60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

鎌倉街道(7)

2019年10月31日 08時32分12秒 | 散歩(8)

 今だに八高線の寄居~北藤岡間は運転見合わせなので、今回も前回の続き、武蔵嵐山から越生線の西大家駅まで歩く。800年前の鎌倉街道、今はその痕跡を繋ぎ合わせて歩いているから案内書に掲載されてるA5サイズの地図をコピーし、不明な部分はグーグルマップで確認して歩く。知らない街を、始めての道を地図をたどる時、そこが里山の残る風景だと私にとっては至福のひと時である。雨の日の多かった10月、久々に秋晴れで気候的にもルート的にも、今回のコースが一番楽しく歩けたように思う。

    

                    東上線 武蔵嵐山駅

           

    

                       菅谷神社

    

             菅谷館に居を移した畠山重忠が武運長久の守護神として、

           建久元年(1190年)に近江国の日吉山王権現を歓進したと伝わる

           

    

             畠山重忠の菅谷館を戦国時代に関東官僚上杉氏が

                  拡大整備した城跡と考えられる。

    

                         菅谷館跡

    

    

                     埼玉県立嵐山史跡の博物館

           

           

                         学校橋

    

                        都幾川

    

                      台風19号の浸水跡

    

                         桜並木

    

                      自転車登校の中学生

    

                          向徳寺

               延応元年(1239年)に武蔵七党の児玉党に属した

               小代氏の一人が出家し、この地に開いた草庵が始まり

           

                        金木犀の花

           

               

    

          

                        源義賢の墓

    

         

                   源義賢は頼朝や義経の叔父さんに当たる

           

    

                        縁切橋

        平安時代の武官で、恒武天皇から征夷大将軍を任じられた坂上田村麻呂が

          京から陣中を訪ねてきた妻を追い返し離縁したという伝説がある。

              この地では縁起をかつぎ、新郎新婦を通さないという。

    

    

                        明光寺

           

                        鎌倉時代の板碑

           

    

                         笛吹通り

           

           

    

                          笛吹峠

              奏者は坂上田村麻呂、畠山重忠、宗良親王と諸説あるが、

             鎌倉の足利尊氏と戦うが敗戦が続き、この峠まで戻って時に

                  笛を吹いて気を紛らわせたという。

              

           

                          峠を下る

           

           

    

    

    

                      鳩山町役場

         

    

                        おしゃもじ山

    

               祠にはいまでも大小の杓文字が奉納されている

                        おしゃもじ山からの眺め

    

                          圓正寺

    

        康暦元年(1379)に関東官僚上杉憲方が創建した臨済宗の寺が始まり

              

    

                          越辺川

    

    

                          越辺川

           

    

          台風19号による越辺川の氾濫で流木があちらこちらに散乱している

    

    

                    流れてきた草や枝が柵に絡みついている

    

                      広々とした水田を見ながら歩く

    

    

                 天気もよく、空も高く、気持ちのいい歩行

    

           

    

           

    

                        越辺川

           

           

           

         

                        延慶の板碑

          板碑の文字からは延慶3年(1310)に「沙弥行真」と「朝妻氏女」という

           名前のものが「現世安穏後生善処」のため造立したと読み取れる

    

    

                  大雨の影響か?周りから水が染み出て道は水浸し

    

    

           

              

           

    

           

    

           

    

                         鎌倉街道遺構

    

                      鎌倉街道遺構 この先は行き止まり

           

           

           

    

                        市場神社

           

           

                森戸橋 一車線のため、左の橋を建設中

    

                         高麗川

           

           

    

           

           

    

                    国渭地祇神社(くにいちぎじんじゃ)

            創建は不明だが、古くは熊野社といった。国一熊野大権現が転じて

                   現在の社名になったという説もある

    

                      越生線 西大屋駅

 

 

    


鎌倉街道(6)

2019年10月25日 08時49分07秒 | 散歩(8)

 今日は八高線の用土駅から東武東上線の男衾(おぶすま)駅まで歩く予定であった。しかし朝、最寄り駅に行くと台風19号の影響で八高線の寄居~北藤岡間が運転見合わせという。用土は寄居駅から一つ北藤岡よりである。橋脚変位ということだから、復旧には時間がかかるであろう。行けないのなら仕方がない。今日はその次のコース、男衾から武蔵嵐山までを先に歩くことにした。

 男衾は東武東上線、武蔵嵐山も東武東上線である。安中(信越本線)から高崎を通り、八高線(八王子~高崎)沿線をたどってきた鎌倉街道は今度は東武東上線沿線に沿っている。鎌倉時代、街道があったから宿場や民家も点在したのであろう。近年になってそこに鉄道を通したのが八高線や東上線の支線なのかもしれない。農村地帯を走る鉄道は運転間隔は疎らで都心とは比べようもないが、この路線があることで鎌倉時代からの街道が今につながっているように思える。

