60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

腹だけ痩せる技術

2012年07月27日 10時00分41秒 | 読書
 毎年夏に健康診断に行くことにしている。今年もそろそろ予約を取らないといけないと思っている。例年検査数値に大きな変化はないが、いつも「B」判定がつくものが脂質(中性脂肪、コレステロール等)と腹囲である。人は歳とともに腹部に脂肪が付いてきて体型が崩れてくるようで、自分の体型を分類するなら「下半身太り体型」ということであろう。「もう少し減量して何とかしたい」、いつもそう思って意識しているのだが、なかなか思うようには行かないのが現実である。一時期体重が74Kgあって食事の量を減らし、70Kg程度までは落としたが、気を抜くとすぐに72Kgを超えてしまう。ダイエットは「自分との戦い」、つくづくそう思うのである。

 先日本屋に行ったとき、「腹だけ痩せる技術」(凹ませるだけで形が変わる)※植森美緒著、という本が目に止まった。以前TV番組で、「お腹を凹ませるだけで腹囲を落とすことが出来て、結果として減量ができる」、というような解説を聞いた記憶がある。これもまた現れては消える新たなダイエット方法だろうと思い、ちゃんと見ることはしなかった。しかし目の前に本が積んであるとやはり興味が湧き、立ち読みでパラパラとページをめくってみた。その中に、自分の経験から納得できることが書いてあった。「ダイエットは続けられなければリバウンドしてしまう。続けることが出来るのは、自分にとって無理をしなくてもやれる方法である」と。早速買って読んでみることにした。

 ダイエットで言われていることは、「食事制限 筋トレ 有酸素運動」、という3本の柱の組み合わせで行われるのが一般的である。その中で一番有効で手っ取り早いのが「食事制限」であろう。しかし必死に食事制限してやせたとしても、痩せる部分は選べない。太るときはお腹から太るのに、痩せるときはそうは行かず、先に顔が痩せてげっそしたりする。そしてたとえ腹部が痩せても形が変えられず、だらりとたるんでしまい引き締まった体にはならない。それと食事制限していると、食べていない割りには痩せにくくなってくる。これは基礎代謝量が落ちてしまい低燃費な体質になってしまうためである。だから以前ほど食べていないにもかかわらず、体重の減少は壁にぶち当たり、元にもどすと反対に太ってしまうことになる。

 その次が「筋トレ」、筋肉をつければダイエット出来ると言うのは定説になっている。「筋肉をつける」⇒「基礎代謝が上がる」⇒「痩せる」という理屈が一般的であるが、しかし、筋肉をつければ脂肪が落ちるというものでもない。一般的な腹筋運動は「凹んだお腹を作る」ためのトレーニングではなく、筋力をつけるための運動である。筋肉をつけることと脂肪を減らすことは分けて考えたほうがいい。脂肪の下に筋肉がついた体系の典型がプロレスラーや力士である。あのような体型でも彼らの体脂肪率は25%程度なのである。

 そして「有酸素運動」、有酸素運動をすれば少しづつでも体重は落ちていく。しかし全身運動だから、お腹だけが痩せるわけでなく、全身まんべんなく痩せてくる。健康的にゆっくり痩せたとしても、結果として止めてしまったら食事制限と同様にリバウンドが起きる。ある程度減量になるほどの「有酸素運動」が日々の日課になれば良いのだろうが、よほど切羽詰った事情や強い動機がないかぎり、なかなか続かないものである。多くの人が思い立って何度も試みてみてたものの、どこかで挫折してしまう。そのたびに、自分自身の意志の弱さを実感させられることになるのである。

 ではどうするのか?本ではお腹を凹ませるだけで良いという。背筋を伸ばし、肩を後ろに引き、腰周りのきついズボンを履くときの要領でお腹をすぼめるようにしして大きく凹ませる。そのとき肩があがってはいけないし、息を止めてはいけない。そしてお腹を凹ませた際に背中が丸まらないようにする。時間的には長くても数十秒、ただそれを繰り返すだけで腹痩せは効果が出ると言う。電車の中でつり革につかまって、歯磨きをしているときの何分、歩いているときの何十歩とか、・・・・最初は意識的に凹ませて、お腹の周りの筋肉を引き出してやる。それを続けているとわざわざ凹ませなくても凹んだ形を保つことができる。繰り返すことで、お腹の周辺にある筋肉は「形状記憶」するというのである。

