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60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

うつの前兆

2013年10月25日 08時14分04秒 | Weblog
 (私の良く知る)ある会社の若手社員が、「適応障害と抑うつ症状により1ヶ月の加療を要す」という内容の診断書を会社に提出した。彼は20人たらずの中小企業で事務を担当している。性格はまじめで気が弱く、自己主張も少ないように思えた。会社は職務分担が明確でなく、彼が一番の若手ということもあり、古株の営業社員に雑用を押し付けられることが多かったようである。彼はそのことに理不尽さを感じつつも、しかし逆らうことができなかった。いやいややるからミスも多くなる。そのミスを先輩社員から叱責され罵倒されると、次第にものを頼まれることが恐怖になってくる。そんな状況をオーナーは見てみぬ振りをし、彼を庇うことも業務改善に手をつけることもしなかった。そして彼は次第に仕事のやる気を失い、朝会社に行くことも辛くなってきたようである。

 彼は自分でも「これではまずい」と気づき、新宿にあるメンタルクリニックで受診することにした。そこは日曜日も診療している病院で、スタッフも4、5人とサラリーマンにとっては受診しやすい落ち着いた雰囲気の病院だったそうである。まず最初にスタッフから簡単な質問を受け、その後検査室に入り頭にヘッドギアのような脳波測定器を装着される。最初に「あいうえお・・・」を順番に言わされ、その後で「〈あ〉で思いつく単語を言ってください」と言われ、つぎに「〈い〉で思いつく単語?」、・・・つぎに「〈き〉で思いつく単語?」という風に検査は続いていく。そして最後に再び「あいうえお・・・」を順番に言わされ、約20分程度で脳波検査は終了した。

 検査が終わり、しばらくして診察室に入ると先生に、「少し脳波に異常が出ていますね」と言われ、モニターの脳波を見せられたそうである。その時初めて自分の状況が深刻なことを知り、彼は少なからずショックを受けたと言う。それから医師に生活の状況について色々と質問を受ける。仕事の状況は? 自宅では? 休日の過ごし方は? 最近自分で変わったと感じることはありますか?等々。それに対して、職場での理不尽さが耐え難くなり、会社に行くことが辛くなったこと。自分の部屋は綺麗にしている方だが、それが最近は片付かなくなったこと。休みの日は学生時代の友達と遊びに行ったり、一人の時は長距離の散歩をしたり、映画を見たりしていたが、そんなことが少なくなり、あまり外出しなくなったことなど、彼は正直に答えたそうである。そして質問に答えながら、自分でも自分の変調に気づいたと言う。

 問診が終わり医者の診断は・・・「うつ病」の一歩手前ですね。今はまだ職場に対しての怒りがあるから大丈夫でしょうが、これが進むと、全てのことに無気力になってしまいます。そして自分の周りで起こるトラブルは「自分が悪いから、自分がいたらないから・・」と思うようになってきます。そうなれば完全に「うつ病」です。あなたは今回早めに来院されて良かったと思います。今から少し休養し、運動をしたり、何でも良いから趣味を大切にし、自分で集中できるものを作ったほうが良いと思います。会社の状況を聞いた限り、再度勤めてもまた同じことが起こるでしょう。状況が許すなら環境を変える意味で、転職を考えた方が良いと思います。とりあえず1ヶ月休めるように診断書を書いておきます。症状に変化を感じたらまた来てください。そんな話で終わったそうである。

 先日の日曜日、NHKスペシャル「病の起源」という番組で「うつ病」を取り上げていた。その内容は、・・・生命は自分の身を守るための防御本能として、脳の中の「扁桃(へんとう)体」を発達させてきた。しかし、恐怖、ストレス、孤立・・・そんな状況の中に長く身を置くと、扁桃体が暴走し脳のエネルギーを消耗させて機能低下を起こしてしまう。これが「うつ病」の原因だと考えられる。人類が脳を進化させたことで高度な知性が生まれ、文明社会への道を切り開いてきた。しかし文明社会によって社会が複雑化し、人間関係が一変したことが、皮肉にも人類がうつ病になる引き金を引いてしまった。そう言う内容の番組であった。

 彼は学校を卒業して初めての職場である。田舎から出てきて、生き馬の目を抜くように感じる東京の、しかも中小のオーナー経営の会社に入社した。今のオーナーの考え方が、「自主性を重んじる」ということで聞こえは良いが、悪く言えば職場は無管理状態で弱肉強食の様相になってしまう。近年営業成績も上がらず、職場の雰囲気もギスギスしたものになってきた。そんな中で彼はストレスに晒され続けたのである。そしてとうとう職場離脱(ドクターストップ)となってしまった。

