子供が喧嘩をして帰ってきた。話を聞くと、相手の子が傷つくような言葉を浴びせてきた。一日に何度も挑発された。とうとう我慢できずに手を出した。
駆けつけた先生は「社会に出たら、手を出した方が捕まる」とわが子を叱った。相手の子は味をしめ、その後も挑発を続けている。この経験は、二人の道徳観念として深く刷り込まれたことだろう……。
一つの例え話だが、学校では親の気付かぬところで、「おや?」というような道徳教育が行われている可能性もある。
子供が"洗脳"されないためにも、家庭でのフォローが必要かもしれない。そのためにも、親として自分が納得する道徳教育のポリシーを持っておきたい。
「教科化」が巻き起こす道徳論争
現在、世の中ではこのポリシーを巡る論争が、起きているようにも見える。
きっかけは、今まで教科外の活動だった道徳が、2018年度以降、小中学校で教科として位置づけられること。道徳教育"強化"の是非をめぐり、様々な立場から意見が出ている。
特に、教育学者ではなく、それ以外の分野からの意見が多い。
芸人・北野武氏は「道徳は処世術」
昨年、話題になったのは、ビートたけしこと、北野武氏の新著『新しい道徳』(幻冬舎)だ。朝日新聞の書評では「『道徳』の授業の副読本として強く推奨したい」と書かれていた。
北野氏は、学校や教育で道徳を正式に教えることには、やや否定的だ。
まず、「昔の日本の価値観では、妻は夫を立てることになっていた(中略)現在はどうだろう(中略)女は男の後ろを歩くべきだなんてネットで発言したら、炎上するに違いない」などと、道徳と言われる様々な考え方に「ツッコミ」を入れていく。
その上で北野氏は道徳を、社会で「上に行こうとする奴」が身につける術でしかないという。実力と人望一本で成功してきた、北野氏ならではの見解と言える。
憲法学者・木村草太氏は「道徳より法律を」
著名な憲法学者である木村草太氏も「現代ビジネス」の記事で、道徳教育に否定的な意見を表明している。
( http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47434 )
同氏は、道徳に対して「法律のあり方」をあてはめて考える。
「(法律と同じく)教育内容は、その普遍的な価値を実現するのに効果的で、かつ、弊害の生じないものが選ばれなければならない」「『道徳』の授業には、一部の人や集団にしか通用しない規範を、漠然とした圧力で押し付けてしまう危険がある」といった具合だ。
その上で学校では、道徳よりも法学の授業に時間を割くべきだという。
様々な歴史の教訓を経た法学の考え方を信頼するからこその見解だろう。
宗教家・大川隆法氏は「道徳は宗教の置き換え」
宗教家の立場から見た道徳論も出ている。
大川隆法・幸福の科学総裁は29日に、『新時代の道徳を考える―いま善悪をどうとらえ、教えるべきか―』を出版。
「道徳というのは、宗教の本質部分をこの世的に置き換えたというか、分かりやすくしたもの」「その道に則って生きていけば、人間としての徳が生じる」と定義。
どのような道徳が、子供にとって必要かという結論部分を、法律や校則との関係、歴史上の偉人の扱い、創造性や離婚の是非などの観点から述べる。
その上で、道徳はもちろん学校で教えるもの。宗教の観点から内容を考え直すべきという考えだ。
「道徳とは何か」で結論は異なる
何が意見を分けるのか。
北野氏は道徳を「処世術」。木村氏は「一部の人たちに通用する規範」。大川総裁は「宗教的真理を、受け入れられやすいよう翻訳したもの」。道徳をどう定義するかによって、そのあり方がまるで変わってくることが分かる。
子供を持つ親や、教育に問題意識を持つ方は、「道徳とは何か?」をつきつめて考えてみてはどうだろうか。
(馬場光太郎)
【関連書籍】
幸福の科学出版『新時代の道徳を考える―いま善悪をどうとらえ、教えるべきか―』https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1615
ストンと腑に落ちる納得感があり、子供にもスパッと説明できる分かりやすさで、道徳においてよく議論される論点を解説する。
善悪を教える方法や、社会秩序の維持と創造性・自由を両立させる考え、「愛国心」を学ぶことの意味などについて、大川隆法・幸福の科学総裁が、大川直樹・幸福の科学上級理事のインタビュアーに答えていく。
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2015年2月13日付本欄 道徳の教科化、まだ踏み込みが足りない(前編)http://the-liberty.com/article.php?item_id=9195
2015年2月14日付本欄 道徳の教科化、まだ踏み込みが足りない(後編)http://the-liberty.com/article.php?item_id=9198