    

                    JR八高線運行情報

         

                    東武東上線 男衾駅

         

    

                     駅からの眺め

    

                     まだ新たしい男衾駅

         

                       駅前通り

         

                       県道81号線

    

         

         

    

                     出雲乃伊波比神社

         

                      三叉路を右折 

         

                      田舎道に入る

    

         

    

         

    

                      三嶋神社

         

    

                    傾斜を利用して太陽光発電

    

                      百万遍供養塔

         

    

                        高蔵寺

                  戦国武将の柳さわ信俊が開いた寺

        

                        閻魔様

    

                       一体地蔵尊

                   地元ではイボ取り地蔵とも呼ぶ

        

           伝説では伊香保温泉で湯治していた北条政子が神仏にイボ取りを祈願。

             鎌倉街道の宿場にある桜の大木で地蔵尊を作り安置すれば

              願いは叶えるとお告げを受け、その通りに作らせたという。

     

                    鎌倉街道の案内板

         

    

    

                    右に見えるのが四津山

                   四津山神社はあの山の上にある

    

        

        

        

        

                    四津山神社の入り口

        

        

                     長い石段が続く

      

    

                    四津山神社社殿(四ツ山城址)

    

                     四ツ山城址からの眺め

    

         

         

         

    

                      永昌寺の大松跡

                 かつて樹齢800年といわれた大松があった

    

                     旧鎌倉街道の表示

         

    

                      鎌倉街道遺構

    

                かつてはこんな雰囲気の街道であったのだろう

    

                     鎌倉街道遺構

       

    

    

    

    

         

    

         

    

                       ハナミズキの実

    

                        八和田神社

    

       

                    安土桃山時代の植樹と伝わる大杉

         

         

      

                神戸と書いて「ごうど」と読むのであろうか?

         

                        ここで昼食

    

                      きの子おろし蕎麦

                店を出るとき、神戸を「ごうど」と読むのかと聞いてみた。

          「先祖は長野県出身で、江戸時代諏訪大社からこの地を与えられ移住してきた。

          諏訪大社上社にもかつて神戸村(ごうど村)があり、先祖はそこの出身者である」

                      と云う答えであった。

         

    

    

         

                    馬頭観音や庚申塔が並ぶ

    

         

         

                    (埼玉県比企郡)嵐山町に入る

    

    

    

         

    

    

                        積善寺

    

    

                  小さな地蔵が「苦悲なし地蔵」

        

                    苦非なし地蔵尊(くびなしじぞう)

                伝説によると、団子屋の娘が首を切り落とされ亡くなり、

               娘の顔に似た地蔵を作って弔った。ところが首だけがなくなり、

               何度新しい首をつけても消えたという。参拝すると苦労や

               悲しみがなくなるといい、苦悲なし地蔵と呼ばれるようになった

    

                     積善寺の裏山にある杉山城跡

    

              戦国時代初めに関東官領上杉氏が築城したと推定される

    

    

    

              典型的な山城で、丘陵の尾根に10の郭を配している。

           急傾斜の切岸(きりぎし)や大規模な横堀」、木橋や土橋を用いた

            多様な虎口(こぐち)など、当時の技術の最新技術が結集された。

    

    

         

         

         

    

                     東武東上線 武蔵嵐山駅

         帰路、東武東上線川越市駅で西武線に乗り換えるため、本川越駅に向かうと

           川越祭り開催中で多くの出店で道は埋まり、人でごった返していた。

    

    

    

 

    

    

    

 

 

 

 


水彩画教室(21)

2019年10月18日 08時42分49秒 | 美術

 水彩画教室に通い始めて、この11月で6年である。一生懸命やっているつもりだが、一向に上達しない感じでマンネリ感が強くなっている。8月に本屋に行って美術の棚を見ているとき、《手軽に描く水彩スケッチ》という本が目に止った。風景画でペンと鉛筆でしっかり描き、色はサラッと付けているだけである。しかしその場所の空気感まで伝わってくる絵である。「こういう風に描いて見たい」そう思って本を買った。

 本を読んでみると、屋外でスケッチしやすいように画用紙もはがきサイズ、筆も水筆ペン、絵の具も12色である。今まで混色で24色をどう混ぜるかで苦労していたので、12色でこんな絵が描けるのならと、早速本に書いてあった絵の具の12色を揃えて教室で使うことにした。ブログの中ほどからが、絵の具を変えてからの絵である。

         

                 手軽に描く水彩画スケッチ 久山一枝

    

    

    

                      本の中から抜粋

         

                       絵の具の種類

 

          ここからは以前の絵の具で描いた物

    

                       小網代の森

    

                       玉川上水

    

                        小路

    

                     守谷市 幸福の道

    

                     笠間市 春風萬里荘

    

