60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

麻雀

2013年04月26日 09時02分23秒 | Weblog
 先週、十数年ぶりに麻雀をすることになった。1ケ月前、昔の取引先の先輩と一緒に大宮公園の桜を見に行ったとき、「こんど麻雀でもしようよ」と誘いがあった。そういえばこの先輩とはよく麻雀をしたが、彼がリタイアしてからはその機会もなくなり、いつの間にか麻雀のことは忘れていた。早速当時一緒にやっていたメンバーを集めて先輩の地元の大宮でやることになる。当日大宮駅AM10時に待ち合わせて4人が集まった。メンバーは大宮、鴻巣、船橋、私が所沢とバラバラで、私を除いた3人は後期高齢者(75歳以上)である。駅の東口を出て飲み屋街の中を探して、古びたビルの2階にある雀荘に入った。昭和を色濃く感じさせるその雀荘は、休日の朝というのにすで3組が卓を囲んでいた。いずれも50代以降の人たちである。

 朝の10時から始めた麻雀が終わったのは夜の7時を過ぎていた。途中で店屋物を取って昼食をしながら、連続9時間の奮闘である。しかし終わってみれば「あっ」と言う間、自覚としては4~5時間の感覚である。しかもコンを詰めてやった割には、それほどの疲れは感じない。それだけゲームが面白く、集中していたのであろう。我々がサラリーマンの30代から40代は麻雀全盛の時代であった。職場にもよるが、男性社員の半数以上は麻雀をやっていたように思う。繁華街には多くの雀荘があり、どこも繁盛していた。会社帰りにメンバーを募り、終電まで麻雀に興じる。負けが続くと仲間内でのお金の貸し借りも多くなり、金銭管理がルーズな人は信用を失い、仲間はずれになっていくことも多々あったようである。

 麻雀は今の若い人たちには人気のないゲームになってしまった。「4人でやるから自分の都合で終るわけにはいかない」、「親しい人との金のやり取りで、勝っても負けても気持ちが良くない」、「どうしても時間が長くなり、タバコの煙がもうもうとする環境は健康に良くない」、そんな理由で若い人たちに敬遠されてしまったのだろう。今の若い人たちはパチンコ・スロット、コンピューターゲームやカラオケなど、基本的には一人で楽しめ、機械相手で自分が主体になれるゲームに人気があるようである。昭和の遊びと平成の遊び、時代の変化の中でサラリーマンの遊びも大きく変わっていったように思う。

 麻雀と言う遊び、人間関係が苦手な今の若い人たちにすれば、金が絡み人との関係が濃密になるから、わずらわしいだけであろう。しかし我々にとっては相手が生身の人間だからこそ面白いのである。捨て牌から相手がどんな手作りをしているかを読み、相手の表情やそぶり、その一挙手一投足から聴牌(テンパイ)を探っていく。そしてそんな3人の間隙を縫って自らの上がりを作っていかなければいけない。時に強引に、時に慎重に、読みと駆け引きの勝負事なのである。したがって技量だけではなく、運も大きく関与してくるゲームでもある。誰にでも勝つチャンスがある、言わば人生ゲームのような遊びでもある。

 我々世代は戦後の混乱期や成長期の中を、明日に希望を持って、だだがむしゃらに生きていたような時代であった。混沌、混乱、無秩序、急成長そしてバブル、今の時代のような閉塞感の中で、どう自分を保っていくかではなく、社会の成長の中で遅れを取らず、どう立身出世を目指すかの時代であった。そんな環境だからこそ、今日は負けても明日は勝てる。そんな麻雀というゲームが広く親しまれたのであろう。大宮の雀荘に集った4人はそんな良き時代の戦士だったのである。この先麻雀は益々衰退して行き、いつの日か忘れさられていくのであろう。我々の世代と共に、






難聴なのか?

