3月12日に予定されていた結婚式が、前日の東日本大震災のために延期になってしまった話しは
3月25日のブログに「震災と花嫁」として記載した。「その後の花嫁の心境はどうだったのだろう?」
そんな心配もあって、その後に花嫁を呼び出し、話しをしてみた。
彼女がこの1年、全精力を傾けて準備してきた結婚式である。式場選定とその予約から始まって、
招待客リストの作成や予算と規模、料理メニュー、式の演出やBGMの選定、花嫁衣装やブーケ、
結婚指輪、招待状の発送、引き出物の準備、新婚旅行の企画、それに加えて新生活への準備と
引っ越し等、それをほとんど彼女が主体でやって来たわけであるから、その気苦労は大変である。
女性の7割以上が結婚式の準備の大変さと比例して、マリッジブルーになると言われるようだが、
彼女の場合、明日が結婚式という最後のエステが終わった時に今回の震災が起ったわけである。
そのショックと落胆は尋常なものではなかったようだ。数日は余震におびえ、自分の悲運を嘆き、
涙が絶えなかったそうである。そして何をやる気力も起こらず、ただただ漫然と時を過ごしていた。
そんな中でも、式で事前準備された式場側の損失(生花等)の交渉、延期の日の確定や打合せ、
新婚旅行の再手続き、招待者への再度の連絡など、否応なしに動かざるを得なくなって行った。
「一回結婚式を挙げ今回は2度目のような気分になって、なかなか気持ちが乗ってこないのです」
そんな風に当時の心境を語っていた。
「結婚」それは女性にとって大きな起点になるのであろう。ある意味で「自分の人生を託す」という
気持ちが強いだけ、女性の結婚式に対する意識は、真の人生スタートに伴う最大のセレモニーに
なるのかもしれない。それに比べ男性の場合はどちらかと言えば仕事に対しての意識が強いから
だろう、結婚式は「私も一人前の大人の仲間入をします」という親族や会社への「伴侶」の紹介の
意味合いが強いように思う。したがって、女性の方が圧倒的に結婚式への思い入れが強く、その
段取りから演出まで、ほとんどを花嫁にゆだねられのが一般的である。だから結婚式を見れば
お嫁さんのセンスが判ってくるものである。豪華絢爛で派手なものから、明るく和やかなものまで
今まで出席させてもらった式も千差万別であった。
彼女に「何が決め手で結婚を決めたのか?」と聞いてみた。彼とは学生時代に友人の紹介で知り
合った同い年である。初めは「とっぽい男」という印象で好みのタイプではなかったが誘われるまま
に会っていた。就職難の中で彼は大学院に残り、自分はある衣料品販売会社に就職したが、その
会社で自分の最も苦手な販売職に配属されてしまう。その部署は女性中心の職場で上手く集団の
中に入り込めず、いじめにも等しい環境に置かれたという。「最初の会社だから、簡単に辞めては
いけない」そう思って頑張ったが、人間関係の不調は如何ともしがたかった。そんなストレスが積
もってか、やがて脱毛が激しく髪の毛が半分近く減ったという。一時はアデランスの使用まで考え
たが、ドクターストップがかかってその会社を辞めることになった。その間、彼は逃げることなく自分
の愚痴を聞いてくれ、懸命に励ましてくれた。それから2人の仲は深くなっていく。
彼は運転できないから、旅行は何時も電車とバスである。ある時、伊豆に遊びに行ったことがある。
川端康成の小説「伊豆の踊り子」にでてくる旧天城トンネルを見る予定で宿を出発したが、あいにく
バスの乗り継ぎが悪く、山道を長時間歩かねばならないと判った。どうしてもあきらめられず彼に
無理を言って行くことにする。山道をあえぎあえぎ登って行く、自分の重い荷物も一緒に持ってくれ、
文句も言わずについて来てくれた。「多分この時でしょう。この人、と決めたのは」ということである。
結婚は男性がプロポーズして、女性がOKする否かが基本形なのである。そのときの決め手になる
のが男性の「誠意」にあるのだろうか?私の場合は見合い結婚であるから、基本的にははじめから
結婚が前提であった。したがって、双方に特に異存が無ければ、なし崩し的に決ってしまう。
