60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

思い切る

2013年05月31日 09時05分06秒 | Weblog
 ゴールデンウイークから始めた庭木の手入れ、最大の難関は10m近くにまで伸びた杉の木の伐採であった。この歳になってこんなに高いところに登って作業するのは危険だし恐怖である。かといって業者に頼めば何十万円もとられるだろう。一旦は息子に頼もうとも思ったが、やはり自己責任だと思い直した。狭い庭で左右に隣家があり、周りには電線や電話線が張り巡らされている。だから下から切り倒すわけには行かない。色々と考えた末、チェーンソーを買い、一番高い脚立(延ばせば4mになる)を買ってきて準備を整える。切り始めは足場になる太い枝は残し、下から小さな枝葉を落としていく。そして手が届かなくなってからは、もう一つの脚立(延ばして3m)を太い枝に引っ掛けロープで固定し、それに登って枝を落とす①。周りの枝葉を掃って作業しやすくした後、今度は上から1mぐらいの間隔で順に幹を切り落としていった②。

            ①

           ② ③

 樹を切り終わった庭は広々として明るくなった③。自分の気持ちの中で懸案だったことが消え、精神的に楽になったようにも思う。明るくなった庭を見ると、リタイアしたら庭の一部を耕して花でも植えてみようと思ってみる。長めに残した切り株の上に餌台を置いて、野鳥を呼んでみようかとも考える。たった1本の木を切ったことで、今まで停滞していた自分の思考が少し変化し、前向きになってくるものである。

 人は歳を取るほどに何事も億劫になるものである。そして「今度やろう」と先延ばしにし、時間だけがどんどん経過していく。やがて「やらなければいけない」と思うものの、それに伴う労力を考えてさらに延びてしまう。しかし何時かは踏ん切りをつけなければならない。そんな時の動機になるのが、経済的な価値を考え、比較することなのかもしれない。今回の伐採は業者に任せたときの費用ということが背中を押してくれた。友人が言うように、これ以上ほっておけば伐採するために、クレーン車を持ち込み道路を封鎖し、何人もの人数でやることになるだろう。そうなれば当然費用はかさむ。木は年々伸びていき、反対に私の運動神経は年々衰えていく。自分でやるとすれば「今だろう!」、そう思って一大決心をしたわけである。

 放置して置くとどうしようもなくなるものに持ち物がある。我が家にしても兄弟の家にしても友人の家を見ても、夫婦2人なのに家の中は物であるれている。当人にとっては思い入れがあり捨てられない物でも、他人にとっては何の価値も無いガラクタがほとんどである。冷静に考えれば今後もほとんど使うことも無いのに、捨てられないものである。そして物は庭木が伸びるようにドンドン溜まって、やがて処分するのに大きなエネルギーが必要になる。その捨てられない代表的なものが、衣類、書籍、食器、そして子供が使っていた教科書や作品、人によってはビデオやCDなどであろう。捨てるのが億劫という気持ちに加え、「もったいない」と「思い出、思い入れ」が加算され、物は益々溜まっていくことになる。

 昔、私の最大の持ち物は書籍であった。ハードカバー、文庫本、新書等、1週1冊として年間50冊、10年で500冊、20年で1000冊も溜まってしまう。ある時期まで本棚2台にぎっしり並べても並びきれず、床に山積になっていた。しかし狭い部屋で、さすがにこれではまずいと思うようになる。そこで冷静に考える。「果たしてこの中でもう一度読み直す本が何冊あるだろうか?」と。今まで読み直した本はもう一度読む可能性はある。しかしそれ以外は多分読み直さないだろう。万一読みたいと思えば、その時はまた買えば良い。その額は年間数千円になるか否か。そのために大量の本を後生大事に抱えておく方がバカらしい。そう無理やり結論付け、自分としての名著20冊程度を残して全て捨てることにした。今は読み終えた本は欲しいと言う人にあげるか、定期的にブックオフに持っていく。

