現行の国籍法の、出生後の認知子に日本国籍を認めないという規定が違憲であると、最高裁判所が高裁判決を覆しました!
現行の新国籍法は、昭和25年7月1日から施行されていますが、それ以前の旧国籍法との最大の違いは、認知子に対して日本国籍を与えなくなった点です。これ以前、すなわち、昭和25年6月30日までは、認知子にも日本国籍を認めていたのでした。それが・・・。
更に、旧々国籍法まで遡れば、なんと日本人と婚姻した外国人にも自動的に日本国籍を付与していたのです。ですから、かつての日本人移民の方々と現地で婚姻された外国人配偶者の方々の一部には、ご本人達が知らぬ間に、日本人としての国籍を持ち、戸籍に記載されているような時代もあった程なのです。それがどうして、このように閉鎖的な国籍法になってしまったのでしょうか。
私は学者では無いので、詳しい事は分かりませんが、1924年(大正13年)12月1日より施行された勅令が発端ではないかと思われます。これは、当時の国策移民達を現地国に定着させる目的として、移民を受け入れていた米国、カナダ、メキシコ、ブラジル、ペルー、チリ、アルゼンチン(逆に、ボリビア、コロンビア、パラグアイ等の国々に居た日本人移民はすべて対象外です。)へ移民した日本人がその子供達の出生の届出の際に日本国籍を留保する旨の届出を怠った場合には、出生時に遡って国籍を喪失させるという規定を設けたことが最初でした。
ところが、この国籍留保の届出義務化も認知子に対しては適用除外(もともと、旧国籍法では認知子も日本国籍を有するとなっていました)となっていた為に、法律の抜け穴のようになってしまっており、なんと今現在でも日本人と外国人との婚外子として出生した子に対しての認知(認知に時効はありません)をしていれば、その申し出が今でも可能なのです。つまり、外国人との間に婚外子として生まれた既に死亡している日系2世のケースで、その子の3世や孫の4世等の親族からの申し出でも、確かに認知が行われていたと立証できる場合には、申し出が受理されているのです。ですから、私が扱った事案で、日系3世とその未成年者の子である4世であった者が、帰化では無く、日本人となって暮らしているケースもあるのです。
ところが、昭和25年7月1日に施行された、いわゆる新国籍法では、旧国籍法で認めていた認知子の日本国籍の当然取得を全面的に禁じてしまったのです。更に、前述した移民定着化の目的であった、国籍留保の届出義務まで付け加えることで、更に排他性を強化してしまったのが昭和25年7月1日施行の新国籍法です。ですから、現行の国籍法は、大変排他的な法律に改悪されてしまったのです。
この国籍法の改悪により、日本人既婚者男性に「結婚しようね」と囁かれて騙された外国人女性(特に、フィリピン女性が多かったようですが・・・)の子供の認知が遅れて、その認知が出生後になってしまった場合、その男性と外国人母とが結婚しない限り、その子供が外国籍のままという、実に不自然な状態が50年以上にも渡り、今現在も続いているのです。ところが、胎児を認知した場合(これも、外国人女性の本国法に胎児認知規定がある場合のみ可能。)にのみ、その子の出生時に日本国籍として認めるという、非常に摩訶不思議な状態が放置されているのです。ですから、この胎児認知という方法を知らずに、うっかり出生後に認知して、お子さんに泣く思いをさせて後悔している日本人の父親の方も沢山いるようです。
上記のように、法律を知る親の子だけが得をして、知らない親の子が損をするというような実に不公平な状態が、今現在でも続いているのです。
もう、9年ほど前の事でしたが、ある外国人女性から、日本人既婚者に騙されたと相談されました。裁判認知事件として知人の弁護士に回しても良かったのですが、念のため調べてみて、胎児認知の必要性があることが分かり(日本人男性には、妻子が居て到底離婚できるような状況ではありませんでした。)、その日本人男性を説得できたのでした。ですので、生まれた女の子は、日本人として戸籍を持つ事ができたのでした。でも、この手続き、某区役所と法務局は、その女性の本国法の家族法に胎児認知規定が無ければ受理しないとか、なんやかんやといろいろ抵抗されました。しかし、辛抱強く一つ一つクリアーして行きました。最後には区役所の担当者も諦めて、出生後の本国日本大使館への届出方法を指導してくれました。あんなに意地悪だったのにねぇ・・・。そんな駆け出しの頃の懐かしい思い出を思い起こさせてくれた今回の最高裁の違憲判決でした。
ところで、今後の法改正とその運用面は特に注目したいと思います。それにより、新たに救済できそうな方々もいるかも知れませんから!