行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする25年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

士業ビジネスのモラル(シリーズ第7回 その1)

2007-08-31 03:41:21 | 行政書士のお仕事

 先々週だったか、東京港区の行政書士が逮捕された、との醜聞が新聞記事になっていた。ここのところ、このように犯罪を犯すバカタレが多いようである。敢えて、バカタレと強調して言わせて頂きたい。僅かなお金のために、書類を偽造したり、戸籍・住民票の請求書を転売したりと、私にはとても理解できない輩である。

 また犯罪を犯す弁護士も多い、判決文を偽造したり、依頼人のお金を着服したり、はたまた、投資で大損して雲隠れしたりと、こちらも最低な輩である。

 他にも税理士、社会保険労務士等々、と沢山の士業がいるのになぜか犯罪を犯す士業は、行政書士と弁護士ばかりが多いのである。不思議な傾向である。そして、どちらにも共通している事は、金銭絡みである事だ。

 では、弁護士よりも確実に収入の少ない筈の、これらの事件を起こした行政書士達は、金に困り果てて起こした事件かというと、そうでもないように思う。昨年逮捕された支部長まで務めて、単位会の会長選まで立候補したNなどは、かなりビジネスとしては、繁盛していた筈だ。

 こうして見ると、経済的に困窮して犯した犯罪でない事が寧ろ問題なのである。つまり、こういった輩は、何をやっていようが、いづれは犯罪を犯す体質を、最初から持っていたと云わざるを得ないのである。

 しかし、こういった人間が犯罪を犯すには、それなりのきっかけがあった筈である。さすがに、自ら進んで、こういった犯罪を犯した同業(弁護士については知らないのだが・・・)はいないと思いたい。

 では、実際にどのような誘惑があるのかを、士業へ依頼する側にいた7年数ヶ月での経験や、逆に依頼される側である行政書士になってから8年数ヶ月の経験から、それぞれ検証してみたいと思う。

 そもそも、一部の企業経営者の中には、未だに法令遵守という考えが全く無い人々がかなりの数いるのである。私自身も、雇われ経営者であった事があるので、良~く分かるのである。「商売で儲けるには、きれい事なんて言っていられない」と思っている経営者の方々が、実際に未だかなりの数いるのである。

 昨今、雪印乳業、三菱自動車、西武鉄道、グッドウィル、フルキャスト、石屋製菓と、会社の存亡までも脅かすような事件を起こしている有名企業がなんと多いことだろうか!実に嘆かわしい話であるが、これが経営者のモラルの低さの証拠なのである。

 昔、会社員であった頃、社長連中が、以下のような事を言っていたのを良く聞いたのである。

 「法律どおりに、税金払うんだったらよ~税理士なんかにゃ頼まねぇよ。どうやって、税金を誤魔化すかを教えくれるのが税理士なんでねぇの?あいつは、使えねぇな。税務署の片棒担いでいやがるぜぇ!」とか、

 「おめぇ、役所なんぞに出す書類なんぞぁ、適当に嘘書きゃいいんだよ。あいつら、どうせ税金で食っていやがるんだからよぅ!ばれたら、間違えましたって、それでOKだぜぇ!テメエ、ビビってねぇで、ささっと書いちまいなぁ!って社員に言ってやれよ。」とか、

 「おめぇ、商売なんかはなぁ、将来の環境の事なんたぁ、どうでもいいんだよ。今、儲けなくてどうするの?そんな事たぁねぇ、偉~いお方達が考えてくれるわけでねぇ、オレッチには関係ないの!わかる?」とか、

 こんな程度の考えの経営者がバブルの頃は、山ほどいたのである。いや、今でもいると、私は確信している。

 こんな、遵法精神の欠片も無いような経営者から、依頼を受けたらどうするのか?答えは簡単である。はっきりと断る事である。知人・友人に紹介された方であって、無碍に断れない場合でも、絶対に引き受けてはいけないのである。

 えてして、こうゆう経営者は、報酬の金払いが悪い上に、必要な書類は用意しない。その上に、開き直って文句を言ってくるのである。もう、始末に負えないのである。こんな、経営者と付き合って、更に仕事を紹介されたら、それこそお終いなのである。

