3月11日
10年前の今日午後2時46分東北大震災が襲った時、私は近所のホームセンターに居た。尋常でない揺れに慌てて屋外へ飛び出した。それから起こった大津波や東電の原発事故に、日本はこのまま滅びてしまうのではないかと本気で心配した。
この歴史的な大惨事を実際にこの目で直視しなければと強く思い、震災から二か月後の5月下旬に宮城県石巻市へ向かった。山仲間のF子さんの親族が経営するアパートが、津波で浸水した為改修工事をする事になり、私はその手伝いを名目にボランティアとして行ったのだった。
初めて訪れた石巻市は大きな街で、アパートは甲子園に出場した石巻工業高校の近くにあり、信州から来たボランティアの大工さん達が一生懸命改修工事をやっていた。大工心の無い私に手伝える仕事は殆ど無く、一寸した小間使いや掃除などで二日間を過ごした。
津波で浸水したアパート
作業の合間には現場に来ていたF子さんの旦那さんと一緒に、市内の被災現場を車で見て廻った。石巻市は大震災で最も被害の大きかった街だが、津波が届かなかった住宅街や商業地域は殆ど無傷で通常の生活を営んでいるのに、津波被害を受けた海岸部は壊滅的な打撃で、その対比が際立って災害の過酷さに語る言葉が無かった。
石巻港の被災現場
同上
同上
二か月経ち港の復興も徐々に進んでいた。
大して役に立たないうちに二日間の作業が終わり我が家へ戻る時、優しい大家さんのご家族から「支援物資が余ってるんだよ。」と言われて食料品などを手土産として渡された。
大家さんのご家族やボランティアの大工さん、Fさんの旦那さんと
「支援に行って支援物資を貰うんじゃカッコがつきませんよ。」と固辞したのだが、結局押し切られて物を貰いに行っただけの情けないボランティアになってしまった。
そんなダメボランティアだったけれど、あの時石巻へ行ったのは私にとって本当に貴重な体験だったと思う。その後も何度かボランティアで東北地方へ出掛けたが、災害に屈せず明るく頑張っている地元の人達の力強さが深く印象に残った。被災地はまだ復興の道半ばだが、変わりゆく東北地方の復興を、何時か巡り歩いて見てみたいと思います。