 結局捨てるか捨てないかは、感情と理性(気持ちと効率)のせめぎ合いなのであろう。残しておく物と捨てる物、それを判断することが億劫なのである。こうなったら残すものだけ決め、後は全て捨てるという発想の方が良いように思う。戦後物の不足していた時代に育った我々世代は、どちらかと言えば物に対して執着があるのかも知れない。そして沢山の物に囲まれていれば、それだけで安心感があるのだろう。しかし今はデジタルの時代である。音楽も書籍も電子化され、思い出の写真もSDカード1枚に納まる。しかもそれを所有せず他者のサーバーを借りてのクラウドコンピューティングの時代である。もはや何事も所有しないで活用の時代なのである。もう我々も発想を変え、思い切って物は捨ててしまい、身軽になってみたいものである。そうすれば庭が明るくなったように、自分の見える景色も気分も変わってくるのかもしれない。

 ある老齢の女流作家が書いていたエッセイに、「死ぬときまでに、最低必要なだけの肌着とお気に入りの着物を数枚、後は数冊の本と貯金通帳くらいで、自分のものは柳行李1つで死んでいきたい」、そんなことを書いていたように思う。これを自分流に言い変えれば、「必要最小限の肌着と寒さをしのげるだけの洋服を少し、後はスマホとタブレット、そしてデジカメとスケッチブックとキャッシュカード、大き目のトランク一つで死んでいきたい」






病気とどう向き合うか?

2013年05月24日 09時19分13秒 | Weblog
 先日本屋をのぞいていたら、「医者に殺されない47の心得」、という刺激的なタイトルの本が目に止まった。著者は「近藤誠」、この名前は本屋で時々見かけたことがある。著書に「患者よガンと戦うな」など、現代の医療のあり方に批判的なタイトルの本が何冊かあったのを覚えている。私は健康には関心は高いが、今までこの手の本はあまり読んでいない。それは医療の一部をとらえ、独善的な主張をする類のものが多いように思うからである。しかし今回は、本の帯に「近藤誠 第60回菊池寛賞受賞」と書かれている。やはり「菊池寛賞受賞」と書いてあると少し気になる。この賞は芥川賞や直木賞と同じように財団法人日本文学振興会が授賞事務を行っている賞の一つである。やはり、ある種のお墨付きを得ているように思い、読んで見ることにした。

 近藤誠、慶応大学医学部卒業後米国に留学、現在は同大学病院の放射線科の現役の医者である。本の中で彼が主張しているのは、現在一般的に言われている検診の基準値やガン等の診断基準は、日本独自のものであって諸外国のそれとは異なるものが多い。そしてこれら基準の大半は医者や製薬会社の金儲けのためにあるようで、本来の医療目的とはかけ離れてきている。そのため患者は過剰な検査や治療、過度の薬の投与を受けることになり、医療機関に頼れば頼るほど反対に健康を害し、結果的に寿命を縮めることになる。と言うものである。

 例えば高血圧について、
 高血圧や高コレステロール血症の基準値と呼ばれるものがある。まずこの基準が全くあてにならない。病気ごとに専門学会がつくられでいるが、これが談合体質で根拠なく数値が決められる。特に高血圧はの基準値操作は目に余る。1998年の厚生省全国調査の基準値は160/95であった。ところが2000年にはっきりした理由もなく140/90に引き下げられる。98年の基準値に当てはめると、高血圧症の日本人は1600万人、それが新基準では一挙に3700万人になってしまう。さらに2008年に始まったメタボ検診ではついに130/80以上が治療目安になる。その結果薬品業界はホクホクで、1988年の降圧剤の売り上げは2000億円弱だったが、2008年には1兆円を超えてしまった。基準値をいじって薬の売り上げは6倍強、また基準作成委員の多くが製薬会社から巨額の寄付金を受け取っている(その内国公立大の11人全員に2002年から04年の3年間に14億円の寄付があった)。人の体は歳を取るに連れて自然に血圧を上げるようにできている。それは脳や手足のすみづみまで血液を送り続けるために必要なことなのである。それを薬で下げたら、抹消まで血液が届かずボケたりふらついたりする。フィンランドの調査では80歳以上では180以上の人達の生存率が最も高く、140を切った人達の生存率はガクンと下がる。なのに日本では130以上で病気にされ、薬で下げられているのである。

