今日は、幸福の科学について書こうと思います。
と言っても、幸福の科学とは・・・と言う話ではなく、自分の信仰生活に因んだ話です。
このところ、書籍の整理をしています。
長年の信仰生活で気がつけば書籍が100冊以上はあったでしょうか、200冊くらいだったかな?
過去形なのは数カ月前から徐々に減らしていたからです。
初期の頃、出版され購入していた書籍から減らしていき、今、一気に100冊前後、段ボール箱11箱ほど、返納する予定です。
15~7冊くらい残して後は返納します。
こういう場合何の書籍を残すのか・・・信者さんがこのブログを読んでいるとして、一般的な信者ならこれは絶対必須だ!というものがあるのかもしれませんが、きっと私が残すのはそれとは違うのでしょう・・。
私には理想の信者像というものがよくわかりません。
逆に言えばこんな宗教的ではない人物が長年いられる宗教団体が幸福の科学ですw
懐広いねうん。
支部や、精舎、イベントや、集い、学習会、研修、そうした中で沢山の信者さんたちを見るにつけ、みんな似たような表現形態をとってコミュニケーションをとっているように見えます。天国ってこんな感じなんだろうなぁ・・・って一人一人が思いながら表現されてるんでしょうね。
“宗教やってる人ってみんなこんな感じかな”という人と、何となく変わった感じの人の二種類いるように見えます。
支部長や講師というのはみんなおしなべて話をすることが好きなタイプでしょう。
幸福の科学にいて、私はそうした人たちの話を聞いている時間の方が多かったと思います。色んな意味で勉強になりました。話の内容もそうだし話し方とか、考え方とか、いろいろ。
思い返すと初期の頃の支部長や講師たちは、宗教家とはこうだろうと、自分の考える宗教家像を装っていたと思います。
初期の頃も今も一貫している支部長のスタンスは、はっきり言えば、活動推進家です。信者さんたちに如何にお布施をしてもらい、如何に伝道してもらうかに腐心している。
それ以外はあまり興味はないと言った感じです。
勿論、信者の悩み相談もします。それはあくまで、その人の活動に繋がっていくことを願ってのことです。たとえその人が活動するまで時間がかかってもそれは構わないのです。それくらいの忍耐力は持ち合わせています。いやそれだけの忍耐力があるのが支部長の条件なのかもしれません。
そうしたことを見てきて、少し活動や、幸福の科学関連の書籍の整理、それをと古い御真影も整理(返納)しようと考えました。
ずっと人の言いなりになっていたような気もするし、
でもそれだけ正しい道を歩んできた気もする。
決して間違ってはいなかったでしょう。
まぁこの辺りで身辺整理をして、将来、終活をしやすいように、終活第一段階に入ろうかと思い至りました。
総裁先生の書籍も御真影(ご本尊)は霊的には光の塊であり、尊い物ですが、物は物。これらは返納します。
幸福の科学以外の他の物は捨てます。燃やすごみや粗大ごみに出します。
壊れて使わないパソコンはリサイクルに出します。これは粗大ごみで出せない。必ずPCの会社に返します。これもある種の返納ww
古くてリサイクルに出せない中古PCは3300円払って引き取ってもらうしかない。はぁ~(*´Д`)
返納はPCも幸福の科学の書籍もお金がかかります。
私が言いたいのは、宗教は撤退する時にも結構なお金がかかるということです。
返納した書籍等はお焚き上げをして頂くそうですが、お焚き上げの料金は取られません。しかし送料がかかります。これは当然元払いなので。
「車で持っていきたい」と言うと、色んな運送会社のトラックが出入りするので危ないからとそれは断られました。当然ですね。
一番安いのはやはり、日本郵便のゆうパックだそうです(ネット調べ)
書籍でも段ボールにいっぱい詰めなければ25kg以下にして一番小さいサイズで出せればスマホ割で一箱700円。11箱に抑えて何とか1万円超えないってところ。
もし、ご近所の目が全然気にならないなら、資源ごみの日に書籍を出したいところですが。相当な冊数なのでそれら全ての出版社が幸福の科学って、それはそれは多分異様な光景でしょう。私には勇気がありません。
お金を払うしかない。
母が以前言っていた。
「私には宗教をやる余裕はないの」
その言葉の意味がここ最近年々染みてきて、最後の最後にえぐられるような思いだ。
願わくば、幸福の科学が来世も来来世も永遠にこの地球上にあることを願っていますよ。
数億人数十億人の信者を有す世界宗教になれば、信者に負担がこれほどかかることはなくなるでしょうから。
がんばれ!
負けるな!
幸福の科学信者たち!