60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

デジタルな世の中

2011年07月29日 08時58分06秒 | Weblog
7月24日にテレビのアナログ放送が終了した。これでいよいよデジタルの世の中になってしまう。
振り返って見て、私のデジタルとの出会いは電卓(電子式卓上計算機)ではなかったろうかと思う。
40年前、職場で初めてシャープの電卓を目にした。それは瞬く間に安価になり小型化していく。
次がデジタル時計と電子手帳が現われた。それから音楽のカセットテープがCDに変わって行く。
そしてウインドウズ95が現われ、世界はパソコン時代に入って行った。それからはデジタル化の
流れは一気に進んで行く。FAXはメールになり、カメラはデジカメになり、電話は携帯に変わり、
電車の定期もICカードのスイカに変わっていく。そして、とうとうテレビも地デジになってしまった。

「アナログからデジタルへ」その言葉はもう何年も前から言われていたように思う。言われ始めた
こころは徐々にではあったが、流れができると一気に加速していった。そしてほとんどのことが、
デジタルによって管理され制御されるようになる。電車の運行システムから銀行の預金の管理、
スーパーのレジまでデジタルである。アナログで管理され運営されているものを探す方が難しい
くらいである。変わってしまえば確かに便利である。地デジのTV画像はきめが細かく綺麗である。
デジカメはフィルムがないから、安上がりだし、DPEでプリントしなくても、パソコンで管理できる。
携帯電話を持っていれば、何処にいようが連絡ができる。メールもできるし、テレビも見れるし、
スマートフォンではインターネットでラジオも聞ける。考えようによっては便利になり過ぎた感がある。

先日以前の会社の同窓会があって11名が集まった。その内2名が携帯は持っていないという。
残り9名の内、6名はメールは面倒だからと使わないそうである。見渡してみると50代の以前と
以降でアナログ世代とデジタル世代が分れているように思う。任天堂DSやプレイステーションで
育った世代は今のデジタルを受け入れるのは造作もないことなのであろう。しかし人生の大半を
アナログの中で生きてきた世代にとっては、便利さより反対にわずらわしさが先に立つのである。
それは手順を覚えることの面倒さ、特に感覚的に体で覚えることが最大のネックになっている。

アナログの世界は、ある程度理屈として理解できた。例えばカメラは、レンズを通して入ってきた
光がフィルムに投影され感光する。そのネガフィルムを印画紙に現像して写真になるという風に、
しかしデジタルの世界はなかなか理解が及ばない。撮影された画像情報(画素毎の色)の記録
が二進法による0と1(オン・オフ)により保存される・・・と言う風に、専門分野の人間でなければ
理解できない仕組みである。「そんなことどうでもいいではないか、便利に使えればそれで良い」
多分今の若者の感覚はそうなのであろう。ある意味、デジタルのルールを感覚的に理解していて
取り扱い説明書も読まずに、触っているうちに体で覚えていく。そんなことだろうと理解している。

子供の頃、家の窓から下関駅が見え、そこに発着する機関車を飽きづに見ていたことがある。駅を
発車する蒸気機関車は目一杯の蒸気を吐きだし、煙を上げ、汽笛をならし、力強く加速して行った。
蒸気機関車は石炭を焚いて蒸気をつくり、その圧力でピストンを動かし、ピストンは動輪に連動して
レールの上を走る。その仕組み、その圧倒的存在感、蒸気機関車は私のアナログの原点である。
私の父は真空管など買って来て自分でラジオを組み立てていた。だから故障すればラジオの裏を
開けて自分で修理していた。ほとんどが真空管が切れるか配線の接触不良だから、叩けば直る
時代でもある。音楽もレコードプレーヤーの時代である。45回転のレコードを回し、針をゆっくり盤の
上に乗せていく。レコードに刻まれた溝の凹凸が針に振動を与え、それが電気信号に変換されて
増幅回路を通してスピーカーから音が発せられる。目に見え体で接していると、そのメカニズムは
充分に理解できたのである。

