Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

カラパタールトレッキング9日目

2018年12月05日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月31日(水)     天気=晴れ後曇り

 

ディンボチェ08:05→ 11:25~12:45トゥクラ→ 13:37~51トゥクラ峠→ 14:56ロブチェ(歩行6時間30分)

 

 今がベストシーズンだから当然の事かも知れないが、毎日好天が続く。天気の良い朝は「今日も頑張ろう。」と闘志も湧いてくる。今日は標高4900mのロブチェまで歩く。

 ディンポチェを出発する。

 朝8時過ぎディンポチェの宿を出発し、エベレスト街道を緩やかに登る。昨日ハイキングで歩いた分岐を過ぎると、周囲を険しい山々で囲まれた雄大な山上台地を進む。

 ディポチェから緩やかに登って行く。

 山上台地を進む。(背後の山はアマ・ダムラム)

 朝方の強い冷え込みで、大地を流れるセセラギが白く凍り付いている。眼下の谷間にはドードコシ川が流れ、ペリチェ村の家々が点在して小さく見える。川の対岸にはタウチェ(6501m)とチョラツェ(6440m)が鋭く高く聳えている。

 道沿いの小川が凍りついている。

 眼下にペリチェの集落が望める。

 タウチェ(左)とチョラツェ(右)をバックに

 平坦な山上台地を3時間程進むと、道はクンブ氷河から流れ出る川に遮られる。川に架かる小さな橋を渡り、岩のゴロゴロした歩き難い道を登り返すと、トゥクラのカラパールロッジに着き此処でランチタイムとなった。

 川の向かい側にトゥクラのロッジが見えた。

 川に架かる橋を渡る。

 トゥクラのカラパタールロッジ

 関西人らしく常に陽気なT子さんが先程から苦しげな表情をしている。「気管支炎を発症したみたいで息苦しい。」と本人の談、彼女は元々気管支の弱い体質であるようだ。

 それでなくても空気の薄い高地なのに息がし難いのではこれ以上登るのは困難と判断され、T子さんもヘリでカトマンズへ搬送される事になった。昨日のMさんに続きムードメーカー的存在であったT子さんまで離脱して、残るメンバーは4人だけになってしまい寂しい限りだ。

 ロッジでヘリを待つT子さんと別れの挨拶をして、我々はロブチェへと出発する。トゥクラからトゥクラ峠までは急登の道がしばらく続く。登る途中カラパタールロッジを見下ろすと、ヘリがT子さんを収容し今しも飛び立とうとしていた。(彼女はその日のうちにカトマンズの病院へ搬送された。我々がカトマンズに戻ると元気な姿で再会できた。)

 トゥクラ峠への登りからカラパタールロッジを振り返る。

 喘ぎながら1時間程急登を頑張り、トゥクラ峠(4830m)に着いた。此処は展望の良い場所で、エベレスト山群で遭難死した多くの登山者の墓標が祀られている。今は行き交う人も多くて感じないが、誰も居ない時に此処を通ると死者の魂に誘われそうで背筋が寒くなるかも知れない。

 トゥクラ峠のエベレスト遭難者を祀る墓標群

 峠からロブチェに向かって歩いて行くと、右前方にヌプチェ峰(7855m)、左前方にはプモリ峰(7161m)が白く輝いて聳えている。標高4800mを越えると川の流れは消え、道の右手には泥に覆われた長大なクンブ氷河が横たわっている。荒涼たる大地の中を歩き、午後3時前に数軒の宿が建つ標高4930mのロブチェに着いた。

 ヌプチェ峰(7855m)

 プモリ峰(7161m)

 トゥクラ峠からロブチェへ向かう道

 ロブチェに到着

 今宵はアバブザクラウドロッジに泊る。標高が上がり寒さは増々厳しくなるが、ロッジの居心地はそれ程悪くない。夕食はマッシュポテトにチラシ寿司、コックのプラディさんが作る料理は多彩でアルコールが飲めない我々の胃袋を楽しませてくれる。明日はいよいよカラパタールへ登頂する勝負の日、不安もあるが何だかワクワクする。

 

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我家から武蔵嵐山駅までマラニック

2018年12月03日 | マラソン

 12月1日(土)

  あの世からの誘引力が強まるせいなのか、齢老いていくほど月日の流れを早く感ずる。気が付けばもう12月、今年も参加する小川和紙ハーフマラソン大会が来週に迫っている。

 例年だと大会前に20キロ前後の長距離を2~3回は走り込むのだが、今年はトレッキングや体調不良などでバタバタし、まだ一度も長い距離を走っていない。これで大会に臨むのは不安なので、今日マラニック(ランニング姿でザックを背負って走る事)で何処まで走れるか挑戦してみた。

 取りあえず我家から東武東上線沿いに北へ向かって走る。走り始めの30分程は潤滑油の切れた機械のようで、脚の動きがぎこちない。その後はだんだん馴染んで脚が軽くなる。

 45分程で高坂駅に着き、駅前のコンビニでコーヒーとシュークリームを買い水分&栄養補給をする。1時間程で関越高速道の高架下を潜り、国道254号の旧道沿いに西へと進む。時間が経つにつれ、脚が徐々に重くなってくる。

 武蔵嵐山駅には1時間45分で着いた。この先へ進むか否か悩んだが、これ以上走ると疲れが溜り来週の大会に影響しそうなので此処をゴールとした。

 走り込んで無い割には、マアマア良いペースで走れたのかなと思う。何とか完走の目途がたったので楽観的な気分になった。その後暖かい服装に着替えると電車で隣の小川町駅まで行き、駅前の韓国レストラン「エシカル」を訪れた。

