30年以上も昔、私が当時滞在していたM国の田舎町を転々と、安い長距離バスに乗り継いで旅行する事が時々ありました。
温暖な世界的なリゾート地も多いM国なのですが、当時貧乏学生だった私では、到底リゾート地などへの旅行へ行ける筈もありませんでした。行く先々は、いつも辺鄙な田舎町ばかりでした。
田舎町のバス停を降りて歩き始めると、東洋人はやはり当時は珍しかったのでしょう。子供達が珍しそうに、私を凝視し、中にはゾロゾロと付いて来る子供者達さえもいたのでした。
若かった私は、そんな煩わしい視線が嫌で、いつしか旅行中は濃い色のサングラスを掛けるようになっていました。
すると、不思議な事に道を尋ねられたり、或いは、時間を聞かれたりと、M国人の世界に自然と溶け込むことが出来たのでした。
そんな貧乏旅行中に、南部の海沿いにある、とある田舎町に降り立ちました。
そのさびれた田舎町の中心部に位置する教会の前辺りで、苦悩に満ちた様子のない、今まで見た事もない表情の初老の男性が、真っ昼間からボ~として石段に腰掛けている姿を見かけたのでした。
そのどこか恍惚とした表情が、私にはどうしても気になって、失礼だとは思いましたが、その人に突然聞いてみたのでした。
「セニョール! ここで何をしているのですか?(Señor ! ¿Qué hace usted aquí?)」
「俺か? 何も、何もしとらんよ!(Yo? nada. hago nada aquí ! ) それに、何もすることも無いしなぁ。(Pues, no tengo nada que hacer.)」。 そう言って、その男性は、再び日差しに向かって、気持ちよさそうに恍惚の表情を浮かべ始めたのでした。
この町に入る長距離バスの風景から思ったのですが、町の外れには、バナナやココ椰子など様々な果実が生い茂った木々があちらこちらに点在していたのでした。つまり、この初老の男性が、仮に無職だとしても飢えて死ぬ事は無いのだと思い出したのでした。
後日、現地の友人達に聞いたところ、果樹園主達は、こういった人々が、自分自身が食べる為の果実をもぎ取って食べたとしても、その者達を泥棒としては扱わないのだそうです。
だから、彼等は飢えを凌ぐために、必死で働く必要も無いし、まして、その為に人を騙したり、或いは、殺傷までもして食べ物を奪い取る必要も無かったのでした。そんなどこか超越した世界があるのだという事を、その時私は初めて知ったのでした。
寒冷地に住む人々、つまり北半球にある多くの国では、甘く栄養価の高い果物が自生している地域は限られていますし、仮にあったとしてもその期間は本当にごく短い限定された期間に過ぎません。
ですので、寒冷地に住む人々は、穀類や発酵乳製品など長期保存可能な食料品を蓄えます。そして、これらの備蓄食品であるパン、チーズ、ジャムやワイン等で、寒くて長い冬の間、飢えや寒さを凌ぎます。
寒い国に住む人々は、その生命をなんとか維持させようとして、それこそ死に物狂いで働かねばならない必然性があるのです。それが出来ない者は、命を絶たれるか、或いは、犯罪を犯してもまでも何とか生き抜こうとするしか方法はありません。
勿論、動物としての生きるための本能だからといって、みだりに他人様の物を勝手に奪うことなどを社会として到底認める訳には行きませんから、人間は法なるルールを設けて人の物を奪うことを禁じたり、或いは、社会保障制度によって、やむを得ない弱者を社会として救済することで社会制度が維持できるシステムを構築してきた訳です。
ところが、温暖で飢えの無い土地に育った人々には、そんな必要が無い為なのでしょうか。どこか達観したような性格をしています。それは、動物として生きるために争う必要性が無い為なのでしょうか?
ところで、我が日本という国は、四季折々の素晴らしい季節があって、温暖で極めて気候の良い国のように思われがちです。しかし、お米を主食として、それを作って暮らしている民族の土地としては、おそらく最北端の最も厳しい気候の中で暮らしている民族なのです。
それに、日本という国は、鉱物資源や石油などの化石燃料にも乏しい上に、果物などの食料品が豊かに採れる国ではありません。まして、台風被害や害虫被害が多く、決して農業に適した土地でもありません。
だから、日本人は、概ね勤勉で良く働く民族になったのではないかと私は思うのです。そして、それは稲作北限の地で生きる民族に、その厳しい自然環境の中で生き残る為に、天から与えられた特性ではないかとも思うのです。
その当時の世界経済は、欧米諸国に住むアングロサクソン系やゲルマン系を中心とした、いわゆる白人系の人々によって、世界の富の8~9割近くが彼等の掌中に偏在していた時代でした。しかし、こういった経済的に富が偏在した国々に住むことが、人間として本当に幸せなのだろうかという疑問を感じたのでした。
それは、この温暖なM国の田舎町の教会の前で、毎日ボ~としていても、飢えることや凍える心配も無い土地で暮らすこの初老の男性が、たとえ経済的には貧しく、物質的な欲求を満たす事が出来なくとも、不幸であるとは私には到底思えなかったからでした。
そんな、遠い昔の若き日の貧乏旅行の記憶の中で、未だに時として思い出し、そして考えさせられてしまうセピア色のシーンの中のひとコマでした。