彼女の話を聞いていると恋愛から結婚へ、思い出深い一つのストーリーがある。そういうことがある
と2人の結びつきも強くなるだろうと思うと、自分の結婚に比べ何となく、うらやましく感じてしまう。
*
結婚式の数日前に彼女に呼び出され、もう一度会うことになった。「式が近づくに従って、不安感が
強くなり、誰かと会って話をしていないと、不安でたまらないのです」、そんな心境のようである。
最初の1ケ月は緊張感はなかった。しかし式が1日1日と近づいてくるにつれて「また地震があるの
ではないか」という恐怖が湧きあがってくる。余震の度にその思いは強くなり、緊張感が増してくる。
回りは「大丈夫、大丈夫」というもののそんな言葉はなんの慰めにもならない。夜中に「ハッ」として
起きると寝付けなくなる。そしてそれが習慣になってしまい3時間程度寝ると目が覚めてしまうように
なった。しかし寝不足でも頭は冴え、昼間でも眠気は全く無いという。
今回の仕切り直しの結婚式、日にちだけが変わっただけで、曜日も式の時間も会場も全て前回と
同じに設定してある。「たまたま地震で後にづれ込んだだけで、自分達の結婚記念日はあくまでも
3月12日なのです」と言う。それは自分達の大切な日を地震なんぞで、壊されたくないという強い
思いがあるからであろう。結婚式前日のエステも、前回と同じ店で同じ時間に、同じ人で予約した。
「また地震で結婚式がダメになるのではないか」その恐怖感が今も自分に付きまとってはなれない。
だから、この恐怖感と闘ってクリアーしていかなければ、自分達の一歩が崩れてしまいそうになる。
「これは私の勝負なのですよ!」と言う。形は違うが彼女も今回の地震による被災者の一人であろう。
そして、今そのダメージから必死に立ち直ろうとしているように思われる。
地震などの自然災害によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)というのがある。恐ろしい出来事の
体験がトラウマになって、その出来事が何度も思い出され、恐怖におびえ続けるようになることを
言うらしい。そのことで、常に緊張しているため眠れなくなる、イライラする、突然悲しみに襲われて
情緒が不安定になるなどの症状がみられるらしいが、彼女もこれに近いものがあるのかもしれない。
何かの記事に書いてあったが、対処法は、トラウマ体験を無かったこととして意識に上らないように
抑えつけるのではなく、実際に起きてしまったこととして受け入れ、自分からその話ができるように
なることが回復への大きな一歩になるのだとあった。そういうことからすれば、彼女の追体験をして
いくような仕切り直しの結婚式は、地震のダメージを克服するためには正しいのであろう。
*
当日式場で礼服に着かえて、控室で待つていると、やがてチャペルへ集まるようにと案内がある。
全員がそろい、バージンロードの先に神父が待つ中、父親にエスコートされた花嫁が真っ赤な絨毯
の階段を上から一歩一歩と降りてきた。目の前を通り過ぎ、私と目が会った時、にっこりとほほ笑ん
でくれた。私は心の中で「勝負に勝ったね。これで安心だね、おめでとう」、そう話しかけていた。
披露宴も彼女のきめ細やかな演出とおもてなしで和やかに進行していった。それぞれのテーブルを
巡りロウソクに火をともしていく花嫁、正面テーブルに座り終始笑みをたたえる花嫁、その温和で
優しく晴れやかな笑み、決して演技や作った表情でなく、心からの幸せ感が出ているように見える。
その笑みに出席者が引き込まれたように笑顔になる。一人の花嫁の放つ笑顔のオーラが全員を
巻きみ暖かく晴れやかにしてくれる。
女性にとって「不安定さは最大の敵」と言うそうだが、だから反対に「安定に近づく時が一番の幸せ」
なのかもしれない。この人、と決めた花婿のそのそばで、美しく着飾っている花嫁、至福の時だろう。
そして今週月曜日から新婚旅行で、絶対に行きたかったというメキシコのカンクンへ旅立っていった。
さて結婚式を終えてからはどんな心境だろう。落ち着いたらまた呼び出して聞いて見たくなってきた。
