もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

日鉄日新製鋼呉製鉄所の閉鎖を知る

2020年02月10日 | 社会・政治問題

 日鉄日新製鋼呉製鉄所が令和5年に閉鎖することが報じられた。

 昭和40年代を呉で過ごしたが、当時の日新製鋼は呉造船所と地域経済を2分する存在で紅灯を徘徊する若年者は、日新・呉造・自衛官が大半であった。その後は、造船業の低迷で呉造船はIHIに吸収(現在はジャパンマリンユナイテッド呉事業所)されたがバブル景気を下支えする鉄鋼業界は好調で日新製鋼は設備を拡張して呉市のシンボル的な企業となった。自分が知っていたのはこの程度であったが、今回の報道を読んで改めて日新製鋼の沿革を眺めると、鉄鋼業界再編の紆余曲折を経て現在は日本製鉄の子会社となっている。同所閉鎖の理由は、中国の過剰生産に伴う鉄鋼製品価格の下落と原料価格の高騰による収益悪化と伝えられているが、自社の足りない部分をM&Aで補なえば良しとする経営手法も一因ではないだろうか。素人考えであるが、M&Aでは必然的に余剰部分まで抱え込まなければならないために企業は巨大化する一方で、シェア拡大は独禁法による足枷を科せられて自縄自縛の事態に陥るのではと考える。経済原則は専門家に譲るとして、跡地利用はどうなるのだろうか。自分が呉市で生活した最後の頃、日新製鋼は施設拡大のために小高い裏山を削って海岸を埋め立てて、それまでの風景が一変する広大なものに変貌していたと記憶しているが、あの広大な敷地を再利用できる道はおいそれとは見つからないのではと心配である。これまでも函館ドック(現在は造船業で再建)や住重浦賀造船の跡地利用を眺めた経験のみであるが、ウオーターフロント開発と称してヨットハーバーや滞在型リゾートマンションの建設が計画されたものの、竜頭蛇尾に終わった感があるので今回も不安を感じるところである。報道では1000人の従業員はグループ内で吸収するとされているが、住み慣れた地を離れなければならないケースが殆どと思われるので、家族等も含めれば多くの人が呉市から離れることになるのだろう。また、下請け会社も職を失うこととなるので、同所の閉鎖が地域に及ぼす影響は甚大であろうと推測する。日本各地には特定の企業に依存する企業城下町が多数存在すると思われるので、会社の方針転換や経営悪化によってそれまでの地域社会と市民生活が一変する危険性は各所に存在すると思われる。

 今回の日鉄日新製鋼呉製鉄所の閉鎖は、会社存続・生き残りと雇用維持の観点から市民・従業員ともに受け入れざるを得ない事態であろうが、呉軍港の衰退は残念である。報道では日新製鋼が呉海軍工廠の跡地に建設されたと書かれていたが、大和建造ドックを持つ呉造船や大和のぎ装桟橋である自衛隊桟橋は工廠跡地と認識していたものの日新製鋼まで含まれていたとは知らなかった。ネット上で見つけた戦時中の呉市計画図では、当該地区は海軍用地とは書かれていないので、海軍が使用していたとしても工廠関連施設等で使用されていたのではないだろうか。ともあれ、呉市と日新製鋼従業員に限りないエールを送るものである。