ところが原稿の執筆中、心子との共通の友達(「境界に生きた心子」に出てくる「沢ちゃん」)から、お母さんは変わってきたみたいで、心子のことを本に書いても大丈夫ではないか、という情報がありました。
また時を同じくして、新風舎の編集会議で拙著の企画を拡大することが決まり、発行部数も大幅に増えることになりました。
本がお母さんの目に触れる可能性も高くなるため、思い切って出版をお母さんに伝えることにし、本名で出すことにしたのでした。
ただし、本が形になってからのほうが理解してもらいやすい、という企画の人の助言に従って、製本されてからお知らせすることにしました。
もしも認められなかったとしたら、やはり全てを引き受けるつもりでした。
そして、ついに本ができ上がり、不安を抱えながらお母さんに送りました。
どう受け止められるか全く分かりませんでしたが、すぐにお母さんから電話がかかってきて、本のことをとても喜んでくださったのです。
本当に良かったと、重い肩の荷を下ろした気持ちで安堵したのでした。
また時を同じくして、新風舎の編集会議で拙著の企画を拡大することが決まり、発行部数も大幅に増えることになりました。
本がお母さんの目に触れる可能性も高くなるため、思い切って出版をお母さんに伝えることにし、本名で出すことにしたのでした。
ただし、本が形になってからのほうが理解してもらいやすい、という企画の人の助言に従って、製本されてからお知らせすることにしました。
もしも認められなかったとしたら、やはり全てを引き受けるつもりでした。
そして、ついに本ができ上がり、不安を抱えながらお母さんに送りました。
どう受け止められるか全く分かりませんでしたが、すぐにお母さんから電話がかかってきて、本のことをとても喜んでくださったのです。
本当に良かったと、重い肩の荷を下ろした気持ちで安堵したのでした。