行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

良い夫婦(4/22)のお手本

2010-04-21 12:23:31 | 日記・エッセイ・コラム

 4月22日は、良い(4)ふうふ(22)の日なんだそうだが、少なくとも私は”良い夫だ”と胸を張って言えるにはほど遠いようだ。

 ところで、身内自慢になってしまうのだが、老父は良い夫だったような気がする。

 生前母が、私や妹、或いは祖母と居る時よりも、父、つまり夫と居る時が一番気が楽なのだと言われたことがあった。そして、自分のことを本当に大切にしてくれる父(夫)に心より感謝していると、ぽつりと漏らした事があったのだ。

 長男であった父は、確かに妻であった母を常に庇っていた。実の父母や兄弟姉妹を敵に回しても母を庇っていた記憶がある。

 本来ならば、旧家の跡取り息子の長男であるはずの父であったのだが、祖父母や兄弟姉妹の肩を持った言葉を発した記憶が全く無いのだ。常に、母の肩を持つ言葉しか発したことはなかったのである。

 かといって、夫婦喧嘩はそこそこの頻度でしていたのである。しかし、親兄弟姉妹の側に立って母に何かを言った事さえも一度も無かったと思う。

 つまり、母にとっては、父は絶対的な味方であったのだ。日頃決して仲の良い夫婦という訳でもなかったのだが、実際には、母は父に対して一番心を許していたのであろう。

 そんな母は、25年前59歳で突然亡くなってしまった。

 病気がちで、痴呆症が出ていた祖母(母の実母)に対する看病疲れが最大の原因だったような気がする。

 勿論、父がそんな事を言う筈もないのである。

 老父のための適当な老人ホームを物色していたある日、老父は、

 「XX(実妹)は、体型的にも母親に似て来たので、自分の事で世話をさせて病気にさせては申し訳ないから・・・。月に一度来て貰う程度の完全介護施設に入らないと・・・。」

 いつの間にやら、昔のこと、特に母のことをあまり話さなくなった父は、妻に先立たれた最大の原因は看病と介護だった事を知っていて敢えて言わなかったようだ。

 そんな、父の気持ちを汲んで、食事・洗濯は勿論のこと日常の健康ケアーも含めた安心した介護を任せられる施設を絞り込み、更には、妹が来るのにあまり負担とならない程度の近さの老人ホームを選んだ経緯があるのだ。

 父や妹を敵に回しても、妻を庇えるか? おそらく、老父は”当たり前じゃないか!”と言うに違いない。そんな夫に私がなれるのならば、本当の”良い夫婦”になれるかもしれない。いや、是非そうなりたいものである。

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今も そしてこれからも いつまでも

2009-07-07 09:18:31 | 日記・エッセイ・コラム

 私事で恐縮ですが、昨日7月6日は私と家内の19回目の結婚記念日でした。

Img_0909 Img_0911

 この都内の、とあるレストランの今は使われていない小さなチャペルで

 結婚式を挙げ、

 その下の30人弱しか入れないダイニングルームで披露宴を行い、

 そして、地下にあったバーで、二次会までしてしまいました。

 ほとんど貸し切り状態だったかもしれません。

 そんな素敵なレストランに、毎年家内と来ています。

 「もし、二人が元気でいられたのならば、毎年必ずここに来ようね!」

 そう、家内に約束して19年経ちました。

 1度だけ、スペインに出張中で行けない時がありましたが、

 その年以外はすべて、このレストランに来ています。

 ですから、ここで食事をするのは、結婚式の時を入れて19回目

 という事になります。

 「この約束が、25回続いたら嬉しいね!」

 結婚した当時、そんな遠い先の夢のような未来の話をしていた

 私達でしたが・・・。

 その25回目が、もう6年後に見えて来ました。

 このレストランには、これからも いつまでも 来るつもりです。

  Now and Forever

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YouTube: Richard Marx - Now & Forever

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明日の世界を探しに!

2009-06-18 10:18:47 | 日記・エッセイ・コラム

 今から34年前1975年6月18日、まだ成田空港が無く、羽田空港が国際空港であった時代、一人の無謀な青年はメキシコへ片道切符だけで旅立って行った。争いのない自由な世界を求めて。でも、そこには、もっともっと矛盾だらけの世界が広がっていたのだった。

 その青年は、7年後に再び日本の地を踏んだ。しかし当時の社会は、その変わり者を容易には受け入れてはくれなかった。青年は、必死に社会に馴染もうとした。でも、馴染めば馴染むほど、青年には窮屈で退屈な社会に思えてきたのだった。

 そして、青年は4年後、再び日本から遠い世界に旅立って行った。しかし、それは争いの無い自由な世界を求めた旅ではなかった。むしろ、争いがある世界を求めて旅立ったのかもしれなかった。


YouTube: 「遠い世界に」五つの赤い風船 永遠のフォークソング名曲集

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戦争は、別れかもしれない・・・。

2009-05-28 10:53:16 | 日記・エッセイ・コラム

 北朝鮮の朝鮮人民軍板門店代表部は27日、韓国が大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への全面参加を26日に決めたことを「宣戦布告と見なす」と非難。

 彼等は、宣戦布告の意味を本当に理解しているのだろうか・・・。

 もう私の年齢では戦争に駆り出される事は決して無いと思う。しかし、若者達は常に兵士として駆り出される可能性が高いのである。そして、それは恋人との別れでもあったりする。

 そうならない事を祈るばかりだ!

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YouTube: la incondicional

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子供を失った親の気持ち・・・

2009-05-12 12:49:18 | 日記・エッセイ・コラム

 子供を持った事のない私にとっては、子供を失った親の地獄のような苦しみを、本当に理解する事はけっしてできないと思う。

 叔父は、40年程前のその日を境に、人が変わってしまった。

 作曲家になりたかった程大好きであった音楽も、あまり聞かなくなってしまっていた。

 そんな叔父の7回忌に、先日呼ばれて行った。

 叔父の長女によって墓前に飾られた譜面台と指揮棒が、私には何故かとても空しく見えたのであった。

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YouTube: Eric Clapton - Tears in Heaven

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