そんなアナログの世界からデジタルの世界に変わっていった。そのデジタルの複雑さとスピードは、
我々の理解をはるかに超えている。もうそれは自分の実感の世界ではなく、バーチャルな世界の
ようである。なにがどなうなって動いているのか? もうその仕組みも実態も追う気にはなれない。
うわべだけの理解で暮らしているデジタルの世界、それは私にとって地に足が着いていないような
感覚に襲われる。そして、デジタルに囲まれて暮らしていると、昔は手にとるように理解できていた
アナログの世界を懐かしく思い出す時がある。それは、テレビやカメラなどの機器類だけではなく、
食べるもの着るもの、生活全般に及ぶのである。

私の母は裏の小さな畑で野菜を作り、それをぬか漬けにして毎食の食卓に出していた。魚も全て
自分でさばき七輪に火をおこして焼き、釜戸で火力を調整しながらご飯を炊いていた。食卓に乗る
おかずのほとんどは手作りであった。子供たちの浴衣は手縫いで、衣服のほころびは繕って使い、
他所行き用と普段着とは厳然と区分けがあり、肌着1枚でも大切にさせられていたように思う。
一つ一つのものに、一つ一つの作業に、意味があり価値があったように思う。それが、アナログの
世界なのであろう。しかし今は工場で大量生産された漬物が並べられ、切り盛りされパック販売の
刺身を買い、自動炊飯器でほどよく炊かれたご飯を食べている。衣類は中国やベトナムで安価に
作られたものを買い、まだまだ着られるうちに捨ててしまっている。

デジタルは世界を一つにしたと言われる。情報や物や金が世界を駆け巡る。何処がどう絡みあって、
どうなっているのか?これからどういう方向に向って行くのか、全てが複雑に絡み合っていて、制御
不能で理解不能な世界になったように思ってしまう。何となく実感の伴わない世の中に暮らす不安、
それが人の心をむしばんでいくのではないか?とも思ってしまう。60年前の時代と比べると確かに
便利になり、豊かになり、安全になり、綺麗になった。しかし、「もし選べるとすると、貴方はどちらを
選択するか?」と問われたとすれば、私は迷いなく、60年前を選ぶだろう。そこには「自分が生きて
いる。生活している。居場所がある」という実感が伴っていたからである。この感覚は私の、はたまた
年寄りの過去へのノスタルジーなのであろうか? それとも現代人の共通の感覚なのであろうか?


保険医療

2011年07月22日 09時08分12秒 | Weblog
目のかゆみが再発して眼科医院へ行った。2月と4月に花粉症で行ったから3ヶ月ぶりである。
しばらく待合室で待っていると女性に名を呼ばれ、視力測定と眼圧検査目の検査をするという。
前回も視力検査をしたのに、また同じ検査するという。おかしいと思って検査技師に聞いてみる。
「前回来た時に検査したから、今回はもういいでしょう。3ヶ月で視力が変わるわけではないし」
「いえ、一応の当院のルールですから」と検査技師が答える。
「私は視力のことで来たわけでなく、目のかゆみがあるから来たのです。無料ならやりますが、
これは有料なのでしょう?」、私の語気は自分でも少しきつくなったように思う。
「では、やらないと言われるのですね」
「ええ、やりません」、私はきっぱりとそう言って待合室に戻った。

しばらくして、マイクの案内で診察室に入る。先ほどのことが技師から報告されていたんだろう、
医師が私に、「検査は受けていただきたいのです」と言う。
私は少しムキになって、「視力検査や眼圧は毎年一回は健康診断でやっています。前回来た
時も計ってもらいました。今回まだ目のかゆみがあるから来たわけで、視力とは直接関係ない
ように思うのですが?それとも検査するか、しないかの選択権は患者側に無いのでしょうか?」
医者の方も少しムキになったように反論する「それは患者側で選択できます。しかし内科医が
診察で血圧を計るように、我々にも視力検査することは認められている行為です。貴方が医療
行為に選択肢があると言われるなら、私たちにも医療を拒否する権利があります」と言う。
私には医師が言うことに論旨のすり替えがあるように思われ、納得がいかなかった。
「内科医は患者が腹痛で来た場合血圧を計るのでしょうか?血圧を計る必然性があるときに
計るはずです。私は目のかゆみで来たわけで、視力検査や眼圧検査を毎回やらなければいけ
ないとは思えない。しかも有料なわけだし、それを拒否したからと言って、本当に医療行為を
拒否できるのでしょうか?」