 使われていない筋肉は本来の収縮する力を発揮することがなく、たるんだ状態になっている。お腹が出ている人は筋肉本来の力をうまく使えていないだけで、本来の張りを戻すだけでお腹はぐっと凹むらしい。若いときはゴムのように伸びても元に戻ることが出来たものが、肥満や加齢が積み重なっていくと、伸びきったゴムのようになってたるんだままになってしまうイメージである。お腹周りには腹直筋、外腹斜筋、内腹斜筋、腹横筋、と主に4つの筋肉がある。それをお腹に力をいれ凹ませることで筋肉に緊張を与え、今一度復活させようということである。

 皮下脂肪は有利脂肪酸という物質に分解されて血液に混ざり、エネルギーとして使われるのだが、血液は全身を巡るから、特定の場所の脂肪が燃焼されるわけでは無いというのが今までの考え方である。しかし最近は筋肉から分泌される「インターロイシン6」という物質が、筋肉周辺の中性脂肪を分解して有利脂肪酸に変え、一帯の筋肉がそれをエネルギーとして利用している可能性が高いという意見である。だから使い込んでいる筋肉周辺と、そうでない筋肉周辺では脂肪のつき具合が違うと言うことになる。それが腹部の筋肉を意識して凹ませることで、腹部の脂肪が落ちていくという理屈である。そのような繰る返しで効果が出てきたと感じるのは、1ヶ月ぐらいらしい。

 さて、本を読み始めてから今日で1週間である。昨日計った体重は69.7kg、一週間前より1.5kg程度減った気がする。しかし腹囲は確実にベルトの穴1ヶ分縮まった。このペースで減らすことが出来ればメタボ基準の腹囲85センチ(昨年88センチ)を何十年ぶりかでクリアできるかもしれない。健康診断は経過を確認して8月下旬にすることにした。さてどんな結果になるのか?詳しくは1ヶ月後に結果報告してみよう。


散歩(川崎)

2012年07月25日 09時06分49秒 | 散歩(3)
                           川崎大師 風鈴市

駅からの散歩

No.345         川崎~川崎大師           7月22日

 我々の年代だと「川崎」と聞けば、公害の街のイメージが強い。戦後のモクモクと黒煙を上げる工業地帯の映像が記憶にあり、また「川崎病」という名も水俣病のように川崎市が発祥と混同したりで(本当は発見者の名)、殺伐としたイメージが植えつけられている。
 東京に来て40年以上経過するが、川崎駅に降り立ったのは今回が初めてである。駅は東西の自由通路になったコーンコースがあり、大宮駅に似た雰囲気である。駅前は大きなビルが林立し、その近代的な装いに今まで抱いていたイメージとのギャップを感じる。しかし街を歩くと、どの商店街も寂れて閑散とした様子である。町全体は緑が少なく、川崎競輪、川崎競馬、堀の内のソープ街と、やはり少し荒れた感じがする。これが昔の工業地帯の名残なのであろうか。

      
                             JR川崎駅
                       コーンコースは東西自由通路

      
                         川崎駅東口 アトレ川崎

      
                              西口通り
                        かつては東芝の工場があった

      
                         ミューザ川崎 音楽ホール

               
                           工事が進む駅西口

               

      
                             ハッピーロード

               

      
                   南部鉄道川崎海岸線の跡に出来た「さいわい緑道」

      
                             さいわい緑道
                    生い茂る木々や花壇が目を楽しませてくれる

               

               
                            野生化した朝顔

      
                         国旗がひるがえるニコニコ通り

               

      
                              砂子通り

      
                            六郷の渡し場跡
              1600年徳川家康が橋を架けたが1688年の洪水で流失、
                  以降架橋はされず、もっぱら渡船が用いられた。

      
                              多摩川
                          対岸は東京都大田区

      
                    川が氾濫すると水に浸かりそうな京急線

      
                          堀の内 ソープランド街

               
                       旧川崎宿の色町の名残を伝える

      
                              稲毛神社
                    ビルが並ぶ市街地にあって貴重な鎮守の杜

      
                              稲毛神社

      
                            漫画チックな狛犬

      
                           緑が多い富士見通り

      
                          伊勢町本通商店街

               

