行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする25年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

同業の方々との、恒例の東京湾屋形船

2010-08-30 23:22:42 | 旬なお話

 連日続いている猛暑は、まるで赤道直下の国に居るような錯覚さえ覚える程です。

 実際、メキシコ、コロンビア、南スペインなどで勤務経験があり、東京生まれの東京育ちである私でさえ、東京がこんなにも暑かった記憶が未だかつて無い程の異常な暑さです。

 さて、話は変わりますが、毎年8月の最終週になると、お誘いを受けて参加する東京湾屋形船に行って参りました。

Img_1482_2

 この写真にあるようなお刺身の舟盛りから始まって、揚げたての江戸前の穴子の天ぷらなども出たりして、本当にお腹一杯です。

 つまり、翌日の体重測定値が、ちょっと恐怖となるくらいの飲み食いが出来ます。

Img_1484Img_1487

 そして、お綺麗なご同業のお嬢様先生方やお姉様先生方、そして大先輩の先生方もいらっしゃいます。

Img_1483_2Img_1489_2Img_1490

 同業ばかりでなく、国際色も豊かです。

Img_1486 Img_1485

 最後になりますが、いつも段取りして頂いている幹事の諸先生方、

本当にありがとうございます!

 年末の屋形船も宜しくお願い致しますね(^_-)。

にほんブログ村 士業ブログ 行政書士へ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の頃、母が語ってくれた納涼怪談話とは。

2010-08-23 07:38:56 | 旬なお話

 日中の連日の猛暑にも関わらず、8月も下旬となると、さすがに朝夕はいくらか凌ぎやすくなって来たような気がします。そして、気が付くといつの間にやら、夜になると虫の囁き声が聞こえ始めていて、秋が近いことを僅かながらに告げているようです。

 ところで、昭和30年代の前半、東京にエアコンがあった民家などは、まず無かった時代、夜は縁側の窓を開けて、蚊除けである萱(かや)を布団の上に釣り、蚊取り線香を焚いて、団扇で扇ぎながら寝ていたという東京が田舎のような頃の長閑な頃の話です。

 今よりもず~っと涼しい、とはいっても暑く寝苦しい夜は時々あって、子供だった私は、そんな時にお茶目で悪戯好きであった母によく怪談話を語って貰っていました。

 そんな母の話しぶりに、それこそ背筋が寒くなって、暑くて寝苦しい夜が一変して、逆に怖くて怖くて背筋が凍るように震えて上がって、暑さもすっかり忘れてしまった記憶があります。

 妻と離縁するために、今で言うところの不倫相手の父親と共謀して妻に少しずつ毒を飲ませるというお話し。その飲まされた毒によって、顔が醜く腫れ上がった上に、女の命である髪の毛が徐々に抜けて行き、ついには亡くなってしまうという、現代でもありそうな可哀想な妻お岩さんの話で有名な「四谷怪談」。

 奉公人であるお菊が、あるじの大切な皿10枚の1枚を割ってしまって、それを責められて庭の井戸に身投げをして、「いちま~い、にま~い」と夜な夜な皿を9枚まで数える「番長皿屋敷」。

 碁の相手であった家来が腹立ち紛れにその主である鍋島の殿様に殺害されてしまい、息子が殺されて母親は悲観して、その飼い猫と共に自害したものの、その飼い猫が化け猫となって、殺した主である殿様を恨んで、化けて出てくる「鍋島化け猫騒動」。

 そして、平家の落ち武者の怨霊に取り憑かれた琵琶法師である芳一を、その怨霊から守る為に、体中に魔除けのお経を書いたものの、耳だけにお経を書き忘れて、怨霊に耳を千切られてしまう「耳なし芳一」の話などは、母に話を聞きながら、耳をちょっと摘まれただけで、本当に恐ろし思いをした記憶があります。

 西洋のお洒落な童話を読んで聞かせる(もっとも、耳なし芳一の作者:ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)はもともと西洋人ではありましたが・・・)よりは、怖がる息子に怪談話を聞かせて、怖がるのを見て喜んでいた悪戯好きの母ではあったのだが・・・。

 尤も、私自身も実は怖い話が結構好きで、その上、涼しい思いもできたのだから、まあそれなりに懐かしい気がします。そんな母が亡くなった年令であった59歳という年令に、もう僅か3年で同じ年令になると思うと、実に不思議な気がします。まさに、光陰矢のごとしです。

にほんブログ村 士業ブログ 行政書士へ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行旅(こうりょ)病人及行旅死亡人取扱法とは

2010-08-18 14:54:04 | 行政書士のお仕事

 行旅病人及行旅死亡人取扱法とは、住所も身寄りもない、いわゆる「行き倒れ人」の行政機関による救護やその取扱に関する法律なのだそうで、その歴史は意外と古いのである。

 行旅(こうりょ)という言葉が法律等で最初に出て来たのは、明治十五年太政官布告第四十九号『行旅死亡人取扱規則』のようで、明治三十二年には正式に、法律第九十三号 行旅病人及行旅死亡人取扱法として立法化され、一部は改正されているものの、現在も有効な伝統のある法律なのである。

