NHK『虎に翼』で語られなかったGHQ日本解体の狙い。戦後の民法改正は正しかったのか。(泉聡彦氏×釈量子 対談①)【言論チャンネル】
戦前は家族制度がカッチリとあって、家長がすべてを取り仕切り何をするにも家長の許可が必要だった。それは非常に窮屈だったことは事実、また男尊女卑であり、相続は一子相続、だいたいは長男が引き継ぐ。封建的であり別に見れば儒教的、日本神道的な制度なので親に対する孝行、それは突き詰めれば天皇に対する忠義心に繋がり、天皇制と一体になったミニ天皇制のようなものが家制度だった。
そのため、GHQは当然これ(家制度)を壊すと決めて占領を始めている。「家制度」の破壊もGHQの狙いだった。
憲法24条に基ずく「民法改正」で法律上の「家制度」が廃止。新しい憲法により戦前の戸主制度を明確に否定、これに基づいて民放が改正された。
改正を指導したのが、我妻榮氏
『虎に翼』では「民法改正審議会」に出席したのが穂高教授になっていたが、実際には穂高教授のモデルの穂積重遠ではなく、この我妻榮氏が出席していた。我妻榮氏のモデルはドラマには出てこない。
我妻榮氏は戦前から家制度は無くすべきだという考えだった。GHQの意向に沿って動いていた。
一方保守派の神保教授のモデルは牧野栄一氏
牧野栄一氏(ドラマ神保教授)はそれに反対していた。
審議会の最大の争点は「親を誰が面倒みるのか」
戦前の戸主制度では戸主が家族の面倒を最後まで見る責任があったので、親も代替えした戸主が面倒を見ていた。戦後はそれが無くなったということは親の面倒を見る人が誰もいなくなった。
牧野氏はそれを憂い、我妻氏は社会保障制度が面倒見ればいい、まだ整備されていないが整備されれば家制度は消えていく、親の面倒なんか過渡期だから消えていくんだと発言。「国が責任もって親の面倒を見る」ということ。
現在の社会保障制度はこの改正された民法「家制度の廃止」が元になっている。
牧野氏は戦前の家制度をそのまま残せとは言っておらず、不合理な所は直していいと、憲法には夫婦のことは言っているが、親子のことも同じくらい大事だろうと言っている。
その妥協の産物としてドラマにも出てきた民法730条「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」というのが牧野氏によってゴリ押しされる。しかし、我妻氏の入れたくない意向で全く無視され、現在も法律上は無意味であるという位置づけにされている。
しかし、扶養義務という制度がある。
結局これらのことが「核家族」を推進する原動力になってしまった。
『戦後 改革して悪くなったものは
憲法だけではありません
民法もそうです
今の民法は 日本の家制度を
完璧に破壊した
“左翼民法”なのです
これについて
「間違っている」ところを
考え直してみる必要が
あると思います』 ー『地球を救う正義とは何か』大川隆法著ー
戦前は長子相続制で次男三男は家を出て行くという制度であったけど、戦後「法定相続」となり、遺言でもそれを侵せない「遺留分」という制度ができ必ず遺留分というのがあり、次男三男でも財産を相続できる。例えどんな子供だろうと兄弟間で均等。すると、親の面倒見ても見なくても変わらない。「寄与分」というのもあり少し変わるが、ほとんど影響はない。
そうなれば、面倒見るだけ大変なだけで相続は変わらないということになり、親の面倒を見ないという風になってしまった。
幸福実現党は立党当初からこうした問題を提起していた。
大川総裁は「親の面倒を見ると宣言している子供には全財産を譲っても構わない」ともおっしゃっておられる。基本的には家族が親族も含め助け合って親の面倒をみるとことがよいことである。国が全部抱えていくのは財政上も持たないし自然の摂理に反するというお考えがある。
不況や老後の生活の不安という声が起きている今が見直すチャンス。
現憲法は、正に長い時間をかけて徐々に日本の家庭を崩壊させ、天皇家を崩壊させ、日本という国を解体する憲法だと思いました。
自分の家庭を考えてみても、そうだなぁと思います。
まぁわたしの育った家庭も核家族でした。私は一人っ子ですが特にお家を守る意義とか、親の面倒とか、嫁に行った先ではこうしなさいなどという教育は全く受けていません。こういうのは各々の家庭の自由裁量なんでしょうね。