      
                      神明神社 盆踊りの準備がしてある

      
                             大師公園

      
                   中国自然散策庭園 藩秀園(しんしゅうえん)

               
                       藩秀園 中国藩陽市から贈られた

      
                           川崎大師 仲見世

               
                              飴切り

      
                              仲見世

      
                      広島風お好み焼きいは行列が出来ている

      
                        日本人は屋台で飲むのが好き

      
                               風鈴市
             全国から900種、3万個の風鈴を一堂に集めた日本一の風鈴市

      

      

      

               
                               風鈴市

      
                              川崎大師

      

      

      
                            川崎大師 本堂

               

                            川崎大師駅へ

上から目線

2012年07月20日 09時03分50秒 | 読書
  昨年の震災後、松本復興担当大臣が岩手県を訪れ、県知事に対して、「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないヤツは助けない」、「お客が来るときは、自分が席についてから呼べ。しっかりやれよ」、「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」、そんな発言をして「超上から目線」と激しい非難を浴び、程なく辞任に追い込まれた。昭和の時代なら「威張った大臣」と見過ごされたことも、平成の時代では通用しなくなっているのである。
 「上から目線」、ある意味世の中の変化で、クローズアップされてきた言葉であり事象の一つなのかも知れない。「上から目線」をインターネットで調べると、他人を見下すような雰囲気や言説のこと。「よく物事を知っている自分が、無知なお前(ら)に教えてやるんだ」と感じられる発言を不快に思う時に使われる事が多い、と書いてある。言う方は意識はしていないのであろうが、言われた方がそういう目線を感じれば、「偉そうに・・」「馬鹿にされている」、そういう感情が働き、相手に対して反発の感情が芽生えるものである。

 私の年齢になれば「上から目線」を感じることは少ないが、それでも友人との会話の中で、「外国での考え方はこうで、それに比べて日本人は・・・・」などと、いかにも自分が高み立ち、こちらを見下したように感じて反発することがある。周りの若い人達を見ていても、「あのオヤジ、上から目線でものを言う」、という言葉を頻繁に聞くし、実際に20、30代の若い層と、40、50、60代の層との間で、この「上から目線」の捉え方で断層が出来ているようにも思う。これが社内のコミュ二ケーションの断絶を生み、「不機嫌な職場」に繋がる一因のようにも思う。果たして自分は相手に「上から目線」を感じさせているのか、若い人と話すときは何を気をつけなければいけないのか、考えさせられるテーマである。

 先日、書店で『上から目線の構図』 ※冷泉彰彦著(講談社新書)というのを見つけて読んで見ることにした。以下そのあらましである。

 「目線」と言うのは映画や写真を撮影する際の専門用語であった。観客や視聴者に映るイメージとして、その人物が「何を見ているか」「何を感じているか」を表現するために人工的に視線をコントロールする場合を言うようである。そこには作り手の意図や感情が込められている場合が多い。また「目線」というのは人から発せられる視線が、対象に延びている様子を横から見ている感覚で、眼と対象が線で結ばれているというイメージで、その結ばれた視線の角度や方向、高さ、つまり上下関係が意識されている。

 「目線」と言う言葉から派生して、「お客の目線で」、「患者の目線で」、「子供の目線で」と言う風に、相手との関係を円滑にしようという意図で、相手の立場に立って物事を考えるときの使われるようになってくる。特にサービス業の現場などで顧客の苦情に対応するために、低姿勢となって相手の怒りを鎮めるなどの、「お客様目線」の標準化が進んで行き、今に至っている。そしてやがて顧客とのトラブルを回避するために、「とにかく目線を下げよう」という傾向が世のに蔓延してくるようになった。その結果「お客様第一」というスタンスが、「供給者が下で購買者が上」という上下関係を徹底することにもなってしまう。そして時として一部の消費者に「全能感」を植え付けてしまい、クレーマーやモンスター(ペアレント)をも生む下地になってきているように思う。

 「上から目線」という言葉が使われるようになったのは、2008年の福田総理大臣の記者会見のとき記者に向かって、「あなたとは違うんだ」と言った頃からだと言われている。「私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです。そういうことも併せて考えていただきたい」という発言が、あっという間にネット世界で話題になった。福田首相は「常人とは自分は違う」と思っている。骨の髄から「上から目線」の人間だと言うことを証明している。こんな反応がネットを駆け巡った。このあたりから、「上から目線」という言葉が日常生活のコミュ二ケーションの中に入ってきたものと言われている。

