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60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

曼珠沙華

2015年09月25日 08時19分09秒 | 散歩(6)

 9月の中旬、通勤途中の線路の傍に曼珠沙華の赤い花を見つけた。曼珠沙華は球根から一気に茎を延ばし花を付けるため、雑草の中から唐突に現れた感じがする。「ああ曼珠沙華の時期だ!」、秋の長雨でうんざりしていた時だけに直ぐ、「シルバーウイークは曼珠沙華を見に行こう」と決めた。以前は100万本とか200万本とか言われていた高麗市の巾着田の曼珠沙華は、正式にカウントしたら500万本ということで、パンフレットには500万本の曼珠沙華がアピールポイントになっている。近年は人出でも多くなって、この時期だけ特急電車も臨時停車する。

               

                        入り口で配っていたパンフレット

 混雑を避け、朝早く(8時30分)高麗駅に着いたが、しかしその電車でもリュックを担いだ人々が50人程度降りたであろう。駅から歩いて20分、道々の農家の人が露店をだして野菜や花などを売っている。巾着田は高麗川が大きく湾曲して昔の巾着のような形からそう呼ばれるようになった。この巾着田には3~4度来ているから、曼珠沙華の群生を見てもそれほどの感動はない。写真を撮りなが散策しても、どの写真もポスターと同じような写真になって新味が無いように思う。それよりは川辺にひっそりと咲く曼珠沙華の方が、風情があって好きである。

   

              高麗駅から巾着田までは20分程度

          

               農家の庭先に咲くキバナコスモス

          

                      ニラの花

    

                       高麗川

    

                      巾着田

         

 

 

      

 

           

                    スケッチする人

           

               川辺で一人おにぎりを食べている

           

              ぽつんと咲いているほうが風情がある

      

 

            

 圧倒的な群生より景色の中に咲く曼珠沙華の方が趣がある。そう思って7月に行った寺坂の棚田に行ってみることにした。高麗駅からさらに足を延ばして秩父の横瀬で下車、歩いて20分のところにその棚田はある。7月に来たときはまだ苗であった稲は、今は穂を垂れ実りの秋である。あぜ道に曼珠沙華の花が咲き、刈り取った稲は稲木に干してあり、昔ながらの風景である。こちらの曼珠沙華のほうが絵にように思い、棚田を歩き回って夢中で写真を撮った。いずれこれを水彩教室で絵にしたいと思っている。

     

                      寺坂の棚田

         

 

     

 

     

 

          

 

          

 

    

 

    

 

    

                       武甲山

 

 

 

 


ウインドウズ10

2015年09月18日 08時08分49秒 | 日記
 私が最初にパソコンに触れたの「Windows95」である。それから「98」、「2000」、「Me」、「XP」、「Vista」、「セブン」、「8/8.1」、そして「10」とバージョンはめまぐるしく変っていった。しかしそれに対応するほど、私はパソコンに対しての興味も必要性も無かったので、結局は「98」と「XP」以外はほとんど使ったことはない。しかし昨年「XP」のサポートが終わり、使っていた株の取引のサイトも「XP]では対応しないというメールが来て、にわかに新しいパソコンを買う必要性に迫られた。

 1ヶ月前に買ったノートパソコンのOSはWindows8.1である。そしてこのバージョンは予約しておけば無償でWindows10にバージョンアップできる。先週その予約に対して「アップグレードの準備が整いました」と連絡が入った。だがやっと「8.1」も理解しかけた時に「10」にバージョンアップすればより混乱するだろうと躊躇してしまう。しかしこの「10」がWindowsの最終バージョンになるかもしれないという情報もある。そんなことから、いずれバージョンアップするのであれば、早いうちに「10」に慣れた方が良いだろう。そう思って今回思い切ってバージョンアップすることにした。
 
                  
 
                              ウインドウズ8.1の画面

                  
 
                        ウインドウズ10の画面
 
 約2時間かかってバージョンアップが終わった。しかしアップ後、そこに現れた画面は今までの「8.1」とガラリと変わてしまった。先日来苦労してインストールしたアプリは何処に隠れているのか見当たらなくなった。また一からやり直しである。「さてどうしよう!」途方にくれるが、「やるしかないだろ」と思い直して本屋に行き解説書を買って来た。そして解説書を読みながら操作手順を一つ一つ覚え、アプリを拾い上げて画面の表に貼り付けていった。
 
 今回新しいウインドウズ10を操作してみて感じたことがある。それは解説書にも書いてあったが「8.1」がタブレットに重点に置いた操作仕様であるのに対し、「10」は今までのウインドウズの流れを踏襲し「ディスクトップ画面」で起動し「スタートメニュー」が復活したことである。今まで「XP」に十数年慣れ親しんできた私にとっては、「8.1」のタイル張りの画面や操作手順に抵抗感が強く、なかなかパソコンになじめなかった。しかし今回は「XP」と同じスタイルの延長線にあるという安心感もあり、覚えるのも楽なように思う。したがって今回は早めに変えて良かったと言えるだろう。
  