 彼を見ていると、ゆとり世代の特徴と言うのであろうか、がむしゃらな意気込みや前向きなスタンスに乏しく、打たれ弱くひ弱な感じを受ける。とは言うものの今からは、こういうタイプの若者は多くなっていくのであろう。したがってそんな彼らを受け入れる職場環境の方にも問題があるように思うのである。彼が診断書を提出したたまたまその日、朝刊に塩野七生の著書の広告が掲載されていた。その中に、「若者が自信を持つには、人生と言う戦場で勝つしかない」、そしてもう一つ、「リーダーを自覚できない人間が権力者であった場合、権力は悪に変わる」とあった。この2つの言葉がぴったり当てはまる出来事である。結局、彼にとってはミスマッチな職場だったのである。






OB会

2013年10月18日 08時58分49秒 | Weblog
 先々週、元の会社のOB会(仲間内)があった。集まったのは12人(62歳から72歳)である。たぶん7~8ヶ月ぶりであろうか、その間にもガックリと痩せて、急に老けた感じに見える仲間が二人いた。聞いて見ると一人は糖尿病が悪化したと言い、もう一人は脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)とかいう難しい病気でリハビリに苦しみ、最近やっと歩けるようになったと言う。他のメンバーもここ1~2年の間に鼠径ヘルニア(脱腸)で手術、腎臓結石の手術、前立腺がんの手術、緑内障を患って視野が狭くなったしまった者などいて、昔の企業戦士は今では満身創痍の様相である。

 OB会のように何十年という間に定期的に仲間を見ていると、年齢的な印象差が40~50代に比べ、60代以降どんどん広がっていくように思うのである。その大きな要因の一つは病気であろう。先ほどの糖尿病の悪化や脊柱管狭窄症の人はすっかり痩せてしまい白髪もどっと増え、実年齢より5歳以上は老けてしまったように感じる。もう一つの要因はリタイア後の日常生活のスタンスのように思う。素人バンドを組んで演奏活動をしている仲間や、何十坪の家庭菜園をやって今や百姓を自認している仲間、散歩の同好会を主催し毎週のように歩いている仲間などは、顔の色艶が良く、いかにも健康的なのである。

 集まった12名は同じような職歴をたどって今に至っている。転勤や移動で時に同じ場所で仕事をしたり、時に離れて仕事をしたが、それぞれの人の気質は大体把握している。そんな前提で今の生活状況を聞くと、退職後の生活もサラリーマン時代の延長線上にあるように思うのである。神経質で几帳面な仕事をしていた人は、毎朝かかさずトレーニングセンターに行き汗を流さなければ1日が始まらないと言い。麻雀やパチンコなど賭け事に一生懸命だった仲間は、今は少ない小遣いで馬券を買って楽しんでいる。また毎晩のように酒を飲んで帰っていた者は、今でもなんだかんだ口実を設けて飲みに出歩いていると言う。定年後の第二の人生と言えど、そこで思い切った切り替えや、人生の再スタートや再チャレンジと言う意識はなく、やはり今までの習慣は崩せないのが現実の姿である。

 皆の雑談の中で大きなウエイトを占めるのはやはり健康の話である。TVの健康番組で仕入れた知識なのか、自らが罹った病気で勉強したのか、それぞれの病気や健康に対する知識は生半可なものではない。しかしそれほど豊富な知識がありながら、ほとんどの人は相変わらずの生活習慣を続けているようである。糖尿病が悪化したと言いながら、やはり今も酒を飲んでいる。風を引いたら咳が長引くと言いながら、やはり今もタバコを吹かしている。「知っていることとやれる事は違う」というが、まさしくその通りである。そしてそのツケはやがて払わなければいけないことは分かっているのに、たぶんドクターストップがかかるまでやめられないのであろう。

 OB会のように同年代の気心知れた仲間と定期的に会うと、自分の現在の位置関係(健康や意識)が良く分かる。人と比べて自分の健康の状況は?、生活に対するの意欲や意識は?、女房や子供など家族との関係は?、「人の振り見て 我が振り直せ」ではないが、安心をするところもあるが、反対に見習うべきことも多い。
 今回のOB会も「半年後にまた集まろう」と言うことでお開きになった。「次回、皆はどう変化しているか?」、年を取っての集まりはそんなことの確認集会のようなものである。




