行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

アキバにカモメが遊びに来る?

2008-03-26 11:13:18 | まち歩き

 昨日、アキバの外れで事務所の近くの昌平橋付近でカモメが遊びに来ているのを見かけました。

 カモメは、ウミドリですから通常は淡水の河川の、それも可成り奥まった所までは入って来ないと思うのですが・・・。

Img_0505_4

 この写真は、1月24日に撮影した写真ですが、まあ似たような光景です。

 満ち潮の関係で川に海水が流れ込むので、餌となる海魚が遡上するからなのでしょうか? 

 或いは、メイドカフェのお姉さん達でも見たくて遊びに来るのでしょうか?(そんな筈はないでしょうね!)。 

 とにかく、この様にカモメ達が鳩達と共に一休みしている光景は、何とも奇妙な感じです。

Img_0504_3

Img_0503_3

 

 オタク君達やメイドさん達かと思えば、筑波と行き来するハイテク研究者達、かと思えば世界各国の外国人旅行者、かと思えば家電を買いに来た若いカップルと色々な種族が同居するこのアキバの街ならではの光景です!

 ちなみに、このカモメを見て、カミさんに「この太った鳥は何の鳥なの?」と聞かれました。確かに丸々と肥えていますから、本当にカモメなのかどうか?ちょっと、分からなくなっています(-_-;)。別な鳥のような気もしたりして・・・。でも飛んでいる姿はカモメなのですが・・・。

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1年が経ちました!

2008-03-19 11:22:47 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年の3月15日に、このブログを書き始めて、気が付いたら1年が経っていました。書いた記事数76件、頂いたコメント数206件、述べアクセス数12,487件と1日平均30人ほどの方々に、私の書いた落書きを覗きに来て頂いている勘定になります。

 そもそも、このブログを書き始めた動機は、一昨年に大腸ポリープ摘出手術を受けたことに遡ります。”検査をしてみないとなんとも言えない”と担当医に言われた時に、「癌だったらあと5年持つかなぁ」などと考えるようになったのでした。それまでの私と言えば、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲むといった好き勝手な生活態度でした。それが、この事件?を機に少しは考えるようになったのでした。30数年1日30本以上吸っていたタバコもきっぱり止めましたし。深夜のお酒も出来る限り飲まないようにするようになりました。

 そんなメンタリティーになっていた私が、昨年の確定申告期限ぎりぎりの真夜中にパソコンと格闘して「やっと終わった!」と思ってホッとしていた時に、プロバイダーから飛び込んで来たコマーシャルメールが”無料でブログを始めませんか?”という内容でした。他人様のブログなんて、一度も見たことはありませんでしたが、芸能人などが書いているのを多少は聞いて知っている程度でした。まあ、「冥土の土産に一丁書いてみようか!」そう思って書き始めたのが、ちょうど1年前のことでした。ですから、誰に見て貰おうとか、深く考えた訳でもなく、落書きのつもりで始めたのでした。

 それが、あるご同業の若い方からコメントを頂くようになってからは、あっという間にこの落書きを閲覧して下さる方々が増えました。当初は、ジェネレーションギャップに多少は困惑しましたが、今までの私の交際範囲の方々とはひと味違ったご意見などに触れることができて大変楽く、かつ参考になっています。特に、コメントを頂く多くの方々とは、今現在でも面識はないのですが、もうまるで旧知の友人のようです。そのうちに、お会いする機会もあろうかと楽しみにしているところです。

 最後に、このブログは、題名にもありますとおり、飽くまでも私個人の「独り言」ですから、その文面や内容に不適切な表現も多々あるかと思いますので、どうか何卒ご容赦頂きますよう改めてお願い申し上げます。なお、もし内容に間違い、勘違い等がありましたら「そっと」教えて頂けると幸いです。いつまで続くかは分かりませんが”冥土の土産”として、書ける限りは書き続けてみようと思っておりますので、今後も宜しくお願い致します。

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中国の田舎に二宮金治郎が沢山いた!

2008-03-08 23:14:02 | 国際・政治

 某国営放送で中国の都市部と地方との格差の実態をリポートするドキュメンタリーを放送していました。

 中国の都市部ではここ数年飛躍的な経済成長を続けており、いわゆる富裕層の中国人が可成り増えて来ています。特に、上海等々の大都市では、東京の外国人向けのような広いマンションに、最新の日本製家電製品に囲まれ、ベンツやBMWに乗り、食卓テーブルには上海ガニが普通に出されるような裕福な中流家庭がかなり増えているようです。

 その一方で、地方の中国人農民達のほとんどは、不衛生な住宅環境の中で、交通の便も極めて悪く、家電製品など僅かしかない劣悪な環境での苦しい生活が今でも続いているのです。そんな苦しい生活から、農家の多くは中学校を卒業したての子供達を、やむなく大都市周辺の工場に集団就職させているのです。その風景は、まるで、昭和30年代の日本にあった集団就職の光景とまるで同じなのです。

