行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

胃カメラ

2011-02-01 19:26:11 | 健康・病気

 2年ぶりに、胃カメラを飲みました! ちょっと、逆流性食道炎気味でしたが、腫瘍、潰瘍はありませんでした。

 問題は、次の検査かな・・・。

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若返りの薬が本当にできる???

2010-12-06 09:08:19 | 健康・病気

 ハーバード大学医学校の研究者ロナルド・デピンホさんが、自身の開発した「若返り薬」で実験用マウスの若返りに成功した、との記事をインターネットで見つけました!

 http://topics.jp.msn.com/digital/gizmodo/column.aspx?articleid=461185

 それによると、細胞の老化現象に関与しているといわれている「テロメア」という染色体の末端部にある構造体が短くなると、老化現象が起こるらしいのです。マウスでの実験ではありますが、そのテロメアに投薬したところ新たな細胞が確認されたのだそうです。

 もし、これが人間に応用できれば、老化と逆の現象を引き起こすことが可能になるのだそうです。つまり、還暦(私も、あと4年足らずです・・・)なのに、二十歳の肉体に逆戻りできるという、神の領域に踏み込んでしまうかもしれないのです。

 万能細胞が新たな臓器を作り出すなど、京大の山中教授の実験で、昨今有名になりましたが、今度はいよいよ老化防止どころか、若返りとは・・・。

 地球への惑星衝突の危険性によって、もし人類が生存できる新たな惑星を求めて宇宙に飛び出して宇宙を旅する決断をしなければならない時が来た場合、この若返りシステムは不可欠な薬となるのでしょうね。

 しかし、細胞の不死化と癌化とは紙一重なので、まだまだ研究は必要になるのでしょうが・・・。それにしても、この技術の登場は、何かの天の啓示のような気がしてちょっと怖い話です。

 ところで、数年前、老父に

 「何か欲しいものがあったらプレゼントするよ」

 「何かない?」

 と聞いたら、即座に「若さ!」

 と云われて笑ってしまいましたが、

 いつの日か、「何歳迄さかのぼる薬にする?」

 なんて会話になるかもしれませんね(^_^)。

 そんな将来だったら、有り難いのですが・・・。

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新型インフルエンザの影響?(帰りの新幹線がガラガラでした!)

2009-05-22 22:59:06 | 健康・病気

 名古屋入管に在留資格認定証明書交付申請に行った帰り、いつものように東京行きの新幹線に乗って驚きました!三席を全部使ってそっくり反って帰って来れる程、ガラガラでした。通常は東京に夕刻着く新幹線(ほぼ10分間隔で出ています。)は、どれも満席なのですが、今日乗った車両はガラガラでした。いや、きっと、前後の車両もガラガラに違いありません。

 もう10年近く、年に数回名古屋に行く仕事がありますが、こんなに新幹線が空いていた記憶がありません。やはり、新型インフルエンザの影響で、多くの企業が関西方面への出張を自粛している影響なのでしょうか?

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なぜ、日本で急速にインフルエンザが拡大しているのか!

2009-05-19 10:47:05 | 健康・病気

 日本での新型インフルエンザ患者数が、アメリカ、メキシコなどに比べて急速に増加している。それはなぜなのであろうか?

 外国に暮らしたことのある方ならば、お気付きの事だと思うのだが、日本でインフルエンザや疫病が広がり易い理由は、市町村が隣接していることが最大の原因であると考えられる。

 アメリカやメキシコでは、隣町に行くためには、家一つない荒野の道路を何キロも何十キロも車で走り抜ける必要がある。つまり、アメリカやメキシコの市町村は、殆どが点として存在しており、その沿道に全く民家など無い道路によって町と町とが繋がっている構造になっている。

 ところが、日本では、特に幹線鉄道沿線や道路沿いでは、殆ど間断なく民家が建ち並んでいる。来日中の外国人を連れて新幹線に乗った時に、”東京、横浜、名古屋、京都、大阪の境は一体どこだったのだろうか?”と質問されて答えに困ったと聞いたことがあるが、このように我が日本では、住宅が林立しているのである。

 中国やヨーロッパ、或いは中近東などでも、基本的な都市構造としては、町全体が城壁で囲われていた都市が多く、町と町とが点と点で繋がっている場合が多い。

 以上の事から、日本という国は、市町村単位でインフルエンザや疫病を封じ込めることがほとんど不可能な都市構造を持った国家なのである。

 兵庫、大阪、京都、奈良、滋賀等の関西圏では、何本かの鉄道路線や道路によって縦横無尽に繋がっている上に、その間には間断無く住宅が建ち並ぶ都市構造なのである。従って、関西圏でのインフルエンザの蔓延を防ぐことは事実上不可能だと思われる。

 という事は、当然の事ながら首都圏の神奈川、東京、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬なども全く同じで、すべての都市間が多くの鉄道や道路で間断無く繋がっていることから、首都圏で新型インフルエンザが猛威をふるうのも時間の問題と言わざるを得ない。

 しかしながら、幸いなことに新型インフルエンザといっても普通のインフルエンザよりも、むしろ弱毒性で、症状は軽い様子なので、あまり騒ぎ立てることも無いかもしれない。単なる風邪が流行っていると思う事にしたらどうだろうか?但し、今のところはの話ではあるのだが・・・。

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末期癌に敗れた38年来の友

2008-11-06 11:04:22 | 健康・病気

 8月下旬のある日、末期癌を宣告された出版関係の仕事をしていたYが入院している病院に、小児科医のZと見舞いに行った。この二人、当時は学生運動の闘士だった。まだ青臭い三流都立高校生であった我々であったが、みな真剣に悩み、真剣に語り合った仲間である。他に、事業家になったK、留年したけれど一番まともなサラリーマンになって、現在は海外赴任中のH。最近はお互いご無沙汰にはなっていても38年来の親友達だ。