私がそこまで反論するとは思わなかったようで、医者は少し態度を変えて本音を言い始める。
「今、目の前の器具で、目を覗き込んで検査をした場合、保険点数は38点しかありません。
視力検査などをすれば200数十点になるわけで、直接検査は今の保健医療ではあまりにも
低く抑えられています。例えて言えばメインの牛丼を100円で売っているようなものなのです。
牛丼100円では成り立たないから、味噌汁200円とお新香200円をセットにして、500円
で販売しているようなものですよ。毎回セット料金と言うわけにはいかないかもしれないが、
2回に1回はセット料金でお願いしたい。それが実情です」、なんと姑息なやり方だろうと思う。

「今回は検査なしでやりますが、次回は検査をしてください」、と医者は言う。
「ああ、そうですか」と生返事で答えながら、2度とこの医院に来ることはないだろうと思う。
「アレルギーによる痒みでしょうから、薬を出しておきましょう」、ということで診察は終わった。
目薬2本の処方箋をもらい医院をでた。診察料は560円、薬代は830円であった。
会社に帰ってから、以前の領収書を探し出し見てみた。薬代は今回と同じ830円であるが、
診察料は検査料を含めて1820円であった。同じ目的で行って3倍も取られているのである。

医療保険制度の仕組みの問題は色々とあるようである。自己負担率のアップ、高齢化社会
の中での若者の負担増、健保組合の赤字と破綻、保険料の滞納、医療費の不正請求等々。
眼科医の不要な視力検査は不正請求にはあたらないのであろうが、しかし明らかに制度の
拡大解釈による不適正な医療行為のように思う。年寄りの病気の不安や持病をカモにして、
大量の薬を処方し続ける内科医、患者の負担を軽減するという名目で30分以内の治療で
回数を多くし保険点数を稼ぐ歯科医など、そのスタンスは医療行為と言うより、あからさまな
商売活動と言った方が良いように思ってしまう。

彼らに言わせれば「我々にも生活がある。医療保険制度の中で制約がある以上、その範囲
で充分な報酬を得ようとするのは当然の行為だろう」、多分そう言うだろう。今、この場所から
歩いて10分以内に6軒の歯科医院がある。5軒の内科医院があり、2軒の眼科医院がある。
この地にこれだけ多くの医院があるのに、ほとんどの医院が土曜は半ドンか休み、日曜日や
祭日は全て休みである。患者が一番必要とするのは夜間や休みの日なのではないだろうか?
そんなニーズには答えようともしない。医師免許を利権のように思い、保健医療制度に保護
され、その中で何ら努力もせず牛丼のセット販売に血道を上げる都会の町医者に、憤りさえ
感じるのである。

東京は人口当りの医師数では全国一であり、埼玉、茨城、千葉はワースト3で、東京の半分
ほどである。また小児科や産婦人科や外科などは医療リスクが多いからという理由で、なり手
が少ないという。また絶対に必要とされる救急病院はどこも不足している。医療と言う我々の
生活にとって必要不可欠なものだから保険制度があるわけである。そんな中で、医者もまた
保険制度の恩恵なを受けるのであれば、医者の自由意思に任せるのではなく都道府県別に、
診療科目別に定員を設けるべきではないかと思ってしまう。

言葉

2011年07月15日 09時36分38秒 | Weblog
親会社の社員のY.Sさんが、今年の8月末で会社を辞めることになった。彼は昨年(59歳時)、
喉頭がんの手術をして声を失った。その後60歳で退職を迎えたが、今までの実績を買われて
契約社員として引き続き仕事をすることになる。しかし声が出せないことのハンディーは大きく、
社内外の人とのコミュニケーションはままならず、結局発注伝票の打刻や在庫管理など事務
処理が中心となっていた。