 では「上から目線」という言葉が、一時の流行語に終わらず、一般に定着する背景はなんだろうかと考えてみる。

 もともと日本語というものは、人間関係の調和が前提となって出来ている。まず関係性を規定して、上下の敬語や遠近の丁寧語を使ってコミュニケーションのフレームを作り、親近感へ巻き込んでいく。そんな会話のスタイルを持っているのが日本語である。意見の相違や利害の相反が出てくると、湾曲表現や敬意の表現などを駆使して関係性を傷つけないよう、バランスをとろうとする会話の形式も定着している。こうした日本語の会話には相手への明確な反論や前提への懐疑というのはなかなか馴染まない。それをポンポンとやってしまうと、本人が思う以上に暴力的な権力行使として相手に受け取られてしまう。

 通常の日本語には「対等な会話」というのは無い。「年長者は上、若者は下」、「男性は上、女性は下」、「サービス業の顧客は上、提供者は下」、「無言の理解者は上、わからずに質問してくる人は下」といった暗黙の上下関係を、会話において要求してくる。したがって 「目線の上下」を気にしないで済む会話スタイルと言うのが、なかなか日本語にないのである。日本語には「話し手と聞き手」という分担があり、それ自体が上下関係になる。したがって「あいづち」というものは「相手の話し続ける権利を承認する」行為であり、上下関係を確認し継続するためには必要なことなのである。

 一方で英語は「上下の感覚」が薄いし、そもそもアメリカ社会は「人間は皆平等」ということが、相当程度まで信じられている社会である。戦後その影響もあって日本でも近年は、感性の違いや価値観の違いについて堂々と主張できるようになった。そして多様な価値観が、「出会う」あるいは「衝突する」場が増えたということである。ある意味日本の社会において、あらゆる人は平等(形式)になった。いったん「自己」を見出した日本人は昔からの秩序にしたがって「上下関係のどこか」に自分を規定されることに対して、ハッキリとした違和感を表明しはじめたのである。それが「上から目線」を嫌うことになるのだろう。我々は誰もが「見下されない権利」を持っている。同時に誰をも「見下してはいけない」、これが今の若い人たちの共通の概念でもある。

 世の中にあると信じられた共通の価値観が消滅したことによって、以前は使えていた「当たり障りの無い話題」が無効になってきてしまった。正確に言えば無効になったのは話題だけではない。話題に伴う「会話の形式」が無効になってしまったのである。お客様の苦情に対応するために低姿勢となって怒りを鎮めるなどのテンプレート(雛形)が用意されていれば、会話としてはうまくいく。昔はそんなふうなテンプレートが随所にあり、それに乗っかっていれば、自然とそこには「関係の空気」が生まれたので、その空気の中でスムーズに会話が進められたのである。現代はそのテンプレートが失われたことで空気も生まれにくくなっている。日本語の会話には「空気」が必要である。空気が成立しない場ではコミュニケーションは行き詰ってしまう。そして「空気」が成立しないと、どうしても「目線」が気になるのである。昔から日本語での通常の会話の中にはこのようなテンプレートは意外なほどに標準化されていたのである。しかし社会が大きく変動する中で、昔から使われていたテンプレートが使えなくなってしまい、若い人達のコミュケーション能力が失われていく結果にもなっていくのである。

 ではどうしたら良いかである。

 個人的な人間関係でも、仕事や学校などの社会での関係でも、コミュニケーションがうまくいかない、相手に自分の考えや感覚を理解してもらえないと言うときは、「価値観の相違」を疑う必要がある。一つは価値観が違うと気づいたら、出来るだけ早く「価値観論争をやめる」こと。もう一とつは仮に価値観論争を伴うような話題でも、お互いが妥協できる「具体的な落しどころ」を常に探り、最終的に価値観は異なっても、当座の具体的な行動に関しては合意できるように努力することであろう。

