インターネットの映画紹介で、☆印が4つ半ついていた韓国映画「牛の鈴音」が気になった。
解説を読んでみると、こう書いてある。
「牛の鈴音」はイ・チュンニョル監督の第1作目となるドキュメンタリー映画である。3年余りの
月日をかけて完成させたこの映画が韓国映画界に奇跡をおこした。今年1月にアート作品
専門の7館で封切られると、口コミによってまたたく間に全国150館に拡大していった。
その後、数々のメディアに取り上げられ、累計300万人動員というドキュメンタリーとしては
驚異的な記録を達成した。何事も速いスピードで過ぎていく現代社会にあって、この映画の
ヒットは人々が安らぎを求めているという世相を反映しているのではないだろうか、とあった。
この時期はお正月映画が目白押しの中、都内では3館のみの上映である。19日の初日
早速銀座シネパトスという映画館に出かけて行くことにした。
映画は韓国の一農村。農業を営む79歳のチェじいさんと76歳のイばあさんは60年以上を
連れ添ってきた.。夫婦は9人の子供を立派に育てたが、子どもは皆都会に出て暮らしている。
子供たちは親の体を気遣い仕事をやめるように言う。しかし頑固で昔かたぎのチェじいさんは、
耕作機を使う時代に、牛とともに昔ながらのやり方で働き続けている。牛の寿命は長くて25年
と言われているが、この老牛は40歳になった今でも、夜明けから毎日チェじいさんに連れられ
畑仕事に出かけて行く。
チェじいさんは小児まひの後遺症なのか、細く頼りない右足でまともには歩けない。それでも
重い荷を担ぎ、牛を操って田んぼを耕し、四つん這いになって草を取る。イばあさんも共に
働くが、しかしこの家に嫁に来た自分の不幸を嘆き、いつもぶつぶつと愚痴をこぼしている。
この映画にはナレーションはない。大きな事件もおこらない。政治的メッセージもない。
描かれているのは韓国の美しい四季を通して、静かな時の流れの中で、腰の曲がった2人の
老人と寿命をはるかに超えた40歳の老牛の日常を追ったドキュメンタリー映画である。
インターネットのホームページを見ると、監督の後日談が書いてあった。
映画の舞台となる農村で、この牛とチェじいさんに出会った。だが老人は読み書きができず、
耳も遠いためインタビューができない。「カメラを向けるとスチール写真だと思って動きを止め、
表情も変になってしまう。ありのままを記録するのがドキュメンタリーの原則だが、イばあさんも
お化粧したり何回も着替えたりして撮り辛かった」、苦肉の策として無線マイクを彼らにつけ、
遠くから望遠での撮影を続けたという。
だからこの映画では老人2人のほとんど素のままの様子が撮られている、音が生きている。
虫の音、おばあさんの愚痴、おじいさんのうなり声、そして牛の首に付けられた鈴の音、牛が
動くたびにその鈴が鳴り続ける。病気で伏せっているチェじいさんがこの牛の鈴音を聞いて
「ビクッ」として起き上がるシーンがある。チェじいさんは鈴音で牛の様子が分かるのであろう。
牛には市販の飼料は与えず、草を刈ってきて与える。牛が食べる草に農薬が着くのを嫌い、
畑にも農薬は使わない。農作業もすべて人力で行い耕作機械は使わない。道端で牛が
草を食べ始めたら止まり、動くまでじっと待つ。そんなスローペースなリズムが刻まれている。
老牛と頑固なチェじいさん、映画はその日常を追い続けて行く。言って見ればただそれだけの
ドキュメンタリーである。そこに製作者の「こんなことを訴えたい。こんな風に感じて貰いたい」
という明確な意図はあまり反映されていない。映画を見ていると、韓国の田舎の中に自分が
居て、その空気感にひたり、そのおじいさんや老牛とシンクロしていくような感覚になる。
そんな中で観客はそこに何を感じるか、何を思うかはそれぞれである。その労働条件を過酷と
考えればそうかもしれない。しかしチェじいさんはそんな風には思ってなく、すべて受け入れ、
作物に対して、牛に対して、愛情を注ぎ淡々と生きているように思える。そこに気負いもなく、
使命感もなく、損得も効率も関係なく、自分の人生の定めのようなものに従って、ひたすら
歩み続けているようにも思えるのである。