術後、仕事に復帰当初は携帯の白板とマジックで、仕入先との打ち合わせ等もやっていたが、
意思疎通は難しかったようで、やがて対外的な関わりは断念し、もっぱら裏方に徹していた。
毎日会社に出て来て、ほとんど誰とも会話(筆談)するわけでもなく、時間がくれば帰って行く。
そんな毎日が続くと当然ストレスがたまるのであろう。医者に止められていたお酒を飲み始め
時々は二日酔いの酒の臭いが残って出てくるようになる。勤務中に席をはずす回数が多くなり、
人の目の届かないところに行って寝ていることが多くなっていった。痰がつまって夜寝られない
からなのか、それとも、うつ的な症状なのか、その勤務態度は誰の目にも正常な範囲を逸脱
しているように思われていた。

彼の嘱託契約は1年ごとである。今回の退社は会社側から契約延長を打ち切るという通告を
受けたわけでなく、彼の方からの申し出である。彼の老齢基礎年金は65歳からであるから、
できれば1年でも多く務めたいと思うはずである。それを断念しても、会社で働くことに耐えが
たかったのであろう。彼の周りの環境も冷たいものであったが、やはり退社の第一の要因は
声を失ったことでの人とのコミュニケーションの断絶ではなかったかと推察される。

言葉を失うこと、それは体験した人でないと解らないことでもあろうが、私なりに考えてみた。

彼の元来の仕事は発注とその納期管理であった。客先から注文を受けたものを、加工業者に
発注し、客先の希望納期に合わせて加工管理していく仕事である。時には相手から短納期を
要求されることも多く、その都度、加工業者を電話口で怒鳴り、恫喝しながら強引に言うことを
効かせる。そんな仕事ぶりでもあった。
彼は元々は営業上りだったこともあり、お客様は神様的な意識は強く、買う側が絶対優位の
上意下達の仕事ぶりである。だから、仕入れ業者を怒鳴り散らすのは日常茶飯事であった。
数値管理ができるわけでも、パソコンに精通しているわけでも無く、人脈があるわけでもない。
そんな彼が言葉を失ってしまったら闘うべき武器を失ったと同じで、仕入れ業者に何の脅威も
無くなってしまったのである。彼にとってはそれは会社で自分の存在価値を見失うことになり、
自信喪失につながったのでだろう。日に日に生気は無くなり、白髪が増えていったように思う。

人の活動のあらゆる場は、それはそのまま、自己表現の場となっている。家庭でも学校でも
職場でも、あらゆる場の中で自分を認めてもらうために自分を表現していく。努力して成績を
上げることも、おしゃれすることも、強面で相手を威圧することも、人間の集団の中で自分の
存在を認めさせて、集団の中での自分の位置を向上させるための手段が自己表現であろう。
そんな手段の中で、最も簡単で即効性があり一般的なものが「言葉」なのではないだろうか。
如何に自分が努力し苦労しているか、如何に自分が重要で集団にとって有用な存在なのか、
周りの人はお粗末であり優秀なのは自分であることを、直接間接に言葉として表現していく。
従って言葉は、最も重要なコミュニケーションツールであり、職場を生き抜く武器なのである。

ここで、言葉と言うものについて考えてみた。職人はどちらかと言えば無口なイメージがある。
それは喋らなくても、他の表現手段を持っているからであろう。それに比べるとサラリーマンの
方が饒舌である。そしてどちらかと言えば立ち回りがうまく、言葉巧みな方が、集団の中での
生き残るのに適しているように思う。しかし長い人生の中で実力が伴わなければ、幾ら言葉を
使うことに長けていても、それだけでは何時までも自分の存在感を維持するのは困難である。
「弱い犬ほどよく吠える」いづれバケの皮がはがれ周りの信頼を失い、その言葉の影響力は
次第に失われていく。そして相手に自分の言葉が通じ辛くなってくると、より大げさな表現に
なり、何度も同じことを言うようになる。そして、それでも通じなくなると、今度は相手の意見に
逆らいそれを否定する発言が多くなる。それは、どれが自分の意見で何が正しいかの問題で
はなくなり、自分が相手から意識してもらえ、注目してもらえることが目的のようになってくる。

