もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

学校の臨時休校措置に思う

2020年02月28日 | コロナ

 小中高の臨時休校が要請された。

 「要請」とされたのは、いかにも日本的である。共産党の強権的執行で武漢を隔離し得た中国は別にしても、憲法に緊急条項を持つ国であれば手続きを踏めば指導者が強制することができるであろうが、緊急手続きのない日本では総理大臣と雖も強制することはできないのみならず、国民もトップダウンでなされる緊急措置に対応することに慣れていない。国民生活に直接関係する制度が1枚の大統領令で制限されたり覆えされるアメリカの実状を見てもわかるように、多くの不満は報道されるものの大半の市民は柔軟に適応している。新型肺炎の蔓延防止にスピードを要求していたメディアであったが、いざ今回の要請のようなスピード対応が行われると一転して準備不足や派生する問題点の報道にシフトチェンジしてしまう。完治した患者が再び陽性となったり、感染経路が全く不明な3次感染者が発生し、当初は少なかった低年齢層への感染が乳幼児にまで急速に広がった現在、猶予期間なしの臨時休校は不適切の誹りは免れないだろうが、大きな混乱と犠牲を払ってでも感染の拡大を食い止める最後のチャンスとの判断によるものであろう。勿論、感染が食い止められずに混乱と犠牲のみ残るという最悪のシナリオも総理の脳裏をよぎったであろうが、敢て「空振り三振」を覚悟しての英断であろうと評価したい。不満を述べる報道には「政府の補償・援助」を求める声もあるが、全くの筋違いではないだろうか。激甚災害に対する公的援助は法律に定められているが、今回のような感染症に対する規定はないと思われる。さらに感染・罹患者が全て被害者かと云えば、他に伝染させた加害者であるかも知れないことを思えば、公的援助は既に表明されている治療費の国庫負担が限度ではないだろうか。バラマキ福祉がお得意の野党も、新形肺炎より桜が最大の関心事であれば合同対策本部は立ち上げたもの政府の対応を批判するのが精一杯で、要求や対応を検討さえしていないのだろう。さらには、労働者を守るべき連合等の労働組合も、さしたる援助の手を差し出していないように思える。選挙の応援資金が出せるならば、少なからぬ支援が可能であると思うのだが。

 今回の新型肺炎では多くの教訓が示されていると思う。危機管理能力は欧米に遥かに劣り、防疫や検疫(検査)資源の集中力は韓国にも劣り、最大の脆弱性は公共の福祉のためには人権の一部を制限できる法整備が整っていないことで、憲法改正と云えば9条のみに焦点が当てられるが、人権・教育を含むすべての面で現行憲法は古色蒼然としている感がある。犠牲を強いられる人に対して、「国家が何をしてくれるかを問い給うな。国に対して何を為し得るかを問い給え」。ケネディーの大統領就任演説である。