3月25日のブログに「震災と花嫁」として記載した。「その後の花嫁の心境はどうだったのだろう?」
そんな心配もあって、その後に花嫁を呼び出し、話しをしてみた。
彼女がこの1年、全精力を傾けて準備してきた結婚式である。式場選定とその予約から始まって、
招待客リストの作成や予算と規模、料理メニュー、式の演出やBGMの選定、花嫁衣装やブーケ、
結婚指輪、招待状の発送、引き出物の準備、新婚旅行の企画、それに加えて新生活への準備と
引っ越し等、それをほとんど彼女が主体でやって来たわけであるから、その気苦労は大変である。
女性の7割以上が結婚式の準備の大変さと比例して、マリッジブルーになると言われるようだが、
彼女の場合、明日が結婚式という最後のエステが終わった時に今回の震災が起ったわけである。
そのショックと落胆は尋常なものではなかったようだ。数日は余震におびえ、自分の悲運を嘆き、
涙が絶えなかったそうである。そして何をやる気力も起こらず、ただただ漫然と時を過ごしていた。
そんな中でも、式で事前準備された式場側の損失(生花等)の交渉、延期の日の確定や打合せ、
新婚旅行の再手続き、招待者への再度の連絡など、否応なしに動かざるを得なくなって行った。
「一回結婚式を挙げ今回は2度目のような気分になって、なかなか気持ちが乗ってこないのです」
そんな風に当時の心境を語っていた。
「結婚」それは女性にとって大きな起点になるのであろう。ある意味で「自分の人生を託す」という
気持ちが強いだけ、女性の結婚式に対する意識は、真の人生スタートに伴う最大のセレモニーに
なるのかもしれない。それに比べ男性の場合はどちらかと言えば仕事に対しての意識が強いから
だろう、結婚式は「私も一人前の大人の仲間入をします」という親族や会社への「伴侶」の紹介の
意味合いが強いように思う。したがって、女性の方が圧倒的に結婚式への思い入れが強く、その
段取りから演出まで、ほとんどを花嫁にゆだねられのが一般的である。だから結婚式を見れば
お嫁さんのセンスが判ってくるものである。豪華絢爛で派手なものから、明るく和やかなものまで
今まで出席させてもらった式も千差万別であった。
彼女に「何が決め手で結婚を決めたのか?」と聞いてみた。彼とは学生時代に友人の紹介で知り
合った同い年である。初めは「とっぽい男」という印象で好みのタイプではなかったが誘われるまま
に会っていた。就職難の中で彼は大学院に残り、自分はある衣料品販売会社に就職したが、その
会社で自分の最も苦手な販売職に配属されてしまう。その部署は女性中心の職場で上手く集団の
中に入り込めず、いじめにも等しい環境に置かれたという。「最初の会社だから、簡単に辞めては
いけない」そう思って頑張ったが、人間関係の不調は如何ともしがたかった。そんなストレスが積
もってか、やがて脱毛が激しく髪の毛が半分近く減ったという。一時はアデランスの使用まで考え
たが、ドクターストップがかかってその会社を辞めることになった。その間、彼は逃げることなく自分
の愚痴を聞いてくれ、懸命に励ましてくれた。それから2人の仲は深くなっていく。
彼は運転できないから、旅行は何時も電車とバスである。ある時、伊豆に遊びに行ったことがある。
川端康成の小説「伊豆の踊り子」にでてくる旧天城トンネルを見る予定で宿を出発したが、あいにく
バスの乗り継ぎが悪く、山道を長時間歩かねばならないと判った。どうしてもあきらめられず彼に
無理を言って行くことにする。山道をあえぎあえぎ登って行く、自分の重い荷物も一緒に持ってくれ、
文句も言わずについて来てくれた。「多分この時でしょう。この人、と決めたのは」ということである。
結婚は男性がプロポーズして、女性がOKする否かが基本形なのである。そのときの決め手になる
のが男性の「誠意」にあるのだろうか?私の場合は見合い結婚であるから、基本的にははじめから
結婚が前提であった。したがって、双方に特に異存が無ければ、なし崩し的に決ってしまう。