 昔の人は、上手いことを云ったものである「類は友を呼ぶ」と。本当に、こういった依頼人からの仕事は、決して引き受けてはならないのである。たとえ苦しくても、喉から手が出そうに仕事が欲しくとも、決して引き受けてはならないのである。逆に、質の良い依頼人からの仕事で、良い仕事をすれば、やはり必ず質の良い知人・友人を紹介してくれるのである。これは、私自身の経験であるから、絶対に間違いはないのである。

 それでは次回は、どのような事例では断った方が良いのか。そして、その断り方などを実例を交えてお話しようと思う。

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イージーライダーで起こったことが・・・

2007-08-23 12:44:11 | 映画

 ビデオに撮っていた「イージーライダー」(1969年米国)を見た。ピーター・フォンダ、デニス・ホッパーが演じるアメリカ人ヒッピーの若者二人が主人公の青春映画である。主題曲となったステッペンウルフの"ワイルドで行こう♪"

という軽快な曲は、今でもコマーシャルで使われているくらいなので、この映画を見たこともない世代の方々でも聞いたことはある筈だと思う。

 映画の前半は、チョッパーと呼ばれる前輪の長いバイクで、アメリカ南部の美し風景と数々の音楽をバックに、ゆったりと旅するアメリカのライダーを描いた綺麗な映画なのだが、後半は、当時の南部アメリカ保守社会が持つ偏見を描いた怖い映画なのである。途中、出会った地元の有力者のアル中の馬鹿息子役のジャック・ニコルソンと共に、旅を続けるのであるが・・・。とある田舎町で、地元の人間から白眼視された上に、結局は3人とも殺されてしまうという、アメリカ映画としては、悲劇で終わる珍しい映画なのである。

 この映画から数年後の1977年頃、私は日本人の友人達と3人で、車でアメリカ南部を横断した経験がある。メキシコから北上して、テキサス州エル・パソからアメリカに入り、ニューメキシコ、アリゾナからカリフォルニアに向かったのであった。その途中、Back Eyeなる白人しか見当たらないような小さな町のカフェテリアというかレストランに、休息と昼食のために入ったのであるが・・・。

 一人を除いて、長髪でヒッピーのような薄汚い私達を店で待ち受けていたのは、カウボーイハットを被った地元の客である白人達の冷たい視線だった。「何しに来たんだ?こいつら!」とあからさまに思っているような、凍るような冷たい視線であったのだ。私は、完全に固まってしまい、椅子に座るのがやっとだった。それは、映画「イージーライダー」のシーンを思い出してしまったからだった。正直、私は殺されると思ったのである。

 そこへ、エプロンを巻いたごつい男がメニューを持って「何がほしい?」と聞いてきた時には、助かったと思ったのである。映画では、店の人間は注文さえも取りに来なかったからである。私達は、サンドイッチやコーヒーを注文し、無言で食事をした。私ばかりでなく、他の二人も怖かったからである。そうして、さっさと勘定を済ませ、逃げるようにこの店を出たのであった。

 「やばかったよなぁ!」

 「ああ、殺されるかと思ったよ」

 「俺もだ」

 「早くこの町を出ようぜ!」 

 ところが、ガソリンが残り少なかったのである。

 「どうする?ガソリンがもう無くなるぞ!」

 「次の町まで持つかなぁ?」

 「無理だな。ガス欠で途中で止まったら、今度は本当に殺されてしまうかも。」

 「そうだなぁ。仕方がないから、町外れにあるガソリンスタンドで入れて行こう!」

 てな訳で、そのガソリンスタンドに入ったのだが、店員は誰もいない。と、思ったら、どこからかスピーカーで「セルフ・サービスだ!」との声が聞こえた。事務室側を目をこらして見てみると、望遠鏡でこちらを観察している男が確かにいる。更に、よ~く見ると、その男の後ろにはライフル銃が置いてあるように見える。