 いつも笑顔で迎えてくれるママさんが今日は不在で、男性従業員が一人居るだけだ。土曜日のお昼過ぎというのに、店内にお客さんの姿も無い。男性従業員が「最近ママさんは二日に一日位しか顔を出さないんですよ。」と話してくれた。

 せっかく馴染となったお店なのに、これでは行く末が案じられる。たった一人で飲むビールは、何だかいつもよりほろ苦く感じられた。

 走ったコース

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カラパタールトレッキング8日目

2018年12月01日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月30日(火)     天気=晴れ

 

ディンボチェ08:35→ 10:15~10:33展望の丘→ 11:20ディンボチェ(歩行3時間)

 

 今日は標高4343mのディンポチェに滞在し、休養日となった。とは言っても完全な休養では無く、集落近くの展望地(4650m)まで軽い山歩きをする。身体を動かした方が高度順応の効果があるらしい。

 先日のナムチェ坂の登りでは元気にトップを歩いていたMさんの表情が、昨日辺りから冴えなくなった。ご本人曰くお腹を壊して食事が思う様にとれないそうだが、高山病の影響があるのだろうか。 

 朝8時半過ぎ、ソナムフレンドシップロッジを出発する。深い谷間の集落にはまだ陽が届かず、水溜りには氷が張っていた。朝の光が後光のようにアマ・ダムラム峰の肩を貫いて、西に聳えるタウチェやチョラツェの山々を照らしている。

 ソナムフレンドシップロッジ

 アマ・ダムラムに朝陽が差す

 最初はロブチェへ向かう道を緩やかに登る。石の塔婆塔が幾つも建つ分岐地点で右へ曲がり、ポカルス峰(5806m)へ突上げる登山道に入る。我々が目指すのは山頂では無く、そのズーッと下にある展望地点の丘だ。分岐から尾根道をジグザグに登って、約1時間程で展望の丘に着いた。

 分岐地点(背後の山はカンテガ(左)とタムセルク(右))

 分岐地点からロブチェ方面

 分岐からディンポチェの集落

 展望の丘(左からT子さん、Yさん、、我々夫婦)

 石塔が建ち旗がたなびく標高4650mの展望の丘からは、素晴らしい眺望が拡がる。アマ・ダムラムやカンテガの鋭鋒が南に聳え、西にはタウチェやチョラツェが白く輝いている。北のエベレストは前衛の山に阻まれて望めないが、西には世界第5位の高峰マカルー(8485m)が、三角形の俊峰を突上げている。

 展望の丘からマカルー方面(中央奥の小さな三角形の山がマカルー)

左奥がアイランドピーク(6160m)、右隣のピークがチョポル(6711m)、右奥がマカルー(8462m)

カンレヤムウ峰(6230m)ヒマラヤ襞が美しい。

 カラパタールトレッキングでは世界の高峰ベスト5のうち、第1位のエベレスト、第3位のローツェ、そして第5位のマカルーを見る事ができるのだから、それだけでも凄い事だと思う。

 展望の丘からカンテガ(6779m)方面(中央奥の双耳峰)

同、アマ・ダムラム方面(6812m)

 同、タウチェ(左6501m)、チョラツェ(右6440m)方面

 

 マカルーの左手に見える少し低い山はアイランドピーク(6189m)で、エベレストを目指す登山者が高所順応トレーニングの為よく登るそうだ。同じ山岳会の岳友だったH君が、20年程前にこの山を登り、その時の写真を見せてくれたけれど、寡黙で優しい山男だった彼も、病に臥し50歳前後の若さであの世へと旅立ってしまった。彼の面影が一瞬瞼に浮かんだ。

 素晴らしい眺望を堪能し、展望の丘を後にする。下山の道は足も軽く、1時間足らずでデンポチェの集落へ戻ってきた。時間がたっぷりあるので、午後はディンポチェの集落を散策する。

 展望の丘から登って来た道 

 ディンポチェへ降る

 と言っても小さな村なので、端から端まで歩いても30分とかからない。村の入口には白壁に金色屋根の立派な仏塔が鎮座しており、雄大なローツェの南壁が背景となって絵になる眺めだった。

 ディンポチェ集落入口の仏塔(奥はローツェの南壁)

 ディンポチェからローツェ南壁

 集落内にあった太陽熱湯沸し装置

 

 午後のティータイムに食堂へ行くと、Mさんが自分の荷物をまとめて沈痛な面持ちで座っていた。やはり体調が回復せず血中酸素飽和濃度の数値も悪いので、相談の結果ヘリでカトマンズへ降る事になったという。「皆さんは頑張ってカラパタールを登ってください。」という言葉を残してMさんは宿を去って行った。

 ロッジでのティータイム

 エベレスト街道ではヘリコプターによる救難体制が整っており、ヘリポートへ行けば搭乗希望の登山者やトレッカーをすぐにピックアップしてくれる。保険に入っていれば高額なヘリの料金も保険で賄えるそうだ。

 時間が遅かったせいでMさんは一旦ルクラで降りて、翌日カトマンズの病院へ入院したそうだ。(その後すぐにMさんは回復し、我々がカトマンズに戻った時に再会できた。)

 6人の参加者の内、一人が欠けただけで何だか気分が落ち込んだ。でも明日は標高4930mのロブチェまで歩かねばならず、落ち込んでいられない。「体調に気をつけて明日も頑張ろう」そう思いつつ眠りについた。

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