 日本語の会話では「話し手と聞き手」や「質問者と回答者」といった役割が、言語上の上下関係になって会話が進むという特性からは逃げられない。だが、その中でもあくまでその会話の場にいる人々を、「対等」に扱う必要がある。そうした姿勢をキープできれば、「上から目線」現象は相当程度避けることができる。一つは心構えの問題としては「人と人とが対等である」ことを深く刻み込むこと、同時に具体的な会話の局面ではまず一歩下がってみることである。目上はもちろん、目下であっても相手を立ててみる。そして何とか自然な、そして相互に心地よい会話の空間を作ることが大切である。あらゆる摩擦はそうしてみて、初めて解決へと向かうであろう。と著者は書いている。


 我々の両親の時代、「暑くなりましたねぇ~」という言葉から、見知らぬ人にも平気で声をかけていた時代である。そこには本に書いてあるように日本語に付随するテンプレート(雛形)が存在していたように思う。しかし今はインターネットの時代である。そういうわずらわしいテンプレートを排除し、できるだけ簡略化して行く時代のように思う。その究極が「ツイッター」なのかもしれない。初対面同士がいきなり会話に飛び込んでも問題ないし、特にその会話の「場の空気」が解からなくても何とか入っていける。またお互いの年齢や地位などの「上下関係」もそれほど気にしないでよい。140文字の中では敬語や丁寧語を使う必要も無く、常に対等な立場でコミュ二ケーションが可能なのである。変われば変わったものである。
 さて、これからどんな世の中になっていくのか?、どちらにしても大きく様変わりしていくのは確かであろう。しかしどんな世の中になろうと、人が一緒に暮らすからには直接のコミュニケーションは避けては通れない。今の若者には縦横なコミュニケーション能力が次第になくなりつつあるように思う。だからこそ、その能力を有する人が、重要な役割を担う時代になって来るように思うのである。

顔を見て人を選ぶ

2012年07月13日 09時36分03秒 | Weblog
 7月11日小沢新党が「国民の生活が第一」という党名で発足した。厚顔無恥な小沢一郎らしく、臆面も無くこんな名前を付けるものだと感心する。反増税、脱原発が旗印とか、これも取ってつけたような主張で、選挙目当が見え見えで白々しく思うのである。早速報道では、「自分の選挙が第一」の党名の方がふさわしいと皮肉られ、「一兵卒集団」とか「雑兵集団」と言われるほど人材不足の新党の船出である。したがって、世論調査では期待しないが80%と言うことらしい。当然の結果だろう。今日(13日)の日経新聞のコラムにこんなことが書いてあった。違和感の正体を探るとハムレットの中のせりふが思い浮かぶ、「ことばは天を目指すが心は地にとどまる、心のともなわぬことばがどうして天にとどこうか」。国民を大切にしているようでいて、結局はだしに使っている。だから言葉が目指すところに届かない、と。

 上の写真は3年前の衆議院選挙の時の民主党のTVコマーシャルである。鳩山・菅・小沢のトロイカ体制で、沈没寸前の日本を救う、というものであった。そして民主党が勝利して政権交代はなされたのだが、結果は今の政治の混迷である。では誰が悪いのか?と言うことになれば、私は、このコマーシャルを見て民主党に投票した国民にこそ責任があるように思うのである。この3人の資質を見抜けず、ただ彼らの言うことを真に受けて1票を投じたのは、誰あろう国民自身なのである。それを今になって後悔しても後の祭りである。民主党のマニフェストはこの3人が主導して作ったものである。3人がマニフェスト通りに世の中が変えられると本気で思っていたのなら政治家として無知無能であり、出来ないことが解かっていたのならば、これはもう詐欺である。国民はこの3人に乗せられたことになる。鳩山由紀夫は宇宙人と呼ばれ、史上最低の首相の評価である。小沢一郎は「金は力、数は力」と言ってはばからない金と権力の亡者であり、今は政治資金の問題で刑事被告人である。菅直人はイラ菅と呼ばれ短気で怒りっぽく、自分の感情を抑えることが出来ない独善的な小者であった。