 「さっさと、ガソリン入れて出ようぜ!」

 私達は慌てて、キャップを外してガソリンを入れ始めた。「カチッ」と満タンの音がして、給油ノズルを戻した途端、「XXドルだ!支払いは事務室だ!」との声が再びスピーカーから聞こえた。年長者が慌てて支払いに行き、戻って来て一言

 「やっぱり、ライフル持っていやがる。さっさと、この町を出よう。殺されちまう!」

 町を出て、しばらくは無言だった私達だったが、次の町が見えたとき、「助かったね!」「そうだ助かった!」と初めて笑いになった。

 でも、僅か数年前までのアメリカ南部は、「有色人種と犬の入店はお断り」と書かれた張り紙が所々見られたような土地なのである。勿論、今ではとても考えられない話ではあるのだが・・・。

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花火見物に行ったのですが・・・

2007-08-20 00:04:01 | 旬なお話

 郊外にある、とある遊園地での、花火を見に行きました。母方の亡き叔父一家のお盆代わりの行事なんだそうで???。まあ、それも、ありそうな陽気な一家なのですが・・・。

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 ビアガーデンでビール飲み放題の上に、前座としてブラジル人によるサンバショーがあって、まあそこそこ楽しめます。

Img_0344 

 ところで、仕事がら、彼らの在留資格の事をついつい考えてしまいました。

 「単にショーをするだけで来日していれば、”興業”の在留資格なんだが・・・」

 「日本語がわりと上手だから、日系3世か彼らの配偶者かなぁ?・・・或いは、日本人と結婚しているのかもしれないなぁ・・・」などと、ついつい職業病とも思えるような事を考えてしまいました。

 カミさんに、そう思って見ていた事を帰り道に話したら、当然、そう思って見ていると思ったとの事。更に、カミさんも同じ事考えていたそうです。さすが、元アシスタント!なのであります。 

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地球の薄皮?

2007-08-16 02:59:21 | どうしてなんだろう?

 21年前の1986年の今頃、私はコロンビアの片田舎での火力発電所建設現場で、海洋土木工事を行っていた某日系マリコン(海洋土木会社のこと)の通訳兼事務長として赴任していました。

 所長、土木技術主任、若手土木技術者と通訳兼事務員の4名の他は、いわゆる職人さん達で、クレーンオペレーター、鳶職人、溶接工、海底作業ダイバー、機械工など日本人10数名の他に、現地コロンビア人の現場アシスタントや作業員が数十人で構成されていたのでした。

 私の仕事は、現場通訳は勿論のこと、経理事務、現地従業員給与支払や勤務管理、現場消耗品・部品の調達から、日本人出張者達の日常生活の世話まで、現場作業以外は基本的には何でも屋でした。しかし、やはり重機を扱う危険な作業現場であったので、外に出る時は、必ずヘルメットと安全靴を着用していたのでした。

 日本の建設現場の朝は、先ずは「ラジオ体操」から始まります。ここコロンビアでも、主要下請け会社のスタッフは、すべて日本人でしたから、やはり朝8時からのラジオ体操で仕事が始まっていました。

 海岸線沿いの現場ですから、少々離れれば、ノーベル賞作家のガルシア・マルケスの作品に出てきそうな殺風景な砂浜や、白いペンキが剥がれ朽ちかけた家、そして紫色のヤドカリにそっくりな椰子蟹等を簡単に見かけることができたのでした。

 コロンビアのこの一帯は、赤道近くの海岸線沿いにあり、首都ボゴタのように高地(高地ですと、気候はむしろ春先のように涼しいくらいの気温です。)では無いので、昼間は35度近くにまで気温が上昇します。

 そんな昼間には灼熱地獄と化すような現場から、山に向かってラジオ体操をしていると、万年雪を被った山が涼しそうな姿で、我々を見下ろしていたのでした。おそらく、あの山のてっぺんの気温は零下5度以下なのでしょう。日中の気温からすると、目の前にある山の頂上(実際は、何十キロも先にあるのでしょうが・・・)の気温と、ここ地上との気温の差が少なくとも40度もあることが、妙に不思議な気がしたのでした。