 例えばガンについて、
 症状がなくて検診で見つかったガンはほぼ命を奪わない「良性腫瘍」(がんもどき)である。発見されたものが、ほんもののガンならすでに転移しているので、切除手術や抗がん剤の治療は無意味である。ガンの病巣は直径1mmに育った段階で、約100万個のがん細胞があり、本物のガンならそれ以前に血液に乗って、あちこちに転移している。分子生物の研究が進んだ現段階で、「ガンは当初から転移する能力があり、大きくなったから転移するという説は間違い」、と判明している。抗がん剤が効くと言うのは「がんのしこりを一時的に小さくする」だけで、ガンを治したり延命に役立ったりするわけではない。日本人のガンの9割を占める胃ガン、肺ガン、大腸ガン、乳ガンなどの塊を作る固形ガンには抗がん剤は全く無意味で、つらい副作用と寿命を縮める作用しかない。一般的にガンの治療で治ったといわれているのは、手術や抗がん剤を必要としない「良性腫瘍」であり、我々は無駄な過剰医療を受けていることになる。

 本物のガンであっても、手術や抗がん剤の治療しなければ痛みのコントロールは完璧にできるし、死の間際までボケたり意識不明になることなく、比較的頭はハッキリしている。「どうしたら患者さんが最も苦しまず、長生きできるか」という観点から、無理や矛盾のない診療方針を考えたとき、「ガン放置療法」に到達する。「がんもどき」なら転移の心配はなく、「本物のガン」なら治療しても、しなくても死亡率に差はなく、延命期間も同じである。ならばそのガンによる痛みや機能障害が出てきたときに初めて、痛み止めや放射線治療や場合によっては外科手術をすれば良い。これが世界で最も新しい治療法であり、考え方であり、最善の対処法である。実際にはガンで自然に死ぬのはすごく楽である。検診などで無理やりガンを見つけ出さず、もし見つかっても治療しなければ逆に長生きできる。そして延命処置などせず、枯れ木のように死んでいくのが最もラクな終焉の迎え方である。

 読み終えて自分のことを考えてみる。医者に『胃ガンです』と宣告されたとき、自分はどう考えるかである。本にあるように、「本物のガン」であればすでに転移しているから、手術しようが抗がん剤を飲もうが体を痛めるだけで意味がない。「がんもどき」であれば、ゆっくり様子をみておいて自覚症状が出れば対処すれば良い。果たしてそう信じてガンと戦わず「放置」しおくことができるだろうか?この著者の説は正しいのか?それとも一般的に言われていることに従うべきなのか?迷うところである。今は宣告された時に自分の気持ちがどう傾くかは予測できない。しかしガンでの死亡率が半数に近い現在ではガンの宣告を受ける確立は非常に高い。どちらにしても自分の命である。最後は著者が言うように、医者に任せず自分で調べ、自分で考えてから自分が判断するようにしたいと思っている。

本の最後にこう書いてあった。
日本人は医者好きである。最高の治療を受けるつもりで病院に行って、過剰医療の標的になってしまう。皮肉なことに社会的ステータスが高い人のほうが、「任せておけば、うまいことやってくれるだろう」と、専門家を信じて犠牲になりやすい。まずは医者の言うことを丸呑みにせず、自分で調べて考ええる癖を身に付けていきたい。そして医者を選ぶときは、
 ・図書館やインターネットで自分なりに幅広く情報を集める。
 ・患者としての直感を大事にする。
 ・あいさつしない医者、患者の顔を見ない医者、患者を見下す医者はやめる。
 ・医者の説明を鵜呑みにしない。
 ・医者の誘導に気をつける。
 ・薬の副作用、手術の後の後遺症、生存率をしっかり聞く
 ・質問をうるさがる医者は見限る。
 ・いきなり5種類以上の薬を出す医者は要注意
 ・セカンドオピニオン、場合によってはサードオピニオンを求める。
 ・検査データーやレントゲン写真は患者のものだから、臆することなく借り出す。