 竹永三男氏の史料である【行旅病人救護・行旅死亡人取扱法規とその運用実態-日露戦後の福島県における事例-(The administrative rescue and treatment of persons dying on the street in Fukushima Prefecture after the Russo-Japanese War : Mitsuo TAKENAGA)】によると、そもそも乞食として放浪していた者や騙されて故郷から連れ出された少年などが行き倒れとして発見され、この病人の救護・治療、或いは、仮埋葬などの費用各府県で負担する事を定めたものらしい

 従って、身元が知れて親族等がいる者は対象外となるようである。また、昨今では旅行中の外国人などもその対象となるらしい。

 各地方自治体では、それぞれの施行規則を県条例で定めており、各県によってその細部では多少異なるようだ。

 なお、死亡した行き倒れ人、つまり行旅死亡人は官報により公告される。その公告内容をデータベースにしたサイトがあるので、行方不明者がいればネットで調べることも可能のようだ。

 http://theoria.s284.xrea.com/corpse/

 ちなみに、昨今の行方不明老人達で捜索願が出されていない(身寄りが居ない方など)ようなケースでは、こういった行旅死亡人となっている可能性が高いとも云われている。

 我々行政書士会会員からの会費で成年後見の一般社団法人を設立し、社会貢献を目指すと標榜している行政書士会であるのならば、少なくともこのような一人暮らしの老人の方々の孤独死や行き倒れとなる悲劇を、少しでも減らすような社会貢献をして頂きたいものである。

にほんブログ村 士業ブログ 行政書士へ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

68年ほど前?の謎の写真

2010-08-14 00:19:17 | 写真

 今年も、あの太平洋戦争が終わった8月15日がやって来ます。

 数ヶ月前、老父の荷物を片付けている時に、

 偶然見つけた写真です。

 今まで一度も見た事のもない、

 生まれて初めて見た写真です!

 一兵卒だった若かりし老父が写っていて

 軍服姿の集合写真もありましたが・・・。

 (済みません、ここではご紹介しません。)

China_before_19455

China_before_19454 China_before_19453

 老父が所属していた連隊で、中国の秦皇島(しんのうとう)に居た頃の

 山海関(さんかいかん=万里の長城の東端)付近の写真には

 間違いはないとの事なのですが・・・。

 しかし、なぜこんな写真が自分の手元にあるのか?

 誰が撮影した写真なのか? そして、誰に貰った写真なのか?

 これらの記憶が一切はっきりせず、

 どうしても思い出せないのだそうです。

 いや、本当は思い出したくない記憶なのかもしれません・・・。

China_before_19452 China_before_19451

 歴史の教科書に出て来そうな貴重な写真なのかもしれませんね。

 ちなみに、老父は

 「自分は技術者だから、士官にはなれません!」

 と本当に一兵卒で通した頑固者だったのだそうです。

 当然ながら下士官や古参兵から顔が歪むほど殴られ、

 実家の弟達からも”非国民”と罵られたのだそうです。

 しかし、何と言われようとも、最後まで自分の主義主張を

 押し通し続けたのだそうです。

 こんな頑固者の父ですが、技術者(菅総理と同じ、応用物理学科卒です。)

 である以上、気象観測やら装備のメンテ等々では、

 それなりに連隊の役には立っていたようです。

 また、父のような頑固者が数人おり、それに手を焼いた連隊長が

 地元中国の方々の民生上のトラブルの相談に乗るなど、

 中国の方々への住民サービス的な役目を任されていたのだそうです。

 ところが、これが功を奏したのか、連隊の撤退時には

 地元中国の方々に助けられ、奇跡的に

 八路軍(はちろぐん=毛沢東率いる中国共産党抗日ゲリラ組織)

 に一度も襲われずに、無事に老父所属の連隊は撤退できたのだそうです。

 老父は、終戦の1年9ヶ月ほど前の昭和18年11月8日付け

 の辞令で、急になぜか招集される前に勤務していた

   某研究所に呼び戻されて、

 結果的には南方の激戦地に送られずに済み、

 命が助かったのだそうです。 

 前述したような老父の頑固なまでの性格が結果的には幸いして、

 本土に呼び戻されたのかもしれません。

 人生とは本当に分からないものですね!何が幸いするのかが・・・。

【ご注意】

 撮影者、著作権者が不明な写真なので、

 転載、転用は厳にご遠慮願います! 

にほんブログ村 士業ブログ 行政書士へ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インカ・コーラ(Inca Kola)って知ってますか?

2010-08-10 07:15:22 | その他

 南米ペルー出身のクライアントさんの事務所に伺った帰りに

 お土産にこのインカ・コーラを数本頂きました。

Incakola

 インカ・コーラはInca KolaとColaと書かないのですね。

 コカコーラやペプシコーラはコーラをColaと書きますが・・・。もっとも、

 スペイン語でColaというと『尻尾(しっぽ)』とか『末尾』の意味もありますから、

 あまり良い意味の単語でないからなのでしょうか?

 ところで味ですが、そうですね・・・、

 昭和30年代に飲まれていた粉末ジュースのような味でしょうか?

 ちょっと懐かしくもありますが、着色料が鮮やか過ぎって感じです。

 ちなみに、別なクライアントさんから頂いた

 甘くてコクのある大変美味しかったペルーの黒ビールがありました。

 ご参考までに。

にほんブログ村 士業ブログ 行政書士へ

にほんブログ村 経営ブログ コンサルタント・コーチへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする