今だに八高線の寄居~北藤岡間は運転見合わせなので、今回も前回の続き、武蔵嵐山から越生線の西大家駅まで歩く。800年前の鎌倉街道、今はその痕跡を繋ぎ合わせて歩いているから案内書に掲載されてるA5サイズの地図をコピーし、不明な部分はグーグルマップで確認して歩く。知らない街を、始めての道を地図をたどる時、そこが里山の残る風景だと私にとっては至福のひと時である。雨の日の多かった10月、久々に秋晴れで気候的にもルート的にも、今回のコースが一番楽しく歩けたように思う。
東上線 武蔵嵐山駅
菅谷神社
菅谷館に居を移した畠山重忠が武運長久の守護神として、
建久元年(1190年)に近江国の日吉山王権現を歓進したと伝わる
畠山重忠の菅谷館を戦国時代に関東官僚上杉氏が
拡大整備した城跡と考えられる。
菅谷館跡
埼玉県立嵐山史跡の博物館
学校橋
都幾川
台風19号の浸水跡
桜並木
自転車登校の中学生
向徳寺
延応元年(1239年)に武蔵七党の児玉党に属した
小代氏の一人が出家し、この地に開いた草庵が始まり
金木犀の花
源義賢の墓
源義賢は頼朝や義経の叔父さんに当たる
縁切橋
平安時代の武官で、恒武天皇から征夷大将軍を任じられた坂上田村麻呂が
京から陣中を訪ねてきた妻を追い返し離縁したという伝説がある。
この地では縁起をかつぎ、新郎新婦を通さないという。
明光寺
鎌倉時代の板碑
笛吹通り
笛吹峠
奏者は坂上田村麻呂、畠山重忠、宗良親王と諸説あるが、
鎌倉の足利尊氏と戦うが敗戦が続き、この峠まで戻って時に
笛を吹いて気を紛らわせたという。
峠を下る
鳩山町役場
おしゃもじ山
祠にはいまでも大小の杓文字が奉納されている
おしゃもじ山からの眺め
圓正寺
康暦元年(1379)に関東官僚上杉憲方が創建した臨済宗の寺が始まり
越辺川
越辺川
台風19号による越辺川の氾濫で流木があちらこちらに散乱している
流れてきた草や枝が柵に絡みついている
広々とした水田を見ながら歩く
天気もよく、空も高く、気持ちのいい歩行
越辺川
延慶の板碑
板碑の文字からは延慶3年(1310)に「沙弥行真」と「朝妻氏女」という
名前のものが「現世安穏後生善処」のため造立したと読み取れる
大雨の影響か?周りから水が染み出て道は水浸し
鎌倉街道遺構
鎌倉街道遺構 この先は行き止まり
市場神社
森戸橋 一車線のため、左の橋を建設中
高麗川
国渭地祇神社(くにいちぎじんじゃ)
創建は不明だが、古くは熊野社といった。国一熊野大権現が転じて
現在の社名になったという説もある
越生線 西大屋駅