( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53894384.html からの続き)
今回の死刑判決という 量刑がどうだったか、僕は何とも言えない 思いがあります。
僕は元々は 死刑制度廃止の立場ですから、死刑判決は 好ましくないと思っています。
しかし 客観的状況から見れば、元少年の新供述が 認められない場合は、
死刑しかないだろうという 予想は当然ありました。
また、本村さんに 感情移入してしまっているので、
彼の望みに沿った判決を 求める気持ちが、内心あったのも 事実だと思います。
僕は今まで 死刑廃止と共に、被害者または遺族の傷を 癒すためのサポートシステムと、
加害者更生のためのプログラムを、強く主張してきました。
( カテゴリー 「死刑制度と癒し」 参照
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/folder/1487258.html?m=l )
けれども、それらが まだ実現しておらず、
被害者の慰謝や 加害者の更生が 期待できない現時点においては、
死刑という法定刑がある以上、それを選択せざるを 得ないのかもしれません。
ただし、もしも これを判例として、今後 厳罰化傾向が進んでいくとしたら、
それはとても遺憾なことだと 個人的には思います。
本村さんは 自分の影響があるとしたら、
十字架を背負っていかなければならない と述べていました。
一方で、判例主義は厳に慎み、
個別の事件ごとに判断していくべきだ とも言っています。
本村さんは会見で、死刑という刑罰について問われ、次のように述べていました。
「 刑法は 社会秩序を維持する,安全な社会を作るための 手段だと思う。
どうすれば、被害者も加害者も生まない 社会を作れるのか、
死刑という残虐な判決を 下さなくて済むのか、
それを考える 契機にならなければ、妻子も被告も犬死にだ。
死刑というものがあったから、今回の事件が ここまで人々の注目を集め、
考える機会を 作ることができた。 」
元少年の人格形成には、彼の養育環境が 大きく影響しているでしょう。
育児放棄や虐待などが、共感や思いやりの感情を 育むことを妨げ、
犯罪を犯す少年を生むことに 繋がってしまうケースがあります。
パーソナリティ障害も同様に 養育歴が深く関わり、
それは大人の責任、とりもなおさず 社会の責任です。
今後の社会を どうしていくか、我々に問われていることでしょう。
死刑制度の必要のない 社会システムが、
何とか実現していってほしいと 強く願っています。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53921569.html