佐渡旅行

2013年10月11日 08時40分34秒 | Weblog
                         佐渡 宿根木

 先週の土日、一番下の娘と佐渡に行ってきた。私にとってはこの旅行に3つの目的があった。一つは両親のお墓参り、お墓は弟夫婦が住む新潟市にあり、この5、6年はお参りを怠っていたから気になっていた。もう一つは娘の高速道路の運転練習、娘は自動車免許を取得して5年になるが高速道路を走ったことがない。そのため、「高速に慣れておきたいから一度同乗して欲しい」と言われていた。そしてもう一つが娘とのコミュケーション不足の解消である。
 娘は3人兄弟の末っ子で私が44歳の時生まれた子である。私は娘が生まれて直ぐに前の会社を辞め、その後フリーで働いたり、再就職したりと不安定な時期でもあった。年齢による体力の衰えもあったのか、小さな娘の動きに着いていくのが大変だった記憶がある。そんなことから娘との関わりに、手抜きをしてししまったような後ろめたさが残っている。やがて娘も中学生から高校生になると父親との会話も少なくなる。大学を卒業して就職してからは家にはめったに戻ってこなくなった。そんなこともあって一度ゆっくり娘と話しておきたいと思うようになる。そのために娘と2人だけの旅行は絶好の機会である。

 入間インターから圏央道に入り、鶴ヶ島ジャンクションで関越道と合流する。後はひたすら新潟まで走るだけである。娘にとっては高速道路は初体験である。合流、車線変更、追い越し、高速のスピードでの運転は緊張の連続のようである。赤城サービスエリアで休憩を取って再び走る。10kmにも及ぶ日本最長の関越トンネルを通る時が娘にとって最大の緊張だったようだ。長いトンネルを抜けて新潟県に入る頃から道はしだいに空いてくる。娘にも少し余裕ができてきたのか、ポツポツと会話ができるようになった。心不全の手術の話、仕事を変わってからの職場環境と人間関係の話、給料の話、アパートでの生活等々、娘はためらこともなく話してくれる。私が思っていたほど距離感はないようで、娘の父親との距離は近いようである。

 新潟の両親のお墓に参り、弟の家にある仏壇に線香を上げてから東海汽船の乗り場に向かった。車を港の駐車場に置き、フェリーで夕闇迫る佐渡海峡を渡る。2時間半の船旅で両津港に着いたときはすでに真っ暗であった。加茂湖の近くにある宿に着いて早速夕食を取る。その後ホテルのアトラクションの踊りを見て、温泉に入り、娘と布団を並べて休むことになる。2人で同室で寝るのは20年ぶりかもしれない。翌朝レンターカーを借りてドライブをする。佐渡は想像以上に広く、移動に時間がかかる。帰りの船の時間(PM2:00)まであちこち見て回るわけにいかず、島の最南端にある宿根木地区に的を絞った。宿根木は中世の頃から千石船の基地として繁盛したところで、今も当時の集落の形態が残っている。家と家との間の道は人がやっとすれ違えるほどの狭さで密集している。娘にとっても珍しい風景なのか、持っているアイフォンでバシャバシャと写真を撮っていた。わずかな時間の観光であったが、佐渡は昭和以前の時代が封じ込められている島、という印象である。

 帰りはジェットフォイルで新潟港へ、そこから再び車を走らせ関越高速道で帰る。4時に新潟を出発して高速を走るうちに黄昏から夜になっていく。とっぷりと日が暮れて家が近くなってきた頃、私にとってなかなか切り出せなかった「娘の彼」(まだ親は会ったことがない)の事を聞いてみることにする。私は娘はこのことについて自分の気持ちを素直には話してくれないだろうと思っていた。しかし、ためらう様子もなく自分の気持ちを話し始めた。娘は今の彼と、「果たしてこれで良いのか?」という迷いがあるようである。それに対して父親はとしてはどう話してよいのか分からない。これからは娘の人生である。だから自分が判断し決めていかなければならない。そこに親の意見や心配事や考え方を押し付けるべきではないのだろう。しかしそうは言っても何らかアドバイスはしておかなければ・・・、そんな思いが頭の中を錯綜しながらも娘の話を聞くだけにした。やがて家の近くの駅に到着する。「これで良かったのか?」、少し話したらない思いが残る。娘は手を振りながらにこやかな笑顔で別れていった。「まあ、これで良しとしておこう」

