( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54469496.html からの続き)
怒りは フラストレーションから起こります。
些細なことで 愛する人に対する 落胆が続いて、
最後には憎悪が 沸き起こってきてしまいます。
そうなる前に 先制攻撃で、BPDの人は 怒りをあらわにします。
あざけりや 激しい敵意の裏には、期待に反した 失望があるのです。
また怒りは、人を喜ばせる行動に カモフラージュされている 場合もあります。
なけなしの財産を 人のために 無差別に使ってしまったり、
行きずりのセックスを したりします。
BPDの人は 怒りを覆い隠すことによって、怒りを免れようとするのです。
しかしそれは、互いに満たされることない 欲求不満を募らせるだけになります。
幼児虐待を受けてきた BPDの人は、
ひどい仕打ちを受けるのは 当然だという感覚を抱きます。
そのため 過去のシナリオを 再現しようとしますが、
虐待を挑発するときに、怒りが薄められるのかもしれません。
これは 「反復強迫」 と 言われる現象です。
過去の経験を 再構築して、「今度こそはうまくやろう」 という 試みだといいます。
BPDの人にとって こうした挑発は、パートナーが腹を立てる 状況を作り、
それによって 関係を支配すると 感じることができます。
激怒し、次に後悔して 自責の念に駆られ、
最後にはパートナーに 許しを乞うことを繰り返します。
こうして、支配権を手にするのです。
BPDの人の 傷つきやすい恐怖感は、傲慢な激昂に逆転します。
それによって、自分をコントロールする感覚を 持てるという人もいます。
幼児虐待は、愛情がレイプに変わりうる,見捨てられる恐怖が 隣り合わせにある、
予測できない おぞましい経験です。
BPDの人の多くは、虐待を思い出して 自分自身を責めます。
この歪んだ認知が 罪悪感や落ち込みを招きますが、
それは コントロールできるという感覚を 取り戻すのに役立つのです。
BPDの人の 忌まわしい体験は、
暴力の犠牲者にもなるし、自分を罰する 加害者になることもできます。
こうした選択肢を与えられると、
BPDの人は 人生を支配できるという 自己像にしがみつくことになります。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54498083.html
〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