2013年04月19日 08時50分20秒 | Weblog
 先日親しい友人と2人で会話していたとき、「今日のFさんは少しおかしいよ??」と言われる。それは会話の中の私の返事が相手の趣旨と違うことを答えていたのだろう。たぶんそれも何度も。しかしそれを自分でどう認識し、どう伝えていいのか分からず、「そうかもしれないなぁ~」と苦笑いしながらやり過ごすしかなかった。別れたあとで自分の状況を振り返ってみる。多分、相手の話の2~3割は聞こえていなかったように思う。ところどころ聞き取れなかった部分を前後の話をつなぎ合わせて自分なりに解釈し、相手と会話していたのであろう。それがちんぷんかんぷんな会話になったのかもしれない。最近相手の話が聞き取り辛いと思うことが時々ある。広い部屋で相手と1m以上離れていて、しかも周りに人の話し声がする時にそう感じるようである。相手の声質が低く弱いからなのか?それとも自分の聴力が落ちているのか?、今までは特に支障はなかったからほって置いた。しかし、人に指摘されると気になってしまう。「もう耳が遠くなってもおかしくない年齢、一度ちゃんとチェックしておこう」、そう思って会社の近くの耳鼻咽喉科に行くことにした。

 待つこと40分、やっと自分の順番がまわって来た。症状を話すと、「まずは計ってみましょう」と看護士に指示して検査室に通される。両耳にヘッドホーンを付けさせられ、「今から周波数の違う音を出しますから、聞こえた時点でボタンを押してください」と言われ検査が始まった。低い音から中間の音、高い音と5段階ぐらいに分けて音が聞こえてくる。そしてその数値を検査者がグラフにプロットしていく。グラフの縦軸は20から100くらいまでのメモリがある。多分、これは音の強さ(デシベル)であろう。そして横軸は周波数だと思う。私のデーターは山型になった折れ線(左耳)と、谷型になった折れ線(右耳)が縦軸の40から60付近に横に引かれていた。検査が終わって、再び診療室で先生と向かい合う。検査グラフを見ながら先生が、「まあ特に聞こえないと言うことは無いのでしょうが、左右のバランスが悪いですね」とグラフを見せる。先生は「左の耳は高い音や低い音より真ん中の音が良く聞こえ、右耳は反対に真ん中の音が聞こえ辛い。このバランスの悪さが聞き取り辛くしているのかもしれませんね」、「一回の検査では何ともいえませんから、血流をよくする薬と,末梢神経をよくする薬を出しておきます。又1週間後に検査してみましょう」、と言うことであった。
 
参照 120デシベル ・飛行機のエンジンの近く
    110デシベル ・自動車の警笛(前方2m)・リベット打ち  
    100デシベル ・電車が通るときのガードの下
     90デシベル ・犬の鳴き声(正面5m)・騒々しい工場の中・カラオケ(店内客席中央)
     80デシベル ・地下鉄の車内・電車の車内・ピアノ(正面1m)
     70デシベル ・ステレオ(正面1m、夜間)・騒々しい事務所の中・騒々しい街頭
     60デシベル ・静かな乗用車・普通の会話
     50デシベル ・静かな事務所・クーラー(屋外機、始動時)
     40デシベル ・市内の深夜・図書館・静かな住宅の昼
     30デシベル ・郊外の深夜・ささやき声
     20デシベル ・木の葉のふれあう音・置時計の秒針の音(前方1m)
 
 帰ってからネットで調べてみる。難聴の原因は大きく2種類で、「伝音難聴」と「感音難聴」とがある。「伝音難聴」は音を伝える器官の障害による難聴で、これは音を聞く神経に異常がないので治療できる可能性がある。そしてこの症状は補聴器で音を大きくすることによりかなり聞こえるようになる。中耳炎などによる難聴はこれに当たるようである。一方「感音難聴」は内耳か又は聴覚神経に障害がある難聴で医学的な治療は困難である。大きな音は健聴者並に煩く感じるのに、小さな音は聞こえ辛い。そのため、補聴器には高度な機能が要求される。老人性難聴の多くの場合はこの2つの特徴を併せ持つ「混合難聴」が多く、どちらの度合いが強いかは個人差が大きい、と書いてあった。 これを読む限り私の難聴は「感音難聴」の方であろう。とりあえず薬を飲んで、また来週検査に行ってみよう。