 家を出てから駅で別れるまで全て娘が運転した。その距離は約800km。両親の墓参り、娘の高速道路の練習、そして娘との絆の確認、当初考えていた目的は果たしように思う。大人になった娘と2人だけの旅行、それはお互いを理解する上では有効な時間だったように思う。そしてこのことは私にとっても娘にとっても良い想い出として残ることだろう。

      
                       新潟港を出港(PM4:00)

      
                    フェリー 新潟⇒両津港(2時間30分)

      
                         カモメが船についてくる

      
                   船から餌を投げるからかどこまでも着いてくる

               

      
                             佐渡海峡

      
                         宿でのアトラクション

                

      
                   夕食はカニ、牡蠣、サザエと海産物がメイン

      
                       宿の窓から見える加茂湖

      
                    海に近く海水が混じった湖(汽水湖)

      
                      レンターカーを借りてドライブ

      
                      佐渡国小木民族博物館
      1858年に宿根木で建造された千石船を当時の版図(設計図)を元に復元した

      
                       旧校舎を使った博物館

            
                          宿根木集落

      
               宿根木は中世の頃より千石産業の基地として繁盛した
                  その当時の集落の形態が今も残っている
  
               

               
                  集落はひっそりとしているが人の暮らしがある

      

            

      

      
                              三角家

      
                          見上げても空は狭い

               
                              称光川

      
                            集落前の海辺

      

            
                             幸福地蔵

               

      
                              真野湾

      
                              真野湾

      
                              そば畑

               

      

      
                     帰りはジェットフォイルで両津港⇒新潟(65分)






水彩画教室(7)

2013年10月04日 08時19分54秒 | 美術
 水彩画教室に通い始めてもう直ぐ2年になる。1年半が過ぎたころから少し描き方を変えてみた。色鉛筆の芯先は丸くなるため色の境目や細かな描写が難しい。先生にその事を話すと、「耐水性のペンで輪郭を描きその上から色を乗せる方法もあります」とのこと、早速ペンを買って試してみる。1枚目2枚目は従来の描き方、三枚目以降が耐水性のペンで輪郭を描いてから色を塗ったものである。確かに絵はシャープに描けるが、その分単調な絵になってしまうようにも思う。どの部分をペンで描き、どこはペンを使わずに色鉛筆だけで描くか?そこがポイントのように思う。(絵は5月から順に9月までのものを並べてみた)

      
                             新潟市

      
                           成田市 宗吾

      
                  上の絵と同じ風景を輪郭線を入れて描いたもの
                 上の絵と比べてシャープになりすぎて冷たい感じになる

      
                              浦安

      
                              城ヶ島

      
                         飯能市名栗湖(有間ダム)
                   山の端の重なりをペンで描くと単調になってしまう

      
                              皇居

      
                          葉山から見た富士山
                 「山と空、山と雪の境のようにぼんやりしたところは
                 ペンを使わない方が良いですよ」と指摘を受ける

      
                          多摩丘陵 古道
       「道と草との境は単純な線ではなく、もう少しリアルに描きなさい」と注意を受ける

      
                              日光

      
                         東松山市 箭弓稲荷

      
                         多摩市 聖蹟桜ヶ丘
                 「絵になってきましたね」と少し褒められた作品

      
                           さくら市 鬼怒川

      
                             古民家
          「あまりアップで描かず、もう少し引いて描いたほうが遠近感がでますよ」

      
                             新潟市

      
                           群馬県 安中市

      
                             栃木市

      
                           千葉県 館山市

      
                           横浜 外人墓地

 「今年いっぱいでこの水彩画教室を中止にします」とカルチャーセンターから先生の方に内示があったそうだ。理由はフラダンスやベリーダンスの方が人気があり、今順番待ちの状態、そのためこの教室をレッスン場に改装するとのこと。会社も営業効率を上げなければいけないから仕方がないのだろう。しかし今まで習ってきた生徒からすればガッカリである。生徒の何人かが「個人的に教室を開いてもらえませんか?」と先生に懇願する。それに対して「水道橋に知人が事務所を持っているので、場所を借りられるかどうか相談して見ます」と先生は答える。個人教室が開催されれば私も参加する方に手を上た。
 今習っている先生はそれぞれの生徒のスタイルに合わせたアドバイスをしてくれる。それが初心者の私にはありがたいのである。折角2年間習ってきたのだから、もう少し教えてもらいたい。老後対策と思い習い始めた水彩画、できればあと1年、とりあえず3年間習えば、描くことに多少の自信ができるように思うのだが、