私の世代の多くがリタイアしていった。そんな彼らと話していると、その何人かは常に人とは
反対の意見を言い議論を吹っ掛けてくる人がいる。そう言う人に限って世の中のことに対して
批判的な物言いが強くなってくる。それはあたかも自分の意見を際立たせることで、自分の
存在を強調しようとしているかのようである。そして、そういう人に共通するのが趣味が少ない
ことである。毎日パチンコに行く、競馬など賭けごとにはまる。酒を飲むことで憂さを晴らす。
どことなく生活が荒れ、殺伐とした雰囲気を感じるのである。

反対に趣味が多く、それなりに老後をエンジョイしている人は、人の意見に耳を傾け共感して
くれることが多いように思う。多分それは多様な表現方法を持っていることで、生き方が自在
で余裕があるのかもしれない。俳句を作る。絵を描く。ばらを作る。家庭菜園で野菜を作る。
サキソフォンを吹く。ボランティアで活動する。自分と言うものを表現して行くのに、言葉と言う
表現手段に頼らなくても、充分に自分を発現しているのかもしれない。

「老後の趣味を持て」これは昔から聞かされてきた言葉である。以前にも書いたことがあるが
「老後に表現手段を持て」と同じ意味なのであろう。言葉と言う表現方法は必ず聞いてくれる
相手を必要とする。いつまでも言葉と言う表現手段に頼っていれば、それを受け止めてくれる
相手を失った時には如何ともしがたくなってくる。不特定多数に対して発する表現でも良い、
自己完結できる自分の世界でも良い、そんなものを手に入れることは、少子高齢化が進み
無縁社会と呼ばれる世の中で暮らす上で必須なことなもしれない。女房との会話も少なくなり、
やがて会社という表現の場を失うことが判っている身にとって、自分の世界を確立することが
急務になってきている。

散歩(小金井)

2011年07月08日 08時21分36秒 | 散歩(1)
                           駅からの散歩 

No.318  武蔵小金井~深大寺           7月2日(土曜日)

我が家の庭木がうっそうとしてきたため、4週に分けて剪定したり、結婚式があったり、梅雨に
入って雨が多かったりで、毎週のように出かけていた散歩も、ここ1ケ月は御無沙汰していた。
歩かなければ歩かないで済むものだが、しかし何となく1週間のケジメが着かない気がして
スッキリしない。先週、梅雨の合間に久々の散歩に出かけてみた。朝方雨が降っていたから
傘を持って出たのだが、JRの武蔵小金井駅に着いた時は真夏の天候に変わっていた。

今日はこの武蔵小金井駅から深大寺まで歩く、この地は東京の西にあり国分寺崖線という
10~20メートルほどの崖が東西に走っている。ハケと呼ばれるこの崖は、古い農家や学校、
公園の敷地として、あるいは保護林の形で森が残されているところが多く、遠目にもはっきりと
それとわかる。崖下には方々で湧水があり、かつては周囲の田畑をうるおしていたのだろう。
この湧水は小川となって野川に注ぎ、二子玉川で多摩川に合流する。この野川は都市河川
としては珍しほどの清流で、子供達が川遊びに夢中にっていた。

昨年、ジブリの「借り暮らしのアリエッティー」という映画が上映された。その映画に登場する
和洋折衷の屋敷や庭園は、青森県平川市の盛美園がモデルだそうだが、その屋敷があった
所在地は今回歩いたこの小金井市の辺りの国分寺崖線付近という設定である。映画のラスト、
アリエッティーの家族が下っていった小川は、このハケの湧水からの流れなのであろう。