 パソコンが生活の中に入ってきておおよそ25年が経過する。最初はインターネットでメールが瞬時に相手に届くことにびっくりし、ホームページをクリックすると砂時計がクルクル回りながらウインドウが開くのが面白ろかった。あれからパソコンやインターネットの世界は長足の進歩である。その進歩に対して私の適応力は退化し、興味も減退していった。それを今回のパソコン切り替えでまざまざと感じたのである。ウインドウズ10がウインドウズの最終系であるのなら、私自身ももうこれ以上のバージョンアップは無しにしたいと思っている。
 
 
 
 

商売センス

2015年09月11日 08時21分24秒 | 日記
                         金剛院佛性寺
       
 長雨が続くと休みの日も外に出かける意欲が無くなってしまう。それでも先週は少し晴れ間が出たので、久しぶりに池袋の本屋に出かけることにした。最近は少し気温も下がり秋らしくなったので、途中の椎名町に降り金剛院佛性寺に行ってみる。前回はいつ来たのだろう?、2~3ヶ月前だったか、その時から今は境内に咲いている花も入れ替わっている。
 
 そんなに大きくもない境内ではあるが、あちらこちらに四季の花が植えられ、風情のある灯篭や石仏が置かれている。駅に近いこともあり、綺麗に清掃された境内には引きも切らず人が立ち寄っている。私もその一人であるが、この小さな空間に足を踏み入れ、境内に咲く花を見て歩くとなんとなく癒されるのである。そして境内を一周してから、山門の傍にあるカフェでランチを食べる。このひと時が休日の1日を少し豊かな気分にしてくれる。これは若い頃には味わえなかった、歳を取ったからこその楽しみかもしれない。
 
  
 
              境内は引きも切らづ人が訪れる
 
                    
 
               まだ咲いている夏の花百日紅
 
   
 
             このお寺には賽銭箱が置いてない
 
                    
 
                    
 
                    
 
 
   
 
                   
 
   
 
 
      
                        
    
 
                      
 
             
 
                 灯篭の下に四角い石
 
                    
 
                       良く見ると猿の顔が彫られていた
 
                     
 
    
 
                  赤門テラスなゆた
  
   
 
             お寺の境内の緑を見ながらのお寺ごはん
 
 ランチを食べ終わって会計を済ませたとき、店員さんが、「今度お寺の本堂で落語会がありますから、よろしかったらおいで下さい」とパンフレットを渡された。そのパンフには第一回椎名町落語会10/24とあった。「やはりここの住職さんは商売上手だなぁ~」と思う。四季折々の花で人を集め、綺麗なカフェで食事やお茶を提供し、そして今度はお寺の本堂を使ってイベントを始める。オープンして1年半、カフェのお客さんも格段に増え、確実にお客さんの気持ちをとらえている。やはり商売センスのある住職さんなのであろう。
 
                            
 
 以前読んだ宮本輝の本に、「持って生まれたもの」として「愛嬌、機転、・・・・」などいくつかの性質が書いてあった。例えば機転の利かない人はどんなに本人が意識しても機転は利かない。それは「持って生まれてこなかった」から仕方が無いことである。愛嬌の無い人もまた同じという風に・・・・、その言い方でいくと「センス」も同じかも知れないと思う。美的センス、ファッションセンス、音楽センス、営業センス、商売センス・・・と色々あるが、ある分野でセンスの無い人は、そのセンスを持って生まれた人には敵わない。例えば音痴の人はやはり音楽センスは持って生まれてこなかったのであろう。ファッションセンスのある人は何を着ても垢抜けしていて着こなしが良い。ここの住職は仏門に入ったが、他に商売のセンスを持って生まれたのかもしれない。センスとはそんなものかもしれないと思う。
  

 

  


旅行4(故郷下関)

2015年09月04日 08時29分22秒 | 散歩(6)
 旅行5日目、同行の友人も前日に東京へ帰ったので、今日は一人で故郷の思い出の場所を歩く予定である。しかしあいにくの雨模様、駅でビニール傘を買い、立ち食いコーナーで懐かしい「かやくうどん」を食べてから街に出た。
 
          
 
 先ず最初に60数年前に通った小学校へ行くことにする。私が通っていた時は木造2階建ての校舎だったが、今は鉄筋コンクリートの三階建てに変わっている。しかし体育館も校舎の位置も同じ位置で、昔の雰囲気は残っている。夏休みでしかも雨、全く人の気配を感じない小学校を後に、6年間通いなれた通学路を昔の実家まで帰ってみることにした。
   
          
            
                                    小学校正門     
 
   
 
                          学校の校庭には誰もいない
 
   
 