 「うまい話は疑ってかかる」、これは人生を渡って行く時の鉄則であろう。どんな人の話でも必ず裏がある。それは言い訳だったり、自慢だったり、だましだったり、自分の意図どおりに、あるいは自分が有利になるように、話の内容に織り込まれているはずである。だから人の話は割り引いて聞かなければいけない。いわんや政治家の話など、ほとんど嘘だと思ったほうが正しいのである。政治家とは出来もしないことを平気で口にし、甘言をろうして自分に票を集めようとする人種である。だから、それに騙された国民が甘かったのである。企業の就職でエントリーシートをまともに信じる会社が無いように、マニフェストなど信じるに足らないものである。入社してしまえばそれまで、当選してしまえばこちらのものという人たちが、人に受けの良い話をするのは当然のことなのである。

 では我々は何を基準に人を選ぶのか?と言うことである。企業の面接官が面接の時、応募者の一挙手一投足を観察して判定すように、我々は政治家の普段の言動を追っておかなければいけないのだろう。しかし一般的には自分の選挙区の候補がどんな活動をしいるのかあまり知らないはずである。せいぜい選挙期間中にマイクを持ってガナリ立てているのを見るか、選挙ポスターで目にするぐらいがせいぜいである。先ほど書いたように、新聞などに載っている彼らの選挙公約など信じるほうが馬鹿である。ではどうするか?、まずはどの政党に属するのか?、彼らの親分(派閥)はだれなのか?、経歴はどうなっているか?、そして最後の決め手になるのは顔である。美人とかイケメンとか言うことではなく、いかに誠実な仕事をしそうな人物かを顔で判断するのである。「40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」という言葉がある。人間40年も生きていると、「顔」にその人の「生き様」や「考え方」が大なり小なり出るものである。だから候補者の顔をじっと見つめるのである。出来ればポスターより、生の顔の方がいい。後は自分のインスピレーションしかないであろう。

 私がまだ小学校の頃、おばあちゃんに「三白眼の人には気をつけろ、最後は裏切られるから、」と言われたことが未だに頭の中に残っている。(今になって考えれば人格とは何の関係も無いし、三白眼の人には失礼な話だと思う) そして当時はそのこと以外にも、おばあちゃんは、ことあるごとに人の表情からその人の内面や性格を類推する話を聞かされたように思い出す。明治生まれのおばあちゃんは人の言葉に頼るのではなく、人のしぐさや表情から判断し、人を知ろうとしていたのであろう。そんなことが小さい頃の私の中に刷り込まれたのか、私の趣味はいまだに「人間観察」である。だから、「人に騙されたら、それは自分の観察力が足らないと思え」、「騙されるのは騙されるほうにも問題がある」、と言うのが私の持論である。相手の目を見てじっと話を聞く、その時の話の内容などはどうでも良い。重要なのはその話ぶりや表情の中に、その人の心情を読み取ることことなのである。それを怠らなければ、自分の周りにどんな人がいようが、恐れることはない。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」である。

散歩(多摩~町田)

2012年07月11日 12時30分03秒 | 散歩(3)
                         布田道 切通し

駅からの散歩

No.344   多摩センター~町田       7月8日

 「むかし道を歩く」、今日は多摩丘陵を縫うように貫く古道を歩く。若き日の近藤勇や沖田総司が、剣術修行に明け暮れて通った布田道から小野路へ。歴史ある古社や憩いの公園が点在する散歩コースである。

      
                         多摩センター駅

               
                      バスで多摩市豊ヶ丘六丁目へ

      
                     バス停から南に歩くと山道に入る。

      
                      小型車がやっと通れる狭い道

      
                   山と畑だけで民家はまったく見当たらない

      

               

               

      

      
                    古道を歩き始めて誰とも出会わない

      
                           布田道

               

      
                           切り通し

      
                  布田道は幕末に近藤勇などが通った道とか

      
                       分かれ道に立つ地蔵

               

      
                自由民権運動で活躍した村野常右衛門の生家

      

                
               中が空洞になったまま立つケンポナシの大木

      

               

