「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (3)

2015年02月16日 20時21分54秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
〔場面2〕
 
《心子は友達にも ピュアだと言われたそうだ。
 
「あたし、 ピュアじゃないんだけどォ」
 
心子は冗談めかし、 僕もふざけて言った。
 
「じゃ、 けがれてんの?」
 
もちろん  「けがれてないでしょ」 という前提だ。
 
僕は 自分がてんで奥手のくせに、
 
つい口先だけの きついジョークを言ってしまうことがあった。
 
だが下手な戯れ言だった。
 
それもせめて  「不純なの?」 というようなら、 まだしもだったかもしれないが、
 
なぜか口が滑った。
 
「どうせ、 あたしはけがれてる ……」
 
心子はしょげ込んだ。
 
いくら謝っても、 弁解し慰めても、 あとの祭りだった。
 
(中略)
 
心子は、 クリスチャンにとって 「穢れてる」 という言葉は、
 
生きる価値もないことだと言った。
 
頭を殴られた気がした。
 
宗教的な意味合いでの  「穢れ」 という発想はなかった。
 
だがもう取り返しがつかない。
 
「あれから体中が痙攣して、 湿布だらけで、 立てないの。
 
心臓も発作起こして ……。
 
マーは いい人だって分かってるよ。 でも会うのが恐い。 危険な人だから。
 
これからも付き合うか考えてる。
 
怒りや恨みはないよ。 ただ恐いの。 こんど倒れたらおしまいだから。
 
立ちなおるのに何週間もかかるのよ。
 
治療費払って リハビリするのは私だから。
 
マー君には責任取れないでしょ」
 
僕が治療費を出すと言っても、 心子は自分のプライドだと言って 受け付けなかった。
 
「昔の私だったら 二~三発殴って 別れてるよ。
 
お前は清廉潔白なのかって言いたい。
 
マーと手をつないだりするの よそうとさえ思った。
 
私を傷つけたこと、 今まで何回もあったね。
 
私と付き合うっていうのは こういうことなのよ。
 
それが分かってないと 私の彼氏は務まらない。
 
何度も説明したよね。
 
マー君は 人の本当の痛みが分からない」 。》 [19]
 
[19]稲本[2009:74-76] 。
 
〔「境界性パーソナリティ障害の障害学」 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(次の記事に続く)
 
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