もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

トリアージを考える

2020年02月21日 | コロナ

 新型肺炎で3人目の死亡が報じられた。

 特に、80代の女性について病院に搬送した時期の是非を問う声が高い。疑問視されているのは、女性が2月5日に発熱、6日に船内で受診、12日にウイルス検査・入院、13日感染判明、20日死亡という経過をたどったが、発熱後1週間にわたり船内に留め置かれていた点である。発熱後も1週間船内に残されていたことの是非や識者の後付け論評の適否を考証できる知識はないが、患者の収容については「トリアージ」の手法が採られたものかと思って、改めてトリアージを勉強した。ウィキペディア(抄訳)によると、「トリアージ」は、事故や災害など多数の傷病者が発生した際に救命の最大効率を得るため、傷病者の重症度と緊急度によって治療や搬送の順位を決定する標準化手続きで、一般的に直接治療に関与しない専任の医療従事者が行う」とされている。判定は多くの要因を総合的に判断して行われているようであるが、単純化すれば「助かる見込みのない患者あるいは軽傷の患者よりも、処置を施すことで命を救える患者を優先する」という点に尽きることであると知った。また、平時では最大限の救命処置を得て救命し得るような傷病者も、人材・資材が絶対的に不足する状況では全く処置されず結果的に死亡する場合もあることが特徴であるともされている。日本では、阪神・淡路大震災以後知られるようになったが、トリアージと云う言葉が一般的でなかった時代でも、野戦病院では「爾後の戦闘に役立つか否か」が処置の優先順位を決める最大の基準であったと聞いている。このことから、戦闘組織の骨幹をなす指揮官や参謀が最優先され、次いで兵士として戦線に短期間で復帰できる軽傷者が治療され、その他の傷病者は後回しと云うのが当然であったとされている。一般社会にあっては、判断を決定するのは傷病者の重症度と緊急度であり社会に役立つか否かの判断基準はないと信じているが、傷病者数が医療体制(収容・治療の能力)を超える場合には、老人よりも若年者を優先治療すべきという考えが決定者の脳裏をよぎることは避けられないのは当然であろうと考える。また、避難所トリアージという概念もあって、そこでは大量の避難者で避難所が大幅に不足する場合は、自宅を失った人、高齢者、障害者などを優先して受け入れるという弁別手法もあるそうである。

 昨日、電車内で外国人らしい若者に席を譲られた。有難く席に座らせてもらったが、今回の新型肺炎等の事態にあっては若者に治療の席を笑顔で譲ることが、先の見えた老人の美徳・義務であるのかも知れない。今回の死亡例を、その程度の死生観は持ち、保ち続け得る気力・気概・覚悟を持って余生に当たるべしという教訓と受け取った。新型肺炎の犠牲者に合掌。