 しかし、そんな中国(番組では内モンゴル)の田舎では、只単に子供達を集団就職に出している訳ではないようです。一部の子供達なのでしょうが、猛烈に勉強しているのです。全寮制のその学校(公立の普通の学校のようです。)では、授業の始まる前の朝6時から窓からこぼれる光を頼りに、子供達は本を歩きながら(きっと寒いからなんでしょうか?)読んでいるのです。それも一人二人の子供ではなく、何十人もの子供達がです。そして、それは早朝だけに限りません。昼休み時間、そして夜の就寝時間の12時まで続きます。その姿は、かつて銅像で見たことのある”二宮金治郎”の姿そのものなのです。

 このドキュメンタリーでは、上海の有名大学を卒業したばかりの、何不自由なく育った裕福な若い女性が、ボランティアでこの中国の僻地に教師として1年間赴任し、その学校の教師としての生活の中での苦悩を描いたものでした。借金で、生活費、学費も払えず、弟が危険な炭坑に働きに出る決意をしなければならなくなった生徒の家庭に対して、借金の支払い猶予依頼まで同行するのですが・・・。そして、何も出来ない自分に苦しむこの若いボランティア先生の姿を見て、私は30年以上前に訪ねたメキシコのスラム街のことを思い出したのでした。

 もう30年以上も昔、メキシコの貧民街に住む友人宅を訪れた時、その一帯の住宅には下水道などは無く、下水はたれ流し。その上に、豚やニワトリは放し飼いにしているような街でした。そのスラム街の一角にあった、裸電球一つがぶら下がったとてもボクシングジムとは思えないブロックだけを積み上げた小屋で、必死にボクシングの練習をするメキシコ人の子供達や、豚やニワトリがうろうろして、下水の水たまりがあちこちに散在する道路で、素足でサッカーボールを蹴って遊ぶ子供達を見て本当に驚いた記憶があります。

 「ここから抜け出すには4つしか方法はないのさ。一つは、大学を卒業して良い職にあり付くか。二つ目は、宝くじを当てるか。三つ目は、プロのサッカーの選手になるか。そして最後は、この子供達のように、ボクシングで世界チャンピオンになることさ!それ以外、このスラムから抜け出せる方法はないのさ!」 そう言った友人の言葉に、当時まだ若かった私は、相当なショックを受けたのでした。

 私は、この中国の典型的な田舎の村の全寮制の中学校・高等学校に暮らす生徒達の二宮金治郎のごとく猛烈に勉強する姿に本当に驚愕すると共に、この中国という国に対して何ともいえない脅威を感じたのでした。そして、この何千万という数の中国人の子供達が猛勉強して大人になったとしたら、隣国である私達の国日本は一体どうなるのだろうか?なぜか、急に背筋が寒くなったドキュメンタリー番組でした。

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左側通行の起源って?

2008-03-02 01:02:15 | 街で聞いた話

 とある喫茶店、たまたま近くの席にいた年配の紳士達が話していた内容で、こんな話が聞こえてきたのでした。

「君ねぇ。なぜ、左側通行か知っているかね。」

「さあ、でも確か英国かなんかの影響って聞いた記憶があるのですが・・・」

「自動車に関してはそう云われているが、既に江戸時代からあったらしいんだよ。」

「えっ! そうなんですか? あの、泥道しかなかった時代からですか?」

「どうも、そうらしいんだ。逆に、道が狭かったからこそ、こうゆう暗黙のルールが出来たらしい。」

「それって、どうゆうことですか?早く教えて下さいよ。」

「つまりねぇ。左側通行としたのは、昔から武士は左腰に刀をさしていたので、自然に左側を通行する習慣がついていたのを考慮したらしいんだ。右側を通ると刀のさやが触れ合うし、左側からの攻撃に対して遅れをとるからだと話だ。とある警察関係者に聞いた話なんだがね。」

 確かにこの話、とても筋が通っているのです。そこで、早速ネットで検索すると、確かに福井県警HPのQ&Aに同じような事が書いてあるのです。しかし、「英国の騎士」がと書いてあるHPもありました。まあ、どちらも本当のことかもしれませんが不明です。なお、福井県警Q&Aによると、明治33年に、車両は左側、人間は右側との定めが出来たそうです。

 ところで、政治で使われる「左翼」という言葉は、どこかの国の議会の議場で右翼席側に政権与党の議員が陣取っていたのに対して、左翼席側は政権野党だったからだと聞いたことがあります。

 また、「左きき」の事をいう「サウスポー(South paw)」という言葉は、メジャーリーグのどこかの球場で、左投げの投手から投げられたボールが南側の方向から打者に投げられた事が由来だと聞いたことがあります。

 いずれにしても、左側通行を採用している国は以下の地図にあるように少ないようです。やはり、「」というのは亜流とかマイナーを表しているようですね。ちなみに、僕は左ききなのでして、やはり亜流な人間(>_<)なようですね。

「driving_directions_map.png」をダウンロード

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