愚痴

2013年05月17日 08時40分06秒 | Weblog
 先週、以前の会社で一緒だった女性社員2人と昼食をすることになった。2人とももう子供のいる主婦である。今まで何度か一緒に食事をしたこともある。そしてそのような場での私の役割は彼女達の愚痴の聞き役である。以前にもこのブログに書いたことはあるが、私は人間観察が趣味である。だから彼女達の飾らない本音は、人というものを理解する上で貴重な教材になる。人はどんなことに悩み、どんな風に考え、そしてどんな経過をたどっていくのか。大勢の人に共通する問題もあるが、性格や生い立ちやとらえ方により違ってくる場合も多い。内容もある時は仲間内の人間関係だったり、ある時は子供の問題だったり、ある時は旦那への愚痴だったりと、その時々で変わっていく。そして程度の差こそあれ、いつも問題は抱えているし、愚痴のな人はいないように思う。今回も、それぞれに自分の身の回りに起こったエピソードを面白くおかしく話してくれる。しかしその中にも本人には深刻な問題も含まれる。今回の話の中で最も切実なものは一方の女性の父親の問題であった。

 彼女の父親は65歳を過ぎていて、仕事も辞め今は自宅に引きこもっている。もともと職人気質で頑固で偏屈な父親である。糖尿病がひどく毎日インシュリン注射をするほどである。それに加え今は強度の難聴で、人との会話もスムーズにできなくなっている。元々人との交流が少なかった人なのだが、難聴が影響してか益々外部の人と接することを嫌がるようになった。最近は買い物はおろか宅配便など訪問者の応対も全くやらなくなってしまった。病気の程度が進むに連れ、性格的にも猜疑心が強なってくる。家族に対する言葉もほとんどが怒りに満ちていて、まともな会話もできない状態らしい。いつもTVのボリュームを目いっぱいに上げて聞いているから、補聴器を進めたり、手元で聞けるスピーカーを贈っても、「病人扱いするな!」と怒りだして使おうともしない。あるとき父に問いかけをした時、それが聞こえなかったようで大声で「なんだ?!」と聞き返す。たいした用事でもないから「もういい!」と答えると、どう聞き間違えたのか、『俺に「死ね!」と言うのか』とすごい剣幕で怒りだしてしまった。

 思うに、自分の不自由さやもどかしさが高じて、自暴自棄になっているのであろう。それがどうにも抑えようがなく、怒りになって家族にぶつけているのかもしれない。元々母親に対して辛く当たる父親であったが、それに輪をかけてひどくなっている。一緒にいることが辛くなった母親はなるべく家にいないようにと、痛みがある体をおして、目いっぱいパートの仕事を入れるようになった。彼女は結婚して別に所帯をもっているから、実家に帰った時にしか軋轢はない。しかし今は孫を連れて帰ることもままならない。母の苦労を考え、この先のことを考えると母が不憫で仕方がない。母親に対しての同情がいつしか父親に対しての憎悪になってしまった。小さな子供を育てる身としては、そんなストレスは避けたいと思う。しかし自分の気持ちはいかんともしがたい。これが彼女の愚痴のあらましである。

 聞いている私にはどうしようも出来ない内容である。問題が直接本人へではなく、荒れる父親による家族(特に母親)への軋轢が大きな悩みだからである。どこか施設に入れるとか、別居するとか、離婚まで考えるとか、なんの行動も起こせないまま母はただじっと耐えるだけである。そんな状況を見聞きすることが彼女の苦悩なのである。私がどう慰めようが、どんなアドバイスをしようが、彼女にとっては当事者意識を欠き、納得いく答えにはならないだろう。ではどうすれば良いか? 今までの経験からするととりあえずは彼女の話を親身になって聞いてあげるしかないように思う。(私は人間観察が趣味であるから聞くことに何の抵抗もない。女房意外は)、

