7月24日にテレビのアナログ放送が終了した。これでいよいよデジタルの世の中になってしまう。
振り返って見て、私のデジタルとの出会いは電卓(電子式卓上計算機)ではなかったろうかと思う。
40年前、職場で初めてシャープの電卓を目にした。それは瞬く間に安価になり小型化していく。
次がデジタル時計と電子手帳が現われた。それから音楽のカセットテープがCDに変わって行く。
そしてウインドウズ95が現われ、世界はパソコン時代に入って行った。それからはデジタル化の
流れは一気に進んで行く。FAXはメールになり、カメラはデジカメになり、電話は携帯に変わり、
電車の定期もICカードのスイカに変わっていく。そして、とうとうテレビも地デジになってしまった。
「アナログからデジタルへ」その言葉はもう何年も前から言われていたように思う。言われ始めた
こころは徐々にではあったが、流れができると一気に加速していった。そしてほとんどのことが、
デジタルによって管理され制御されるようになる。電車の運行システムから銀行の預金の管理、
スーパーのレジまでデジタルである。アナログで管理され運営されているものを探す方が難しい
くらいである。変わってしまえば確かに便利である。地デジのTV画像はきめが細かく綺麗である。
デジカメはフィルムがないから、安上がりだし、DPEでプリントしなくても、パソコンで管理できる。
携帯電話を持っていれば、何処にいようが連絡ができる。メールもできるし、テレビも見れるし、
スマートフォンではインターネットでラジオも聞ける。考えようによっては便利になり過ぎた感がある。
先日以前の会社の同窓会があって11名が集まった。その内2名が携帯は持っていないという。
残り9名の内、6名はメールは面倒だからと使わないそうである。見渡してみると50代の以前と
以降でアナログ世代とデジタル世代が分れているように思う。任天堂DSやプレイステーションで
育った世代は今のデジタルを受け入れるのは造作もないことなのであろう。しかし人生の大半を
アナログの中で生きてきた世代にとっては、便利さより反対にわずらわしさが先に立つのである。
それは手順を覚えることの面倒さ、特に感覚的に体で覚えることが最大のネックになっている。
アナログの世界は、ある程度理屈として理解できた。例えばカメラは、レンズを通して入ってきた
光がフィルムに投影され感光する。そのネガフィルムを印画紙に現像して写真になるという風に、
しかしデジタルの世界はなかなか理解が及ばない。撮影された画像情報(画素毎の色)の記録
が二進法による0と1(オン・オフ)により保存される・・・と言う風に、専門分野の人間でなければ
理解できない仕組みである。「そんなことどうでもいいではないか、便利に使えればそれで良い」
多分今の若者の感覚はそうなのであろう。ある意味、デジタルのルールを感覚的に理解していて
取り扱い説明書も読まずに、触っているうちに体で覚えていく。そんなことだろうと理解している。
子供の頃、家の窓から下関駅が見え、そこに発着する機関車を飽きづに見ていたことがある。駅を
発車する蒸気機関車は目一杯の蒸気を吐きだし、煙を上げ、汽笛をならし、力強く加速して行った。
蒸気機関車は石炭を焚いて蒸気をつくり、その圧力でピストンを動かし、ピストンは動輪に連動して
レールの上を走る。その仕組み、その圧倒的存在感、蒸気機関車は私のアナログの原点である。
私の父は真空管など買って来て自分でラジオを組み立てていた。だから故障すればラジオの裏を
開けて自分で修理していた。ほとんどが真空管が切れるか配線の接触不良だから、叩けば直る
時代でもある。音楽もレコードプレーヤーの時代である。45回転のレコードを回し、針をゆっくり盤の
上に乗せていく。レコードに刻まれた溝の凹凸が針に振動を与え、それが電気信号に変換されて
増幅回路を通してスピーカーから音が発せられる。目に見え体で接していると、そのメカニズムは
充分に理解できたのである。
そんなアナログの世界からデジタルの世界に変わっていった。そのデジタルの複雑さとスピードは、
我々の理解をはるかに超えている。もうそれは自分の実感の世界ではなく、バーチャルな世界の