監督自身が農家の生まれ、父親は牛と共に働いて、4人の子供を育て上げた。ある時自分
勝手な人生を送っていたことに気づかされる。そして苦労して大学まで出してくれた父に、申し
訳ないと思うようになった。それで父親を慰労するような物語を撮りたいと思い、この作品を
考えたそうである。「誰も無から生まれたわけではなく、自分を生み出してくれた過去がある」
そんなことを感じてもらえばこの映画は成功である、・・・と、そんな風に語っている。
観客のほとんどが50歳以上の年配の人達である。映画の入れ替えをロビーで待っていたら、
隣の人の読んでいる本はハングル文字の本であった。観客の中には韓国の人達も多数いた
のかもしれない。映画が終わって明るくなるまで誰一人席を立たない、話し声もしない。
うっすら涙を溜め手で拭ういる人もいる。映画が与えた感動は人によってまちまちであろう。
私はこの映画のチェじいさんに、人の「生きざま」を感じる。農業をやる人々の並はずれた
覚悟や性根を感じる。受け継いだ田畑をひたすら耕し、自分を信じ、分相応な生き方に
徹し、愚痴を言うわけでもなく、人をうらやむわけでもない。自暴自棄になるわけでもなく、
天から与えられた運命を受け入れひたすら働き続ける。
チェじいさんの子供時代は日本に統治された時期であり、その後第二次世界大戦があり、
朝鮮戦争では国は南北に分断され、混迷の中をかいくぐって生き抜いてきたのであろう。
今、牛とともに農業ができる、傍から見ると苦労に思えるが、本人にとっては充実して幸せを
感じているのかも知れないと思った。
人にとって何が幸せなことか、何も都会の華やかな生活が幸せなのではないのであろう。
自分にやるべき仕事が有って、その仕事に損得や効率を度外視するほど打ち込めれば、
充実した人生を実感できるのではないかと思う。私の父も大正生まれ、このチェじいさんと
同じ時代を生き抜いてきたわけである。そして2人に共通していることがあるとすれば、
それは「楽を考えない、手を抜かない、必死に生きてきた」ということであろう。この映画に
涙するのはそういう父親たちの生き方に、あこがれと共感を感じるからではないだろうか。
解説を読んでみると、こう書いてある。
「牛の鈴音」はイ・チュンニョル監督の第1作目となるドキュメンタリー映画である。3年余りの
月日をかけて完成させたこの映画が韓国映画界に奇跡をおこした。今年1月にアート作品
専門の7館で封切られると、口コミによってまたたく間に全国150館に拡大していった。
その後、数々のメディアに取り上げられ、累計300万人動員というドキュメンタリーとしては
驚異的な記録を達成した。何事も速いスピードで過ぎていく現代社会にあって、この映画の
ヒットは人々が安らぎを求めているという世相を反映しているのではないだろうか、とあった。
この時期はお正月映画が目白押しの中、都内では3館のみの上映である。19日の初日
早速銀座シネパトスという映画館に出かけて行くことにした。
映画は韓国の一農村。農業を営む79歳のチェじいさんと76歳のイばあさんは60年以上を
連れ添ってきた.。夫婦は9人の子供を立派に育てたが、子どもは皆都会に出て暮らしている。
子供たちは親の体を気遣い仕事をやめるように言う。しかし頑固で昔かたぎのチェじいさんは、
耕作機を使う時代に、牛とともに昔ながらのやり方で働き続けている。牛の寿命は長くて25年
と言われているが、この老牛は40歳になった今でも、夜明けから毎日チェじいさんに連れられ
畑仕事に出かけて行く。
チェじいさんは小児まひの後遺症なのか、細く頼りない右足でまともには歩けない。それでも
重い荷を担ぎ、牛を操って田んぼを耕し、四つん這いになって草を取る。イばあさんも共に
働くが、しかしこの家に嫁に来た自分の不幸を嘆き、いつもぶつぶつと愚痴をこぼしている。
この映画にはナレーションはない。大きな事件もおこらない。政治的メッセージもない。
描かれているのは韓国の美しい四季を通して、静かな時の流れの中で、腰の曲がった2人の
老人と寿命をはるかに超えた40歳の老牛の日常を追ったドキュメンタリー映画である。
インターネットのホームページを見ると、監督の後日談が書いてあった。