      
                         野津田神社

      
                          民権の森
          町田が輩出したした民権運動家の資料を展示した資料館などがある

      
                         町田ぼたん園

      
                     4月下旬から5月上旬が見ごろ

      
                     カフェガーデン風見鶏で一休み

               
                       屋根の上に風見鶏

      
                  アンティーク調の店内は落ち着いた雰囲気

      
                 ステンドグラスや柱時計が雰囲気を醸し出す

      
                  店内は私一人で、間が持てず落ち着かない

      
           オーナーは以前ガーデンデザイナーの仕事をしていたそうである

      
                          町田薬師

      
                           薬師池

      
                          薬師池公園

               
                      薬師池からバスで町田駅に、




女の変遷

2012年07月06日 09時35分12秒 | Weblog
 以前いた会社で、一緒に働いていた女性と同窓会をやることになった。20年前~13年前くらいに仕事をした4人の女性陣である。当時は皆20代前半、今は40歳前後である。1人は独身だが、他の3人は結婚してそれぞれに子がいる。その子供達も幼稚園から小学校低学年に集中しているから、今が一番手がかかる時期であろう。今日は子供を旦那に託して、久々の息抜きである。会うのは彼女達が子供を持ってからは初めてではないだろうか。
 
 飲み屋の席に座って話し始めると、しだいに打ち解けてざっくばらんな口調になっていく。当時の人達の消息、仕事での失敗談やお笑いネタ、そして自分達の近況について、話は盛り上がる。お酒が入り次第に陽気になっていくにつれ、独身女性と私は、若いママ達の勢いに圧倒される感じになってきた。自分の旦那ネタや子供ネタ、周りをはばからない甲高く大きな声、たしなみの無い笑い方、20代の若き乙女のイメージが一気におばさんに変身したような驚きである。基本的には昔と性格は変わらないのだろうが、当時の性格がより際立ってパワーアップした感じである。女性は子供を持つと変わるというが、今それを目の当たりしている。独身時代に(多少は)あっただろう「つつしみ」とか「しとやかさ」、「おくゆかしさ」、「謙虚さ」、「恥じらい」、そんな衣が一枚づつはげれてしまい、素の性格がむき出しになってしまった。これは人によって違うのかもしれないが、子供を持つ女性特有の変化なのであろう。

 考えるに、子供を育てるということは生半可な気構えで出来るものではない。自分の全精力をつぎ込んで育てなければいけないはずである。目を離すことが出来ない小さな生命、四六時中気を配り、病気になればおろおろと病院を走り回る。時には子供と感情をぶつけあって本気で喧嘩し、危害を加えるのもがあれば体を張って守ろうとする。そんなときに、なりふりなどかまっていられるものではないだろう。だから今までまとっていた、「つつしみ」の衣をかなぐり捨ててしまったのである。家族のためにと節約をし、少しでも収入を得るためパートをし、自分の装いより子供の衣服が優先する。だから2人も3人も子供がいれば、これはもうパワフルでなければやっていけないのである。「母は強し」である。しかし彼女達を見ていると、子育ての苦労にも関わらず、いたって明るいのである。異口同音に、子供達の寝顔を見ていると頬擦りしたくなるほど可愛いと言い、どんなに学校の成績が悪くても、気にはなるが苦にはならないと言う。3人それぞれの生活は決して楽ではないのだろうが、しかし子育てを楽しみ、それを生きがいに活き活きとしている。多分これが女性にとっての子育てなのだろうと思う。

 子供は日々成長して行き、やがて反抗期を向かえ親離れして行くときがくる。この時が女性が再び変わっていく転機なのかもしれない。母親も子供ベッタリから離れ、再び自分の人生を取り戻していく必要があるのだろう。男も同じで、仕事からリタイアしたとき、何もする事が無ければ、やはりさびしい老後になっていく。夫婦仲がよければ寄り添って生きていけばいいのだろうが、(私のように)そうで無ければ、今頃になって自分の生きがいを見つけなければいけない。ある女性が言っていた。女は子供を人質にして家庭の中で天下を取る。そうなれば怖いものは無いから、自分の苦手なものは退け、好きなことだけでやっていこうとする。そして次第に社会性を失い、やがて家庭で胡坐をかいたオバサンになってしまう。大変なことなのだが、子育てしながらでも社会に出て、なんらか仕事をするとか、自分の趣味を持ち続けていた方が良いと思う。社会の中でいろんな制約を受けながら仕事をすること、自分のスキルを磨いておくこと、そうしておけば子育てを終わったときも、精神的に自立して生きていけると思う。そういう話であった。

 さて目の前で陽気に酒を飲んでいる若きお母さんよ!、子育てだけにとらわれず、少しでも自分のスキルアップも考えて見たらどうだろう。再び「つつしみ」の衣をまとって、世の中に再登場する日のために、