                     金沢文庫 称名寺

    

                    金沢文庫 称名寺

    

                       真鶴半島

    

                     真鶴 三ツ石

    

                    東海道線 ねぶかわ駅

 

      これ以降 24色から12色へ絵の具を変更して描いた絵

    

                       藤岡市

    

                       ニコライ堂

    

                     秩父 栃本関所跡

    

                      秩父 栃本地区

    

                     千葉 印西市

    

                      安中市 抜鼻宿

    

                     下関市 角島大橋

    

                        藤岡市

    

                       湯島聖堂

   透明感が出てきたが、絵が軽くなった感じもする。先生は、なるべくペンで書き込んで色も画用紙の白を残すようにすればペン画の面白さが出てくるとのこと、何事もチャレンジ、もう少しこの12色の絵の具でやってみようと思っている。

 

 

 


鎌倉街道(4)

2019年10月11日 08時33分22秒 | 散歩(8)

  今日は曇り一時雨の予報、「さて、どうするか?」と迷ったが折りたたみ傘と簡易の合羽をリュックに入れてスタートした。目的地までの途中、川越あたりで雨が強く降ってきたが、丹荘駅に着いたときは雨は降っていない。その後も雨がふることはなかった。

 やはり、今日も八高線に沿って歩くようである。途中にある(旧)児玉郡児玉町は2006年本庄市と合併して消滅したが、昔は児玉宿があり、今でも宿場の趣が残っている。ここで生まれた塙保己一、記念館まであり地元では有名なのであろうが、私は同じ埼玉県に住んでいるが全く知らなかった。

    

               JR八高線 丹荘駅

               先週なかった駅舎を囲む足場が設置されていた。

   左側の小さな建物が新しい駅舎、赤い屋根の古い駅舎は解体されるのであろう。

         

                   駅前通り

    

                 踏み切りをわたって

          

                 最初の交差点を左に、

          

    

    

                  神川町役場

    

    

                こんにゃくの畑が続く

    

                 右はこんにゃく畑

    

         

    

                   熊野神社

    

         

    

    

                    牛舎

         

    

                   龍清寺

    

                飛龍之榧(ひりゅうのかや)

           斜めに延びる樹形は名前の通り大空を飛ぶ龍神のよう

    

              茅葺き屋根の塙保己一の旧宅

    

                  塙保己一の旧宅

    

                 塙保己一の墓所                

    

     塙保己一、江戸時代にこの児玉町で生まれた国学者。保己一は盲目ながら

     40数年の歳月をかけて、古代から江戸時代までの国書を25項目に分類、

       編纂した史料集成「群青類従」正編666冊を完成させた。

    

                 八高線に沿って歩く

    

    

    

         

    

    

    

                  雀の宮橋

         

         

         

         

    

    

    

                 競進社模範蚕室

    

               「一派温暖育」という蚕の飼育法を考案した木村九蔵が

                           児玉養蚕伝習所に明治27年に建てた養蚕施設

       

    

                  館内二階

    

                   久米六の井戸

        日蓮聖人に帰依した児玉時国は、聖人から久米の聖を与えられる。

        その後、天正年間から代々の当主は六右衛門を引き継いだため、

       久米六と呼ばれた。久米家の屋敷にあった井戸だから「久米六の井戸」

 

         

    

               雉岡城跡(きじおかじょうあと)

    

    

                  雉岡城跡

         

         

    

                塙保己一の記念館がある

       

                 塙保己一の像

         

    

                   実相寺

           鎌倉時代作と伝わる阿弥陀三尊像が伝わる

          塙保己一の菩提寺で、堂内に保己一の位牌がある

    

    

                  田島屋旅館

       

         

             ハッピを着て本庄祭りの準備か

    

    

                   高札場

    

                  玉蔵寺

    

                       新田義貞の鎌倉攻めなどで戦死した児玉党を弔うため、

                                        救世観音を安置したのが始まり

    

                   八幡神社

    

          奥州征伐に向かう源頼義・義家が斎場を築き、

          京都の岩清水八幡宮を遥拝して戦勝祈願した

    

                  玉連寺

        児玉党の領主・児玉時国が自らの館を廃して建てた日蓮宗の寺

       

       

                   日蓮像

         

                  身馴川橋

         

                ガリガリ君の絵

    

                赤城乳業の工場

    

                 広木一里塚

    

    

             鎌倉街道(上道)の案内板があった

         

    

    

                   常福寺

    

         天平年間(729~749)に領主の檜前舎人石前が創建したと伝わる

    

                  さらし井

    

            織布を洗いさらすのに使われた井戸

         奈良時代、その布は調庸布として朝廷に献納されたという

         

              所々に鎌倉街道の案内板

         

         

    

         

    

              JR八高線・用土駅(無人駅)

           

