8月22日の新聞に《「ポケGO」熱狂のち定番》という記事があった。「ポケモンGO」の国内配信開始から1ヶ月、国内での推定ダウンロード数は1000万を超える大ヒット。ダウンロードして直ぐにやめた人は約130万人にとどまり、「スマートフォンゲームの継続率としては高い」という記事である。また昨日の新聞では、ポケモンGOをやっていて、わき見運転で2人の女性をはね、国内初の死傷事故が起きたという記事があった。配信から1ヶ月で「ポケモンGO」をしていて起きた交通事故は79件(人身22件、物損57件)とも書いてある。
世界70ヶ国で配信されアメリカでの騒ぎが話題になり、配信されれば日本でも騒ぎになるのは予測できることだった。どちらかと言えば物見高い私は、「ポケモンGOに関して意見を言うには、自分でやってみるのが先決だろう」と思い、配信早々にダウンロードしてみた。スマホゲームなどやったことのない私は操作手順を覚えるまでは四苦八苦、やっと要領を掴みレベルアップして行くようになるのに2、3日を要した。しかしやるに従って、ただ外に出てポケモンを集めるだけの単純なゲームではなく、ポケモン同士の戦い方や卵の育て方など、どんどんゲームの多様性を要求されるようになってくる。
自分でやっていると周りが気になってしまう。一つは「歩きスマホで人や物にぶつかるリスクがあるのでは?」という思い、二つ目は「いい歳をしてポケモンGOやっているのか?」と言われかねないという思いからである。そんなことからゲームをやるのは通勤途中の人のいない道や公園、休日の散歩道やマックの店内など、なるべく人のいないところを選んでいた。それは自分の気持ち中で、「自分には相応しくない行為なのでは?」という思いがあったからであろう。
自分の行動を気にすると同時に、同じようにゲームをやっている人が目に留まるようになる。山手線の中でゲームをしているおじさん、歩きながらスマホを見つめるOL、マックの店内では30~40代の夫婦がお互いのスマホを覗きながらゲームに興じる姿、意外に子供は少なく、どちらかと言うと30~40代までのサラリーマンが多いように思った。
お盆前、池袋東京芸術劇場前の西口公園の側を通ったとき大勢の人が集まっていた。よく野外イベントをやっている場所なので、今日も何の催しがあるのだろうか?と思う。しかしその大勢の人は一定の場所にたたずんで、手に手に持ったスマホを眺めている。「これはポケモンGOで集まった人達なのだ」そう気付いたとき、何か背筋が寒くなるような異様さを感じてしまう。自分もやっていて可笑しのだが、夕闇迫る公園で通勤帰りのサラリーマンがゲームに興じている姿、やはりどう見ても異様な光景である。この光景を見て、「私には相応しくない」と言う気持ちが決定的となり、直ぐにゲームをアンインストールしてしまった。
では何がこれだけ大人たちを夢中にさせるのだろう? ゲームはポケモンを捕まえる都度ポイントが溜まり、ある一定のポイントでレベルアップしていく。レベル1から初まってレベル10、レベル20と向上していくと同時に、ポケモンを戦わせ勝利すると名声ポイントも上がっていく。ゲームはやればやるほど習熟度が上がり、やればやるほど仕組みや要領を覚えレベルを上げることになる。またお金で道具を買いゲームを有利に進めることも出来る。
サラリーマン社会でも同じようなことが言え、能力があり成績が上がれば会社内で職責があがり出世していく。また接待や付け届けなどのお金の使い方でも有利不利が生じることもある。そんなことを考え合わせれば、ゲームは実社会の縮図のようにも見えるのである。しかし実社会では往々にして思うに任せないことばかり、一方ゲームの中では明快なルールがあり不公平さはなく、努力すれば確実にレベルアップしていける。現実世界で上手くいかない状況を、仮想の世界でそれを解消することもできる。そんなことがポケモンGOを夢中にさせる一つの要因なのかもしれないと思ってみた。
池袋西口公園