いつもなら、歩きながら印象に残った風景をデジカメに収め、それを貼りつけて親しい人達に
メールしていたのだが、今回は趣向を変え、6月3日のブログに書いたイメージングスクエア
の「デジタルクラスト」という技法を使って写真を絵画風に変更し、それを並べて見た。

人によっては、「そんな似非絵画を使うな!」とか「人に見せるなら自分で描いた絵を載せろ」
とかの意見ももらうのだが、そう言われるとあえて反発したくなるのが私の性格である。
私は散歩しながら記録写真を撮っているわけではない。「その場の雰囲気をどう表現しよう?」
そんなことをいつも考えて写真を撮っている。自分が面白いと思うショットやアングルを探して、
シャッターを切る。そしてワンタッチを加えて絵画風にして見た。その写真(絵?)がその場の
雰囲気を表現できていれば、それはそれで良しとしよう。「似非絵画」などと大上段に構えず、
気楽に「どう表現するかを楽しむ時代」なのだろうと思うからである。
だから今回はあえて全ての写真を置き換えてみた。油彩絵風を主体に変更したのだが、置き
換えてわかったのだが、写真を並べた時よりよりは柔らかく、全体的に情感が出るように思う。
ソフトの提供者のカシオの広告ではないが、いままで「撮って見る」だけだった写真を「作って
楽しむ時代」への変化も、まんざら悪いものではないように思うのである。


      
                         JR中央線 武蔵小金井駅

                
                               はけの道

      
                               金蔵院

      
                               はけの道

      
                           左右に大きな屋敷がある

                

      
                               ぶどう園

                

      
                     中村研一アトリエ跡にある「はけの森美術館」

      
                      はけの森の中にある「オープンミントカフェ」

             
         旧中村研一画伯邸を改装した店内は和洋折衷のレトロモダンのインテリアで統一
                        ウバ茶とシホンケーキセットで750円

                

      
                       はけの森  この段差が国分寺崖線

                
                               はけの森

      
                               はけの森

      
                              はけの湧水

      
                     湧水は小川になって流れ、やがて野川に注ぐ
              映画「借り暮らしアリエッティー」の小人の目線で写真を撮って見た

                
                              はけの小路

      
                           はけの小路 左側が小川

      
                              はけの小路   

      
                          手前に野川が流れる

      
                           野川に添った遊歩道

      
                           野川に添った遊歩道

      
                              武蔵野公園

      
                              武蔵野公園

      
                       野川公園 真ん中を野川が流れる

      
                              野川公園

             
                              野川公園

      
                              野川公園

                   
                              深大寺通り

        
                               水車館    

      
                            深大寺門前蕎麦

      
                         なめこおろし蕎麦 900円

      


      
                             深大寺本堂

      
                              水子地蔵

                

                

                

      
                            深大寺植物公園

      
                      1番咲きは終わり、これからは2番咲き

      

      

      

      

      
                            深大寺植物公園

      

      

      
                            深大寺植物公園

斜(ハス)に物事を見る

2011年07月01日 09時18分09秒 | Weblog
                         東村山 北山公園の菖蒲

以前、会社の中で「斜(ハス)の会」というコミニティーを作って、仲間で世の中の流れに批判の目を
向けていた時期がある。それは世の中の動きや判断を今のマスコミに頼っていて良いのだろうか?
と言う疑問と不信感からである。物事をセンセーショナルに扱ったり、情緒的に捉え報道することで、
視聴者や読者の関心を引こうとする、そんな無責任なスタンスに対して批判的であったからである。
私の中のそんな目線は今も変わってはいない。そして日々疑問に思うことは様々である。

例えば今の管政権にしても、
確かに国会の現状は酷い状況だと思う。しかし元はと言えば、いつも世の中を批判ばかりしている
マスコミの扇動に乗り、小沢や鳩山、管という3人組の素性が見抜けず、結果的に民主党を選んで
しまった国民が愚かだったのだろうと思う。無責任なマスコミに最大の責任があるのだろうと思うが、
我々もマスコミの言うことをうのみにせず、斜に構えて聞くようにしなければ判断を間違うように思う。