映画の舞台となる農村で、この牛とチェじいさんに出会った。だが老人は読み書きができず、
耳も遠いためインタビューができない。「カメラを向けるとスチール写真だと思って動きを止め、
表情も変になってしまう。ありのままを記録するのがドキュメンタリーの原則だが、イばあさんも
お化粧したり何回も着替えたりして撮り辛かった」、苦肉の策として無線マイクを彼らにつけ、
遠くから望遠での撮影を続けたという。
だからこの映画では老人2人のほとんど素のままの様子が撮られている、音が生きている。
虫の音、おばあさんの愚痴、おじいさんのうなり声、そして牛の首に付けられた鈴の音、牛が
動くたびにその鈴が鳴り続ける。病気で伏せっているチェじいさんがこの牛の鈴音を聞いて
「ビクッ」として起き上がるシーンがある。チェじいさんは鈴音で牛の様子が分かるのであろう。
牛には市販の飼料は与えず、草を刈ってきて与える。牛が食べる草に農薬が着くのを嫌い、
畑にも農薬は使わない。農作業もすべて人力で行い耕作機械は使わない。道端で牛が
草を食べ始めたら止まり、動くまでじっと待つ。そんなスローペースなリズムが刻まれている。
老牛と頑固なチェじいさん、映画はその日常を追い続けて行く。言って見ればただそれだけの
ドキュメンタリーである。そこに製作者の「こんなことを訴えたい。こんな風に感じて貰いたい」
という明確な意図はあまり反映されていない。映画を見ていると、韓国の田舎の中に自分が
居て、その空気感にひたり、そのおじいさんや老牛とシンクロしていくような感覚になる。
そんな中で観客はそこに何を感じるか、何を思うかはそれぞれである。その労働条件を過酷と
考えればそうかもしれない。しかしチェじいさんはそんな風には思ってなく、すべて受け入れ、
作物に対して、牛に対して、愛情を注ぎ淡々と生きているように思える。そこに気負いもなく、
使命感もなく、損得も効率も関係なく、自分の人生の定めのようなものに従って、ひたすら
歩み続けているようにも思えるのである。
監督自身が農家の生まれ、父親は牛と共に働いて、4人の子供を育て上げた。ある時自分
勝手な人生を送っていたことに気づかされる。そして苦労して大学まで出してくれた父に、申し
訳ないと思うようになった。それで父親を慰労するような物語を撮りたいと思い、この作品を
考えたそうである。「誰も無から生まれたわけではなく、自分を生み出してくれた過去がある」
そんなことを感じてもらえばこの映画は成功である、・・・と、そんな風に語っている。
観客のほとんどが50歳以上の年配の人達である。映画の入れ替えをロビーで待っていたら、
隣の人の読んでいる本はハングル文字の本であった。観客の中には韓国の人達も多数いた
のかもしれない。映画が終わって明るくなるまで誰一人席を立たない、話し声もしない。
うっすら涙を溜め手で拭ういる人もいる。映画が与えた感動は人によってまちまちであろう。
私はこの映画のチェじいさんに、人の「生きざま」を感じる。農業をやる人々の並はずれた
覚悟や性根を感じる。受け継いだ田畑をひたすら耕し、自分を信じ、分相応な生き方に
徹し、愚痴を言うわけでもなく、人をうらやむわけでもない。自暴自棄になるわけでもなく、
天から与えられた運命を受け入れひたすら働き続ける。
チェじいさんの子供時代は日本に統治された時期であり、その後第二次世界大戦があり、
朝鮮戦争では国は南北に分断され、混迷の中をかいくぐって生き抜いてきたのであろう。
今、牛とともに農業ができる、傍から見ると苦労に思えるが、本人にとっては充実して幸せを
感じているのかも知れないと思った。
人にとって何が幸せなことか、何も都会の華やかな生活が幸せなのではないのであろう。
自分にやるべき仕事が有って、その仕事に損得や効率を度外視するほど打ち込めれば、
充実した人生を実感できるのではないかと思う。私の父も大正生まれ、このチェじいさんと
同じ時代を生き抜いてきたわけである。そして2人に共通していることがあるとすれば、
それは「楽を考えない、手を抜かない、必死に生きてきた」ということであろう。この映画に
涙するのはそういう父親たちの生き方に、あこがれと共感を感じるからではないだろうか。