昭和55年9月23日(火)登頂
前回の三百名山回顧で昭和55年9月22日に妙高山を登ったと書いたが、その翌日に信州の戸隠山と高妻山を登頂した。妙高山を下山した後、何処に泊まったか全く記憶に無いが、朝早い出発を考えると戸隠村の民宿にでも泊まったんじゃないだろうか。
戸隠山は信仰の山で、戸隠神社が登山口になる。登山道沿いには岩場や鎖場が数多い。最大のハイライトは「蟻の塔渡り」と呼ばれるナイフリッジの岩尾根で、両側が断崖絶壁になっており、ザイルが無ければ此処を立って通過するのは至難の業です。戸隠山は三百名山の中でも屈指の危険な山で、登るなら若くて元気なうちが無難でしょう。
戸隠山から西岳方面
戸隠山の稜線
戸隠山から高妻山
戸隠山から稜線の道を進むと一不動避難小屋が在り、此処から五地蔵山を越えて高妻山までピストンする。往復の道程は長かったが、高妻山の端正な山容が登高意欲を高めてくれた。
五地蔵山から黒姫山方面?
高妻山山頂手前の十阿弥陀
高妻山山頂から戸隠山
同 山頂から北アルプス方面
同 山頂から乙妻山方面
この時は天気に恵まれた二泊三日の単独行で、火打山~妙高山~戸隠山~高妻山と一気に三百名山4座を踏破する事ができた。若かったから歩き通せたのだろうと思います。
実は戸隠山には更に余談があって、この山行の1年後当時所属していた山岳会で、戸隠山~西岳を登る計画が持ち上がり私も一員に加わった。当日は上野駅から夜行列車で出発する事になっていたが、私は出発前に居酒屋でビールを飲んで、不覚にも上野駅へ向かう電車の中で眠りこけてしまった。
この為山行には参加できず、しかもその時私を欠いた登山パーティは、西岳の稜線で1名が滑落事故を起こしてしまったのです。私の不参加が事故の一端に繋がっていたのではと深く後悔し、申し訳ない気持ちで当時の山仲間に頭が上がりませんでした。