 つかの間の息抜きが終わり、またの再会を約して3人は分かれる。これから彼女達は又主婦として、苦悩を抱える娘として、現実世界に戻っていかなければいけない。浮かぬ顔に戻った彼女を見ていると、果たして気分転換できたのだろうか、何かヒントになるものがあったのだろうか、もう少し気の利いたアドバイスはできなかったのだろうか、と私には悔いが残る。それは彼女の状況が深刻なだけに、私自身がシンクロしている部分もあるのだろう。

 帰りの電車で、ふとNHKラジオで聞いた女性心理学者の話を思い出す。
それは「クライアントの話を聞けば聞くほど自分も影響されてしまうのではないですか?」というアナウンサーの質問に、その先生はこう答えた。「いいえ、これは企業秘密ですが、カウンセリングにはコツがあるのです。実はクライアントの話は要点だけ抑えているだけで、あまり真剣には聞いてはいません。クライアントの悩みに対する方向性や解決策は彼ら自身が持っているのです。しかし彼らはそれが何かは分かりません。紐でつながった万国旗や両端を結んだハンカチを、スルスルと引き出していく手品がありますね。あれと同じで、引き出した最後に答えが書いてあるのです。だからそれが引き出だされるまで本人に答えは分りません。当然カウンセラーにも分かりません。だから引き出し続ければ良いのです。カウンセラーはその引き出すお手伝いをするだけなのです」、という話であった。

 自分の悩みに対しての回答は自分自身が持っている。しかしそれが今は何だかは分からない。分からないから悩むわけである。自分の回答を知らないままに、人からどんな良い話を聞いても納得はできないだろうし、そのアドバイスが自分にとって正しいのかどうかも判定もできない。悩みを解決するなら信頼できる誰かに、回答が書かれた旗が見つかるまで話し続けるしかないのかもしれない。彼女の母親も、彼女自身も、








庭木

2013年05月10日 09時42分32秒 | Weblog
 ゴールデンウイーク前半の27日は友人に誘われて、足利のフラワーパークに藤の花を見に行った。そして29日は毎年恒例になっている青梅の塩船観音のツツジを見に行く。さて後半の4連休はどうしようと考える。歳を取ってくると混雑の中に出て行くのが極端に億劫になる。人人人そんな中に身を置くと、自分の神経が分散し対象に気持ちが向かない。そして大勢の人の気配が迫っくるようで、いたたまれなくなってくるのである。そんなことからゴールデンウイーク後半は、ほったらかしになっていた庭木の手入れをすることにした。

 手入れといえば聞こえは良いが、生い茂ってきた樹木の伐採である。今の家に移ってきた時、庭には杉とハナミズキの2本の木しかなく、いかにも殺風景だった。そこで目隠しの意図もあって、近くの園芸店から苗木を買ってきて家の周りに植えていった。今になって思えば木々の特性も知らずに無計画に植えことを、軽率だったと反省している。苗木はせいぜい1m、だから道路や隣家との境から30~50cm離して植えていく。たぶん5年や10年であればそれでも良かったのであろう。しかし20年30年経過すると樹の大きさは自分の想定をはるかに超えて成長してくる。樹木の枝葉が道路側に大きくはみ出し、隣家の境界に植えた木は枝が越境しないように、常に気を配らなくてはならなくなった。

 植えた樹木は30本ぐらいだろうか、それぞれの木が成長するにしたがって、狭い庭の中での生き残り競争が激しくなっていく。戦いに負けた木は衰え、やがて枯れてしまう。強いものが勝つ掟は植物の世界も同じで、生命力の旺盛な木は我が物顔に小さな庭の中にのさばっていく。我が家の庭で一番強いのは南天の木だろうか、地下茎だからいつの間にか庭のあちこちから伸びていって藪を作っていく。それから成長の早いのは梅の木、縦横無尽に枝を伸ばし、隣接の木の上に覆いかぶさって日照権を奪っていく。木々は大きくなるにしたがって成長のスピードは加速度的に増していき、びっしりと葉を茂らせ、直射日光が届かないほどに鬱蒼とした庭になってしまった。