  昔は大通りに感じた道は大人の目では車がすれ違うのにも窮屈な道であった。
 
          
 
    自動車道を5分くらい歩いてから石段を登って住居地区へ入る
 
   
 
       車が入れない小高い山の住宅地、その路地を縫うように歩く、
                あちらこちら廃屋が目に付く
                  
   
 
                    緩い下り坂
            小学校から歩き始めて初めて人を見た

           
 
        坂道を左に折れると小さな路地から茶山通りにでる
 出口の右の角は昔は豆腐屋だった。おからが鍋一杯で5円だった記憶がある
 
   
 
           昔は活気のあった茶山通りは今はシャッター街
 
   
 
       茶山通りを横切って再び車の入れない道を右に上がって行く。
 
   
 
    昔はひっきりなしに人とすれ違っていた分岐点、我が家は右に折れる。
       手前の黒い塀は天理教、昔よく子供会の集りに使われていた。
 
   
 
       今では通るのにもばかられるような路地、これを左に折れる
   
   
 
     これでも公道である。無秩序に冷房の室外機が出っ張っている。
                   突き当りを右に
 
   
 
    少し広い道にでる。子供の頃はここで夏休みのラジオ体操をしていた
 
   
 
                   ここを右に上がる
 
   
 
                     石段の前を左に折れる
   
   
 
         ここから家の占有の道。突き当りの右に石段があり門がある
 
   
 
                    旧の実家の門
   学校から子供の足で30分だった距離は今大人の足で15分程度である 
 
          
 
          見覚えのある郵便受け、今は名前も入っていない
 
   
 
       左が玄関、何年放置されているのか草が生い茂っている
       (門には鍵が掛かっているので隙間からカメラを入れ撮影)
 
         
 
              空調機の室外機も20年前と同じ
 
         
 
                    庭への門
   
   
 
                       庭
        植木は伸び放題、落ち葉が深く積もってて見る影も無い
 
   
 
       ぐるっと裏に回って高台から家の背戸(裏口)を眺める
      昔は母が畑に使っていた土地は木と草が生い茂っていた。
 
 20年ほど前、自分たちの体力と状況から判断し、この家では暮らせないと感じた両親は家を売り、息子(私の弟)のいる新潟に住まいを設け同居するようになった。その時家を買った人が10年程度住んでいたのだろうか?、その後この家が売りに出ていたことは知っていた。しかしそれ以来買い手がつかず、今は放置されたままなのだろう。空調機や洗濯機がそのまま放置されているということは、住んでいた人に突然なことがあったのだろうか?と推測してしまう。
 
 この家は祖父が大正期に建てた家である。したがってすでに築95年近くを経過しているはずである。父が幼少期から暮らし、母が嫁いできた家であり、我々四人の兄弟が育った場所である。そんな実家が放置され朽ち果てようとしている。人手に渡っているから如何ともしがたいことであるが、やはり寂しく口惜しい光景である。

 
 下関は三方海に囲まれ、山が海岸線まで迫っている地形である。そんな地形でありながら本州の最西端という位置から、九州や韓国への連絡口として明治、大正、昭和の初期に栄えた街である。当時は主な交通手段は鉄道と船、後は人力が頼りである。そんな状況で人口が増えていけば、当然駅や港に近い山にも住宅が建つようになる。無秩序に立てられた居住地区は人が通れる道さえあれば良く、石段や狭い道幅など車社会になることなど考えられていなかった。この環境は長崎や尾道も同じだったのであろう。
 
 戦時中に鉄道の関門トンネルが出来、戦後に自動車トンネルが出来、自動車専用の橋が架かり、新幹線用のトンネルが出来て、本州と九州は4本のパイプでつながれた。そうなると下関に交通の要所としての機能は無くなり、ただの通過点になってしまう。人口は徐々に減り、車社会に対応できない住居地が取り残されていった。
 
        下の写真は自分の記憶の中に残っていた思い出の風景である。
    
   
   
                 中学校への登下校の道
 
   
 
         母はここを通るたびに立ち止まってお参りしていた
 
   
 
          買い物の行き返りこの階段の昇り降りは大変である
  
   
 
 
   
 
 
   
 
   
   
 
   
   
 
               年寄りにはきつい階段である。
 
   
 
              城砦のような住宅と右側はお寺
    
 先週ブログにアップしたのは下関の表の顔であり、今回は裏の顔である。ここで取り上げた写真にはほとんど人が写っていない。別に意識して人を避けて撮ったわけでなく、実際に人が歩いていないのである。子供の頃あれだけ活気があり活動的だった町は、今はひっそり息を潜めてたたずんでいる。
 
 私は下関を離れてやがて半世紀になる。もうこの歳になれば、またいつ訪れられるか分からないと思い、今回は下関に3泊してみた。故郷の懐かしさを感じ、50年という時間の流れを痛烈に感じさせてくれた故郷であった。
 
 
                    終わり