工場の製造ラインでトラブルが発生し、不良品が出たとすると、一般的には外国ではその工場労働者達は知らぬ顔をして見過ごすか、自分の工程が原因で発生したことを隠そうとします。しかし、日本の工場では、その原因を徹底的に分析して再度起こらない方法を皆で考えていました。
これが日本の工業製品の品質の高さであり、世界を席巻した工業力の原動力でありました。このようなメンタリティーの工場労働者達が居なければ、おそらく日本は単なる開発途上国で、水が豊富で魚が美味しいだけの小国であったのかもしれません。
では、どうして日本の製造部門の労働者の質が極めて高いのかというと、やはり日本独特の終身雇用制やら、「のれん分け」のような末端からでも這い上がれるシステム、それに社会階級に囚われない、山下飛びのような出世システムといった日本独特の社会階級システム抜きには到底考えられないと私は思います。
私の知る限り、創業者でない工場労働者が大企業の社長になったりするような事が日本という国では希ですが起こりえます。しかし、海外の企業ではまずあり得ない話だからです。フォードやGMの自動車の工場労働者で重役になった人が居たでしょうか?ホンダ自動車で起こった話をすると、大抵の外国人労働者は感激し、日本という国を羨望します。
日本が優秀なのは日本に天才的な職人が多く居たからではないと私は思います。日本では、一人の天才による技術や技能を多くの人達でシェアーして、分散して平準化しようとする集団力が日本の工場労働者にはあったからだと思います。一人か数人の、ずば抜けた天才に頼る店舗は多々あっても、中堅以上の製造企業となると、そうゆう会社は日本では殆ど無いのです。それは、その技能や技術を社内で伝承して、平準化して来たからなのです。
ところが、海外では飛び抜けたスーパーマンのような技能者、技術者、営業マン、そして経営者に頼るメーカーが意外に多いのです。そして、そういった人々に払うギャラも図抜けて高額です。いや、海外と書きましただが、最近は我が日本でもこういった図抜けた高額なギャラで働く人々が段々と増えたようです。つまり、これが今の日本の国際化やグローバルスタンダードの正体のようです。
天才といわれる人々は確かに居ますし、彼等にはそれなりの対価は払われるべきであろう思います。しかし、彼等のような突然変異的なスタッフの力量だけに企業が頼るというのは、企業の存続性からして極めてリスキーです。企業経営的に言えば、この天才によって得られた技能や技術は、社内に素早く普及させなれば、会社として安定的な利益の確保は困難となります。その為には、この天才を厚遇する事は極めて大事な事でありますが、更にもっと大切な事は、企業がどこまで、この天才の技能・技術を素早く平準化させるかなのです。そして、この天才を長く天才として生かせるかという点なのですが・・・。
この最後の点について言えば、日本企業は決して上手いとは言えず、寧ろ潰してしまっていた可能性が極めて高かったようです。これがいわゆる横並び的な考えの弊害だったようです。それでも、日本の製造現場のレベルは世界的に見て、未だにずば抜けて高いのです。そして、それがいつまで続くかは、今後の未来の日本の経営者の方々次第なのですが・・・。
もし、貴方の知っているどこかの工場で、粗悪品が製造されていても、見て見ぬふりをする労働者が多かったら、きっとその会社に未来は無いでしょう。どこかの、超高級料亭で高級肉と称して普通の肉を使い、お客様の食べ残しを使い回ししていても、誰も見て見ぬふりをしていたそうな。この料亭の行く末は明らかですよね!我がニッポン、一体どこへ行くのでしょうか?
次回は、本テーマの最終回として、日本の今後の行くべき航路について考えてみたいと思います。
http://www.afpbb.com/article/economy/2391888/2929686