ようである。なにがどなうなって動いているのか? もうその仕組みも実態も追う気にはなれない。
うわべだけの理解で暮らしているデジタルの世界、それは私にとって地に足が着いていないような
感覚に襲われる。そして、デジタルに囲まれて暮らしていると、昔は手にとるように理解できていた
アナログの世界を懐かしく思い出す時がある。それは、テレビやカメラなどの機器類だけではなく、
食べるもの着るもの、生活全般に及ぶのである。
私の母は裏の小さな畑で野菜を作り、それをぬか漬けにして毎食の食卓に出していた。魚も全て
自分でさばき七輪に火をおこして焼き、釜戸で火力を調整しながらご飯を炊いていた。食卓に乗る
おかずのほとんどは手作りであった。子供たちの浴衣は手縫いで、衣服のほころびは繕って使い、
他所行き用と普段着とは厳然と区分けがあり、肌着1枚でも大切にさせられていたように思う。
一つ一つのものに、一つ一つの作業に、意味があり価値があったように思う。それが、アナログの
世界なのであろう。しかし今は工場で大量生産された漬物が並べられ、切り盛りされパック販売の
刺身を買い、自動炊飯器でほどよく炊かれたご飯を食べている。衣類は中国やベトナムで安価に
作られたものを買い、まだまだ着られるうちに捨ててしまっている。
デジタルは世界を一つにしたと言われる。情報や物や金が世界を駆け巡る。何処がどう絡みあって、
どうなっているのか?これからどういう方向に向って行くのか、全てが複雑に絡み合っていて、制御
不能で理解不能な世界になったように思ってしまう。何となく実感の伴わない世の中に暮らす不安、
それが人の心をむしばんでいくのではないか?とも思ってしまう。60年前の時代と比べると確かに
便利になり、豊かになり、安全になり、綺麗になった。しかし、「もし選べるとすると、貴方はどちらを
選択するか?」と問われたとすれば、私は迷いなく、60年前を選ぶだろう。そこには「自分が生きて
いる。生活している。居場所がある」という実感が伴っていたからである。この感覚は私の、はたまた
年寄りの過去へのノスタルジーなのであろうか? それとも現代人の共通の感覚なのであろうか?
振り返って見て、私のデジタルとの出会いは電卓(電子式卓上計算機)ではなかったろうかと思う。
40年前、職場で初めてシャープの電卓を目にした。それは瞬く間に安価になり小型化していく。
次がデジタル時計と電子手帳が現われた。それから音楽のカセットテープがCDに変わって行く。
そしてウインドウズ95が現われ、世界はパソコン時代に入って行った。それからはデジタル化の
流れは一気に進んで行く。FAXはメールになり、カメラはデジカメになり、電話は携帯に変わり、
電車の定期もICカードのスイカに変わっていく。そして、とうとうテレビも地デジになってしまった。
「アナログからデジタルへ」その言葉はもう何年も前から言われていたように思う。言われ始めた
こころは徐々にではあったが、流れができると一気に加速していった。そしてほとんどのことが、
デジタルによって管理され制御されるようになる。電車の運行システムから銀行の預金の管理、
スーパーのレジまでデジタルである。アナログで管理され運営されているものを探す方が難しい
くらいである。変わってしまえば確かに便利である。地デジのTV画像はきめが細かく綺麗である。
デジカメはフィルムがないから、安上がりだし、DPEでプリントしなくても、パソコンで管理できる。
携帯電話を持っていれば、何処にいようが連絡ができる。メールもできるし、テレビも見れるし、
スマートフォンではインターネットでラジオも聞ける。考えようによっては便利になり過ぎた感がある。
先日以前の会社の同窓会があって11名が集まった。その内2名が携帯は持っていないという。
残り9名の内、6名はメールは面倒だからと使わないそうである。見渡してみると50代の以前と
以降でアナログ世代とデジタル世代が分れているように思う。任天堂DSやプレイステーションで
育った世代は今のデジタルを受け入れるのは造作もないことなのであろう。しかし人生の大半を
アナログの中で生きてきた世代にとっては、便利さより反対にわずらわしさが先に立つのである。