例えば地球温暖化は二酸化炭素に起因するという説、ほんとうだろうか?と思っている。
地球が生まれた時は大気の90%が二酸化炭素で、10%が窒素であった。その二酸化炭素が
今は3.5%しかない。一時的にパーセントが上がったかもしれないが、基本的には減り続けている。
だから地球温暖化は二酸化炭素の問題ではない。太陽の放射熱が地球に降り注ぐエネルギーで
バランスが取れていたのに、人間が発する大量の熱がプラスアルファーになって、温暖化している
という説もある。この説で言えば、原子力エネルギーも、石油などの化石燃料によるエネルギーも
温暖化に対する影響はまったく同じだということになる。
またある説では、地球は長い周期で寒冷化と温暖化を繰り返しており、その周期の中での温暖化
であって二酸化炭素とは関係ないという説、など諸説ある。今は二酸化炭素の排出を悪者にして
報道しているが、本当にそれは断定して言えることなのかと、疑問に思うのである。

例えば福島原発の放射能汚染の問題、
今は放射能の人体に対する影響の度合いのデーターが整っていない。だから自治体や焼却施設
などでは、どう対処するかで右往左往している。そんな状況をマスコミが煽り住民を不安がらせる。
日本は広島と長崎で原爆を経験した。その時の死亡原因は爆風が50%熱線が30%で放射線は
20%と言われている。私の友人は広島の爆心地から40kmの所で1歳の時に被爆した。そして、
高校卒業までその地で暮らしていたが、周りの友人も被爆による障害は聞いたことがないという。
日本は世界で一番多くの被爆者がいる国である。これだけ多くの被爆体験者がいる日本で人体の
影響度のちゃんとしたデーターが揃っていないということは、反対に考えれば被爆による影響度は
言われているほど多くないのではないだろうかと思ってしまう。放射能という目に見えないがゆえに、
恐怖が増大するわけで、いつかは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということになるように思う。

例えば遺伝子組み換え食品、
遺伝子をどう組み替えようがタンパク質はたんぱく質であり、それによって人間の遺伝子が損なわ
れたり、毒性を持つことはあり得ない。現在、遺伝子組換え作物の作付面積は年々増加していて、
2010年現在、全世界の大豆作付け面積の81%、トウモロコシの29%、になっているという。
そんな中で、遺伝子組換えの作物を食べたことで、なんらかの障害が報告されことがあるだろうか?
私の知る限りは1件もない。マイナスの科学的根拠もデーターもないのに、人工的な操作は危険だ
という先入観だけで不安がる。安心安全も度が過ぎればどんどん自分達の自由度を失うことになる。

例えば佐渡のトキ、
日本のトキは環境が大きく変わったことで絶滅したわけで、今さら江戸時代や明治大正の田舎の
環境に戻ることはない。しかも近親交配で繁殖したトキがその数を増やしていくとは考えられない。
これは一種の人間の懺悔の気持ちなのか、ノスタルジーなのであろう。大型哺乳類である人間が
地球にはびこれば、必然的に他の動物は安住の地を追われ生きづらくなり、絶滅の運命をたどる
ことは避けて通れないことである。だからと言って人間の方を切り捨てるわけにはいかないだろう。
例えば日本オオカミが絶滅したから、シベリアからオオカミを連れて来て北海道に放し、オオカミは
エゾ鹿を捕まえて生きていくだろう、と言う共存は成り立たない。結局人間と野生動物との共存は
叶わぬ夢なのである。人類が勢力が増すほど野生の世界はどんどん縮小されていく。そして人が
できることは動物園かサファリパークのように管理された中での種の保存しか無くなってしまう。