 最初の日はノコギリと刈込みバサミで枝を掃う。高い枝は脚立に上がってノコギリで切るのだが、これが思いのほか重労働で遅々として進まない。「これでは何時までたっても終わらない」。 2日目はホームセンターへ行って小さな電動式のチェーンソーを買ってきた。刃渡り30センチのチェーンソーは意外に強力で、うなりをあげて幹や枝を掃ってくれる。見る間に伐採した枝葉で庭に大きな山ができあがった。3日目はこの切った枝葉の始末である。枝についている葉をハサミで切り落としてゴミ袋に詰め、枝は1m程度に切りそろえて束にして紐を掛ける。最終的に90リットルのゴミ袋12袋と、枝の束が8つ出来上がった。これである程度はスッキリした。(上の写真の状態)。しかし最後に10m近く伸びてしまった杉の木が残る(下の写真の木)。これが難問なのである。

             

 ここまで高くなると下から切るわけにはいかない。どちらの方向に倒しても、隣家や電線に被害が及ぶ。業者に頼めば、「クレーン車を使い道路を一時封鎖して伐採するから100万円近くかかる」と友人に脅かされた。やはり自分で切るしかない。木に登り上から順番に切り落としていくしかないだろう。チェーンソウをロープで吊り上げ、幹に体を縛って両手を使って切断する。木の上部にロープを結んで落とす方向をコントロールする。どう考えても年寄り一人で出来る範囲を超えている。結局息子に電話をかけて息子の休日に手伝ってもらうことにした。

 ペットにしても樹木にしても、生きているものを管理するにはエネルギーもお金もかる。それが好きで楽しみながら継続できれば良いが、そうで無ければやがて手に負えなくなってしまう。「歳と共に自分で管理できる範囲を狭めていかなければいけない」、庭の手入れをしながら、つくづくそう実感したしだいである。


足利フラワーパーク

      

      

      

      

青梅 塩船観音




      

      

      




水彩画教室(6)

2013年05月02日 09時00分01秒 | 美術
                           千葉県 館山市 

 水彩画教室に通い始めて先週で1年半が経過した。上の絵は一番直近の絵である。描き終えたあと教室の先生が見て、「雲なども良く描けているし、ポイントも捉えている。絵になってきましたね」という評であった。「では、今までのは絵ではなかったのか?」と冗談も言いたくなる。自分にはあまり実感はないが、1年半は1年半だけの進歩があるのだろう。

 上の風景は千葉県館山市を散歩していたときの、変哲も無い風景である。住宅地の坂を下りると海が広がっている。この地の人々は海に寄り添って暮らしている。生まれ故郷の下関は三方海に囲まれていて、学校に通うときも、遊びに行くときも常に海が傍にあった。そんな原風景が私の中にあるからだろう、こんな風景を懐かしく感じ、たまらなく好きなのである。東北の震災があって津波の災害が言われている昨今、海の傍に住むことは大きなリスクを感じてしまう。海岸線の向こうは制御不能な大海原、あるときは灰色の大波が打ち寄せ大荒れに荒れ、あるときは太陽の光を反射して穏やかにキラキラと輝く。海の傍に住むと言うことは、大自然と共に生きていると実感させてくれるのである。

 今までは主に散歩の時に撮った写真から特徴ある風景を選んで描いてきた。雄大な風景、綺麗な景色、特徴ある町並み、しかしそれはあくまでも風景の持つ面白さを画こうとするだけで、私自身の主張は見えない。今からは少し描くテーマを変えて、自分らしい絵を描いてみたいと思っている。郷愁、憂い、旅情、孤独、静寂、ほろりとした詩情、そんなものが少しでも表現できればと思うようになった。これも1年半の進歩かもしれない。

 下の絵は前回のブログ「水彩画教室(5)」以降に描いた作品を古い順に並べてみた。

      
                       神奈川県 真鶴 三石海岸

  
      
                          千葉県 印旛沼


      
                          京都 先斗町


      
                          新宿区 神楽坂


      
                          北区 旧古河邸 
  

      
                         千代田区 神田明神


      
                    関越道 赤城サービスエリアからの展望


      
                        千葉県 旭市 屏風ヶ浦


      
                      都内の公園 名前は思い出せない