「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

文化放送 「死刑執行」 (3) (刑務官の苦悩)

2008年05月08日 10時51分23秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54108303.html からの続き)

 現在、法務大臣の執行命令が出てから 5日以内に刑が執行され、

 死刑囚本人には 執行当日の朝に言い渡されます。

 以前は 執行の数日前に 本人に伝えられ、

 死刑囚が肉親に別れを告げる 時間が与えられていました。

 放送された録音テープには、

 死刑囚が 姉と最後の面会をする場面が 収録されています。

 死刑囚は涙を堪えながら、幸福だった 子供の頃の想い出,事件の謝罪,

 年老いた母親への思慕、可愛い子供のこと などを語ります。

 姉は終始 忍び泣いていました。

 また執行直前、残される死刑囚仲間に 一人一人挨拶する声も 収められています。

 それから 保安課長に連れられて、刑場へ向かう足音が 生々しく響きます。

 刑場の中に入り、死刑囚に所長から はなむけの煙草が与えられます。

 執行間際にも拘らず、死刑囚は 笑いながら昔話をし、

 刑務官たちの笑い声も 聞こえます。

 彼らの長年の 人間的な結びつきが現れています。

 刑務官は 死刑囚が容疑者の段階から、彼らの世話を していることが多いのです。

 被告の心の葛藤も 知っており、ずっと彼らの生活指導をしたり、

 辛い気持ちを吐露されて 励ましてきたりしました。

 長年家族のように 喜怒哀楽を共にし、恨みつらみや 哀れみも含めて、

 付き合ってきた関係です。

 そんな刑務官が 自らの手で、彼らに死刑を 執行しなければならない。

 人間として こんな辛いことは ないのではないでしょうか。

 執行は 刑務官がすべきではない、別の場所ですべきだ という主張もあります。

 刑務官は 執行のときのことを、

 何十年経っても 克明に、鮮烈に 覚えているといいます。

 そして罪の意識を 持ち続けているのです。
 

 刑務官は、拘置所で 死刑囚と長い間 直接向き合っていると、

 彼らが社会的に 非難されるべき人間だという 意識は薄れ、

 目の前の一人の人間という 気持ちで接するようになります。

 被害者感情に与するよりも、裁判で有利になるよう 相談に乗ったりするそうですが、

 それは人間として 当然な感情でしょう。

 「お前なんか死刑だ」 と言う刑務官は 一人もいないということです。

 一方で、ある刑務官は、拘置所の高い塀が、

 犯罪者を社会から守っている と感じることもあるそうです。

 表に出れば 厳しい攻撃を受けますが、それは 裁判所へ行ったときだけで、

 あとは 外からシャットアウトされます。

 社会に注目されている 凶悪犯だと、逆に大事にされたりもするそうです。

 そんなときは、被害者や社会感情を 大事にしなければいけないと思う

 と言っていました。

 年間600~700人の殺人犯が 裁判にかかり、

 そのうち99.9%の人は 命が繋がって 刑務所へ行きます。

(刑務所は矯正施設であり、社会復帰のために 服役する場所ですが、

 死刑囚は 矯正不可能と判断され、死刑執行まで拘置所で 待つことになります。)

 拘置所と刑務所の双方に 務めたことのある刑務官は、

 死刑囚とそうでない殺人犯に 何千人と接して、両者に違いはないと言います。

 刑務官は矯正職員で、服役者を社会復帰させることを 使命とする仕事です。

 そんな 教育者的な立場の人間が、人を殺すことも 仕事としていることを、

 非常に悲しく 残念だと述懐していました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54143995.html
 
コメント (4)
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