1ヶ月半ほど前から右の二の腕の上部が痛い。いつも右肩にカバンを掛けるから、その習慣で何らかの障害がでたのだろうか?、右肩を下にして寝るから寝違えたのか?、それとも最近何か重いものを持っただろうか?、振り返って考えても「これ!」と思える原因が見当たらない。時々右肩を回すような動作をすると激痛が走ることがある。筋肉に亀裂が入ったかと思える痛みで、しばらくは身動きが取れないほどである。大きく動かさないかぎり、生活に差しさわりがあるわけでもないからそのままほって置いた。しかし1ヶ月を過ぎても痛みが取れない。薬局でサロンパスを買ってきて貼ってみたが、特段の効果も無いようである。
1ヶ月半を過ぎると、さすがにこのままほっといて治るのだろうかと心配が出てくる。やはり何が原因でこうなるのか、自分自身で把握しておかなければと思い、会社の近くにある整形外科へ行ってみた。受付を済ませ、診察室の前で待つこと5分、名前を呼ばれて診察室に入る。「どうされましたか?」、医者の質問に対して今までの経過を話す。医者は私の右ひじを持ち、前後左右に持ち上げ、どういう位置の時、痛みが出るのか確認していく。一通りの検診が終わると、「我々の病名で言うと〈肩関節周辺炎〉と言いますが、いわゆる五十肩です。骨に異常があるといけないですから、一応レントゲンを撮っておきましょう」。そういってレントゲン室に連れて行かれ、角度を違えて2枚のレントゲン写真を撮られた。現像が出来上がってから再び診断室に呼ばれる。
レントゲンフィルムを見ながら医師は「まあ骨には異常は無いようですから、やはり五十肩でしょう」、「70になって五十肩ですか??」と私、「50歳前後でなる人が多いので五十肩なのでしょうが、これは年齢に関係なく起こります」、「何が原因なのでしょう?」。「原因ははっきりしません。これは関節炎と違って、関節の外周にある腱板などに炎症が起こるためです」、そういって肩の模型図が書いてあるパネルを指して説明してくれた。「どうすれば良いでしょうか?」、「痛みで眠れないようであれば、痛み止めの注射をしますが、その必要は無いでしょう。しかし痛いからといって動かさないと固まってしまいますから、あまり痛みが出ない範囲で動かしてください。夜寝るときは右肩を下にしない方が良いでしょう」。診断が終わり湿布薬をもらって病院を出た。
「五十肩」、今まで経験したような気もするがはっきりした記憶が無い。自分の体調の異変について、だいたいの記憶は残っているから、たぶん「五十肩」があったとしても、大した症状にはならなかったのであろう。会社に帰ってネットで調べてみると、「・・・炎症が最も多く起こる場所が「腱板」、腱板は線維組織からできているため、加齢とともにもろくなりやすいのです。しかも、もともと血管が少ない部位で、いったん傷つくと修復されにくい性質があります。50歳代は老化が進みやすい年代ですから、ちょっとした力が加わるだけで傷ついて、炎症を引き起こしやすくなることが考えられます。・・・」と書いてある。「おっ、また加齢や老化という言葉が出てきたか、まあ50歳からの老化の症状が70歳で出たのだから良しとしよう」
私は何でもかでも医者に行くわけでは無いが、自分にとっては未知であり、不可解に思ったときは、思い悩むより先ずは専門家に聞いて見る。そして自分の症状と医者の言うことが合致していればそれで納得をする。医者に頼るのか、自分で治すのか、後は自分の判断である。私はそういう風に考えるが、しかし周りを見渡すと、病気と病院との考え方は人によって千差万別のようである。
これはどちらかといえば高齢の女性に多いのだが、「医者は病気を治す責任がある」という考え方である。だから医者に通って、自分の思いどうりに快方しないと、「あの先生は何もしてくれない。不親切だ!」、と医者の個人攻撃になり、病院を転々とする。腰痛や膝痛や生活習慣病、どちらかといえば自分の生活習慣に問題があるのに、それは棚に上げて被害者意識が強い人が多い。二つ目が医者嫌いである。「俺の体は俺が一番良く知っている。あいつら(医者)は金儲けしか考えていないから、俺は医者には行かない」、そう言って胃潰瘍で血を吐いても病院に行かない人がいた。また、「俺はもう何時どうなってもかまわない。だから医者に行って、ああだこうだといわれたくない」と言う人もいる。これらの人は老年の男性に多い。
三つ目が自己逃避型である。「咳がもう何ヶ月も続いているのに医者には行かない」、「健康診断で要検査の指摘が有ったのに医者に行かない」、これらの人は行けば、酒、タバコ、食事など、自分の生活習慣を変えるように指摘されることが分かっている。「そんな話は聞きたくない」だから医者を敬遠する。それは自分の生活習慣を変えるのがわずらわしいから、逃避し続けるのであろう。私の身近に居た人で、親が肝臓の病気で若くして死亡し、本人もある時期肝臓の数値の異常を指摘された人がいた。彼はそれ以来健康診断にも行かなくなり、サプリメントや民間療法に頼った。しかし結局は62歳で肝臓ガンで亡くなってしまう。医者に行き何らかの治療をしていれば、もう少し長く生きただろうと思うのだが、真実を知ることが怖く、目を瞑ってしまった。
「酒とタバコをやめないのであれば、私は貴方の手術はしません」、医者にそう言い渡された喉頭がんの人がいた。「俺は太く短く生きるんだ!だから酒もタバコも絶対やめる気はない」そう言っていた彼も、やはり酒もタバコも辞めることになった。人は命と引き換えだとやはり命の方を選ぶものである。しかしそれが差し迫ったものにならない限り、なかなか動けないものでもある。自分の中に異変を感じたら、先ずは何が起きているのか調べて、自分で知っておくことであろう。今はネット等で、症状や療法と治癒の可能性は大体把握できるものである。その上でどうするかは自分で決める。それが責任ある老後のスタンスのように思うのである。