          15時に駅に着いたが16:24まで列車が来ない

      駅の回りにはお店は一軒もない。待合室で一人ぽつんと待っていた。

    

             夕暮れになり始めた頃、列車が来た

    

    

    

    

    

    


鎌倉街道(3)

2019年10月04日 08時11分49秒 | 散歩(8)

 今回は上信電鉄の山名駅からJR八高線の丹荘駅までの行程である。案内書では歩行距離21.5km、所要時間5時間30分、歩数2万8700歩となっている。しかも幹線から外れるているから現地までの往復に時間を要する。所沢から高崎を経由して山名に行くのに約3時間、帰りはJR八高線の丹荘から所沢まで2時間半以上はかかるだろう。さらに八高線は本数が少なく、接続の良いのは2時間に1本程度と少なく、行程中最もアクセスの悪いコースかもしれない。

 関東平野の西の端を通る鎌倉街道は、前回にも増して田舎道ばかりである。畑、田んぼ、畜産と生産活動はほとんどが農業のようである。そろそろ稲刈りが始まった田んぼの畦には真っ赤なマンジュシャゲの花が咲き、秋の日差しを感じながら歩く里山の道は、時間の経過がゆったりと流れているようであった。

    

              上信鉄道高崎駅 JR高崎線から乗り換え

    

                   上信鉄道 山名駅

    

                   駅前通り、突き当りを右へ

    

                    光台寺

                 山名氏の屋敷跡があった

    

                高崎市内では少ない時宗の寺

                   時代を感じる鐘楼

    

    

          

          10月1日の消費税値上げ対策で税別価格にしたのだろうか?

                 こういう表示方法だと安く感じる

    

                      鏑橋

    

                      鏑川

    

    

           

    

    

                     伊勢塚古墳

                   6世紀後半に造られた古墳

         

               珪岩質の大きな石を所々に配した石積みの石室

           

    

    

                    七輿山古墳

          奈良時代の役人・羊大夫は、朝廷から謀反の疑いをかけられ、

          都から派遣された討伐軍と籠城して戦ったが自害する。

          残された7人の姫は輿(こし)に乗ってここまで逃げてきたが、

          力尽きて共に自害した。7人の姫を輿ごと埋葬そうしたしたので

          「七輿山」といわれるようになったという。

    

     墳丘には五百羅漢が並ぶが、江戸時代後半に起きた村の争いで全ての首が落とされた

           

           

    

                     藤岡歴史観

              辺鄙な場所にある歴史観、今は見物者はいないようだ

           

    

                   白石稲荷古墳

           5世紀に造られた前方後円墳で、自然の地形を上手に使っている

    

    

    

    

    

    

    

    

    

    

    

    

                   吉良上野介陣屋跡井戸

           江戸時代、藤岡市白石地区は吉良氏の領地で陣屋が置かれた。

           

                  吉良上野介義央の産湯の井戸

              忠臣蔵では悪役であるが、領民には名君と慕われていた

           

           

           

           

    

    

    

                     千部供養塔

            天明3年に発生した浅間山大噴火の様子と、降灰による凶作で

                諸物価が高騰した状況などを記した休養塔

           

    

         

                    藤岡道と書かれている

           

                       緑埜橋

    

                      鮎川

           

    

                    左は北野神社

             

           

    

                  これは古代米か?

    

                   その場で脱穀

    

               脱穀した後の稲藁はこんな風に処理している

    

    

           

                     緩やかな上り坂が続く

           

                    地元では鎌倉坂と呼ばれている

    

           

    

                  スズメを追い払うための凧

           

                   糸が絡んで落ちている凧

           

    

           

             

                   美九里東小学校は今日は運動会

    

                  運動会はお昼で終わりのよう

    

                 校庭の隅にあった鎌倉街道の説明

    

    

           

                    神流川の土手を降りる

    

    

         神流川の河川敷は広く、「かんな川水辺の楽校」という公園になっていた

    

                     かんな川水辺の楽校

    

    

    

    

    

                   土師神社(どしじんじゃ)

             相撲の祖である野見宿禰(のみのすくね)を祀る

    

            境内に「土師の辻」と呼ばれる相撲の土俵がある。

          江戸時代にはこの土俵で出世力士の奉納相撲が行われた

    

                    本郷埴輪窯跡

           

              神流川の河岸段丘を利用して造られた埴輪窯の跡

    

                     八高線

              八王子と高崎の間92kmで昭和9年に開通

    

           

           

           

                      藤武橋

    

                  群馬県から埼玉県に入る

    

                     神流川

           

           

    

           

    

                 八高線 丹荘駅 (無人駅)

    

          八高線で丹荘駅から高麗川駅まで、ここで乗り換えて東飯能まで、

          東飯能で西武線に乗り換え飯能駅へ、飯能駅で乗り換え所沢へ

          約2時間半以上かかる。次回、またここまで来なければならない。