨城市)      6月8日

 朝8時半に家を出て、常磐線の大津港の駅に着いたのは12時半であった。ここは茨城県の最北端の北茨木市、隣は福島県のいわき市である。日帰りの散歩としては今までで一番の遠出かもしれない。駅舎は瀟洒だが、駅前は正面にセブンイレブンが1軒あるだけで閑散としている。1時間に1本か2本あるかないかの乗降客を待って、タクシーが手持ち無沙汰に7台もたむろしていた。ひっそりとした住宅地の中を歩いて30分、やがて海の臭いに混じって魚の臭いや油の臭いがしてくる。ここが駅名の大津港である。今日はこの漁港から太平洋を右に見ながら北へ歩き、又駅まで戻ってくる迂回コースの散歩である。
 
 この北茨城市は明治の思想家「岡倉天心」が別邸を置き、そのそばに建設した六角堂などが有名である。この六角堂は3.11の津波で流されてしまったが、昨年の4月に復元された。この別邸がある天心遺跡記念公園でも、歩いてくる途中でも、岡倉天心を描いた「天心」という映画のポスターがあちらこちらに貼ってあった。映画では六角堂や天心邸が撮影に使われ、地元の人達も大勢がエキストラとして参加したそうである。この映画、秋には公開とのことで、これを期に震災で落ち込んだ観光を復興させるようと、期待が大きいのであろう。

      
                           常磐線大津港駅 

                

      
                             大津漁港

                

      

      
                    佐波波地祗神社(さわわちぎじんじゃ)
                        3.11の地震で壊れた鳥居

      

                
                               アザミ

                
                              さくらんぼ

                
                               キジ

      
                            大津岬灯台

                
                 大津港に入る船や沿岸を航行する船の道しるべ

      
                      五浦岬公園から眺める大五浦
               ダイナミックな海岸線がつづき、左下に六角堂が見える

      
                     この六角堂は3.11の津波で流された

      
                      天心遺跡記念公園(六角堂)
                   天心自らが設計し、ここで読書や思索にふけった

      
                              端磯
     五浦海岸(いつうらかいがん)は南から「小五浦」「大五浦」「椿磯」「中磯」「端磯」の
                     五つの浦(磯)を称して五浦という。

      

      

                

      

      
                              天心邸
                津波の時はこの邸の床下まで海水が上がったそうである

           
              今秋公開の映画「天心」はこの公園でも撮影が行われた

      
                        天心遺跡記念公園 苔の庭
                     
                
                            岡倉天心の墓
            東京の染井霊園に埋葬されたが、辞世の歌にしたがってこの地に分骨

      
                         天心記念五浦美術館
            天心や五浦ゆかりの作家達だけでなく、広く日本美術が鑑賞できる

      
                          美術館内の喫茶室

                
                        海を眺めながらの珈琲は格別

      
                   広くて気持ちのいい道 車もほとんど通らない

      
                            長浜海岸

      
                       崖の上に五浦美術館が建つ

                
                  海岸線のあちらこちらに立ち枯れた木が目立つ

                
                      津波で海水を被ったためであろう

      
                  土曜日だが護岸工事のクレーン車は動いていた

                

      
                護岸やテトラポットの列は波打ちぎわの趣を失ってしまう








なぜ?

2013年06月07日 09時28分24秒 | Weblog
 私は自然科学が好である。それは子供の時に買って貰った「子供の科学(?)」という本の影響が大きいように思う。その本はたくさんの絵や図解が入っていて子供向けに分かりやすく書いてあった。本は何冊かあって地球の誕生や大陸移動説、水の循環や恐竜の話まで科学全般について載っていたように思う。その中で一番印象に残ったのは、「なぜ、北極や南極より赤道の方が暖かいのか?」という設問への解説であった。それまでおぼろげながら赤道の方が太陽に近いからだと思っていた。地球と太陽が向かい合った図を見たとき、そういう答えがイメージされたからである(その後同じ質問を誰にしても同様の答えが返ってくる)。実際には太陽と地球は膨大な距離がある。だから地球の丸みによる距離の差は太陽との距離に比べれば微々たるもので、エネルギーの到達量に変化はない。

