(前の記事からの続き)
BPD患者の恋人である者
―― 正確には 心子は自殺したので 「恋人であった者」 ―― の
手記を使う利点としては、 家族ほどには利害関係が多くはない ことが挙げられる。
BPD患者の場合、 幼少期に親から 適切な愛情が得られなかったとも言われ、
ときに親に対する 強いこだわりが見られる。
その結果、 親のほうも 「正しい理解を示すこと」 より
「毎日の現実をまわすこと」 に追われ、 よき伴走者になれない場合が多い。
恋人の場合、 生まれてからずっと いっしょにいるわけでもない。
稲本と心子も、 心子が自殺するまでの一年半を 恋人として過ごし [16]、
その前の六年間は 事あるごとに連絡がある程度だった [17]。
また、 本論では、 稲本と心子、 二人の個人的関係には立ち入らず、
まずは 2つの場面をコマ切れで 心子の様子を抜粋したい。
それでも、 恋人が書いたものというバイアスを 完全に消し去ることは難しい。
しかし、 みずからでさえ自分を持て余してしまう BPD患者当人とは違った目で、
ときに外側から、 またときに 内側に迫って書くことが、
恋人にはできるのではないだろうか。
そのような観点から、 本書を題材とするものである。
[16]稲本[2009:191] 。
[17]稲本[2009:4-6] 。
〔場面1〕
《心子と差し向かうとき 銘記すべきは、
彼女の発言や行ないに 「巻き込まれないように」 極力努めることだ。
彼女の言うことを真に受けて、 困惑したり怒ったり、
巻き込まれてしまうと 共倒れになり、 それでは元も子もない。
例えばあるとき、 心子は生きる望みを失い、 悲憤に駆られて 僕に詰め寄ってきた。
「どう生きていったらいいの!? 彼氏なら教えて!
あたしの彼氏は ちゃんと答えられる人であってほしいの!
答えられなかったら別れるからね!
彼氏はあたしより 全てにおいて上じゃないといけないの!」
心子の問い詰めに即答できるかどうか、 僕は内心うろたえた。
「それも 白か黒かを求めてるってことだよ。 ひとつの答えはないんだよ」
僕はかろうじて 取り澄まし答えたが、 心子は 軽蔑的なため息をついて言った。
「答えられないんだね …… これで別れよう」
巻き込まれないようにということが 分かっているはずなのに、
僕はすっかり 彼女の言い草に乗せられていた。
詰問に答えなければと 焦ってしまった。
しかし、 心子は 実際に具体的な答えが聞きたくて 言っているのではない。
よしんば 別のどのような返答をしても 満足しなかっただろう。
“どちらに転んでも恨まれる” と言われる、 ボーダーの人との袋小路だ。》
[18]
[18]稲本[2009:56] 。
〔「境界性パーソナリティ障害の障害学」 野崎泰伸 生命哲学研究』第3号〕
(次の記事に続く)