「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (6)

2015年02月19日 19時30分30秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
BPD患者は、  「世の常識に染まることがない」 ゆえに
 
 〈生きづらさ〉 を感じると考えれば どうなるか。
 
常識は、  「常識であること」 によってだけでは、
 
正しいか正しくないかわからない。
 
私は、 体制や常識の正しさを 吟味することなく、
 
体制に寄りかかったり、 自分を押し殺し 常識に迎合することで、
 
世間を渡っていける人たちよりも、 断然、 心子のような人たちを評価する。
 
しかしながら、 そのことが 心子らBPD患者たちを苦しめ、
 
 〈生きづらさ〉 を感じさせるのであるから、 事態は厄介なのだ。
 
しかし、 だとすれば、 次のような稲本の叙述は不可解である。
 
《ボーダーの人は、 本来発達するべき人格が できなかったと言える。
 
安定した自己がなく、 衝動を自省できないのが 中心的な症状である と言う人もいる。
 
そのため、 自分の願望通りにいかないと 感情をコントロールできなくなってしまう。
 
子供に適切な愛情を 与えられない親が増加し、
 
子供の健全なメンタリティの発育が 妨げられることと 関係しているかもしれない。
 
現代は 父親や母親の役割をはじめ、 世の中の伝統的な 価値観の枠が揺らぎ、
 
確固として人格の形成が しにくくなっている。
 
境界性パーソナリティ障害は、 ボーダーレス時代の 象徴的な心の障害だと思う。
 
彼らは 社会の枠組みの境界線上におり、 一触即発の雲行きで彷徨しているのだ。
 
ボーダーの人は 人格の 「核」 ができていないので、
 
苦しみや悲しみに向かい合う力が きわめて弱いと考えられる。
 
葛藤を冷静に見つめたり、 自省する自我ができていない。
 
心子にとって 自分の言動を否認されることは、
 
生存そのものが消滅してしまうくらい 恐ろしいことである。
 
彼女の過激な反応は、
 
その恐怖を振り払って生き延びるための 命がけのあがきなのだ。》 [23]
 
[23]稲本[2009:54] 。
 
〔「境界性パーソナリティ障害の障害学」 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/64509074.html
 
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