 正解は、赤道付近は直角方向から太陽のエネルギーが降り注ぎ、南極や北極付近は斜めから降り注ぐ、したがって同じ光の量は極に近くなるほど斜めに広がるからエネルギー量は分散する。したがって極に向かうほど気温は下がっていく。円柱に光を取り込み、円柱と直角に手を置くと光は手の上で丸い円になる。しかし斜めに手をかざすと光は楕円になり、その光が当たる面積は拡大する。したがって単位面積あたりの熱量は少なくなると言う理屈である。これを読んだとき、今まで持っていたイメージが払拭され、矛盾の無い解説に子供心に感心した。そしてそれ以来自然科学に興味を持ち、好きになって行ったように思う。

 「なぜ空は青いのか?」、「なぜ夕日は赤いのか?」、「なぜ歩くと月が付いてくるように見えるのか?」、「宇宙の果てはあるのか?」、「あるとすればその外には何があるのか?」、「なぜ70度80度のサウナで焼けどをしないのか?」、「なぜ電子レンジで物が温まるのか?」等々、科学的な「なぜ」の種は尽きない。その後は自然科学から生物学に興味が移り、そして仕事で大勢の人に接するようになってからは、最も不可解なもの、「人」に対しての「なぜ?」へと興味は移っていった。今でもサイエンス関連の本はたくさん読んでいる。それは読むことによって、世の中の現象にはそれなりの法則があり、それを知ることで知的な興味を満足させてくれるように思うからであろう。

 先日手にした科学のエッセイ(福岡伸一)で、久々にこの「なぜ」の興味を満足させくれるものに出合った。それは、「なぜ夜、電灯に虫が集まるのか?」というものである。今は都会に虫は少なくなったから、街灯に虫が集まる様子はあまり見ることはなくなった。しかし昔は夜になると外灯には虫が集まり、クルクルと回っているのはどこでも見られた光景である。そしてそこに舞う虫たちを見るたびに、「なぜ虫は光に集まってくるのだろう?」、「太陽の光と錯覚しているのだろうか?」、「そうであれば昼間は太陽に向かって飛ぶはずだが」、「電灯の光に太陽光線と違う誘引的な光があるのだろうか?」、「何回も電灯にぶつかっては落ちていく、虫たちに学習能力と言うものはないのだろうか?」、そんなことを思いながら見ていたように思う。しかし正解は全く別のところにあった。以下その答えである。

 明かりに集まる虫たちは一般的に夜行性です。鳥のような捕食者から身を守るために太陽が出ているときは草の下や木のウロに潜んでいて、夜、暗くなってから樹液に集まるなど活動をします。夜行性の昆虫は弱い光を巧みに感知して行動していると考えられます。昆虫は人間の出現よりはるか昔から地球にいるわけですから、彼らが手がかりにしているのは人工の光ではなく、月や星の光です。そしてその光に向かって一直線に近づくのではなく 《もしそうなら月を目指してしまう》、光に対して一定の角度を保って飛ぶ習性を身につけたのです。月や星の光は遠くから来るので地球上を移動してもほぼ一点に動かずに見えます。(月を見ながら歩くと月が付いてくるように見えるのは、月までの距離が意識になく、近くの景色と同様に動くものだと錯覚するために起こる)。一点に止まっている光線に対して、絶えず一定の角度を保って飛ぶことができれば、風や障害物があっても、同じ方向を維持して飛ぶことができるわけです。

 ところが人間が現れて、人工的な光で夜を明るくするようになると、夜行性の昆虫はこの人工の光に迷わされることになりました。特に野原にぽつんと立つ街灯のような存在が厄介です。人工の光は月と違って、近距離にあります。そして近いところにある光源から発せられる人工の光は放射状に広がります。このような光と月の光を勘違いして、光と一定の角度を保って飛行するとどうなるでしょう。光に対して正確に直角を保てばいつまでも光源の周りを周回することになります。少しでも鋭角を選ぶと、螺旋を描いて光源にどんどん引き寄せられてしまいます。よく灯火の周囲を虫がくるくると回って飛んでいるのはこのような理由からだと考えられます。さらに人工の光源に引き寄せられて、光に近づきすぎると、それは丁度夜行性の虫たちが昼間息をひそめているいるのと同じ状況をもたらします。つまり、夜行性の虫たちにとって、明るすぎる光はその行動を抑制してしまうのです。電灯の笠やガラス戸にとまった虫がじっとしているのはそのためです。