某国営放送で中国の都市部と地方との格差の実態をリポートするドキュメンタリーを放送していました。
中国の都市部ではここ数年飛躍的な経済成長を続けており、いわゆる富裕層の中国人が可成り増えて来ています。特に、上海等々の大都市では、東京の外国人向けのような広いマンションに、最新の日本製家電製品に囲まれ、ベンツやBMWに乗り、食卓テーブルには上海ガニが普通に出されるような裕福な中流家庭がかなり増えているようです。
その一方で、地方の中国人農民達のほとんどは、不衛生な住宅環境の中で、交通の便も極めて悪く、家電製品など僅かしかない劣悪な環境での苦しい生活が今でも続いているのです。そんな苦しい生活から、農家の多くは中学校を卒業したての子供達を、やむなく大都市周辺の工場に集団就職させているのです。その風景は、まるで、昭和30年代の日本にあった集団就職の光景とまるで同じなのです。
しかし、そんな中国(番組では内モンゴル)の田舎では、只単に子供達を集団就職に出している訳ではないようです。一部の子供達なのでしょうが、猛烈に勉強しているのです。全寮制のその学校(公立の普通の学校のようです。)では、授業の始まる前の朝6時から窓からこぼれる光を頼りに、子供達は本を歩きながら(きっと寒いからなんでしょうか?)読んでいるのです。それも一人二人の子供ではなく、何十人もの子供達がです。そして、それは早朝だけに限りません。昼休み時間、そして夜の就寝時間の12時まで続きます。その姿は、かつて銅像で見たことのある”二宮金治郎”の姿そのものなのです。
このドキュメンタリーでは、上海の有名大学を卒業したばかりの、何不自由なく育った裕福な若い女性が、ボランティアでこの中国の僻地に教師として1年間赴任し、その学校の教師としての生活の中での苦悩を描いたものでした。借金で、生活費、学費も払えず、弟が危険な炭坑に働きに出る決意をしなければならなくなった生徒の家庭に対して、借金の支払い猶予依頼まで同行するのですが・・・。そして、何も出来ない自分に苦しむこの若いボランティア先生の姿を見て、私は30年以上前に訪ねたメキシコのスラム街のことを思い出したのでした。
もう30年以上も昔、メキシコの貧民街に住む友人宅を訪れた時、その一帯の住宅には下水道などは無く、下水はたれ流し。その上に、豚やニワトリは放し飼いにしているような街でした。そのスラム街の一角にあった、裸電球一つがぶら下がったとてもボクシングジムとは思えないブロックだけを積み上げた小屋で、必死にボクシングの練習をするメキシコ人の子供達や、豚やニワトリがうろうろして、下水の水たまりがあちこちに散在する道路で、素足でサッカーボールを蹴って遊ぶ子供達を見て本当に驚いた記憶があります。
「ここから抜け出すには4つしか方法はないのさ。一つは、大学を卒業して良い職にあり付くか。二つ目は、宝くじを当てるか。三つ目は、プロのサッカーの選手になるか。そして最後は、この子供達のように、ボクシングで世界チャンピオンになることさ!それ以外、このスラムから抜け出せる方法はないのさ!」 そう言った友人の言葉に、当時まだ若かった私は、相当なショックを受けたのでした。
私は、この中国の典型的な田舎の村の全寮制の中学校・高等学校に暮らす生徒達の二宮金治郎のごとく猛烈に勉強する姿に本当に驚愕すると共に、この中国という国に対して何ともいえない脅威を感じたのでした。そして、この何千万という数の中国人の子供達が猛勉強して大人になったとしたら、隣国である私達の国日本は一体どうなるのだろうか?なぜか、急に背筋が寒くなったドキュメンタリー番組でした。