 私は気になれば直ぐに病院で見てもらう方である。しかし周りの人たちの中には病院嫌いの人は意外と多いのである。「自分のことは自分が一番よく分かっている」、「医者の金儲けに協力したくない」、「どうせ死ぬときは死ぬんだから」、と言い訳しながら病院に行かないでいる。そして行ったときは手遅れという人も数多く知っている。それは行くことが億劫だからなのか、現状認識からの逃避からなのか、私にはよく理解できない.。私は健康診断も1年1回は欠かさないようにしている。それは自分が今どのレベルにあるかを自分なりに把握しておきたいと思うからである。知った上で、どう対処するかは今度は自分の判断である。68年間も使ってきた体、どこかに異常が出てきてもおかしくはない。しかし自分の現状を知っておいた方が後悔が少ないように思うからである。








息子の結婚式

2013年04月12日 08時12分43秒 | Weblog
 先週土曜日雨の中、鎌倉の鶴岡八幡宮で息子夫婦が結婚式をあげた。2人は昨年の5月にすでに入籍を済ませ、実質的な結婚生活はスタートしている。しかし息子の転職や引越しもあって、バタバタしてしまったために結婚式は1年後になった。当初は友人知人も呼んでの式を計画していたようだが、今年になって新婦のおめでたが判ったため花嫁の負担も考え、急遽身内だけでの式に切り替わった。鎌倉は2人の思い出の地のようで、鶴岡八幡宮での和装挙式は花嫁の希望なのかもしれない。春の桜の咲く頃、鶴岡八幡宮の夕暮れに篝火に照らされる舞殿で式を挙げる、これは2人のこだわりだったようである。

 天気予報は日本列島を爆弾低気圧が通り、関東地方も午後からは強風と豪雨が予報されていた。式の当日鎌倉に着いたときはまだ雨は降っていなかった。しかし挙式前の身内だけの披露宴が終わり、鶴岡八幡宮に向かう時には本格的に雨が降り始めてしまった。参道の若宮大路は雨に煙り、八幡宮の境内も人はまばらである。境内の控室で支度をし、花嫁花婿と参列者は傘をさして2列に並び、巫女の先導で舞殿へ向かう。本宮の正面に位置する舞殿に上がり、所定の椅子に座ると雅楽の音が聞こえてきて式が始まる。雨天の6時はすでに暗く、舞殿の外は風が吹き強い雨が降りしきりる。篝火の炎が風にあおられ大きくゆれ、時折りパチパチと薪がはぜる音も聞こえるてくる。外には何人かの人が傘をさしてこちらを見上げている。後で判ったのだが、それらの人たちは2人の友人達だったようである。斎王と呼ばれる神主が神前に2人の結婚を報告した後、巫女が雅楽にあわせ神楽を舞い、参列者が杯をあげて式は滞りなく終わった。最後に舞殿で記念撮影を終えて解散になる。新郎新婦は居残り、雨の中を来てくれた友人達と談笑したり、記念撮影をしたりしていた。我々親族はそんな2人を残して鳥居をくぐり駅に向かう。振り向くと暗闇の中に雨に霞み、林の中央に納まった八幡宮が遠くに見える。最近はほとんどが洋風の華やかな式が多いが、日本古来の結婚式も厳かで反対に新鮮な趣があり、2人のこだわりが判ったように思えた。これもまた記憶に残る良い結婚式になったように思う。

 今は家同士の結婚式ではなく、人生の伴侶と決めた2人のケジメの為のセレモニーである。だからどのようなスタイルにするかは当人達が考えていくことになる。今回2人は結婚式にあたり息子は転職をし、花嫁はおめでたになり、そして結婚式当日は爆弾低気圧が来てしまった。2人にとっては波乱含みのスタートのように見える。しかし人生とは往々にしてこんなものであろう。以前このブログにも書いたことがあるが、結婚前日に3.11の震災があって延期せざるを得なかった結婚式もあった。人生など何が起こるかわからない、計画通りに行く人生などありえない。臨機応変、その時々にどう判断しどう対処するかが、人生を生き抜いていく力なのであろう。息子の転職で経済的にも不安定になり、10月には赤ちゃんが誕生する。2人にとっては順風満帆なスタートではないのだろうが、協力して歩んでもらいたいと願うばかりである。

 父親として2人の結婚生活にアドバイスするとすれば、論語にある「和して同ぜず」と言うように、社会の一番最小単位である夫婦であっても、安易な同調を避けて、仲はいいけれど、互いが違う意見を持つことを尊重していける夫婦であって欲しい、そう思うのである。

