もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

英国のEU離脱と兵庫県独立運動

2020年02月02日 | 欧州

 イギリスのEU離脱が本決まりとなった。

 完全離脱は12月末までの移行期間終了後ではあるものの、移行期間内に通商や国境管理について対EU・アイルランドと合意できる可能性は極めて低いと観られているが、ジョンソン首相が移行期間の延長禁止法を可決していることから、合意なき離脱も視野に入れているのだろう。離脱に際してジョンソン首相は「英国新時代の幕開けであり、更なる連合王国の団結」を訴えた。背景には、先の国民投票でEU残留意見が大勢を占めた北アイルランドとスコットランドの動向が懸念されることがあるものと思う。北アイルランド独立運動は、EU加盟によってアイルランドとの国境が消滅したことで漸く鎮静化したが、尖鋭的であったIRAを彷彿させる「新IRA」の独立活動が既に始まっており、活動メンバーの多くは行動的な若年者と云われている。スコットランドについては、今回の総選挙でスコットランドの分離独立を標榜するスコットランド民族党が躍進したことから、積年の反イングランド感情がEU離脱を機に噴出することが懸念されている。スコットランドがイングランドに吸収されて連合王国入りした経緯を勉強したが、有史以後のスコットランドの歴史は常にイングランドとの闘争の歴史であり、イングランドの軍門に降ったのは1707年(富士山の宝永大噴火が起きた年)である。その後も2度にわたる「ジャコバイトの反乱」がありスコットランドがイングランド対して牙を剝かなくなったのは1745年(家重が徳川幕府第9代将軍に就いた年)であるとされている。混血が進んで人種的にはアングロサクソンと一括りにされるイギリス人であるが、欧米人が持つ積年の怨念は我々日本人の想像を超える根深さであるように思う。戊辰戦争に敗れて所領を没収された会津藩が異郷の地(下北半島)に斗南藩立藩を許されたのはスコットランド消滅100年後の1869(明治2)年であるが、会津人にはs子っとランドほどの反中央政府感情は無いと思う。

 連合王国内の相克は今後の展開を見守ることとして、思い出されるのが野坂昭如氏の「ゲリラの群れ」である。同書では関西弁を駆使する一団が紆余曲折の末に「兵庫県独立運動」を展開するストーリーであった。兵庫県は、日本を南北に両断できる唯一の県で淡路島をも活用すれば日本が迂回路を設けることができないために、通行料によって税金の無い国が可能としていた。スコットランドと北アイルランドは、イングランドに地勢的な強点も無く経済的にもイングランドに抗すべくもないことは明らかであるが、それでも怨念を晴らすことの方がより重要なのだろう。