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今日は、「ハンナ・アーレント」の映画を見ての続きを少しだけ。ネットなどで、ハンナの生涯や著名な方の映画評などを読み、なるほどと思うことばかりだった。
ハンナが学生たちへの最終講義で、「本当の悪は平凡な人間が行う悪です。」と語る場面がある。彼女はこれを「悪の凡庸さ(陳腐さ)」と名付けるのだが、初めてこの概念を知ることになった私は目からうろこのような気分だった。
彼女は語気を強めて語る。「ソクラテスやプラトン以来、私たちは《思考》をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能になりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。私が望むのは、考えることで、人間が強くなることです。」何のために考えるのかの意味を改めて気付かされた場面だった。
また、ハンナの生涯をネットで検索し、映画に登場したハイデッガーの他にフッサール、ヤスパースと教科書に掲載されているような高名な哲学者の下で学んでいたことを知る。この師ありて、この弟子ありか。才媛だったようで、実物は役者さんより美しかったのも驚きの一つだった。
ところで、この映画が上映されているシアター・キノは狸小路6丁目に位置し、A館とB館の2スクリ-ン、それぞれ63 席と100席を擁するこじんまりとした映画館である。しかし、限られた壁にはポスターの他に上野千鶴子氏、河野喜代美氏などの映画評の切り抜きが貼られ、映画に向き合う態度になみなみならぬ気概が感じられた。
《「悪の凡庸さ(陳腐さ)」 ハンナ・アーレント オフィシャルサイトから》
アーレントがアイヒマン裁判のレポートで導入した概念。上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうということ。悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう事態を指している。