 この2週前に、Yに末期癌で余命3ヶ月であることを告白された時、やはり私はショックを隠せなかった。友人の医師Zは、既に夏休み休診で不在。私の知る限りの某有名な病院に行くことを勧めたのだったが・・・。結論は変わらなかった。余命3ヶ月・・・。

 余命3ヶ月とは最悪の場合であって、1年、或いは何年も保つ場合もあるそうだが・・・。俳人でもあるYは、投げやりに担当医師に「先生、もういいですよ!」と言って怒られたそうだ。当たり前である。医師も、不可能かもしれないが、諦めずに最大限の努力をしているのである。それが、患者自身に諦められては・・・である。

 「我々と同じ世代の元NHKアナの池田さんも、全身に癌が転移しても5年近く頑張ったじゃないか!5年とは言わないが、せめて3年は頑張れよ!」それしか言えなかった私。黙って、脈を採ってさりげなく問診するZ。そのZも体調は悪そうだった。医者の無用心というやつだ。

 帰り道「どうかな?」、そう聞いた私に返事をするのを躊躇っていたZは、

 「僕は専門ではないからはっきりした事は言えないんだが、あの腹水の溜まり具合からいって相当悪いと思う。」

 「悪いって、1年は無理なのか?」

 「ん~、何とも言えないけれど、良くないように思える。」

 「抗がん剤治療はどうなのだろうか?」

 「効果がある場合もあるけれど・・・、僕なら、苦しむだろうから、それはやらないと思う・・・」

 9月になって、再び見舞いに行った時は、Yは思ったより元気になっていた。来週からは自宅から通院して治療を続けるとの事だったので、ちょっと安心した私だったのだが・・・。その夜、電話で連絡した時、Zも喜んではくれたのだが、何か歯に物が挟まったような喜び方だったので、ちょっと気にはなっていたのだが・・・。

 10月21日、衰弱が激しく再び入院したとのメールが来た。衰弱と言っても私には、まったく想像がつかなかった。良かったら会いに来て欲しいとのメールだったので、23日に再び見舞いに行ったのだったが・・・。

 部屋に入った瞬間、隣のベットにいる80歳くらいの痩せこけた老人の患者さんと目が遭ったと思ったのだったが・・・。

 「ナカムラ~、済まないなあ~」そう確かに、その老人は呟いたのだった。しかし、それは驚いたことに紛れもなく元同級生のYだったのである。まだ54歳なのに、一気に30歳も年をとってしまったような姿だったのである。

 私は、狼狽する自分自身を落ち着かせるのがやっとだった。癌とは、本当に恐ろしい病である。人の生気までもあのように吸い取って増殖し続けるのかと思うと、腹が立って来たのである。

 Yは、何度も涙を流しながら、もう覚悟してると話を続けた。そして、残される者達への相談に乗ってやって欲しいと、骨と皮だけになってしまって緩和用の点滴を付けた腕で涙を拭っていたのであった。私自身も貰い泣きしそうになるのを必死で堪え、今では名小児科医になっているZやサラリーマンとして出世街道まっしぐらの落第生Hらが、高校生時代にはとても出来が悪かった笑い話などをして、話題を変えるのがやっとだった。

 「もう一度みんなで飲みたいな!」、もう何週間も食事が採れない酒好きのYの本当に最後の夢だったかもしれなかった。

 「退院できたら、掟破りで内緒で一杯やろう!」

 あり得もしない分かりきった嘘しかいえない私だった。

 「・・・も呼ぼうか。・・・も来るかな?・・・も入れてやろう!・・・」

 そんなあり得もしない誘いに、Yは本気でそう思っているように振る舞ってくれたのだった。一番辛いのはY本人であることは分かっていたのだが・・・。

 10月29日、明日病院に行きたい旨のメールを打つが返事がなかった。30日、小児科医のZと病院へ。しかし、もうYと会話が出来る状態ではなかった。Zは「Y!CD持って来たぞ!」と泣きそうに叫んでいた。Yは、うめき声のように「ウォー」と唸るだけだった。

 私には、「Z、おまえ遅いんだよ!」そう言っているような気がしたのだった。

 Zは骨と皮だけになってしまったYの手と腕を握って、「Y!俺だ!CD聞こう!」 そんな無駄と分かっている呼びかけをしていた。

 私は、クリニックが忙しくて見舞いに来る時期が遅れたことを明らかに悔やんでいるZに、「Yは、お前が来たのを確かに分かっているから!あのうめき声が証拠だよ!」そう言って慰めるのがやっとだった。

 面会時間がとうに過ぎても我々は居た。それはZも私も、もうこれで最後だと分かっていたからだった。「Y、じゃなぁ!」そう病室のドアーを閉めながら私がYに言った言葉の本当の意味は、「Y、さようなら!」に違いなかった。

 そして、翌々日の11月1日未明に、Yが永眠したとの知らせが届いた。まだ54歳であった。本当に、辛かっただろう。もっと、もっと生きたかっただろう。やり残した事もあっただろう。言いたかったこともあったのだろう。でも、それなりに生きたよY、お前は!

 さようならY!俺は、まだこの世に未練があるから、当分は残るぜ!淋しいからって、俺を呼んでくれるなよ!そう、呟きながら、私は近いうちに、病院に精密検査に行かねばと思ったのであった。

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