それは手順を覚えることの面倒さ、特に感覚的に体で覚えることが最大のネックになっている。
アナログの世界は、ある程度理屈として理解できた。例えばカメラは、レンズを通して入ってきた
光がフィルムに投影され感光する。そのネガフィルムを印画紙に現像して写真になるという風に、
しかしデジタルの世界はなかなか理解が及ばない。撮影された画像情報(画素毎の色)の記録
が二進法による0と1(オン・オフ)により保存される・・・と言う風に、専門分野の人間でなければ
理解できない仕組みである。「そんなことどうでもいいではないか、便利に使えればそれで良い」
多分今の若者の感覚はそうなのであろう。ある意味、デジタルのルールを感覚的に理解していて
取り扱い説明書も読まずに、触っているうちに体で覚えていく。そんなことだろうと理解している。
子供の頃、家の窓から下関駅が見え、そこに発着する機関車を飽きづに見ていたことがある。駅を
発車する蒸気機関車は目一杯の蒸気を吐きだし、煙を上げ、汽笛をならし、力強く加速して行った。
蒸気機関車は石炭を焚いて蒸気をつくり、その圧力でピストンを動かし、ピストンは動輪に連動して
レールの上を走る。その仕組み、その圧倒的存在感、蒸気機関車は私のアナログの原点である。
私の父は真空管など買って来て自分でラジオを組み立てていた。だから故障すればラジオの裏を
開けて自分で修理していた。ほとんどが真空管が切れるか配線の接触不良だから、叩けば直る
時代でもある。音楽もレコードプレーヤーの時代である。45回転のレコードを回し、針をゆっくり盤の
上に乗せていく。レコードに刻まれた溝の凹凸が針に振動を与え、それが電気信号に変換されて
増幅回路を通してスピーカーから音が発せられる。目に見え体で接していると、そのメカニズムは
充分に理解できたのである。
そんなアナログの世界からデジタルの世界に変わっていった。そのデジタルの複雑さとスピードは、
我々の理解をはるかに超えている。もうそれは自分の実感の世界ではなく、バーチャルな世界の
ようである。なにがどなうなって動いているのか? もうその仕組みも実態も追う気にはなれない。
うわべだけの理解で暮らしているデジタルの世界、それは私にとって地に足が着いていないような
感覚に襲われる。そして、デジタルに囲まれて暮らしていると、昔は手にとるように理解できていた
アナログの世界を懐かしく思い出す時がある。それは、テレビやカメラなどの機器類だけではなく、
食べるもの着るもの、生活全般に及ぶのである。
私の母は裏の小さな畑で野菜を作り、それをぬか漬けにして毎食の食卓に出していた。魚も全て
自分でさばき七輪に火をおこして焼き、釜戸で火力を調整しながらご飯を炊いていた。食卓に乗る
おかずのほとんどは手作りであった。子供たちの浴衣は手縫いで、衣服のほころびは繕って使い、
他所行き用と普段着とは厳然と区分けがあり、肌着1枚でも大切にさせられていたように思う。
一つ一つのものに、一つ一つの作業に、意味があり価値があったように思う。それが、アナログの
世界なのであろう。しかし今は工場で大量生産された漬物が並べられ、切り盛りされパック販売の
刺身を買い、自動炊飯器でほどよく炊かれたご飯を食べている。衣類は中国やベトナムで安価に
作られたものを買い、まだまだ着られるうちに捨ててしまっている。
デジタルは世界を一つにしたと言われる。情報や物や金が世界を駆け巡る。何処がどう絡みあって、
どうなっているのか?これからどういう方向に向って行くのか、全てが複雑に絡み合っていて、制御
不能で理解不能な世界になったように思ってしまう。何となく実感の伴わない世の中に暮らす不安、
それが人の心をむしばんでいくのではないか?とも思ってしまう。60年前の時代と比べると確かに
便利になり、豊かになり、安全になり、綺麗になった。しかし、「もし選べるとすると、貴方はどちらを
選択するか?」と問われたとすれば、私は迷いなく、60年前を選ぶだろう。そこには「自分が生きて
いる。生活している。居場所がある」という実感が伴っていたからである。この感覚は私の、はたまた
年寄りの過去へのノスタルジーなのであろうか? それとも現代人の共通の感覚なのであろうか?