年明けに上手くタイミングが合ったので、この映画を見てきました。
1890年、明治23年、日本が明治維新から懸命に近代化をはかっていた時期、トルコから日本国天皇に表敬をするために軍艦が派遣されます。軍艦とはいっても、木造の帆船で石炭ボイラーのエンジンを併用するものでした。
諸般の事情で帰国の出航が遅れ、台風の季節9月に横浜を出航しました。618人もの乗務員を乗せたエルトゥールル号は、ついに和歌山県沖で強風のため夜間に座礁してしまいます。
その爆発音を聞いた沿岸の漁村民たちは総出で救助活動を開始し、69人の命を救いました。
この逸話は、その慰霊祭が和歌山県で開催されることが時々ニュースになるのでおぼろげに覚えていました。
この映画では後日談として、海難事故の95年後、ある事件が取り上げられています。
1985年、イラン・イラク戦争で緊張が高まるテヘランに日本人215人が取り残された場面が現れます。イランは48時間以内の外国人退去を通告したのですが、日本人は脱出するすべを持ちません。日航は危険地帯への乗り入れを拒否、自衛隊機の派遣は社会党(当時)の反対で国会で決議できません。
日本以外の主要国はすべて緊急に自国の航空機をテヘランに派遣しました。
やむなく日本大使館はトルコに救出を依頼しました。・・下記資料によれば、実は外務省経由ではなくて民間、伊藤忠商事・森永堯氏のトルコ首相との親交による直訴であったようです。
http://matome.naver.jp/odai/2136219086880622801
建前ばかりで、同胞生命の救援にさえも自衛隊飛行機の派遣を拒絶した政治家にその資質を問いたい。
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この映画は若い観客には興味がないようで、某SWの上映に多数のホールを使用していて、こんな狭い部屋で映写されました。
カップルシートになっていて、こんなシートが並んでいました。もっとも見ず知らずの他人には隣の席を販売しないよいうに、人手でチケットを販売していました。