最近読んだ本にこんなことが書いてあった。
昔、殺虫剤に「DDT」というのがあった。(我々の子供の頃はこれを頭から振りかけられていたが)
1962年にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」という本を出版し、農薬による自然破壊を警告した。
そしてそれは社会問題化し、「DDT」の製造禁止まで一気に進んでしまった。「DDT」というのは
極めて優れた殺虫剤で、昆虫の首のところにある神経細胞を選択的に破壊するもので、人間や
哺乳動物、鳥類などには影響なく、虫だけを殺すことのできる殺虫剤である。だから害虫の被害を
少なくするためには最強の方法だったわけである。
戦後開発されたこの「DDT」によって、ハマダラ蚊によって媒介されていたマラリアという病気は
アメリカやヨーロッパ、日本などの先進国ではほぼゼロになった。しかしその後製造中止になった
ため、撲滅が不完全だった開発途上国では、マラリアで毎年100万人から200万人の犠牲者を
出すに至ってしまった。皮肉なことに「DDT」による人間の健康被害は一例も報告されていない。
「沈黙の春」に書いてあることは「DDT」を使うことで野山の鳥が減った、と言うことである。昆虫が
死ねば当然それを餌にする鳥は他へ餌を求めていなくなる。果して何が正しかったのであろうか。

もう一つ、
1900年の後半頃にダイオキシンの報道が集中的になされ、大きな社会問題になったことがある。
当時「人間が作り出した史上最強の猛毒」とか「青酸カリやフグ毒より強い」とかまで言われていた。
日常でも温度が400℃から500℃、食塩がある中で可燃物を燃やすとダイオキシンが出るなどと
言われ、家庭での焚き火なども自治体によっては禁止された。その為、そのダイオキシンで各国は
膨大な予算をつけて毒性研究を行った。そして1999年にその結論がでた。それは「一般的には
毒性は認められるが、人間にはダイオキシンに対する防御が整っているので、毒物とは言えない」
という結果であった。結局は「シロ」だったわけである。
では、あのマスコミの大騒ぎは何だったのであろうか?そして「シロ」だったという報告は国民に広く
なされたのであろうか?考えてみれば焼却炉の清掃担当者や焼き鳥やのオヤジもダイオキシンに
晒されたいたわけで、彼らが真っ先に犠牲者になっていなければいけなかったわけである。
ダイオキシン騒動から15年、現在もしかしたらダイオキシンの影響ではないかと疑われているのは、
癌でも奇形児でもなく、女児を妊娠する割合が男児よりわずかに多くなる懸念であり、そのズレは
極めてわずかで、このズレを統計的なバラツキの範囲とも言われるぐらいである。

今のマスコミは物事を断定的に扱いすぎるのではないだろうか?ちゃんとしたデーターや根拠がなけ
れば、「科学的にはハッキリしていないけれど」という前提を付けるべきである。そして科学的な根拠
が出た段階で議論し、見直していく必要があるように思うのである。


追記
先日ある女性に「貴方は物事に動じず、いつも正論を言おうとしている。感情を抜きにした会話は
ある種殺伐としてしまい、相手との共感にはつながらないのではないか」、そんな風に言われた。
言われてみれば確かにそうなのであろう。感情を表に現さず、常に正しい判断をしようとしている。
「なぜそうなの?」と聞かれても、そうあることが正しいと思っているから、これはこれで仕方がない。

人は「正しいことを納得する」のではなく、「納得できることを正しい」とするそうである。そのことから
すれば、私は納得できることを探しているのであろう。今の世の中、主義主張や金や利権や打算で
物事が動いていく、そんな中にあって自分のスタンスを保っていくには自分が納得できることを正しい
とするしかないのである。そして私の納得がいく基準は論理立っていること、科学的根拠があること
なのだろう。今のマスコミの論調はどちらかと言えば、読者や視聴者の感情に訴えようとしている。
それは私にとっては正しい意見ではないのである。だから別の意見を探そうとする。そして、どちらの
方が自分にとって納得いくかを考えるわけである。周りの出来事に一喜一憂し、振り回されることは
自分の本意ではない。だから正面から受け止めようとせず斜(シャ)に構えている。そんな生き方が
習い性になって、喜怒哀楽が少なくなったのだろう。 これが、その女性への説明になるだろうか?