彼女の話を聞いていると恋愛から結婚へ、思い出深い一つのストーリーがある。そういうことがある
と2人の結びつきも強くなるだろうと思うと、自分の結婚に比べ何となく、うらやましく感じてしまう。
*
結婚式の数日前に彼女に呼び出され、もう一度会うことになった。「式が近づくに従って、不安感が
強くなり、誰かと会って話をしていないと、不安でたまらないのです」、そんな心境のようである。
最初の1ケ月は緊張感はなかった。しかし式が1日1日と近づいてくるにつれて「また地震があるの
ではないか」という恐怖が湧きあがってくる。余震の度にその思いは強くなり、緊張感が増してくる。
回りは「大丈夫、大丈夫」というもののそんな言葉はなんの慰めにもならない。夜中に「ハッ」として
起きると寝付けなくなる。そしてそれが習慣になってしまい3時間程度寝ると目が覚めてしまうように
なった。しかし寝不足でも頭は冴え、昼間でも眠気は全く無いという。
今回の仕切り直しの結婚式、日にちだけが変わっただけで、曜日も式の時間も会場も全て前回と
同じに設定してある。「たまたま地震で後にづれ込んだだけで、自分達の結婚記念日はあくまでも
3月12日なのです」と言う。それは自分達の大切な日を地震なんぞで、壊されたくないという強い
思いがあるからであろう。結婚式前日のエステも、前回と同じ店で同じ時間に、同じ人で予約した。
「また地震で結婚式がダメになるのではないか」その恐怖感が今も自分に付きまとってはなれない。
だから、この恐怖感と闘ってクリアーしていかなければ、自分達の一歩が崩れてしまいそうになる。
「これは私の勝負なのですよ!」と言う。形は違うが彼女も今回の地震による被災者の一人であろう。
そして、今そのダメージから必死に立ち直ろうとしているように思われる。
地震などの自然災害によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)というのがある。恐ろしい出来事の
体験がトラウマになって、その出来事が何度も思い出され、恐怖におびえ続けるようになることを
言うらしい。そのことで、常に緊張しているため眠れなくなる、イライラする、突然悲しみに襲われて
情緒が不安定になるなどの症状がみられるらしいが、彼女もこれに近いものがあるのかもしれない。
何かの記事に書いてあったが、対処法は、トラウマ体験を無かったこととして意識に上らないように
抑えつけるのではなく、実際に起きてしまったこととして受け入れ、自分からその話ができるように
なることが回復への大きな一歩になるのだとあった。そういうことからすれば、彼女の追体験をして
いくような仕切り直しの結婚式は、地震のダメージを克服するためには正しいのであろう。
*
当日式場で礼服に着かえて、控室で待つていると、やがてチャペルへ集まるようにと案内がある。
全員がそろい、バージンロードの先に神父が待つ中、父親にエスコートされた花嫁が真っ赤な絨毯
の階段を上から一歩一歩と降りてきた。目の前を通り過ぎ、私と目が会った時、にっこりとほほ笑ん
でくれた。私は心の中で「勝負に勝ったね。これで安心だね、おめでとう」、そう話しかけていた。
披露宴も彼女のきめ細やかな演出とおもてなしで和やかに進行していった。それぞれのテーブルを
巡りロウソクに火をともしていく花嫁、正面テーブルに座り終始笑みをたたえる花嫁、その温和で
優しく晴れやかな笑み、決して演技や作った表情でなく、心からの幸せ感が出ているように見える。
その笑みに出席者が引き込まれたように笑顔になる。一人の花嫁の放つ笑顔のオーラが全員を
巻きみ暖かく晴れやかにしてくれる。
女性にとって「不安定さは最大の敵」と言うそうだが、だから反対に「安定に近づく時が一番の幸せ」
なのかもしれない。この人、と決めた花婿のそのそばで、美しく着飾っている花嫁、至福の時だろう。
そして今週月曜日から新婚旅行で、絶対に行きたかったというメキシコのカンクンへ旅立っていった。
さて結婚式を終えてからはどんな心境だろう。落ち着いたらまた呼び出して聞いて見たくなってきた。