 わずか三千メーターか四千メーターの空気の層で、40度以上という劇的な温度差が生じている地球という奇跡の環境バランスを保っている惑星に、ただただ毎日驚いていました。

 何キロメーターもある大気圏からすると、この薄皮のような地表と山頂との距離でも、これだけの気温の差が出るのですから、ちょっとした環境バランスが崩れてしまえば、地表温度が50度60度になったり、あるいは零下30度40度になったとしても、何も不思議はないな、などと妙に納得しながら、万年雪で覆われた山を眺めて、毎日ラジオ体操をしていた当時の事を、ここ最近連日続いている猛暑で思い出したのでした。

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試験合格の恩師と久しぶりに一杯!

2007-08-10 19:16:46 | 資格・転職・就職

 私が行政書士になるきっかけを作って頂いた恩師で、今はTACというやはり大手の資格予備校の現役講師で、ご同業でもあるY先生と、やはり元講師で、試験本を出版されていて、ご近所で開業されているご同業のS先生のお二人と、昨夜一献を傾けました。Y先生はS先生の先輩講師でもあり、S先生も本当に久しぶりだとの事でした。

 ところで、私が行政書士試験を受けたのは平成10年10月でしたから、もうかれこれ9年前の話になります。当時の事は、4月30日(このず~と下にあります。)のブログにも書いているので省略しますが、その当時通っていた資格予備校がダイエックス(当時は、大栄学院といっていたと思いますが・・・)でして、そこでの講師の先生がY先生とS先生でした。

 講義はもっぱらY先生に教えて頂きまして、憲法から始まった講義は、民法になって一層面白くなり、受験勉強の意識があまりなかった私は、講義を聴きに行くのが本当に楽しみになっていたのでした。

 一方、合格開業してから、開業講座なる試験合格者対象の講座のトップバッターとして数年間ご指名頂いたのがS先生です。S先生は、私の事務所の近くでご友人の社労士さんと共同で事務所を借りていらっしゃる関係で、ときどき事務所に遊びにいらしたり、千代田支部の会合などでお会いしています。

 お二人とも、行政書士として、4~5年前に登録されたので、私とご同業でもあります。但し、実務家としては、Y先生は???です。S先生は、受験本を出版されていますが、行政書士のお仕事もされていらっしゃるので、まあ二股といったところでしょうか。

ところで、恩師であるY先生に、

 9年前の8月の終わり頃ですが、私がもう面倒になって、「もう試験受けるのやめようかと思うんですけど・・・と」話したら、

 「いやいや、もう少しで合格圏内ですから、もう一頑張りしましょう!」って、励ましてくれたの覚えていらっしゃいますか?と聞きましたところ、ぜんぜん覚えていないとの事でした。

 「でも、先生にそう仰って頂かなかったら、多分私は試験受けていなかったと思いますよ!本当に。もう、この仕事、9年目に入りましたが、その時の先生の言葉で、行政書士になれた訳なんで、本当に感謝してします」と申し上げました。これって、お世辞ではなく、本当の話しです。

 行政書士になりたいと思ったのは、試験後に、たまたま立ち寄った本屋で立ち読みした時に、外国人在留資格の申請取次といった事実上の代理権のようなものが行政書士にある事を始めて知ってからです。実は、それ以前にはその事は全く知らなかったのです。まして、受験した時でさえも全く知りませんでした。

 通常、外国でビザの件を依頼するのは、弁護士に決まっていましたから、それはそれは大変な驚きでした。でも、試験は終わっちゃったし、「あ~、勿体なかった!どうしてもっと真剣に勉強しなかったんだろう」と悔やんでも、後の祭りで、本当にお正月なんか、神社で真剣にお願いしてしまいました。その甲斐あってか?まあ、何とか合格できた次第なのですが・・・。

 それにしても、元教え子が、今じゃ業界の先輩面して、色々偉そうに話しちゃって、「ちょっと、調子に乗りすぎたかなぁ!」と、足をふらつかせて反省しつつ、千鳥足で帰宅した大変楽しいひとときでありました。「Y先生、大変失礼致しました!m(_ _)m」 

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