                

                

                

               

                


ウインドウズ・タブレット

2013年04月05日 09時03分22秒 | Weblog
 日本で3月16日から売り出された「マイクロソフトSurface(サーフェス)」というタブレットPCを買った。今使っているPCは7年前に買ったDellのウインドウズXPのディスクトップ型である。7年も使っていると色々とデーターのゴミがたまってしまったのか?起動がおそくなったり、ファイルやインターネットの画面などがなかなか開かず、作動が極端に鈍くなってきた。「もう何時ダウンしてもおかしくない」、そんな不安を抱えながらの操作である。そしてもう一つ、ウインドウズXPのサポートがあと1年で終了する。「ここらあたりで新しいPCに変えておいた方が無難だろう」、そう思って買い換えることにしたのである。

 いずれ会社を離れるのだから、「ネットができれば良い」と思ってAndroid判のタブレットも考えた。しかしやはり使い慣れたワードやエクセルは欲しいと思う。そんな時にこの「マイクロソフトSurface」が発売された。このタブレットPCはWindows RTというウインドウズ「8」と同じOSで動いている。したがってワードやエクセルのソフトが使える。今の自分にとって一番相応しいPCだ!、そう思って早速飛びついたのである。この商品はアップルの「iPad」やAndroid判タブレットに対抗してマイクロソフトが開発し、自らが売りだした商品で、5万円代と意外にリーズナブルな価格である。何よりいいのはタブレットとしてどこにでも携帯でき、タッチパネルでもキーボードでもどちらでも操作できることである。

 タブレットを使うに当たって、インターネットへの接続に余分な通信費がかかることは避けたかった。そのために今使っているスマートフォンのテザリング機能(スマフォを外部モデムとして利用してインターネット接続させる機能)を利用して繋げることにした。これであればPCの代金だけで、今後も通信費が余分にかかることが無いからである。さて買って帰って、まず苦労したのはスマフォとテザリング機能で繋げることである。商品に昔あったような取扱説明書はなにも付いていないから、全て自分の推測で設定していかなければいけない。四苦八苦しながら試みたものの、結局はドコモコーナーへ行って繋げてもらうことになった。次がメールの扱い、次が住所録、次がフェイスブック等のSNSの同期、次に写真の取り込みや管理の仕方、次にワードやエクセルなど「Office2013」の習得(今まではOffice2007である)、覚えなければいけないことは山ほどある。携帯をスマフォに変えた時、今までの操作方法と大きく違って苦労し、一時はそのわずらわしさで吐き気をもよおしたほどであった。しかし今回はスマフォでタッチパネルの操作にも慣れているから、このPCの習得までにそんなには時間はかからないだろう。

 扱い始めて思うのだが、新たなPCは今まで使っていたウインドウズXPに比べて、そうとう機能強化かれているように思う。ワードやエクセル、パワーポイントの他に、ワンノート、スカイドライブ、アプリのインストールから、ツイッター、フェイスブック、ミュージック、フォト、ゲーム等々、クラウドが意識され、ほとんど全てがインターネットとの連動を前提に組み立てられいる。しかもタッチパネルでの直感的な操作で扱えるように工夫されている。7年間止まっていた私の電子機器への適応力を、再び強化しなければいけなくなった。歳を重ねるほどに集中力が無くなり、根を詰めての作業が億劫になって来る。しかしそれを避けていたら、新しい世界には踏み込めないのだろう。そう思って自分自身を叱咤激励して、このタブレットを自在に操れるツールにしたいと思っている。

 いずれ会社を離れ仕事をリタイヤする時が来る。そのときにパーソナルなネット環境が欲しい。一人でふらりと遊びに出かけ、そこからブログやフェイスブックを通じて自分の仲間に向けてメールしたり投稿をしてみたい。自宅でも旅行先でも入院先でも、どんな場所にいてもネット環境さえあれば誰とでも繋がれる。そんなことが老後の孤立感を補ってくれるかも知れないと思う。仕事をやめて自由な時間が多くなれば、スケッチブックとスマートフォンとこのタブレットとを持って、一人日本中を旅して回る。これが私の今の夢である。