父は5人兄弟の末っ子なので、昔で言えば、相続など関係ない。そういうのは今もありますよね。長男が継ぐとか面倒見るとか。だけど伯父家族はお金持ちなのに、脳卒中で倒れてボケた祖母をさっさと介護施設に入れて時々お見舞いに行っていた程度でした。しかも、子供の頃はお墓を誰が守るかとか話していたのを親たちがしていたようだけど、結局、伯父夫婦はお墓も守る気はないらしく、自分らの墓を別に購入したようでした。施設の中にあって、ボタンを押すとエレベーターでお墓が出てくるやつ。
その代わり祖母が亡くなった後は、残った財産を生きている兄弟で均等に分けたみたいです。
本当に、そういうことです。
財産引き継げないのに、長男だからっておばあちゃんおじいちゃんの面倒見たり、ましてや墓を守るなんてしたくも無いってことでしょう。
恋愛ドラマが当たり前に毎年3カ月1クールごとにテレビで放映されてるけど、
本来
結婚って、家(財産やお墓)を守り、おじいちゃんおばあちゃんの面倒を見るためのものです。
それを長男夫婦が全て引き継ぐ、そうして家長としての責任を負う。
日本はそうやって国そのものを強固なものにしてきた。
それを、GHQが解体した。
そして今に至る。
国が面倒を見るとはこういうこと。
政治の意義が薄れ、選挙はただの人気投票になり、政府お抱えのマスコミが国民をコントロールする。
核家族で誰も介入しない家庭で親は子供を虐待したり殺したり、
そうすればその子供はもともな家庭などつくれない。
しかも国の面倒とは実際はただただお金を少量ばら撒くことだけ。実状、年金も介護保険も何の助けにもなっていない。あんなに保険料を払い続けたのに・・・
国民が増税ばら撒きで貧しくなっていけば、次の世代はまともな教育を受けることが出来ない。しかも今の日本の派遣制度でまともな仕事にもつけない。なのに税金と年金は収入の5分の一も、もぎ取られる。親からの財産も当てにならない。
結婚などできるわけがない。自分の面倒で手一杯。財産ももらえず親の面倒を見る気力も経済力も当然ない。
宗教で言われるような倫理観や精神論で何とかなるような問題じゃない。
そりゃ、こうした絶望的な状況の中で神様を信じて、お布施し続けることは精神修養になるだろうし、あの世へ還った後や来世の担保となることはあるかもしれない。しかしお布施を続けるなら一般的には結婚生活は難しい。
それなのに幸福の科学は結婚を推奨するのは、無責任でありあまり人の苦しみを理解していないのかと思う。まるでそれが幸せのように言いますが、本当にそれは普通の人にとっては地獄の始まりです。
お金は仏や神にお布施をしても巡っては来ません。当然、ただ、無くなるだけです。ロストです。それを知ってお布施をするべきです。
だから、幸福の科学で、お布施をすれば豊かになるというのは、その辛い修行で心が鍛えられ、その結果人格が練られ豊かさに繋がることがある。
幸福の科学の講師は、そこまで正直に言うべきだと思う。お布施を推奨する都度にそうした現実を話すべきです。
だけど、例えば、あるご婦人が高額のお布施をした際、仏の光を感じ心が暖かくなり涙があふれ幸福感に満たされたという実際の体験を発表すると、講師たちはそればかりを強調して、「そうした幸福感に至ることを目標にお布施を続けることです。」というような甘い言い方しかしない。これは一つの手口です。
宗教っていうのはファンタジーなんです。それも実際の世界観かもしれません。でも現実の対価を支払らわせるのならば現実を見せる義務はある。
生きている間は現実を直視するべきです。
だからといってお布施に税金をかけろは、GHQ日本政府の思う壺なんです。お布施したことがある人にはわかると思いますが、本当に気持ちを込めてお布施させていただいたものに、国が手を付けるなんて、怒りしか湧いてこない。
お布施につけたその手をペシっと鞭でキズが残る程強く叩いてやりたいですね。
そういうことなので、宗教法人への課税は信者からすれば「っざけんな!」ということです。そしてクソ憲法にだって、信教の自由は保障され、いかなる人も差別されないと定義されています。まぁこういう所はなんとか人間らしいさを保ってますね。
それこそ、今は智慧が大事になっていると思う。
智慧の大切さなんてのは幸福の科学しか言わないでしょうね。他の宗教は絶対に言わない、何故なら下手に知恵がつけば自分たちのやっていることが詐欺だってわかってしまうから。
智慧とはまずは『ダメ憲法で自分たちは馬鹿になっているのだと知る』こと。